2つ目の神器
「遅い!」
社を襲撃したヴリトラ教徒達を、漆黒の衣装を纏った女が叱咤の声で迎えた。対してヴリトラ教徒達は皆その前に膝まずいて頭を垂れ、その先頭の一人がその男を恐れるかのように声を振るわせながら話し出す。
「も、申し訳ありません、思っていたよりも相手が……」
「言い訳はいいの、肝心の物は?」
しかし女がそんなことお構いなしに切り出すと話すのを即座に止めて、隣に目配せ、隣のヴリトラ教徒から刀を受け取ってその柄を女へ差し出した。
「ここに。」
「んふ……さて、文言は…………ああ、思い出した……切り払え、草薙の剣!」
女は刀をヴリトラ教徒が持つ鞘から右手で引き抜いて、ブツブツと呟きながら少し歩き、急に斜めに素振りした。
一瞬の静寂の後、素振りをした先の木々が数本、それ自身の幹から斜めにずり落ちるようにして地に倒れる。
「……情報通りね。さて、これは私がヴリトラ様にお渡しす……っ!」
鞘を目の前の黒ずくめから乱暴に奪い取るなり刀を納め、唐突に女はその場から後ろに跳んだ。そしてほぼ同時に元いた場所を黒い矢が通り、少し先の木に突き立つ。
……要は隠れていた俺の放った矢が外れたのである。うーむ、やっぱり魔装1を発動したままだとやりにくい。この鎧姿で弓矢を作り出せるぐらい魔力が鍛えられたって事に浮かれすぎてたってのもある。ま、何事も練習だ。
「追手は撒いてから来なさいってあれだけ……くっ!」
手下であるらしいヴリトラ教徒達を叱ろうとしたところにもう一本放つも、気付かれて木に隠れられてしまった。
……危機感知のスキルか?
「おい、お前が索敵役だっただろうが!」
「追手の気配なんて無かったよ!……向こうは隠密スキルを持ってるのかも……。」
「どこだ!どこから狙われてる!?」
「探しても無駄だ。どこから来てもおかしくないぞ、ここで食い止めるぞ!」
言い合いをおっ始めてくれたかと思ったが、一つの号令で彼等は即座に並び直し、戦闘体制に入った。
ネルから教わった歩法を習得していないので、迂闊に動けば十中八九バレる。不意討ちができるのは後一回しかない。……ま、できるってだけで十分か。
木の影からチラリと黒ずくめの配置を確認。
四人が四方を固め、上空からの攻撃は真ん中に立つ一人が警戒している。
爺さん、あの女は?
『木の影で様子をうかがっておる。おそらく味方が少しでも不利になれば逃げ出すじゃろうな。』
いや、たぶん俺が姿を現した瞬間に逃げだすだろうな。
『かもしれんの。』
マークを外すなよ?
『分かっておる。』
さて、行きますか。なるべく素早くやらないと、逃げ出すだろう女に追い付けなくなる。
まず、狙いは空を警戒している奴。確かに四方を固められてはいるが、この鎧の突破力で抉じ開けられるだろう。
「鉄塊。」
鎧の下の肉体もスキルで強化。
弓矢を片手剣に変形し、俺はヴリトラ教徒の四角の陣へ向けて地を蹴った。
「いたぞ!は、速い!?」
「何処に……がァっ!?」
引き上げた身体能力のおかげか、たったの二歩で、俺の片手剣は目標の胸を貫いていた。
そして周りが振り向く間、さらに一歩踏み出し、剣を根元までその胴体に差し込む。
「あ、がっ!」
「後ろか……グッ!?」
黒ずくめの背中から生やした刃でもう一人の首元を貫き、そのまま前へ投げるように剣から手を離す。
「武器を放したぞ!今だ!援護は任せて!」
「「おう!」」
俺の背後から指示が出て、左右のヴリトラ教徒がそれぞれ短剣と両手剣に蒼白い光を纏わせた。
そして後ろの奴は魔法使い、と。
俺は左右から襲ってくる二人を無視し、真後ろに跳びながら体を左に捻る。
「サンダーショッ……え!?」
魔法は不発。言わずもがな、無色魔法である。
左足で着地し、俺に突きだされた腕を右手で引っ張りながら、左の裏拳をフードに隠れた顔に向けて振り抜く。
何かが潰れる感触。殴られた本人は少し後ろに飛んでいき、地に倒れて動かなくなった。手元を見ればガントレットは手首まで真っ赤に染まっている。
一発か……これ、魔物の皮膚を貫いたこともあるしなぁ。そりゃこうなるか。
『感慨に耽っておる場合かの?女は既に逃げ出しておるぞ?』
っ、忘れてた!まだ追い付けるか?
