不安
「だから悪かったって。昨日の夜は完全に忘れてたんだよ。」
[反省してないね?]
「え?あー、してるしてる。」
[あのさ、コテツがまだスレインにいるんだったらボクもここまで怒らないよ?でもさ、今コテツはどこにいるの?ね、ほら言ってみて?]
「ラダンです……」
[そう!その通り!もう、本当に何が起こるか分からないから、ボクは気が気じゃないんだよ!分かってる!?]
「へぇ、ごもっともで。」
[茶化さないの!]
「すまんな……はぁ。」
[ため息つかない!]
翌朝、夜通し見張りをさせられたフェリルにどやされて、あと昨日の落ち葉拾い競争の罰則もあって、俺は一人で朝の狩りをしている。
獲物はもちろんグレートボア。この森では大繁殖しているらしい。
ラダンの調理は肉を焼いて塩等の調味料を少し振るだけであるため、毎日同じような食事になって飽きそうな物なのだが、ここのコックは(まぁ貴族みたいなところだから当たり前だが)優秀らしく、そんな不満は一度たりとも聞こえてこない。
そんなわけでグレートボアの捜索を爺さんに任せ、効率良く捕獲するための方法が何かないかネルに念話で相談しようとしたところ、この剣幕というわけである。
まぁ心配してくれていることは素直にありがたい。
[ねぇ、聞いてるの?]
「ネル、俺は大丈夫だから……ほら、お前に作ってやった手袋があったろ?それがある限り俺は生きてるから。」
死んだことは無いから……っと間違えた。黒魔法を習得してから死んだことは無いから確証は無いがな。なぁ爺さん。
『お主はほとほとしつこいのう。』
当たり前だろうが。
[そう……そっか……。]
ネルの反応が鈍い。
「もしかして無くしたか?」
[無くしてないよ!もう……無くすわけ無いじゃん。]
「そりゃ良かった。」
贈り物を捨てられてしまうのは、当人の勝手とは言っても少し辛いものがある。
「そういえばあのマントはどうだ?気配の隠蔽効果がある奴。かなり良い装備だと思って侵入者から剥ぎ取ったんだが……。」
[へ!?あ、あれってそんな経緯で手に入れたの物なの!?]
「あれ、言ってなかったか?」
[もう……珍しくプレゼントしてくれたのってそんな理由があったんだ……うぅ、知りたくなかった。]
やけに残念がってるな、剥ぎ取った奴は不法侵入者、要は犯罪者だから別に後ろめたい思いなんてしなくて良いのに。
「でも性能は良いだろ?」
[そりゃあまぁ、隠蔽効果もそうだけど、そこらのマントよりは丈夫だし?はぁ……どおりで少しほつれてた訳だね……お店で直して貰ったけど。]
「気に入ってくれてたんなら良かった。」
[くっ!こんのっ…………はぁ、やっぱりいいや、コテツに言っても分からないよね……。それで、グレートボアを効率良く倒す方法だっけ?]
「ん?あ、ああ。」
何故失望されたのか分からなくて戸惑い、ついつい目の前の架空のネルに向かって頷いてしまう。
[一人が子供を拐って、追い掛けてくる親をもう一人が仕留めるっていうのが有名だね。]
「俺は一人だ。」
[危ないことしないでよ!]
「分かった、分かったから。はぁ、今は色々事情があって一人なんだよ。」
[どーせ何か賭けでもして負けたんでしょ?]
「正解。」
[こら!]
「すまん。」
そこは反論のしようもない。
「で、何か良い方法はないか?場所の特定はできてるんだ。」
あの肉弾戦車と真っ向からぶつかるのは避けたいし、足が速いから逃げられてしまうと厄介だ。
上から飛び降りるのも良いが、Aランク昇格のときみたいに剛毛で防がれでもしたら後が面倒くさい。
[うーん……]
[コテツさん!グレートボアは鼻を強く叩くと怯むそうですよ!]
……どうならアリシアが聞き耳を立てていたらしい。
そうだな、怯んだ隙に首か脳天に剣を突き立てればたぶん良いだろう。
「ありがとうアリシア。……よぉし!」
[あ、ちょっと!?]
