当日
まだ早朝だというのに、社はてんやわんやの大騒ぎだった。まぁ崇め、祭っているバハムートが威風堂々やって来たってのに、本殿に大穴を開けられて肝心の神器を奪われてしまってるんだからな、当然だろう。
むしろ慌てふためかないでいられる方がルナを巫女の座から下ろさせたい俺としては非常に困る。
……さて、どうしようか。
俺が今いるのは社から少し離れた所にある木の上。草薙の剣は落とさないよう、肩紐を取り付けて背負っている。
元々の計画ではこの山を登り、火口から中の様子を窺おうと思っていたのだが、バハムートが来てしまっている今、そんな時間はもうない。約束の時間はきっちり守るタイプなのかね?
『だとすれば昨日の内に来ると思うがの?』
ま、早起きなのには違いない。
それにルナの怪我の度合いも気になる。……フェリルは多分、大丈夫だろう。二人とも今は治療を受けているのか、本殿の近くには見当たらない。
「グゴァァァァァァァァァァァァァァァ!」
っと危ない危ない。驚いて木から落ちそうになった。
山頂の方を見ると、朝日で体中の鱗を宝石のように煌めかせてながら空を旋回していたバハムートが火口の縁を両足で掴み、着地する所だった。
予想以上に高い高度を飛んでいたのか、火山に足を着けたその巨躯は、飛んでいたときの二、三周り大きく見える。山があたかも止まり木かのようだ。
そして初めて遭遇したリヴァイアサンには生えていなかった翼を動かす度に山の木が軒並み揺れ動く。
たった一体で織り成される壮観に若干の感動を覚えていた俺はしかし、再び木から落ちそうになった。
「腹が減ったぞォォォォォォォォ!」
うーん、台無し。どうしてくれるんだ爺さん。感動を返せ。
『感動なんかしておる場合か?呆けておらんでさっさと動かんか。』
へいへい。
反論できず苦笑いを浮かべた俺の目の前で龍の姿が一気に小さくなっていき、ここから見えなくなってしまったのに俺は度肝を抜かれ、三度落ちそうになる。
「き、消えた?」
思わず心の内が漏れた。
『人の形を取ったんじゃよ、これで疑問は解消したじゃろ?ほれ、バハムートの社の者も動き出したようじゃぞ?』
あーへいへい、分かったからそう急かすなって。
爺さんに従って視線を社の方へ向けると、俺達奴隷役や召し使い達が必死こいて冷蔵小屋に入れていた料理を本殿の中へと運び込み始めていた。
あの中に火口へと続く道があるのかね?
にしてもどうやら神器を奪われた件はまだ伝えないらしい。そしてルナからステラへの地位の継承が上手く行っているのかどうか、とても気になるところだ。……いや、これに関してはしっかり確認しておかないといけないな。
俺は隠密スキルを意識して使い、木から降りて社の中へと向かった。
「……なので、私が責任を取って……」
「その必要はない!」
誰の目にも止まらないよう気を付けながら、ルナの気配を頼りに辿り着いたのは、ここに来た初日、ルナの帰還を祝う会が催された場所だった。
そこにいたのはルナ、ウォーガン、ルナの爺さんである現当主が向かって左側に、そして奥の壁に龍の水墨画が掛けてあって、ステラとおそらくその両親が右側に。議題は明白、巫女の地位についてだ。
ちなみに俺は植え込みの影から様子を窺っている。まぁまずはルナの五体満足が見られてホッとしたってところである。
ちなみに愛用の着物が、破れたからか白を基調とした別の着物を纏っていて、これまたなかなか綺麗だった。
「ウォーガン、少し落ち着きなさい。今はそんなことよりもバハムート様にこのことをどう伝えるか、それが先決だ、そうだろう?」
ルナの言葉に立ち上がって抗議するウォーガンを座らせ、穏やかに話す当主。爺さんよりもよっぽど年の功ってのを感じさせる。
『やかましいわ!』
「爺様、巫女は大切な役割です。この際はっきりとステラに譲らせてください。」
「ルナベイン!お前は責任を感じすぎだ!あれは仕方のない事だった。数で圧倒的に不利であったというのに生きているんだ、お前は良くやったんだ!」
「しかし……」
「ルナベインが正当な血筋なんだ!こいつらに譲る事それ自体がおかしい話だろうが!」
当主が話題を変えようとするのを止めてルナが言うとウォーガンがまた激昂する。
「ウォー兄……怖いよ。」
