飛行レジャー
ルナが家族との別れを一通り惜しんだ後、俺達、“ブレイブ”はバハムートの背に乗り、出発した。
同行すると言っても、まさかここまで協力してくれるとは俺も思っておらず、面と向かって、お前達の足になってやる、と言われたときは唖然とした。
ルナに至っては畏れ多すぎてか、そのとき、口をただパクパクしていた。
……あの場にルナの家族がいたら、てんやわんやの大騒ぎになっていたに違いない。
「どどどどどうしましょう、ご主人しゃ……ヒャン!」
「コテツだ。」
「でも、他に誰もいませんよ?」
「どこかでボロを出してしまうことが無いよう、日頃から気を付けないといけないんだ。……それで?どうした?」
「ごしゅ……こ、コテツは緊張してないのですか?これからバハムート様を合わせて、天、炎、水、風、雷の五柱の龍の会合に人の身で出席するのですよ!?ぜ、前代未聞の事です!」
そう、俺達は今からその“龍の会合”とやらに出向き、それぞれの龍が持つ神器を貸してもらう、あわよくば譲り渡して貰えないか具申しに行くのである。
バハムートが言っていた心当たりと言うのはその事で、火山の頂上で吠えたのはその召集をかけるため、とのこと。
ちなみにこの会合、普段は美味い酒が手に入ったとか、面白い遊びを思い付いたとか、そういう事で何処かの龍が召集を掛けることが通例で、むしろヴリトラのような重要な案件で執り行われることは稀らしい。
良い暇つぶしや趣味を見つけるというのはとても大切な事だ、というのは爺さんの言で、あの火山の中にあった財宝の山も“良い趣味”の一例らしい。
……まぁ、それでも獣人にとっては神様が集う神聖な場であることに変わりはない。
現にルナは目的地に着く前からかなり浮き足立っていて、俺が肩を支えておかないと、バハムートのだだっ広い背中から落ちそうでさえある。ま、高いのが怖いってのもあるのかもしれん。
「そういや地の龍ってのはいないのか?」
天が白、炎が赤というふうに、魔素ののそれぞれの種類に特化した古龍が一匹ずついると考えれば、茶もいるような気がするんだけどな。
「もちろんいらっしゃいます、大地龍、ヨルムンガンド様ですね。」
お、予想通りだったか。
って、俺のズボンの大元じゃないか。
「じゃあなんで五柱に入ってないんだ?」
「……そういえば、そうですね。どうしてでしょう?やはりヴリトラと同じく五柱の方々の親だからでしょうか?」
ルナは左上を少し見て、口元に指を当てたまま首を軽く傾げる。
ヴリトラってバハムートとかの親なのか……。
「龍の親、ねぇ。」
「はい、五柱の方々は皆ヴリトラとヨルムンガンド様から生まれたと伝わっています。」
こいつら、繁殖できるのか……。
『安心せい、大昔にそういう能力は奪ったわい。古龍なんぞが何百何千と増えた日にはわしの仕事が追い付かん。世界が滅んでしまうからの。』
怖っ!?繁殖力を奪うとか、そんな事ができるのか爺さん!?
『まぁ、そう簡単ではないがの。』
簡単であって堪るか!
『お主から奪うことなぞあり得んから安心せい!』
できないと言わないところが怖いんだよなぁ……。
「五柱に入ってないって事はつまり、ヨルムンガンドはラダンでは信仰されてないのか?」
「はい、確か大昔にお眠りになったと……。」
『その通り、そしてわしの仕事の一つこそがヨルムンガンドの封印じゃ!むしろそれに力の大半を使わされておるわい!』
何でわざわざ?
『ヨルムンガンドは身の一捻りで陸を海に沈め、海底を陸に押し上げてしまう程、そのバハムートが可愛く見えてくるぐらいには巨大での、大人しく眠らせぬと危ないんじゃよ。』
してしまうって……故意じゃないのか?
『困ったことにのう。まぁとにかく、今は海底でぐっすりじゃ。』
俺のズボンの素材はいったいどうやって手に入れたんだろうか?