俺は木の上から、真下にいる大人のグレートボアの目の前へ飛び降りた。
「何だお前はブヒィィィ!」
爺さんの悪戯は無視し、即座に豚鼻を黒銀を発動した右拳で強打。そしてグレートボアが軽く仰け反ったことで見えた、首筋の毛の薄い部分を陰龍の一振りでかっさばく。
血を吹き出しながらグレートボアはズシン、と大きな体を地に倒れ込ませた。
なるほど、こりゃ楽だ。
「あ、そういやどうしたネル?」
なんか言いかけていた気がするが……。
[いや、もういいよ、どうせもうグレートボアは仕留めたんでしょ?……それも一番危険な方法で。]
「これ、危険か?」
大して危機を感じなかったが。
[あのね、鼻を叩くにしてもかなりの力が必要だし、グレートボアは群れで行動するんだよ?]
「なぁるほど。了解、目的を果たしたらさっさと帰るさ。……じゃあな、アリシアも勉強頑張れよ。」
[あ、うん……またね……。]
[……]
ネルがどこか残念そうだが、どうかしたのか?……そしてアリシア、そこで黙り込まないでくれ。
俺は安定したバランスを確保するために絶命したグレートボアの足を縛り、黒魔法の板に乗せて少し浮かべる。
さて、あと一体だな。
爺さん、案内を頼む。
『その前に客がおるぞ。』
ん?
「あ、ああ、ああああぁぁぁ!そんな、叔父さんまで……よくも、よくもぉォォ!」
いつか聞いたことあるような声に反応して振り向くと、子豚が猛ダッシュしてきていた。
昨日捕まえて囮に使った奴かな?
ここまで敵意を見せられたらきちんと応対したいのは山々だが、まだ牙も十分に生えてない子豚を殺すのはフェリル曰く許されないらしい。
「そぉらよっ!」
タイミングを合わせて踏み込み、俺はその駆けてきた豚の鼻を思いっきり蹴りあげた。
「ブッヒィィ……ィィ……」
仰け反り、そいつはコテン、とその場に倒れる。俺はその牙を両手で持って、
「せぇぇぇいっ!」
ハンマー投げの要領で遠くへと投げ飛ばした。
キラリ、と遠くで、白い牙に日光が反射してか、豚が光ったような気がした。
それより爺さん、次のグレートボアへの案内を頼んだぞ。群れからはぐれてる奴だと助かる。
『ったく、神使いの荒い……。』
いい加減諦めろ。
「うぇぇ……ぐげぇぇぇ……」
「リーダー、今回悪いのは他の誰でもない、リーダー自身だからね?」
「今はあんまり……話しかけんな、ぶるぉぇぇ……。」
社の敷地外にて、俺はこれまで感じたことのない、凄まじい痛み、苦しみと格闘している。
「全く……自分の魔色適正は分かってるのかい?」
「当たり前だ、黒と無……ぜぇぜぇ、何度神を呪ったことか……うぶぇぇぇ。」
もちろん今も呪ってる。
『それはわしのせいではないわ!』
爺さん黙ってくれ、頭に響く。
「おぼろろろろろ……。」
「はいはい、無理しないで良いから、今はとにかく吐き出すのに専念しなよ。」
「げぇぇぇ……。」
さっきからげぇげぇ言っているが、俺の口から胃液のような物は何も出ていない。出ているのは雑じり気のない純水のみだ。
フェリルの話によると、吐いている理由はその水の正体が毒だからというわけではなく、それが青の魔色によって作られた水だからであるらしい。一応爺さんにも確認を取った。
何でも、人の体の中にはその人の魔色適正に応じた魔素が充満しているらしく、違う魔素――俺のこの場合は魔法の水――が入ると体がそれを異物として即座に体外へ出そうと反応する、いや、してしまうらしい。
まぁ熱が出るというのが体の病原菌を殺そうと頑張っている現れだって事と似たようなものだろう。
じゃあ魔素を含んでいるそこら辺の空気を吸って良いのかと爺さんに聞くと、体が魔力を用いて自動でフィルターの役割をしてくれている、とのこと。ただその機能があっても魔法の水や土のような、魔素の塊を完全遮断するのは難しいだとか。(ちなみに魔法の風は空気を動かしているだけなので大丈夫らしく、白魔法はそこを考慮した上で、拒絶反応を避けるように確立されていると言われた。)
