奴隷(偽)の一日 午前
「あ、見てみなよリーダー、日の出だ。」
「んぁあ?……なんだよ、日は昇るもんだろうが。もそっと寝させてくれ。」
「……あ、神器。」
覚醒。お、日の出だ!
「で、神器は?」
「リーダー、やっぱり探すつもりだったんだね……。」
「ま、まぁ、探すだけ探してみることに罪は無いだろ?」
「はぁ、僕は何も聞かなかったことにするかな。さてと、目が覚めたことだからそろそろ手伝ってくれないかい?物が物だからね、人手は多い方が良い。」
「ん?くぁあ、そうだな。」
欠伸混じりに応答し、フェリルが投げて寄越した袋を片手で掴みとる。さっきまで我ながら完璧なバランスで仮眠を取っていた太い木の枝の上でグイッと伸びを一つ。
「くぅぅっ。それで、何をすれば良い?」
「一日分の食料調達だよ。奴隷ちゃ……おっと、主人ちゃんの兄上に直々に申し渡されたのを忘れたのかい?」
「くはは、お前に敬語は似合わんな。」
「はは、自分でもそう思うね。で、思い出したかい?」
「ああ、そうだったな。はぁ、確かグランドボアだっけ?」
「はは、リーダー、まだ寝惚けてるのかい?安くて美味しいグレートボア。人間の冒険者なら何度も食べたことあるはずだよ?僕には脂がキツイけど。」
食ったことあったっけ?
『あるわい。お主の世界の料理に使われる豚肉の代わりは大抵グレートボアじゃよ。』
マジかぁ、あ、でも確かに聞き覚えがあるな。
「何十頭だ?」
「はっはっは、流石の獣人も2~3頭で十分だよ。」
へぇ。
『聞かれる前に答えてやるわい、グレートボア一頭で、人間ならば十日は食い繋げられる。まぁ、肉が腐らなければの話じゃがの。』
おかしいな、昨日のルナの帰りを祝う会にいた銀狐族の大半はそれぞれ帰っていった筈なんだが……。
つまり獣人の一日分にはそんな奴が2~3頭要るってことか?使用人もいるとしても、ルナの奴、かなりの食事制限をしてたんだなぁ。
「そういや袋はこんなので良いのか?」
そんな奴を入れるならもっと大きくないといけない気がするのは気のせいだろうか?
「リーダー、そろそろきちんと目を覚ましてくれないかい?」
……十分らしい。
「ああ、大丈夫だ。で、何をすれば良い?」
気分を取り直し、繰り返す。
「はぁ……じゃ、そろそろあそこから出てくるはずだから、取り敢えずそいつを殺さずに捕まえて、後は僕に任せてくれれば良いさ。狩人としての腕前、存分にご堪能あれ。」
「へいへい、了ー解。」
大仰に言うフェリルが指差した方向、薄く雪が積もった茂みに集中する。
…………「ブゥ。」来たァッ!
見た目は子豚、鳴き声も子豚な愛嬌を感じる動物が茂みから出てきたと同時に木の枝を蹴って急襲。体当たりをかまされ、地を転がったその子豚を袋に入れてそのまま担ぐ。
「フェリル!これで良いか?」
人間の胃袋十日分にはとても足りそうになりが……。
「リーダー、その調子!」
ソノチョウシ?これで終わりじゃないのか?
「ブヒィィ!」
疑問に思っていると、袋の中に入れられた子豚が甲高い声を森の中に響き渡らせる。
そして数秒後、ズシンズシンと地面が揺れはじめた。
気配察知では何か大きな物体がすごい勢いで走ってきているのが感じられる。振り向くと、案の定と言うかなんと言うか、俺の身長は余裕で越してしまっている大猪が突進してきていた。
なるほど、あれが十日分の食料……。
「リーダー!僕が仕留めるまで注意を引くんだ!」
もしかしなくてもおとりか?おとりだよな?
