準備
今更ではあるが、ルナの実家である社は、緑生い茂る自然豊かな山の中腹に、どっしりとその腰を落ち着けている。正面から境内に入るには割りと急な階段を登らなけらばならず、登った先でまず目に入るのが、左右の端が龍の顔を模している鳥居である。その真下から幅十メートル位の石畳の道が真っ直ぐ本殿の目の前、もとの世界ならばドでかい賽銭箱でもあるだろう所へと伸びており、その道の小石を敷き詰められている両脇を挟んで左右に建てられているのは社の資金源の一つである、ありがたい力とやらを宿している物品やお土産の販売所。
ちなみに、俺達やこの社の関係者が寝泊まりしているのはこれら全ての裏、社を半分囲むように建てられた広い平屋敷。……参拝客から見えないようにするためか、もしくは社より立派だと龍に対して不敬だからかもしれん。
そして一際立派な作りとなっている、山の巨大な窪みに半分押し込まれたように立地している本殿こそが俺達奴隷を入れさせるどころか寄せ付けることさえしない所であり、ルナが警護することになっている、宝物庫のある場所である。
……一番の問題は、山の中であるとは言え、見晴らしがちょっと良すぎることだな。
「何をモタモタしているの?一人だけサボろうなんてそうは行かせないわよ?さっさと動いて、働きなさい!」
「のわっととと……いや、すまん。ちょっと足に違和感があってだな……。」
思案にくれていると真後ろからユイに怒鳴られ、俺はその場で軽く飛び上がった。その拍子に大皿料理のバランスが崩れしてしまうも、なんとか持ちこたえる。
……危なかった。はぁ、この歩き方もまだ実践段階には程遠いな。
普段なら文句の一つや二つでも言いたくなるが、事情を知らないユイからすれば当然の怒りなのでそんな気が起きない。むしろ先行きへの不安でそれどころではない。
「おい!奴隷ども早くしろ、料理はまだまだあんだぞ!?」
「「申し訳ありません!」ほら、さっさと行って!足の違和感ぐらい我慢できるでしょう?」
「あ、ああ。」
ユイにせっつかれ、俺はあきらめて縁側をギシギシと音を立てながら、早歩きで目的の場所へ進んだ。
今、俺とユイが運んでいるのはバハムートが来たときに捧げるための料理である。来訪当日にバハムートを満足させられるだけ作るのは無理な話らしく、毎年、こうしてその数日前から保存の効く料理を作り置きするそうだ。
そして当然ながらその料理を外に放っておくはずがなく、専用の蔵で冷やして保存しておくらしい。……その蔵も蔵でかなり大きいから、バハムートが結局どのくらい食べるのか末恐ろしくなってくる。
そしてもう分かったと思うが、俺とユイの役割はその冷蔵する蔵、いわゆる冷蔵庫への運搬だ。
……何往復したのかはもう数えていない。一つ目の蔵が埋まってその扉が閉められ、額の汗を拭ったところで二つ目の蔵の扉が開かれたとき、ユイまでが唖然としていたのは記憶に新しい。
ちなみに俺がもたついてた理由は、色々と考えていたからというのもあるにはあるが、ネルに教えられた足音をたてない歩き方を仕事ついでに練習しておこうと思い付いて実践してみたからである。……まぁ結果は散々だったが。
ちなみにネルに事の次第を伝えたら散々叱られたが、最後の最後には教えてもらえた。お土産は奮発しようと思う。
「……それでルナさんを助ける作戦は出来上がっているの?ルナさんのためだもの、協力するわよ?」
と、さっきとは打って変わって心配そうな顔でユイが声を潜めて聞いてくる。
俺がやろうとしている事を彼女に打ち明けておらず、それで期限が数日後に迫っているのだから当然の心配だ。計画を知っているというか、発案した俺も俺で緊張してはいるが。
「まだ数日あるんだ。知恵を絞る時間ならあるさ。」
「まだ、無いのね……。」
「ああ、すまんな。」
信頼していない訳では決してない。ただ、盗人の犯人かと疑われたときを思うと安全策をどうしても取ってしまう。……本当の事を言ったって反対されるのが関の山だからっていう理由もあるにはある。
真剣に考え込んでいるからこそユイから醸し出されている重苦しい雰囲気に気付かないふりをして歩き続け、俺達はようやっと目的地に到着する。
「あ、ユイちゃん頑張ってるね……ん?少し暗い気がするけど大丈夫かい?何か辛い事があるなら僕の胸に……フムン!?」
胡座をかいてくつろいでいたフェリルがこちらに気付いて手を振り、相変わらずの言葉のせいで隣のシーラにぶたれた。
「ユイちゃんごめんね、フェルは後でお仕置きしておくから。」
「僕はもう殴られたんだけど?」
「うるさい。」
「……ごめん。でもユイちゃん、本当に大丈夫かい?キツかったら僕が代わっても良いんだよ?この魔法陣に使う魔力はそこまで多くないし、良い休憩になると思うよ?」
そう、エルフ二人の役割はこの冷凍庫を維持する魔法陣への魔素供給である。魔法をあまり用いない獣人がするよりも良いという判断がなされたのだ。その分、力自慢である獣人を力仕事に専念させられるし、適材適所ってとこだろう。
「フェリルさんありがとう。でもまだ大丈夫。」
「そうかい?」
「ええ、いざとなったらお願いするわ。」
「くれぐれも無理はしないようにね?それに僕の胸はいつでも開いて……ぐはっ!?」
フェリル、ダウン。
シーラは本当に魔法職で良いのだろうか?