とまぁ長々とフェリルと爺さんの両方から講釈されたが、俺の感想はと言うと、“水の魔法があるのにこの世界で井戸水が使われている訳がやっと分かった”それぐらいだ。
今は何よりもまずこの吐き気を何とかしてほしい。
『吐き切るしかないじゃろうのう。』
「ぶるぇぇぇぇ……。」
「そ、それ、死なない、よね?」
俺とフェリルから少し離れた所で無理に偉そうな態度で口を開いたのは、ルナの対抗馬、ステラである。
言っておくが彼女は別に俺を心配してくれている訳ではなく、敬愛するルナの所有物を壊してしまってそのルナに怒られるのではないかとビクビクしているだけ、というのも実は俺が飲んだのは彼女が作り出した物だからだ。
戦闘訓練が俺とフェリルの日課だと勘違いし、尚且つ俺に一度負けた事でいやに燃えているウォーガンとの組み手をしているところ、そこに通りかかったステラが面白そう、ということで参加。その後フェリルが「自分は遠距離職だから。」という訳の分からない理由で脇へ逃げたせいで2対1を強要させられ、何とかそれをこなした後、ステラに一杯の水を勧められ、俺は何の疑いもせずに飲んでしまったのである。
弁解させてもらえるなら、赤の魔色に特化しているはずの銀狐族が魔法で水を生み出した事に驚いたから、ウォーガンがその水を脇にそっと捨てていたのに気付かなかったのだ。
『魔色を二つ持つ獣人は珍しくないぞ?』
そうかい……。
で、まぁ組み手とは言ってもウォーガンもステラも獣人族だけあって一発一発がかなり強力で、ウォーガンに至っては鉄塊を発動していたとしても簡単に致命傷に成りうるような打撃を放って来ていた。
そんなのを必死にかわし、時にはギリギリのタイミングで黒銀を局所的に発動させるなど、かなりの集中力を使った末にこの仕打ちである。
……泣きっ面に蜂だ。
「うへぇぇぇぇ…………ふぅぅ。」
あ、少し楽になってきたかな?
「少しは落ち着いてきたかい?」
「ああ……ごほっ、うげっ、ごほごほ……ぜぇ、ぜぇ……さっきよりは随分と、な。」
「コップ一杯を一気に飲んだのに、回復が結構早いね。やっぱりリーダーの魔力の強さは半端じゃないや。」
こんなことでそれを確認したくなかった。
「……ここにいたか。」
水を粗方吐き出しきったからか、吐き気が少し収まってかたところでウォーガンがステラの真後ろまでやって来た。
「あ、ウォー兄!人間が水を飲むとこうなるなんて知らなかったの!だからルナ姉に言い付けないで、ね?」
「ああ、分かった。約束だ。あと、魔法の水についての話もしてやるから後で来い。そして奴隷共!お前らはもう今日は休んで良い。だが明日までに復帰しろ!」
「あ、リーダーならもう大じょうぐぅっ!?」
余計な事を口走る前にフェリルの土手っ腹に拳を入れる。
フェリルは地に崩れ落ちた。
「分かり、ました、ごほっごほっ、明日頑張らせて、いただきます……ぜぇぜぇ。」
俺は精一杯辛そうな顔と声で、フェリルの代わりにそう言った。
「よし、行くぞステラ。」
「……うん。」
フェリルの惨状を無視するようにして頷き、ウォーガンはステラを連れて歩いていった。さっきよりしていた会話からして、俺が爺さんとフェリルの聞かされたことを教え込むのだろう。
「リーダー……何、を。」
うずくまった状態のフェリルが非難の声を出す。
「せっかく休めそうな……ふぅ、チャンスを不意にしようとするアホを止めるために、少し、な?」
「魔法の水を何の躊躇いもなく飲んだ馬鹿には言われたくないね。イテテ……よっこいしょ。肩を貸した方が良いかい?」
フェリルは言いながら立ち上がり、聞いてきたのでしっかり首肯して寄り掛かる。
「ああ、すまんな、頼む。……あと何度も言ってるが本当に知らなかったんだよ!」