身を翻して猪の突進経路から外れ、直後、脇を人間十日分の肉が猛進していく。……猪突猛進。
うん、まぁ、とにかく、俺はおとり役みたいだな。
「助けてぇぇ!」
背負った袋から再び甲高い声が響く。
にしても爺さん、懲りないな。
『すまんのう、とてつもない義務感が働いたんじゃ。』
……絶対にアリシアを改宗させてやる。
大猪は四本足で急ブレーキをかけ、地を削って滑りながら方向転換、豚鼻の横から伸びる鋭い牙をこちらに向けて再び突進してきた。
「私の子供を返せぇ!……ウォォォ!」
フェリルの方向から飛んでくる光の矢が立て続けに数本、グレートボアの背に刺さるが、突進の勢いに衰えは見えない。
「母ちゃぁん!」
あれが母親なら父親はたぶん尻にしかれてるんだろうなぁ……。
どうでも良いことを考えながら、日が完全に上っている上に、ここには枝しかない木々がほとんどであるにも拘わらず、まだまだ影の多い木々の間をジグザグに駆け抜ける。
しかし俺のそんな工夫も虚しく、グレートボアは目の前に木があるとき以外ほとんど方向転換をせず、木を削ったり無理矢理たわませたりして向かってくる。
その背に刺さる矢の数は時と共に増えていくが、全く怯む様子がない。
「おいフェリル!さっさとやれ!」
「ごめん、思ったよりかなりしぶとかった!さて、こいつならどうだい?……フッ!」
蒼白い光を纏った矢が数本、連続してグレートボアの盛り上がった背に命中、貫通した。
「ぐぅっ!?」
グレートボアが少しよろけ、突進の勢いが減衰する。
「最初からそうしろよ!」
こっちは突進に立ち向かおうかどうか悩み始めてたぞ!?
「いやぁ、スキルに頼りきりだと危ない気がしてね。」
「はあ!?頼るも何も、武器を持っただけでスキルは発動するだろうが!いいから早く仕留めてくれ!」
少し勢い弱まったとはいえ、グレートボアが追ってきていることに変わりはない。それに社の朝までに最低でももう一頭狩らないといけないのだ。時間が惜しい。
「リーダー……それは熟練の腕を持ってないとできないことなんだよ?一緒にされたら困る、ねっ!」
矢が今度はグレートボアの足を貫き、続く二本目、三本目がもう一本の足と脇腹を貫通する。
堪らず、グレートボアはつんのめるような形で地面に倒れ込んだ。
「ぐあぁ!?うぅ、デイ、ジー……」
「母ちゃん?母ちゃぁぁん!」
「ごめんね……母ちゃん、本当にあんたを愛してた、よ……」
「嫌だぁぁぁ!」
そこで嫌って言ったら愛して欲しくなかったように聞こえるぞ?……だからと言ってヤッターなんて叫ぶのも考えものだが。
「おいフェリル!この子供の方は止めを刺して良いのか!?」
まぁなんであれ、そろそろうるさい。
「何を言ってるんだい?人間でも子供の親は大抵二人だろう?そしてグレートボアは狙われやすいだけあって基本的に仲間を大切にする生き物だよ?」
少なくともグレートボアは子供を放逐する系の生き物じゃあないらしい。……元の世界の猪はどうなんだろうか?
「なるほどね。分かった、そういうことか……あ、来た。」
噂をすれば何とやら、地面が再び揺れはじめた。
「ポォォラァァァ!」
近くの木を粉砕し、本日二匹目の獲物が現れた。……ちょっと待て、さっきと名前が違うぞ?
『子沢山で覚えきれないんじゃろ。』
じゃあこの父親を殺すとたくさんの子豚が孤児になるのか。……まぁおいしい肉のためだ、仕方ない。
「父ちゃぁぁん!」
「無事かァァ!」
「ひぐっ、母ちゃんが……」
「なっ!?くぅっ……待ってろポーラ、父ちゃんが仇を討ってやるからなぁ!」
「フェリル今だ、狙いは頭。あとスキルを使え!」
「はいよぉー。」
「うぐぁぁぁ!?」
「とぉぉちゃぁぁん!」
ぐだぐだやってる間にフェリルにグレートボアの急所を射抜かせ、ほぼ無傷の食料が地響きをたてて地に転がった。
「ふぅ、リーダー、子供は逃がして良いよ。」
「殺さないのか?」
「もちろん。子供のグレートボアは大して食べる所が無い。美味しくもない。それに無駄な殺生はエルフとして、僕が許さないよ。」
「へーい。せーの……どらぁ!」
「わぁぁぁ!?」
俺はハンマー投げの要領で子豚を袋ごと遠くへ放り投げた。
電気ネズミにご執心のアール団やあんぱんに負けたバイ菌のように、遠くでキラリと光ったのは気のせいだろう。
「……リーダー?」