が、今度はステラの一言でウォーガンは怯み、鎮まる。泣く子と地頭には勝てぬとは良く言ったものだ。
「ルナベイン様、では潔く身を引いて下さると?」
「そんなことする訳が!」
「兄上!……これは、私が決めた、ことなんです。」
また立ち上がったウォーガンに対して語気を強め、ルナはしっかりとその言葉を口にした。
「うっ、な、なぁジジイ、お前は反対だよな?ルナベインが巫女を辞めるだなんたことは。」
半ばすがるように、焦った様子で聞くウォーガンに、当主はゆっくりと落ち着きのある声で返す。
「もちろん、私はルナベインに巫女を辞めて欲しいなどとは微塵も思ってはいない。「じゃあ!」しかし、だ!」
ウォーガンを手で制し、年老いた銀狐は声音を強くして続ける。
「バハムート様授かった物を奪われるなど、断じて!あってはならないことだ!それも自分一人の株を上げようとしたために奪われた等と……ふざけるのも大概にしろ!ウォーガン、ルナベインが巫女の座にまだ座るべきだと?そんな道理があるわけなかろう!」
「あ、相手はヴ、ヴリトラ教徒の奴等、それも複数人だったんだ、たった一人で相手取って生き延びただけで十分だ!それともルナベインが死ねば良かったなんて思ってるってのか、おいジジイ!」
ウォーガンは話しながら段々と勢い付いて終いには再び立ち上がり、それに吊られるように当主の方も両の足で畳を踏みしめた。
「そんなことは一言も言っていないだろう!ウォーガン、論点を変えるでない、ここにいる中でルナベインがまだ巫女でいられると思っているのはお前だけだ!地位に関しての話にはとっくの昔に決着が着いている!何度も言っているように、今話し合うべきは祭事の宝を奪われた事をどうバハムート様に伝えるかについてだ!」
「そんな、こと…………ルナベイン、まさかお前自身も、ステラに譲りたいと思ってるのか?」
信じられないと言いたげな顔でウォーガンが周りの者を見渡し、藁にもすがるようにルナに質問する。
「……はい、私もそうするべきと、思っています。……ごめんなさい。」
「そんな……こんなことがあって良いはずが無い!おいお前ら!お前らがヴリトラ教徒を手引きしたんじゃあ……ブァッ!」
ついにはステラ達の方を向いて怒鳴り出したウォーガンは、当主に殴り飛ばされ、奥の壁にぶつかる。
あの老体のどこからそんな力が出るんだ?さすが獣人、それとも信仰の力か?
「な、何をしやがる!!
「いい加減にせんか!今は少しの時間すら惜しいというのに……頭を冷やせ!」
「……うっ……なぁジジイ、本気で分家に譲っちまうつもりなのか?」
何度も叱られ、多少は落ち着いてきた自分の孫の問いに当主は深呼吸をした後、再び穏やかな口調に戻って答えた。
「もちろん、ルナベインに継がせたいのは山々だ。だがこうなっては致し方なかろう?加えて、本家だ分家だ等と言うても、バハムート様に敬意を払い、信仰しているところは変わらない。そしてそもそも!ステラは本家に養子として入る。ウォーガン、お前の意見は的外れにも程がある!良いな!?」
「……………………分かった。」
おそらく首まで競り上がってきていたであろう様々な罵倒の言葉を、周囲からの視線で四面楚歌を理解したからか呑み込んで、ウォーガンは俯き、ぼそりと了解の意を示した。
「はぁ……ではそろそろ本題に入ろう、此度の案件への対応に何かしらの案のあるものは?」
「対応も何も、これはルナベイン様の落ち度でしょう?ステラが被害を被る必要は……。」
一息つき、座り直した当主が聞くと、ステラの母親がそう切り出した。当然ながらウォーガンが彼女を睨み付け、また怒鳴り散らすのかと思いきや、声を荒げたのは当主だった。
「聞いていなかったのかッ!これは我々フレメア家全体の問題なのだとあれほど言うておるのになぜ分からぬ!」
「も、申し訳ありません!」
堪忍袋の緒がはち切れてどっかに飛んでいったかのような怒気にステラの母が畳に額をすり付けて謝り、当主は荒い息遣いで他の者を見渡す。
「はぁはぁ、ウォーガンと言い、お前と言い、建設的な意見は誰にも無いのか?」
誰一人として動かず、目を伏せる。
……取り敢えず、ルナの地位をステラに譲るという結果は得られた。さて、あとバハムートからお墨付きを貰いにいくだけのはずだ。なのにどうしてルナは何も言わないんだ?