「はいはい、リーダーが3才児でも知ってるような常識を知らないなんて当たり前のことだからねぇ……。」
「お前は飲んでたよな?」
「僕は青の魔色に適性があるからね。普通はあのお兄さんみたいに脇に捨てないとねー。」
このやろう、全っ然信じてねぇな。……まぁ俺が異世界から来たことを言ってないから当然っちゃあ当然だが。
俺は肩を貸してもらったまま、いつも寝ている、ルナの部屋の縁側まで連れていって貰った。
「それで、今はもう大丈夫と思って良いのかしら?」
「ああ、どうも魔力が特別強かった事が幸いしたらしい。」
「そう……でも私が失敗する前に知ることができて良かったわ。スレインの貴族に間違えて飲ませでもしたらコトよ。」
「そーかい。」
夜、やっと調子を取り戻して見張りをしている途中、俺は今部屋の中にいるユイとふすま越しに話している。
フェリルに見られたら何だかんだ文句を言われそうだが、そのフェリルは少し離れた位置で弓を抱えるようにして寝ている。
「それで何のようだ?あ、もしかしてルナがまた呼んでるのか?だったら駄目だって言っておいてくれ。」
昨日ぐっすり眠った手前、流石に今晩はしっかり見張りをしないといけないだろう。
「いいえ、ルナさんならぐっすりよ。」
「シーラは?」
「今は私の番なのよ。」
「別に俺達で見張りはしておくから、好きなだけ寝てても良いぞ?」
屋根か床にに穴を開けて部屋に入ろうとしたとしても爺さんが見つけてくれるし。
「信用無いのよ。」
「おいこら。はぁ……それで何のようなんだ?そろそろ教えてくれても良いんじゃないか?あ、もしかして無性にカイトの話をしたくなったり……」
「刀でふすまが斬れないとでも思っているのかしら?」
「冗談だって。」
「はぁ……巫女にならないとルナさんに聞いたのだけれど、作戦は立ててあるのかしら?」
そうか、ルナが自分から言っておいてくれたのか。フェリルには俺から言ってあるし、これで全員の向かう先は揃ったな。
「正直言って、無い。今のところ人目の無い場所でバハムートに泣き落としをしかけてみるくらいしか思い付かん。」
「それは成功するの?」
「さぁ?」
完全に決定権をバハムートに譲渡することになるからな。成功するかどうかなんて、それこそ神のみぞ知る、だ。
爺さん、教えろ。
『はぁ……龍は気まぐれじゃと言われたじゃろうに。』
だよなぁ……。
「真面目に考えなさいよ!」
ユイが語気を強めるが、こちらとしては本当になにも思い付かないから参ってしまう。
誰かあのちょび髭紳士の灰色の脳細胞を俺に移植してくれ……。
「考えてるに決まってるだろうが……はぁ、お前の方は何か思い付かないのか?」
「……逃げるなんてどう?」
「ちなみにルナは家族を傷付ける事なく済ませたいそうだ。」
「そう……。」
まぁ、最悪の場合はユイの言葉通り、逃げることになるかな?
だがもう期限まで二週間切っている。早く解決策を考えつかないといけないことに変わり無い。
「俺が何かやらかせば……」
「家族総出で消されるわよ。」
確かに。一回門番を倒して既にやらかしてしまってるしな。
「分家の女の子に……「名前はステラだそうだ。」……そう、そのステラちゃんがルナさんよりも秀でている事はあるかしら?そこをルナさんに推させて、家族を説得させるのも手だと思うわ。あなた、そういう形式上の、嫌に説得力のあるスピーチ作りは得意でしょう?」
「おい一言多いぞ?……はぁ、まぁステラのことはまだ詳しくは知らないからな、今は何も思い付かん。」
見たかぎり容姿はルナの方が上だと思うんだが、この場合は大して関係ないしなぁ。……ステラを推す理由にすらなってないし。
「何か無いのかしら……ルナさんの家族を諦めさせられるようなことは。」
「奴隷だって公表するとか?」
ルナの返答を思い出しながら言ってみると、鼻で笑い飛ばされた。
「ハッ、冗談。」
さて、本当にどうしよう……。