『はるか古代の物じゃろうな。』
…………うーん、お買い得だったなぁ。
「ね、ねぇ、お、落ちそうになったときは本当に助けてくれるわよね?」
と、ルナとは違う理由で隠せない恐怖を感じているのはユイである。当然だろう、何せ修行の一環として、バハムートが飛んでいる間、背中で立っていることそしてできるなら片足で、という指示を受け、真面目に練習中だからである。
ついでに言うと、俺達がいるのは上空の雲が水蒸気できていると実感できるくらいの高度である。……ルナが雲を食べようとしたのが微笑ましかったのは置いておく。
バランス能力を鍛えるためだと言うのは分かるが、過酷過ぎるような気がしないでもない。
「大丈夫だから、任せておけ。」
「ユイちゃん、僕も……「フェリルさん今集中しているから、話し掛けないでいてくれないかしら!?」……いる、よ……。」
フェリルを一蹴、ユイはなんと片足を上げてバランスを取り始めた。
……はー、凄いなぁ、俺もできるかな?
ちょっと立ち上がろうとすると、
「「そこにいて!」」
ユイとルナの両方に悲鳴に似た懇願をされ、俺はその場に座り直す。
……ネルの奴がいたらどんな反応するだろうか?あ、高所恐怖症だから俺に抱きつきっ放しか。今のルナとほぼ変わらんな。
「私も自由に空を飛んでみたいわ。」
一人、バハムートの上で腹這いに寝そべり、下を見て感嘆のため息を吐いているのはシーラ。彼女は下を見ても高所恐怖症を患わなかったらしい。
「はは、飛ぶのとは少し違うが、それならパラシュートを作って、目的地に飛び下りてみるか?」
「え?パラ……?」
ああ、無いのか……。
「こんな高さからでも安全に飛び降りる方法の事だよ。」
方法ってか道具だけどな。
「そんなことができるの!?」
「まぁやった事は無いからなんとも言えん。ま、いざとなったら足場を作って安全に降りられるさ。やってみるか?」
言いながら、自分でもスカイダイビングがやりたくなってきた。そうだな、断られたら俺一人でもやってみるか。
と、シーラはあまり安定しない足場だというのにも関わらず器用にスススと寄ってきて、俺の手を両手で包み、何度も何度も頷いた。
「私、貴方に一生付いていくわ!」
「はは、分かった。決まりだな。他にやってみたい奴は?…………あー、いない、か。」
隣のルナはフルフルと首を振り、片足立ちのユイに至ってはギラリと睨んできた。……うーむ、器用。
フェリルはと言うと、知らんぷりを決め込んでいる。
「なぁバハムート!目的地上空についたら合図に……そうだな、火を吹いてくれないかぁ!?」
「グゴォォォ(任せろ)!」
叫ぶと、了解の意が伝わってきた。
さぁ……パラシュート作りだ。
強い熱気が俺の顔を吹き付けた。
「キャァッ!?」
「っと、危ない危ない。」
バハムートが上に火を吹いたのである。おかげでユイは煽られて転け、俺は転がってくるそんな彼女を受け止める。
「大丈夫か?」
「……もう、立ち上がれそうにないわ。」
「はは、仕方ないさ。むしろ良くもまぁ今まで倒れなかったな。」
「特訓の最初から失敗する訳にはいかないもの。」
「はは、なるほど……「合図はあったわ!行きましょ!ね?ね?」……はいはい、分かった分かった。」
俺の体を揺さぶるシーラに生返事を返し、立ち上がってバハムートの背の端まで手を繋いで歩く。
ったく、駄々っ子かこいつは。
「こ、コテツ?どこにいくのですか!?」
「言ったろ?スカイダイビングだ。フェリル!二人を頼んだ!」
「シーラ、本当に飛び下りる気かい?」
「一生に何度とない機会なの。逃す手はないわ!」
フェリルの確認に気合い十分に答えるシーラ。
一方で俺はその腰に手を回し、引き寄せ、ベルトを腹の部分に巻いて俺としっかり引っ付けさせる。
「リーダー!?」
「な、何するの!?」
「俺が助かってお前が死ぬなんてことが無いようにな。安全のためだ。」
言い、シーラの長い髪を黒魔法の紐で束ね、垂らす。
「べ、別々で良いでしょ?」
「万が一にもお前を無くすわけには行かないからな。我慢してくれ。」
言って、シーラの脇の下からもベルトを通し、束ねられた髪を軽く挟むようにして俺の胸にあたり密着させる。
ゴーグルが欲しいが、手元に無く、作れないものは仕方ない。
「……そういう所、直した方がいいわよ、奴隷ちゃんのためにも。」
「安心させるつもりで言ったんだけどな……まぁ良い、行くぞ!」
最後に折り畳んだパラシュートを背中に、途中で開いてしまわないようにして引っ付け、俺は何もない空中に踏み出した。
「ええ!いつで……キャァァァッッ!」
「ご主人様ァッ!?」「シーラァッ!?」
風圧に涙が零れ、上に置いていかれていく。涎が頬にへばり付いた感触があるが、そんな事は気にしていられない。
冬の冷たい空気が肌を刺す。雪は降っていないだけマシだろうか?
