対バハムート①
バハムートとの距離は約7、8歩……一度に詰めるには少し遠すぎる。
「武術のスキルか。ハッ、大口叩くだけはある!」
そう言って笑うバハムートの右手には、既に膨大な量の赤い魔素が集まり、なおもその輝きを増していく。
呼応するように、俺は左手に無色魔素を集中させる。
「……無色?舐めんなよこの若造がァ!」
怒声を上げ、右の手の平を握るバハムート。
三歩目を踏みしめると同時に下半身の鎧の作成を開始、そして四歩踏み込むまでにそれを完成させる。
「黒銀!」
体を漆黒に染め上げ、体を右に捻る。そして5歩目の右足が地を触れ、俺は両龍を右腰の辺りに引いた。……一撃で決める!
「俺の魔法を消してみやがれ!……っ!?」
バハムートが手の平を開き、そこから紅蓮の炎を吹き出しながら、俺へ向かって突き出す。
しかし、限界まで体を強化した俺の体は、残りの距離を既にに詰め終えていた。
目の前の手からほとばしる紅。
チッ、ギリギリ間に合わないか……。
踏み込みは左足。右下から陰龍を、それを握る左手に集まっている無色魔素を放出しながら、左上へ斜めに切り上げる。
バハムートの手から炎の他にも鮮やかな赤が吹き出、そのまま陰龍と同じ方向へ強制的に向けられる。
「お!?」
既に放射されてしまった、だが本来よりも確実にその量と威力の減衰した炎へと、黒銀を信じ、突っ込む。
「オオォォォォォ!」
薄い炎を潜り抜け、右足を蹴り出すことで体の捻りの力を乗せた黒龍を、元より狙っていた箇所、バハムートの喉元へ向けて突き出した。
「くぅっ!?」
黒龍が届いたと同時に、俺の左足が地から離れる。
体中の力が全て黒龍の切っ先、その一点に込められ、バハムートを押し込んで、背中から壁面へと激突させる。
強い手応えと共に鳴る破砕音。岩壁小片や砂埃が舞うが、視界を遮る程ではない。
だからこそ、黒龍はバハムートの肩に突き立っているにも関わらず、その刀身の4分の1すらバハムートの血に濡れていない事に気が付き、唖然としてしまう。
「ハッハッハ!なるほどな、見事!」
黒龍が喉ではなく肩を刺しているのは、すんでの所でバハムートが体を動かし、避けたからだと推測できる。
そしてあれだけ力を込めて浅い傷しか追わせられない理由は、バハムートの体を見て瞬時に理解できた。
「……鱗、か。」
前に戦ったボルカニカのそれよりも濃い、赤色の鱗が体をびっしりと覆っており、黒龍の切っ先が埋まる肩も例外ではない。割れ、ヒビが入ってしまっている肩のその一枚は、それでも黒い刀身のそれ以上の侵入を防いでいた。
「ああ、右手は間に合わなかったがな。……ハッハッハ!ああ、この姿――お前ら人は龍人と呼ぶんだったか?――に成るのはいつ以来だろうな!?」
そういうバハムートの顔も同じく鮮やかな色の鱗で覆われ、瞳はさっきまでの赤から金色へと変化している。
これが……龍人。ったく、これのどこが俺に似てるんだか。
「もちろんこれで終わりじゃあないだろう?」
バハムートが言い、左手で黒龍の刀身を握る。……引いてみるが、ビクともしない。
「チッ。」
舌打ちし、黒龍を放す。陰龍を油断なくバハムートに向けたまま、後ろに飛んで距離を取る。
「……っ、ふぅ。久しぶりに血を流した。俺に剣で触れることさえできたら合格のつもりだったが……これじゃあ満足できん。よし!満足するまで付き合ってもらおう!」
「ふ……ふ、ふざけるな!冗談じゃない!」
肩の剣を抜いたバハムートのあまりにあんまりな言葉に声が震えてしまう。
「知らん!不意打ちをしくじった方が悪い!気持ち良く決めていれば俺も物足りなさを感じなかっただろうからな!なに、不死性による回復はしないでやる!ハッハッハッハッハ!」
バハムートは俺の非難を一蹴し、穴の空いた上の服を脱いで脇に捨て、拳を握る。手や肩の傷を付けたままなのは一種の温情らしい。……温かみの度合いはおいておく。
それにしても、バハムートの言葉には反論できない。不意打ちをしくじるなんて、あってはならない事だ。
はぁ……、何にせよやるしかない。
「……厄介なのは鱗だな……全部砕いてやる。」
方針を自分に言い聞かせる事で心を落ち着け、陰龍を消し、鎧兜で体を覆う。中の体の方は鉄塊に切り替えることでスキルと魔力の恩恵を身に纏う。
「さっきからのそれは黒の魔素か?良いぞ、面白い!」
くそ、龍には何でもお見通しってか?やりにくい。
「いつまで笑えるかな?」
「ハッ!その調子だ!」
バハムートが地を蹴り、俺も駆ける。
衝突したのは左前腕とバハムートの右拳。鎧越しだってのに骨まで響いてくる衝撃をこらえ、左側へといなし、バハムートの懐へ踏み込んで右のボディブロー。
「甘い!」
しかしその拳は相手の左手に掴まれる。
その手を握ったまま、バハムートは膝を土手っ腹に入れてきた。
「カハァッ!?」
空気が体から押し出される。腹の装甲は微塵に砕け、生身の肌が晒される。
「もういっちょォッ!」
避けられない……クソッ!