「両親を殺したからな、反撃されるのが目に見えてた。なに、あれでも魔物だろ?死にはしないさ。」
「じゃあ、大きい方は頼んだよ。」
「もしかして引きずって行くのか?」
「他にどうするんだい?」
フェリルはそう言うとさっさと母親の方を尻尾の部分をズリズリと引っ張って行く。俺も倣って巨大な豚を運んだ。
しっかしこれを毎朝することになるのか……正直まだ眠い。早く慣れないとな。
何とか無事に食料調達を間に合わせると、ウォーガンに竹ぼうきを投げ渡され、掃除を言い渡された。
範囲は社の中全部とかなり広目だが、今は12月の中頃である。当然落ち葉等は少なく、大した仕事量ではない。
にしても、竹ぼうきを使った掃除なんていつぶりだろうか?俺は生まれてからこの方、ずっとアパート暮らしだったしなぁ……。
という訳で今、シャッシャ、と乾いた石畳を細切れの竹が引っ掻く音を立てつつ、俺とフェリルは重箱の隅をつつくかのように、萎びた落ち葉を集めている。
何をどうやったのか縁の下の奥の方に入り込んだ葉を、屈むどころか石畳に頬を引っ付けてまでして取り、石畳の間に半ば滑り込んだ物は慎重に、葉を破いてしまわないようにして取る徹底ぶり。
うん、自分で言うのもなんだが、俺とフェリルはかなり真面目に掃除に取り組んでいる気がする。
「よぅし、95枚目!」
「なっ!?く、この……っしゃ、96!」
……まぁちょっとしたゲーム性を取り入れたからというのもあるかもしれない。ちなみに勝利条件は先に百枚集める事で、そして負けた方の罰ゲームは明日の狩りを全て一人でやることである。
負けられない戦いという奴だ。
『くだらんのう、そんなことより神器を探すのではなかったのかの?』
うっせ、奴隷がそんな重要な所に入るどころか、近付かせて貰えるわけないだろ?……本当、なんで今まで気付かなかったんだろうな。
一応それらしい場所の見当は付いている。ここに来たとき、ルナの爺さんが出てきた本殿だ。そこへ近付こうとすると決まって召し使い達、もしくはルナの家族の誰かに追い払われてしまうから、可能性はかなり高い。……社の本殿に奴隷を易易と上がらせる訳がないってだけかもしれんが、可能性があるのには違いない。
後はどうやってそこに忍び込むか、それを考えなければいけない。
「96、97、98ィ!」
あんにゃろ、三枚一気に見付けやがった!
くそ、どこに……この勝負、テオじゃあないが、負けるわけにはいかないんだ!
「何してるの?」
建物のどこかに葉が引っ掛かっていないか視線をあっちこっち巡らせていると、いつの間にか目の前の渡り廊下を通っていたシーラに声をかけられた。
俺やフェリルと違い、女性二人はルナの護衛役だからか簡素な和服を支給されており、二人ともなかなか似合っていたりする。だがユイはともかくシーラは動きにくいと不満たらたらである。今もしかめっ面で歩いていた。
「ん?なんだシーラか。……そうだ、なぁ、この辺りに落ち葉って見かけてないか?」
「貴方も?」
も?
「どういう……」
「フェリルにもさっきから何回もこのイヤリングを通じて落ち葉があったら持ってきてくれって言われてるの。これで何枚目だろ。……もう、私だって忙しいのに。」
アンニャロォォォォ!
ふぅ、冷静になれ。シーラは別に悪くはないんだから。
と、ローブから覗く手に4枚の見事に紅葉した落ち葉が……。
「そ、そうか、なら俺が代わりに持っていってやるよ。忙しいんだろ?」
努めて動揺を隠し、顔に笑みを無理矢理張り付けて純粋な好意を装う。
「本当!ありがとう、奴隷ちゃ……として、主人の付き添いをしないといけないの。大事な会合があるらしくて。」
「分かった、それについては後で詳しく話そう。頼んだぞ、いざというときは……」
「ユイちゃん達全員と逃げるのよね。分かってる。じゃあこれ、フェリルにお願い。」
そう言って、シーラが差し出してきた4枚の楓に似た葉へと手を伸ばす。
「おう、任せ……うぉっ!?」
「きゃっ!?」
光の矢が勝利へと続く4つの葉と俺の手の間を通過していった。
「シーラ!そいつに渡しちゃダメだ!そしてリーダー……99!」
フェリルが弓を片手に、一枚の先が六つある、萎びた紅葉のようなものをもう片方の手に掲げて叫んだ。
クソッ、バレたか!それにちゃっかり王手を掛けてやがる。……だがこっちだって同じ事!