「ユイちゃん、フェルがまた戯れ言をほざく前にもう行っちゃって。……フェルじゃないけど、無理はしないようにね?」
「ええ、分かりました。……ふふ。」
エルフ二人の一連の漫才を見て元気が出たのか、ユイはさっきよりも軽い足取りで冷蔵庫へと向かっていった。……まぁフェリルがそれを狙っていたのかは定かではないが。
「なぁ、俺の心配はしてくれないのか?」
「「何で?」」
「……」
俺はさっさとユイの後を追った。
「……逃げる方法は本当に大丈夫なのよね?」
「なんだ、もう諦めたのか?」
午後になり、昼食(いつも通りの肉塊である。皆それに飽き飽きしてはいるのだが、食べないよりはと腹に無理矢理押し込んでいた。力仕事に精を出していて良かったと思ったのはユイも同じだったろう。)を挟んでシフトチェンジ。俺とユイは魔法陣への魔素供給を行いがてらくつろいでいる。
俺の魔力がことさら強いので、実際のところ俺一人でこの仕事を請け負っている。そのためユイにとって今は完全な空白の時間だ。
彼女自身はそれを申し訳ないと思っているらしく、ルナの要望に応えた上で万事丸く解決する手段に頭を悩ませてくれている。もし俺の案以外の良い案が出れば喜んで採用したい。
「……そうは言っても、ルナさん自身が家族を説得しないとどうにもならないわ。」
「ルナが説得できると思うか?」
「いいえ、余程の理由でも無いと無理ね。」
俺の場合、ユイと全く同じ結論に達した結果、その余程の理由という奴を作り上げることにしたのだ。
「バハムートが直々に命令するとか、な。」
「ええ、そうね。……あ、私フェリルさんに用事があったのを思い出したわ。」
神妙に頷いたユイは気分を晴らすためか辺りを見回したかと思うと、突然立ち上がった。
「どんな?」
「良いから!…………ふふ、楽しんで。」
口調を強め、だがすぐに顔を綻ばせ、ユイは謎の言葉を残して去っていった。その理由はすぐに分かった。
「ユイに気を使わせてしまいましたね。」
「お、ルナか。昨日は部屋に戻ってこなかったし、ウォーガンの説得には成功したんだな?」
一応、分かってはいるとは言え、確認する。
「はい、私に巫女である自覚と責任をしっかり持っている、と兄上は喜んでいました……」
背後に立つルナを見上げ、よくやった、と呟くと、ルナは小さく頷いて、声を落として話し出した。
ウォーガンには気の毒だな。ルナも少し罪悪感を感じているらしいのが見て取れる。
「……それでこれからの連絡はどうすれば良いでしょう?」
「あ……忘れてた。」
しまったな、こうなるんだったらあのイヤリングをフェリル達に渡すんじゃなかった。さてどうするか……。あ、あれが代わりになるかね?
「ルナ、ニット帽は持ってるか?」
「ニットボー?」
「ほら、俺がお前の安眠のために作った奴だよ。」
言うとルナは頷いて、懐から、強盗をこれからやるのかとでも聞きたくなるようなニット帽を取り出した。
「もちろんです、この通りいつも大事にして……「緊急のときにはそれを引き裂いてくれ。」……え?」
「俺が魔法で作った物だからな。そうしてくれれば感じ取って駆け付けられる。」
「引き裂く……ですか?」
「ああ、それだけで十分。……まぁ細かい連絡なんかはできないから、今みたいに隙を見てって事になる。苦労を掛けるな、すまん。」
「引き裂く…………ですか?」
「おう、寝るための物だから別にそこまで頑丈には作ってないはずだぞ?お前ならその気になれば一瞬でズタズタにできるさ。」
「ズタズタ…………」
「ああ、もし大きな動きが取れない状況なら炎でサッと焼いてしまえ。お前の魔力なら一息だろう。あ、ただ念のために跡形もなく破壊してくれよ?そういうときしか感じ取れないかもしれないしな。はぁ、一度くらい試しておくんだったな……。」
「焼いて……跡形もなく…………」
ルナの返事に違和感を覚え、思案するために下げていた視線を上げると、今にも泣きそうな目で両手に大事そうに黒いニット帽を抱えていた。
「どうした?」
「大事に、していたのに……。」
どうやら何らかの思い入れがあるらしい。即席で作ったとはいえ、案外かぶり心地が良かったのだろうか?
