状況
「ルナベイン様、無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます。」
ルナの親戚らしき獣人が一段高い畳に座したルナの前で頭を下げ、対するルナはご心配を掛けましたと一言だけ口にし、柔らかい笑みで会釈する。
そしてそいつは立ち上がり、ササッと脇へ退き、次の獣人がやってくる。
……もうこのやり取りが何回なされたかは数えていないが、そろそろ最後だ。
「ルナ……ルナベイン様、ご無事で何よりでした。」
最後はルナと同じような、銀色の毛並みを持った少女だった。ルナより5~6才ぐらい下かな?
緊張しているのか、動きが少し硬い。
「お久しぶりです、ステラ。ふふ、前のように、ルナ姉と呼んでも構いませんよ?」
ルナが気遣うように言うと、ステラはパッと顔を上げ、直視しにくいほどキラッキラした笑顔を浮かべた。
「うん!久しぶり、ルナ姉!「ステラッ!」あ……ごめんなさい。」
「すみませんルナベイン様、娘が無礼な態度を……。」
ステラに雷を落とし、その母親らしき人が平伏してルナに謝罪する。
「い、いえ、謝罪の必要は……。」
ルナは少し慌てながらもそう返した。
「寛大なお言葉、感謝いたします。」
頭を上げ、親子は自分達の席に戻る。
そんな様子を見ている俺は、ルナの背後、円形に並んだ家族の集まりから少し離れた位置で、目立たないよう正座をしている。もちろんユイやフェリル達も同様にして右隣に座って並んでいる。
「今ので最後だな。……では、無事に帰ってきた我が妹、ルナベインに!」
ウォーガンが酒の注がれた盃を掲げると、他の人達もそれに倣う。……全員の盃のサイズが少々大きすぎる気がするのは気のせいではない。
「「「「「ルナベイン様に!」」」」」
皆揃って声を上げ、盃を呷り、同時に様々な料理が運ばれてくる。
肉、肉、魚、肉、肉、酒、魚、肉……とまぁ見ているだけで胸焼けがするような物が大量に。
ここに大人数が集まっているというのは見て分かるが、流石に量が多過ぎじゃないだろうか?と思うのは俺だけだったらしい。和服姿の獣人達は何も驚くことなくそれらを食べはじめた。
そして早々に酒も入ったことやここにいるのが親戚ばかりだからか、程なくして最初の緊張した空気は消え失せ、段々と皆が浮かれ出す。
ルナだけでなく、ルナの爺さんにも酌をしたり、色々話したりする者もいれば、別の所で何やら話し込んでいる者もいる。
表情も良く見ると様々で、心からルナの帰還を喜んでいる者はもちろんいるとして、中には渋い顔をしている奴もいた。
取り敢えずルナが帰ってきたことを歓迎してない奴等の顔は覚えておこう。……俺の記憶力や観察力の高さは知れてるがな。
ま、ルナは楽しそうだし、今は大丈夫だろう。
「おい、お前らの分だ。」
俺がそうやって傍観に徹していると、ウォーガンが豪華なステーキの乗った大皿を両手にやってきた。
「……この場で奴隷と話しても良いんですか?」
「俺は奴隷にも心遣いができると周りの評価が上がるだけだ。」
そう言って片方の皿を俺へ強引に押し付け、ウォーガンは左隣にどかりと座る。
「そいつを食いながら話を聞け。お前の主人の状況を説明する。」
受け取った大皿のステーキは獣人、それも宴会用のサイズ、つまり、人間四人分は裕にある。
「フェリル、四つに分けてくれ。」
「了解、ナイフとフォークはあるかい?」
「おい、何をしてる。」
振り向くと、ウォーガンが俺を睨み付けていた。
「いや、分けるだろ……あ、違う、です。」
危ない、つい気が緩んだ。
「俺の話を聞く気は無いと?」
「そんなことはありません!ただこれは一人には多過ぎるので。……フェリル、ほい。」
ウォーガンは俺の黒魔法を見ているし、別に見られても大丈夫だろう。
そう思ってナイフとフォークを四組作ってフェリルに渡し、フェリルは黙ってステーキを切り分けはじめた。
ウォーガンの怒り混じりの声音から沈黙が金と察したらしい。
「……しかし、俺が奇術士に負けるとはな。」
奇術士か、そうか、そんな捉え方もあるな。
「これでも剣術と体術は身に付けているので。ルナベイン様が私を買われた理由もそこが大きいでしょう。」
「そうか、まぁいい。おい、エルフが切り分け終えたみたいだ。それを食いながら聞け。」
「はい。」
後ろを見ると、フェリル達は大皿を囲むようにしてそれぞれの取り分を食べはじめていた。一つの皿じゃあ食べにくそうだが、奴隷が厚かましいと怪しまれるだろうし、ここは我慢して貰う他ない。
……俺は黒い皿を作り、フォークを駆使してステーキをその皿に移した。
「「「あ!」」」
奇声を上げた三人の責めるような眼は無視。
ウォーガンに向き直り、皿を持ったまま、品性度外視でステーキにかじりつく。
肩から背中に掛けて人の手の感触を感じ……ない!無視!