シーラの手の4枚へと手を素早く伸ばし葉を奪い取る……が、同時にシーラが手を引いたので全ては手に入れられなかった。
奪い取った枚数は2枚。依然、フェリルのリードは変わらない。
「シーラ!頼む、俺に2枚とも渡してくれ!」
「お願いだよシーラ、何なら一枚ずつ分けても良いからさ、一枚だけくれないかい?」
「え?え!?じゃ、じゃあ平等に……」
おずおずと両手に一枚ずつ葉を持ち、俺とフェリルに向けて差し出すシーラ。
「そうだね、世の中平和と平等が一番だよ。」
「さっき出し抜けに矢を放った奴が何言ってんだ!シーラ、2枚必要なんだ、頼む!2枚とも俺に渡してくれ!」
「シーラ、お願い……。」
「シーラ!後生だ!」
頼み込みながらも、俺の視線は判断に迷っておろおろしているシーラの、その両手に握られた葉を追っている。おそらくフェリルもそうだろう。
「え、えっと……私は忙しいから!ストーム!」
「「あぁっ!?」」
突如発された乱気流が2枚の葉を吹き飛ばし、発生源のシーラはさっさと渡り廊下を走っていった。
「なぁフェリル、そういやお前、何で弓なんか持ってるんだ?」
「え?さっき狩りで使ってたのを覚えないのかい?弓は肌身離さず……「隙あり!ていっ!」甘い!」
フェリルの視界を奪うべく粘着質の塊を投げつけるが難なくかわされ、俺はお返しとばかりに至近距離から放たれた矢を右手で掴み取る。
矢じりは丸めてあるのだろうが(そう信じてる)、やっぱり危ないんじゃないかね?
「どうやら僕の勝ちのようだね。」
「あぁ?どういう……ヴゥゥァァア!?」
フェリルの出方を見極めようとしていた俺は、体を駆け抜けた電撃に驚き叫ぶ。何とか矢を投げ捨てるので精一杯になり、その間にフェリルは舞い降りてきていた葉の一枚に向けて跳躍した。
「しゃせっかぁっ!」
痺れる体を鞭打ってワイヤーを飛ばし、フェリルの体に引っ付けて引っ張る。
「うぉぉ!それで動けるのかい!?」
フェリルの指先は葉を掠めるだけに終わり、ワイヤーに引っ張られたその体は俺の背後、敷き詰められている砂利の中へと突っ込んでいく。
それを尻目に、ヒラヒラと地面へと近付いている葉に向けて足を踏み出そう……としたところで、俺は異変に気が付いた。
……足の動きが麻痺毒にでもやられたかのように鈍い。
「何を!?」
「そう簡単に行くとでも思ったかい?」
フェリルがパンパンと砂ぼこりを払いながら立ち上がって得意気に言い、その視線の先、俺の足元へと目を向けると、やはりと言うべきか矢が三本足の近くに突き立っていた。
「普通、さっきの一本で動けなくなるはずなんだよ。でもこれで僕の勝……あーしまった、リーダーにはこれがあったね。」
勝利へ歩き出そうとしたフェリルだったが、地面から生えたワイヤーがその足に巻き付いているのに気付き、額に手を当てて嘆息する。
「さて、麻痺状態を克服すれば俺の勝ちだな。」
フェリルの拘束を緩める気は毛頭ない。
「三本も使ってやっと下半身だけ……リーダー、装備に麻痺への耐性でもあるのかい?」
「ん?下半身のズボンにあるかどうかは分からんが、上半身には特別何も無いぞ?」
「それじゃあリーダー自身に麻痺耐性が?何回も麻痺毒を飲んで訓練したとか?」
「そんなことは無……あーいや、あるな、たぶん。まぁだとしても偶然だし、はぁ……二度と経験したくないな。」
ファーレンで取り逃がした暗殺者にかなり強力な麻痺毒を使われた覚えがある。もしかしたらそのときに耐性ができたのかね?
『成長率50倍も忘れるでないぞ?』
……まぁ50回以上も麻痺毒の塗りたくられた武器に切りつけられて生還すればそりゃあ耐性もできるわな。
「やっぱりリーダーは少しおかしいんじゃないかい?フッ!」
いつもと同じ調子で話ながらも、流れるような動きで矢を放つフェリル。
「どさくさに紛れてさらに矢を撃つんじゃない!」
「三本で足りないのなら四本使うしかないよ。」
塵も積もれば山となるってか!?
付与魔法を警戒して一旦無色魔素の塊を矢に飛ばした後、光の矢を掴んで脇に捨てる。
「チッ。」
フェリルが舌打ちし、一方でその体は全く淀みなく動いて矢を連射し、対する俺は、体を捻って矢をかわし、どうしてもかわせない物をさっきと同じ手順を掴んで対処する。
やっぱり下半身が思うように動かないのはかなり辛い。
しかし、程なくして矢の集中豪雨は止んだ。かと思うと、フェリルは弓を背中に背負い直して近くに転がっていた箒を掴み、その場を掃きはじめた。
やっと諦めてくれたのか?
が、ほっと一息ついて後ろに視線を送って、俺はフェリルの変貌した理由を理解した。
「どんなときも研鑽を重ねるとは感心だ。どら、俺も付き合おう!」
背後で、ウォーガンが全く邪気の無い笑みを浮かべていたのである。
あのな、正直もう疲れたぞ?