風で目を完全に開けることはできないが、薄目をする事で対応する。……ゴーグルが作れたらなぁ……。
聞こえるのは風切り音と、目の前のシーラの悲鳴。しかしそれも数秒後には笑い声に変わった。
「私、飛んでる!飛んでるわ!アハハハハハ!」
落ちてるだけなんだが、指摘するのは止めよう。
「シーラ!手を真っ直ぐ横に広げて、地面に向かって胸を張ってみろ!」
言いながら、シーラの腕を取って真横に動かす。
「……見て!自由に向きを変えられるわ!すごい!」
「手を体に添えて前を見れば、前に進めるぞ!」
「こう?本当だ!わぁっ!」
柄にもなくはしゃいでるなぁ。俺もウキウキしているのは否めないが。
そうしてシーラが様々な方向に行ったり来たりを繰り返していると、俺は気付いた。
「お、シーラ、前を見てみろ、バハムートだ!」
視線の先に、バハムートが旋回ながら地上に降りていくのが見える。
かなり先だ。少し遊びすぎたらしい。
「ええ、見てるわ!……やっぱり綺麗ね!」
「中身はあんなだけどな!」
「貴方は他の古龍がどんな性格をしてると思う!?」
「さぁな!これから分かるさ!ほら、バハムートの方に行こう!」
「分かったわ!」
少し話を脱線させながらも、シーラを誘導し、バハムートへと動くように仕向けた。
……はてさて、バハムートのところまで辿り着けるかね?
「シーラ!」
「何!?」
「追い風って作れるか!?」
聞いた瞬間、前への推進力がグッと増した。
「これでどう!?」
「完璧だ!」
バハムートの姿が、ゆっくりとだが、だんだん大きくなってくる。
下の地面の様子もやっと見えてきて、割と栄えている街だというのが分かる。ほんのり白色に覆われていて、なかなか綺麗もんだ。
街の中心には高い塔のような、それでいて幅広な台のような建物が一つあり、その周りに、おそらく石もしくは煉瓦作りの家屋が立ち並んでいる。
その塔に向かって、バハムートはゆっくりと下りていっていた。あれも龍を祀る社の一つなのかもしれない。
「広い街ね!」
「ああ!この街の全容を一目で見れる人はたぶん俺達ぐらいだぞ!」
「ええ!…………ねぇ、そろそろ減速した方が……「いや、まだ行ける。」そ、そう?」
段々と街の細部が見えてくると、シーラがそわそわしだし、チラチラとこちらを見る。
そんな様子を楽しみながら、人が点で見えるようになったところでパラシュートを背中から開放した。
……が、中々減速しない。
「……あれ?」
「ど、どうしたの?」
チラリと背後をを見る。大きく広がる予定だったパラシュートは萎んだまま、鯉のぼり、いやむしろ鰻のような細さのまま、ヒラヒラと風に揺れていた。
「おかしいな、パラシュートが開かん。」
「パラ……それって……。」
シーラがこちらを振り向いて聞いてくる。
「ああ、これが開かないと俺達は地面に激突して……大輪の赤い花を咲かせることになる。」
神妙な顔で言うと、シーラは見たこともないような、心底恐怖したような顔をする。
「そんな!?嘘!どうして!ねぇ、何とかならないの!ねぇ!?」
暴れるシーラ。
俺はそれを少しでも宥めようと、そしてパラシュートの衝撃に備えるのも兼ね、彼女を後ろから胸辺りを抱き締める。
開いてくれないかなぁ……チラリ……開かないなぁ。はぁ、チクショウ、失敗か……。