『その前に……』
……だな。
こちらを警戒して距離を保っている黒ずくめ二人に向き直り、俺はいつもの魔装2を纏い直す。
「なんだ?カッ……ハァッ!」
二つの死体を串刺しにしていた片手剣を余裕のできた魔力で操り、俺の行動に怪訝な声を出した短剣持ちを背後から貫く。
「う、後ろからも!?……ヒュゥッ!」
いきなり味方が倒れたのに驚いて思わず犯人を探そうと、俺から一瞬目を外したのを見逃さず、接近。ナイフを側頭部に深々と突き刺さした。
さてと……爺さん!
目標への直線距離を教えてもらいながら、ワイヤーを駆使して木々を伝う。
そしてやっと、荒い山道をスムーズに走る黒衣の女の背中が見えた。
……どうせ危機察知スキルのせいで奇襲を掛けられないよな。
俺は早速黒龍を握り、木の上から一直線に女へ向かって突撃。
「……フフ、舐めないでくれる?」
右足一本での着地と同時に落下の勢いを乗せ、黒龍を力任せに大振り。薄く積もっていた雪やらその下の土やらが高く舞い上がったが、肝心の女は前に大きく跳んでそれを避けた。
そして女は空中で俺に向き直るように体を右に捻り、
「切り払え……」
左手に持った鞘から神器を抜き放つ。
神器の能力はさっき見た。遠くの物を切る事ができるのだろうという検討はついている。
つまり、安全に距離を取ったって不利になるだけだ。
黒龍を振りきった体勢のまま、着地の衝撃を溜め込んだ右足で地面を蹴る。黒衣の女との距離を一瞬で縮め、黒龍を神器へ向けて切り上げる。
出遅れたものの、黒龍のはなんとか間に合い、俺顔の真横で神器の刃が止まった。
左足一本で、土を滑りながら着地。
「らぁっ!」
左拳で無防備な脇腹を殴打、黒衣の女を空中から地に叩き付ける。
「くぅ……はっ!」
呻き声を上げた女はしかし、受け身を取るとすぐさまヌルリと起き上がり、追撃しようとした俺から数歩分の距離を離れた。
……この身のこなし、結構できそうだ。はぁ、面倒臭い。いくら奇襲ができないからと言っても、ある程度の罠を張り巡らせた上で仕掛けるべきだった。
内心悔しがりながらゆっくりと背中に左手を回し、陰龍を作り上げ始めると黒衣の女が話し出した。
「足止めをさせたはずなのに……んふ、かなりできるのね?どう、私達の仲間にならない?その腕なら誰にも文句を言われないわ。」
話しながら、ゆらりゆらりと体をくねらせていてまるで隙だらけのように見えるが、その目は一度足りとも俺から外れていない。
「却下だ。今の仲間に文句を言われるんだよ。……ん?」
そう返すしたとき、頬から熱い液体が首まで伝うのを感じた。そして後から遅れて痛みが襲ってきてようやく、俺は頬が切られていたことに気付いた。考えられるとしたらあの神の刀を柄で受け止めたとき。
……目をやられていたら危なかったな。
「そ、残念ね。」
血に意識が向いた一瞬を逃さず、女は嫌に滑らかな動きで、その刀自体の間合いに俺を入れていた。
斜め左下から刀が切り上げられる。
陰龍を逆手に持ち、その刃で神器を受け止めて、俺は黒龍を女の胸元へ突きだす。が、女の上半身だけが急に仰け反るようにして後ろに倒れ、中華刀は掠りもしなかった。
「くそっ!」
「驚いた?」
人間ではあり得ない角度と方向に背中を曲げた女は地に手を付き、俺の顎を蹴り飛ばそうとする。
少々強引だが……時間が無い!