「黒銀ッ!……がァっ!」
なるべく多くの魔素で黒銀を発動、しかしそれでも二度目の衝撃は一度目よりも遥かに響き、意識も一瞬だが、持っていかれた。
「良く耐えた、ハッハッハ!さぁ三回目はどうだ!」
冗談じゃない!
腕が捻れるのも構わず右に跳び込み、バハムートの左手から右拳を無理矢理抜き取って危機を脱する。
「…………ッ、ハーッ!はぁ、はぁ……。」
転がって立ち上がり、相手を睨み付けながら距離を開ける。そして少しの間できなくなってきた呼吸で酸素を喘ぐように掻き込む。
幸い、なんとか右手首は壊れずに済んだか……。
しかし十分に待ってくれるはずもなく、バハムートが地を蹴った。
呼吸は乱れたままだが、それでも敵の一挙手一投足に集中、とにかく逃げ腰にならないよう――そうなると心まで負けてしまいそうだから――右足を前に出し、腰を落とす。
先天的な紅の鎧に覆われた足が目の前の地面にヒビを入れ、少し遅れて赤い右拳が顔面目掛けて飛んでくる。
右腕で横から押してその軌道をずらさせ、なんとかそれを避けられはしたもものの、拳と接触した鎧は削り取られた。
……掠れてしまうことさえも避けないといけないのか。あーくそ、怖いったらありゃしない。
そう、半ば投げやりになりかけた俺にお構いなく、次に左拳が迫ってくる。対する俺はまだ残っている鎧部分でさっきと同じように避ける。そしてその次、またその次、と畳み掛けてきながら進んでくるバハムート。何の技術もないテレフォンパンチだが、速さも力も一級品。俺は黒い破片を散らしながらジリジリ後退しつつ、逃げに徹する。
「おいおい、このまま終わりか?」
「……」
バハムートは無視し、チラリと背後を見る。……そろそろか。
そしてバハムートの何回目か分からない左足の踏み込みがなされ、何度目か分からない右の拳が振るわれようとした。
今ッ!
左肘にまだ少しだけ残っていた装甲を使い、放たれたバハムートの腕を右へ押しつつ、今までよりも大きく右足を下げる。
流石に肘では体に近すぎたのか、兜の右半分が拳に掠れ、抉り取られてしまう。が、俺はなんとか左半身を前にした体勢を保ち、身を反らして直撃を避けきった。
そうして赤い鱗に鎧を削られていくのに冷汗を流しつつ、黒く染めた右腕をバハムートのそれの内側へと潜りこませ、肘どうしを引っ掛ける。左手は素早くバハムートの背後へと回す。
「おおっ?」
「フンッッ!」
技に掛けられたことに気付いたようだがもう遅い。
そのまま背後へ倒れ込むようにして右腕をこちら引き寄せ、左手ではバハムートの背中を押す事で前進を助長、その体重を前に移動させる。
自然、右足を踏み出そうとするが、俺は左足の裏でそれを阻む。
斜めの体勢のまま、右足を軸に回転。
人を楽に殺せるパンチの威力を利用し、俺は背後の岩壁へとバハムートを顔から突っ込ませた。
飛び散る岩の欠片と鱗の破片。
バハムートの動きは一時的に止まった。……だが安心はできない。
「――っ!」
頭部を岩の中に完全に埋めたバハムートはすぐに状況を理解し、両手で壁を押し始める。
「まずは一回!」
まだ鎧が残っている足を用い、バハムートの腹に膝蹴り。
「ッ!」
「さらにお返しだ!」
二発目。
「ッ!?」
バハムートの体が震える。今度は両手に黒銀を発動し、組み、
「ラァァッ!」
力一杯、びっしりと硬い鱗が並んだ背中へ振り下ろした。
「ッッ!?」
ヒビが入り、砕け散る背中の赤鎧。しかしその達成感も束の間、鱗の隙間から見えたオレンジ色の灯に、本能的に戦慄が走った。
Sランク昇格レイドで炎獄竜ボルカニカが見せた力が頭をよぎる。
「畜生っ!」
吐き捨て、俺は更なる追撃を断念、後ろへ飛び、気休めだと頭で分かっていながら、それでも腕を体の前で交差させる。
「ォォォォ……」
そして、くぐもった吠え声が聞こえたかと思うと、少し遅れて高熱の突風が俺に襲い掛かった。
思わず目を固く閉じる。
顔、胴、手足が熱され、焼かれる感覚。
しかし顔から伝わる痛みには更に強く目を閉じるぐらいしかできず、空中にいるため手足に至ってはどうすることもできない。
灼熱の風は一瞬で収まり、かと思うと次の瞬間、背中がしたたかに何かを叩いた。
「くはっ!」
息を押し出されるが、それでも素早く目を開ける。
俺の体は地上から数メートルの高さにあった。突風にここまで飛ばされてらしい。
背中が当たったのはさっきバハムートを叩き付けたのと反対側の火口の壁面。
それらのことを頭で理解、消化する間も体は落下。しかしそこまで高くはないので死ぬ心配はない。
火傷は免れ、それでもかなり火照っている四肢で着地。サッと顔を上げて見渡し、バハムートを探す。
いた。
ジリジリと燻っている穴の前に堂々と立っている。
どうも頭を壁から抜くためだけに今の技を使ったらしい。そして俺はただその巻き添えを食らったってところかね?