……あ、俺が奪還に成功したかどうか分からないからか。神剣を奪還した後、俺の役目はバハムートが機嫌を損ねた際に仲裁に入る事。それはルナの身の安全を保証する物だ。その有無の確認はさせておかないとな。
隠密スキルを一瞬だけ解除。すると室内にいた全員がこちらを振り向いた。うーん、勘がいいねぇ。
「誰かそこにおるのか!……大人しく出てきなさい!」
当主が他を代表して呼び掛けてくる。
もちろん返事なんかしやしない。ルナが俺を見て小さく頷いたのを確認し、俺は目一杯の黒煙を発生させて逃走した。
「もしかしてヴリトラ教の手勢か!?……総出で探せ!引っ捕らえろ!」
ウォーガンの叫び声が響き渡り、辺りが騒がしくなる。もう一度林の中に隠れるしかないな。
ルナ、頼んだぞ。
今日のために準備のなされた料理を乗せた大皿を抱え、列をなして進むフレメア家の召し使い達。
俺は身を隠しながらそれを辿り、本殿の奥に飾られていた大きな龍の絵の後ろに隠されていた大穴を通り、空の皿を次々脇に積み重ねていく男がいる空間にたどり着いた。
大穴の中に隠れる場所があった訳ではないのだが、爺さんによれば隠密スキルのおかげでただの背景として認識されているらしい。
にしても、まさか本殿の奥にこんな隠し通路があったとは。
「ふははははは!良いぞ良いぞ!どれもこれも旨い旨い!はっはっは、ドンッドン持って来ぉい!」
怒濤の勢いで食べ物をほぼ吸い込むようにしながら大笑いする、赤装束の着流しを纏ったハg……ゴホン、スキンヘッドの大男。
十中八九、あれがバハムートだろう。
隠密を発動したまま、召し使い達の列から離れて近くにあった岩影にそっと入り込み、辺りを眺める。……背景のようになっているとは言え、やはり召し使いの視線からなるべく隠れておかないと気分が落ち着かないのである。
見た感じ、ここはおそらく火山の中だ。
壁は岩肌を隠そうともせず、装飾と言えば、空が遠く小さくしか見えないために設置されている松明ぐらい。
が、それも視線を下げていけば様相が変わってくる。……殺風景な岩壁からキラキラとした財宝へと。
金貨銀貨に色とりどりの宝石類、そのあちこちから装飾華美な剣槍斧等も顔を覗かせ、松明の光を反射して尚更輝くその貴金属の山は、バハムートの座る玉座のような椅子の背後に堂々とそびえていた。
はぁ、20000ゴールド程度で金銭感覚を失いかけていた自分が情けない……。
『古龍は長い時を生きてきた。それを金品収集に費やしたと考えればこれも自然の成り行きじゃろう?』
塵も積もれば山となる、てか?
『そんな塵のためにお主は一喜一憂しておるのじゃよ。ふぉっほっほ、小さいのう。』
収入源が他人に頼りっきりな、ヒモみたいな奴が言うな。
『なんじゃとぅぉお!?わしはこの世界を支えておるんじゃぞ!事もあろうにヒモとはなんじゃ!?』
別にそれで金を稼いでる訳じゃないだろ?
『感謝の証として、信者達が寄進をしてくれておるのじゃ。立派な仕事じゃろうが!むしろ金を稼ぐために働くというその考えが間違っておる!本来働くという事は他者を助けるために行うことであり、見返りは助けた相手の満足度合い。決して報酬が先にあるから行う事柄では……』
分かった!分かったから!爺さんの言うとおりだな。うん。
『いいや、まだ言い足りんぞわしは!全く、お主ら人はもっと他のために動けぬのか!?やるのは自身の利益になる事ばかり。いつまでたってもそんなじゃから、人にこの世を任せてはおけないと言い出す者まで現れる!そんな騒動を収めるのに数年かかったんじゃぞ!ったく、さっさと文明の次元を上げて貰わんとわしらが困るんじゃよ!それにそもそも、財というのは蓄える物ではない、もしもの時のために頼るべきは財ではなく他人であるべきじゃろう!?支えあい、助け合う、これを前提にして……』
爺さんがあーだこーだとぐっだぐだ言っていることが全て正論であることは理性で分かる。いや、もう本当に。
でもな爺さん、こんなところで道徳的な正解を持ち出してくるなよ……。