ステーキを噛みきり、咀嚼を始める。
「フェリルさん、今なら私、簡単に人を殺せそうな気がするわ……。」
「そうかい?奇遇だね、僕もだよ。」
「ユイちゃん、止めは私に任せて。」
俺は皿を三枚作り、そっと後ろに渡した。
「「「途中で消したら殺す。」」」
「チッ……アダッ、ごめんなさい。やりませんから。」
肩から背中に掛けての計15点において恐ろしい力を伴って指がめり込み、俺は思わず悲鳴を上げて謝る。
「そろそろ良いか?」
流石に呆れを含んだウォーガンの声に我に帰り、姿勢をただす。背中の手も空気を読んでくれたらしく、離れていった。
「はい、どうぞいつでも。」
「お前はルナベインについてどこまで知っている?」
「人間嫌いであった事と戦争に参加したこと以外は何も。」
実際、俺はルナの事はほとんど何も知らない。別にそれで困った事は無いが、これは良い機会かもしれない。
「そうか、ならばまずこのフレメア家の事を話す。」
「よろしくお願いします。」
「フレメア家は簡単に言うと、炎龍バハムート様を祭る家系だ。……あまり驚いてないな。」
「すみません。主人はドラゴンロアを何度も打っていたので、ある程度の予想はできていました。馬車での会話もありましたし。」
「……そう、か。なるほど、そのドラゴンロアというのは代々の巫女に伝えられる奥義だ。乱用することはあってはならないのだが……今は後で良いか。」
ルナ、すまん、いつの間にか告げ口したみたいだ。
「バハムート様の巫女の役割は我々銀狐族が継承してきた物だ。……言いたいことは分かる。俺の毛は黄色だが、銀狐族であることに変わりはない。種族名を銀狐族とは名乗ってはいても本物の“銀”の数は少ない。だがその伝統を壊さないため、本家で“銀”が生まれなかった場合、分家、それでも駄目なら他家から養子を取って巫女としている。」
「ウォーガン様はその、“銀”では無いようですし、主人は養子なのでしょうか?」
「いや、ルナベインは先代の巫女、俺達の婆さんと血の繋がった、間違いなく巫女の正当な後継者だ。ルナベインが生まれた時の両親の喜びようは今でも覚えてる……。」
じぁあ銀が生まれるのは運なのかね?
しみじみとしたウォーガンの口調に、思わず質問が口から出た。
「嫉妬か?……ですか?」
いかん、敬語の定着がまだ甘い。
「いや、そんなことはない。俺も嬉しかった。ルナベインを守るという役割を貰って、生きる理由が持てた。」
へぇ、こいつも苦労してるんだな。
「なぜ戦争に?」
「止めたが、ルナベインが元気過ぎた……はぁ。」
……苦労、してるんだなぁ。
「だが無事に帰ってきてくれた。後はルナベインを巫女の地位に置けば済むというのに……あの分家の奴等め!」
「説明をお願いします。」
怒りの兆候を見せたところですぐさま冷静な声を使って諌める。
「あ、ああ、そうだったな。その前にあと一つだけ知っておけ。巫女とその伴侶はこの神殿の新たな当主となるのだ。」
「その、主人の祖母は今は?」
「ルナベインが巫女の地位を引き継いだのを見届けてから逝った。心配事が一つ無くなって安心した顔だった……。」
「主人はもう巫女の地位を持っているのですか?」
一々感傷に耽られては堪らないので、話題を元に戻す。
「ああ、そのはずだ。で、こっからが本題だ。戦争から何年も帰って来ないルナベインが帰ってくる可能性は低いと思われ、ルナベインには子供はいない。分家にいた“銀”の子供を養子に迎え入れることになった。」
「妥当な判断ですね。」
「俺も認めたくはなかったが、そのときは納得もしていた。それからはその子を巫女として教育し、もうすぐ新たな巫女として正式に公表、本家へ籍を移す……はずだった。」
なるほど、分かった。
「そこに主人が帰って来た、と。」
「そう、その通りだ。」
「つまり分家の“銀”を巫女にすべきだと思う者と主人に巫女の地位を継続させるべきだと思う者に別れた、と。」
「ああ、2日も掛けて話し合っているが向こうが一向に譲らない。」
そこまで当主の地位にこだわる必要なんてあるのかね?