「黒銀ッ!」
体を硬化し、右足を踏み込んで地面にくるぶしまで埋め込む。そしてそこを支えに女の蹴りを顎でモロに受け止めた。
想定外の凄まじい力に思わず仰け反ってしまうのを我慢。逆に体をくの時に曲げ、とにかく距離を取られてしまうことだけはないように耐える。
「なっ!?」
「シィィィ!」
歯を食い縛り、俺の顎に当たっている右足を黒龍を突き刺した。
「あぁッ!?」
堪らず叫び、女は逃げようとしてから左足で俺の胸を蹴るが、俺は右足を貫いたままの黒龍を引っ張る事でそれを阻止。そのまま左足に陰龍を突き刺して池に縫い付けた。
「ぐあァァっ!き……切り払「させるとでも?」ぐふぅっ!」
足を駄目にされてもなお足掻こうとする女の腹を踏みつけて怯ませ、俺はナイフを数本投げてその全てを両腕に深く突き刺させた。
「あぁァァ!」
「黙れ。」
「がはっ!?」
もう一度、強く蹴りつけることで女の呼吸を乱させ、俺は屈み込んでその胸元を掴む。そして近場の木に背中から叩き付けた。
「うぐ……お前は、一体……」
「はぁ、ったく、手こずらせるなよ……な!」
四肢から血を垂れ流し、しかし尚も神器を手放さない黒衣の女の首を右手で木に押し付けたまま、その腹に膝蹴り。
「ぐぇぇ!」
女は潰れた蛙のような音を出し、その手に固く握られていた草薙の剣がやっと離れ、地に落ちた。それを足で踏んで起き上がらせ、左の手に取る。
鑑定!
name:草薙の剣
info:墜ちた神スサノオノミコトが八首の竜を倒した際に手に入れ、兄の天照大神に捧げた、斬撃を飛ばすことができる剣。かつてその一振りで辺り一面の野火を切り払った。
墜ちた神……ねぇ。
『何じゃ?』
いや、前例があるのに何で爺さんが墜とされないのかがどうにも不思議でな。
『ふぉほほ、そんなことした日には世界が滅ぶわい。』
そうだった……はぁ、厄介払いしたくてもできないのか、他の神達は。
『わしが最高神じゃぞ!?』
どう考えたってお飾りだろうが。
と、女の口が微かに動いたのが見えた。
すかさず草薙の剣から手を離し、俺は手袋を硬化させて、指を素早くその口に突っ込む。
「ハガッ!」
案の定舌を噛もうとしていたらしい。
「っと、危ない危ない。舌はまだ噛ませないぞ?さて、息は整ったと見て良いな?」
「フゥーッ、フゥーッ!」
「大丈夫みたいだな。じゃあまず、どうしてヴリトラは神器を集めてるんだ?あ、舌は噛むなよ……歯、へし折るぞ。」
言って、左手をヴリトラ教徒の口から引き抜く。しかし俺の話を聞いていなかったのか、ヴリトラ教徒はすぐさま二度目を敢行した。
「ガァッ!?」
そしてヴリトラ教徒の奥歯が、俺がそこに仕込んでおいた黒色魔素の塊に引っ掛かり、中途半端に口を閉じるに留まる。
「はぁ……、残念だ。」
ため息をつき、左手き握った拳を力一杯女の口元に叩き付ける。
「アァァァァァ!」
黒衣の女が歯を食いしばることができなかったせいなのかそれとも鉄塊を発動させていたからなのかは知らないが、手応えはあまり強くなかった。
しかし叫ぶその口の中はちゃんと鮮やかな赤に彩られている。
「さて、答える気になったか?」
「…………お、思い出ひた、ア、アンタ、あのときのネクロマンハー!」
ネク……何だ?