「…………「どうなのよ!?」と、まぁ冗談はこのくらいして「え?」開け!」
非常に不本意ながら、俺は魔力でパラシュートを無理矢理広げた。
真上にグイィッと引き上げられる感覚。前方に両足が投げ出され、パラシュートの繋がっているロングコートにより、両肩が真後ろに強く引かれる。
「うっ、くっ……、はぁ、はぁ…………今のは、わざと?」
少し苦しそうな声を発し、落下の勢いが一気に遅くなったのを感じて安心したのか、それでも俺の両腕を掴んだまま、シーラが聞いてくる。
「半々、だな。」
「へぇ?そぉ?」
うーん、怖い。こっちを見てなくったって怒りはこれでもかと感じられる。
「パラシュートが開かなかったのは俺も予想外だった。少し待てば開いてくれると思ったんだがな……たぶん構造か、もしくは折り畳み方が悪かったんだと思う。そこは本当にすまん。ただ、俺も初めてだったから、許してほしい。」
「……それはわざとじゃないのね?」
「ああ。もちろん。」
そんな命をかけた悪戯はしない。
「そう、なら何をわざとしたの?」
「……一応最終手段はあったんだがな、わざと不安を煽ったんだ。大輪の赤い花、とかな。はは……スリルって大事だろ?」
「……ええ、まぁ、そうね……許すわ。」
理解してくれたようで何より。
「ほっ。」
「ただし……」
「ん?」
「……フェルに私の恐がってる様子とかを教えるのは禁止。」
なんだ、そんなことか。
「やっぱりフェリルには良いところ見せておきたいのか?」
「!?そ、そんなこと……。」
頬がほんのり赤くなったのが背後からも分かる。
「はは、良いねぇ……頑張れよ?」
「このっ!え!?」
シーラが何かしようとしてきたが、攻撃を予想していた俺は予め周りを無色魔素で満たしておいた。
「どうした?」
シーラがこちらを睨むが、すっとぼける。
「無色ね?」
「正解。……まぁほら、応援してるのは本当だぞ?」
「奴隷ちゃんと恋人になるまであんなに時間がかかったくせに……。」
「……落とすぞ?」
「ふふ、いい反応ね?」
この野郎、本当に落としてやろうか?
言い合いながらふわふわと高度が落ちていく。
「あ、下の人達が私達に気づき始めたわ。」
着地目標地点をずっと見ていた俺は、シーラの肩越しに地上を見た。
「ん?お、本当だ。」
いつの間にか龍眼を使えれば顔貌が分かるのではないかという距離になっていて、こちらを指差す人達がちらほらいる。
「やっぱり目立つのね、これ。」
「いや、むしろバハムートを見ようとしたついでに俺達が見えたんじゃないか?」
「ああ、確かにそうかも。」
一しきり話し、随分距離の近くなった外界を眺める。
「……さて、そろそろだな。どうだった?感想は?」
「素晴らしかったわ。ただ、あなたが途中でうるさかったことが良くなかったわね。」
「はは、そりゃすまん。」
俺達の高度は塔の天辺と同じくらいになった。
落下速度も十分落ちている。
足場を作り、パラシュートを解除。
「きゃっ!?」
シーラをお姫様抱っこして着地した。
「どうする?下ろそうか?」
「そんなの当たり前で……「それともフェリルの反応を見るか?」……私、これも人生に一度はされてみたかったのよね。」
「フェリルに?」
「ふふ、貴方、寝るときは用心なさいよ?」
「ひゃー怖い怖い。」
俺は逐一足場を作りながら、この街で一番高い塔へと空を駆けた。