「ふぅぅ……」
まだこちらに攻撃を仕掛けようとはしていないのを目の端で確認しながら、吐息を洩らして呼吸を整理。
……にしても、一撃一撃が重すぎる。たった一発毎に壊されるんじゃ鎧を形作った意味がない。これなら黒銀の方が持続する分、まだまだマシだぞコンチクショウ。
「お、いたいた、休憩には早いぞ!」
バハムートが地を蹴った。
鎧を霧散。全身に黒銀を発動。
「ハァハァ、イチカ……バチカ……。」
あの贅力に耐えるために魔素の量はいつもより多めだ。
そして、まだまだ硬く、動きに抵抗を示す黒い体の動きを少しでも補助するために、日々の鍛錬のおかげで、今もまだ少し余裕のある魔力を用い、手袋を作成。
残念ながら双龍は作る余裕は無かったが、これで魔装1のような魔力による体の操作を多少は動員できるようになるはず。
そんな事をしているうちにもバハムートは迫ってきている。
「ハッハッハ!今度は何を見せてくれるつもりだ?」
余裕を見せてはいるが、胴体の鱗はあらかた砕いた。今度こそ攻撃は通るはずだ!
ギシリと膝を曲げ、バハムートへ向けて跳ぶ。
一瞬で間合いが詰まり、バハムートが反応する前に俺は右の拳を腹部に叩き込んだ。
「フンッッ!?」
足元の岩盤を削りつつ、バハムートの体は半歩ほど後ろに滑る。
……どうだ?
「速くはなった……だが軽い!」
右腕が撥ね退けられ、俺が左手を防御に動かす前にバハムートの右拳がお返しとばかりに腹に突き入れられた。
間に隔てる鎧はなく、その衝撃がまともに体を伝わる。
「ガッ!?」
体が浮き、一歩程離れたところに着地。……よし、まだ戦える!
「オォッッ!」
「何っ!?」
踏み込み、驚きを隠さない顔に左拳を放つ。クリーンヒット。
「クッ、ハハハ……良いぞ、良いぞ!」
二発目、今度は鳩尾を狙う。
「フゥッ!?……ハッハッハ!ほほぉ?なるほどな、良いぞその調子だ!」
何かに納得したようにバハムートが言う。
「キイテ、ナイノカ!?」
「軽い軽い!」
この野郎ッ!
三発目を今度は喉元に突き入れようと足を踏み出す。
「目標はこれぐらい、だッ!」
動きを合わされ、俺の拳が届かない間に、前と全く同じ箇所に拳が入る。
「ゴハァッ!?」
強烈な打撃に視界がブレる。肺からは空気、胃からは胃液が飛び出して、喉が焼けるのが自分で分かった。
三歩程よろけた。だが膝は付かない。立つには二本の足で十分だ。
……立てるなら、戦える。
「アァァッッ!」
まだ口に残るよだれと胃液とを吐き散らし、自身を鼓舞。バハムートを打ち据える。
「まだまだ軽いぞ!」
「グゥッ……オォッ!」
四発、五発、六、七、八発…………
全力を乗せた拳を何度も振るうもあっさり耐えられ、代わりに全く同じ一撃をその度に体に叩き込まれる。
最早小細工も何もない。
俺の攻撃をバハムートに認めさせるため、ただただ精一杯、全力で打ち込み、ダメ出しを食らい続けているだけだ。
「まだだ、まだだろう!?ヴリトラとやるんならこの程度な訳が無いだろう?お前ならまだ、“成長”できるだろう!」
「ガァァァッ!」
悔しさからの叫んだのか、怒りかそれとも楽しいからか、何にせよ今はそんなこと、どうでもいい。
もう何度目か分からない踏み込み、開く感覚を忘れかけた拳、何処を狙おうとも思ってすらいない、「俺の全力」それだけを乗せた黒い剛拳を、蒼白い光を発したそれを、紅蓮の龍人、バハムートに打ち込んだ。
「グォォッ!?」
バハムートが初めてうめき声を上げ、その体が浮き、数メートル飛んでいった。
そして着地したかと思うと、
「グ、フゥ……ク、ハハ……ようやく、ようやくだな、ようやく至ったか!ハーッハッハッハッハッハ!」
そう言って大笑いした。