まぁとにかく、これでは話が進みそうにないので、周りに人がいないのを確認し、黒魔法でカードを取り敢えず予備を考えて三枚作り出し、右腕を上に上げ、それらをルナに手渡す。
「じゃあこいつを破壊すれば良い。……それならどうだ?」
そう言うと、ルナは表情をパァッと明るくする。ニット帽には俺の予想以上に相当な思い入れがあったようだ。
「これでいつでもご……テツを呼び出せるんですね……ふふ。」
ごテツって誰だよとは思ったが、嬉しそうなのところに水をさすのは気が引けた。そして結局、ルナが俺の視線に気づき、はにかみ、そして恥ずかしそうにしながら立ち去るまで俺はボーッと彼女に見入っていた。
ユイが戻ってきた。
「どこに行ってたんだ?」
「ちょっとした気分転換よ。それよりも、ルナさんとは何か話せたの?」
「話すって言うよりは俺が一方的に喋ってたな。」
ここまで来るといつまで俺とルナの関係を隠し通せるのか試してみたいと思えてきたので、作戦の隠蔽も兼ね、かなりざっくりとした説明で済ませる。
「そう……はぁ。」
がっかりという気持ちを体全体で表現するようにして、ユイは俺の隣に座り込んだ。
「なぁ、お前は何でそんなにルナになついてるんだ?」
ふと気になったので事を聞くと、ユイは口元に指を当てて、斜め上に顔を向けた。
「そうね…………なんというか、親近感が沸いたから、かしら?ルナさんが成功すれば、私もできるって希望のようなものがある気がするわ。」
親近感……。
「刀使い同士だから、とかか?」
「違うわね。」
バッサリ切られた。
「ヒント。」
「どうしてあなたに教えないと……あ、何でもないわ、ヒントならそうね……私と他の勇者達みたいな所、その、アオバ君とか、との。」
自分で言いながら顔を赤く染めてていくユイ。流石にこれで俺もユイの言いたいことは理解した。……はぁ、これもルナの恋路のサポートのつもりなのかね?
「俺はルナには誰の尻拭いもさせてないつもりだぞ?」
まぁ、正解してやる気は毛頭無いのですっとぼけると、ユイの額に青筋が浮かんだ。
「私だってアオバ君の尻拭いなんてしてないわ!」
「そうか?カイトが無作為に作る恋人候補への対応とか、そいつらを殺してしまいかねないアイの制御とかは全部、この世界じゃお前の仕事になってるだろ?……苦労してるよな。」
本当、大変だと思う。
「ふん、あんなの恋人候補でも何でもないわ。ただの烏合の衆、それがお互いに牽制しあって録に動きだしもしないから楽なものよ。アイは…………まぁ分かるでしょう?」
いきなり険しくなった目に驚き、どうしようもない事に共感させられ、俺は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「は、あははは……まぁ、何だかんだで尻拭いも大変そうだな。うん、予想以上だった。」
「だから尻拭いなんて……」
「俺が協力しなかったら聖武具への魔力供給まで肩代わりしてたんだしな。」
「……そう、ね。ええ、いつもそんなことばっかりさせられている気がするわ。」
個人的にも色々と思い当たる節があったのか、ユイはついに自分の中の尻拭い役を認めた。
「報われない努力は無いって言ってやりたいのは山々なんだがな……カイトの事だからお前のその頑張りとかにもまったく気付いてなさそうだしなぁ。くはは、あそこまで鈍感だと周りが大変だ。」
「……岡目八目とはよく言ったものね。」
「ん?」
「傍から見ているときと当事者になったときとで、こういう物事を捉える能力が雲泥の差だってことよ。」
いや、諺の意味は知ってるさ。
「それってもしかして俺のことを言ってるのか?」
「いいえ?もちろん私のことかもしれないわよ?」
馬鹿にしたような口調で俺の質問を煙にまき、
「ついでに、人の振り見て我が振り直せってことわざも紹介しておくわ。」
と言った。
「そのぐらい、教えられなくとも。」
「その反応だと、分かってはいないわね。……ふふ、ヒントはここまで。あとはルナさんが頑張らないと。」
そうして実に楽しそうに笑うユイにルナとの関係を暴露したくなったのは言うまでもない。
……にしても、ヒントと言うよりはほぼ答えだったな。あとことわざに無理矢理違う解釈を付けている感じがしないでもない。
『ハッ!よく言うわい。答えを知らなければその日一日をヒントの解読に費やしたじゃろうな。』
アッハッハ、そんなバカな……
『加えるならば、解読できずに一日を終えておった。』
嘘だろ?