『死霊を操る者の事じゃ。お主が復活の指輪を使ったのが伝わったんじゃろうな。それよりもお主、急げ。時間がないぞ。』
了解。
「だからどうした、さっさと俺の質問に答えろ!」
「ひらばっくれても無駄よ、お前が部下をゾンビにして従えたのを私はひっている。ヴリトラ様にも既に伝えてあるわ。アンタはもう終わりよ!」
なるほど、下っぱの情報を一度整理して、幹部がヴリトラに送るってシステムか。まぁ流石にヴリトラが一人で教徒全員と感覚を共有する訳もないよな。
「じゃあお前を殺せばここら一帯のヴリトラ教徒の魔法陣による感覚共有はできなくなるんだな?」
俺のした質問の答えとは違うが、これはこれで有意義な事を聞けた。
「な、なへ魔法陣のほほを!?」
なるほど、共有するのは視覚だけ、まぁ少なくとも聴覚は共有しないようだ。
「どうでも良いだろう……が!」
勝手気ままにしゃべる女の後頭部をもう一度木に叩きつける。
「ぐぅぅ!私を、殺しても無駄よ……ヴ、ヴリトラ様はもうお前を敵と見なされたはす。世界中のヴリトラ教徒がアンタを追う。安心なほできると……ハブッ!」
「恨み言はもういい、そろそろ質問に答えろ。」
段々と調子が上がってきた女のみぞに突き入れると、女は腹をかばうように、膝をあげて腹部を隠そうとしたようだったが体力の消耗のせいか、多少痙攣するに終わった。
「だ、誰が、お前なんか、に……アァァァ!?」
それでも抵抗するので、俺は女の腕に刺さったナイフを捻り、黙らせる。
「無駄口叩くな。次は骨を折るぞ。」
『いや、次は無いのう。時間切れじゃ。』
あ?どういう……
「グゴォォォォォォォォォォォ!!」
突然、とてつもない雄叫びが辺りを震わせ、俺は思わず両手で耳を塞ぐ。
視線を空に向けるが、ただただ巨大な影が空の半分を覆い隠してしまったのが分かっただけだ。
「……あれがバハムート……龍ってのは……あんなに大きいのか。………………しまった!」
完全に呆気に取られた状態から吾に返り、慌てて視線を女のいた方に向けると、女は俺に背を向けて、よろよろとだが走って逃げているのが見えた。どうも白魔法を使えたらしい。
「この、逃がすか!……うぉぉ!?」
追おうと踏み出すが、足元で爆発が起こり、俺は後ろへ吹き飛ばされる。
背中が木を叩き、そのまま何本かへし折った後、ようやく両足で立ち上がったときには女の姿はどこにもなかった。一体あの体のどこに逃げる力が……白魔法って恐ろしいな。
爺さんに案内させれば良いのだが、追い掛ける時間はもう残っていない。ルナが巫女の地位を降りた後、かつバハムートがそのことに気付いて怒りだす前に草薙の剣を返さなければいけないのである。
まぁなんにせよ、尋問は失敗に終わったってことだ。
聞きたいこと、確認したいことが山ほどあったってのに……くそ!せめて止めは刺しておきたかった。
『追う暇はないぞ。諦めて今はその神器を持ってさっさと戻らんか。』
……ああ、分かってるよ畜生。