『簡単に言えばかなりの権力が伴うからじゃろうな。ラダンの民は皆、龍を信仰しておってな、北をバハムート、南はリヴァイアサン、というように5柱の龍を祭っておる。ラダンが人の生活圏を広げられているのもそういう理由が大きい。間違いはない、龍の動きは分かりやすいからのう。』
龍が直接手を下したのか!?魔物とはいえ、容赦無いにも程があるぞ?
『弱肉強食は世の常じゃからな。龍の矛先が自らに向かないためにも祭っておるんじゃろ。』
……まぁ理由はともかくとして、ラダンは宗教国家ってことか?
『概ねそんなとこじゃな。』
そんな国じゃあ聖職者の権力はでかい訳だ、当主の地位が欲しく無いわけがないか。
っと、まだウォーガンが話してる途中だった。
「……分家の動きには注意しろ。俺よりも奴隷のお前の方が動きやすいはずだ。ルナベインを全てから守れ。」
「わ、分かりました。」
ふぅ、呆けてたことはバレてなかったか。
俺の返事に頷き、ウォーガンは親戚の起こしている騒ぎの中へと戻っていった。
……面倒な時に帰ってきてしまったな。もう少し後、分家の子が巫女の地位を獲得した後だったならウォーガンも諦めがついたろうに。
「さて、じゃあルナが帰ってくる前にこれからどうするか決めようか。」
パン、と一回手を叩き、ルナを除いた“ブレイブ”のメンバーの顔を見回す。
ルナはウォーガンに、おそらく今の詳しい状況やこれからの動きについて話すために連れられていった。
俺達が今いる場所はルナの寝室として案内された場所。
これからはここで見張りをする形で夜を過ごすこととなったのである。
「決める事といっても、まだここに着いたばかりよ?まだ何も決められないと思うのだけれど?」
「そうだな。」
ユイの最もな意見に頷く。
「分かっているのなら……」
「ま、集まってもらった理由は二つあってな、まずはほれ、こいつらをシーラとフェリルに渡すため。」
ユイの言葉を遮った折れはズボンのポケットから金属製の小さな輪を二つ取り出し、フェリルに軽く投げて寄越す。
「っと。リーダー、これ、いつの間に……」
「ボルカニカ戦で貰ったのを返しそびれてな。」
「借りパク……。」
ユイの呟きには返す言葉もない。
「男女別れさせられるらしいから、こいつで連絡を取り合うようにしてくれ。」
女性の部屋に、警護だからと言って男が中に一晩中いることが許されるとは思えない。
「リーダーが付けなくて良いのかい?」
「ちょっとした感謝の気持ちとでも思っておいてくれ。俺の目的のためにキガンテまで雪山まで付いてきてくれたり、ラダンへの密入国をしてくれたりしたからな。」
……エルフの耳って先が尖ってる分、イヤリングを耳のどこに付けるのだろう、という好奇心のことは黙っておく。それに、間違えてネル達の方に念話してしまう可能性もあるしな。
『そのときは盛大に馬鹿にしてやるわい。』
知ってたさ。だから渡したんだよ。
「そうかい?ならユイちゃん、はい。……あたっ!」
フェリルは一切迷わずにイヤリングの片方を持ってユイの方へ差し出し、その腕を即座にシーラに捕まれる。
「フェル?」
「え、あ、いやぁ……」
凄まれ、フェリルが早く受け取ってくれ、とユイの前でイヤリングを小刻みに動かすが、ユイは苦笑いをして一歩下がる。受け取ってもらえず、残念、と気落ちした様子のまま、フェリルは肩の動きだけで、渋々といった様子をこれでもかと醸し出しながら、イヤリングをシーラに渡した。
「フェル、何か言いたいことでもあるの?」
「別にぃ?」
「っ!……一発、一発だけだから!」
不貞腐れてますぅ、とわざとらしく態度に表すフェリルをぶん殴ろうとするシーラを捕まえ、どうどう、とユイと二人がかりで押し止める。
「はぁ、さっきも言っただろ、今は時間がないんだ。今は落ち着いてくれ。……さて、もう一つの要件はな、ルナを守るのは当然として、神器が置かれているような場所を幾つか見当を付けておいて欲しい。」
言った瞬間、三方向から凍えるような視線が突き刺さった。
「あ、だからどれ……主人ちゃんがいなくなってから話し合いを始めたのね……。」
シーラが納得したように俺の真意を言い当て、他の2人からは揃って冷たい目線が降り注ぐ。
「リーダー……。」
「ねぇ、ラダンに密入国したのは、盗みをせずに済ませるためだったと私は記憶しているのだけれど、間違っているかしら?」
「おう、大間違いだ……はい、すみませんごめんなさい。だから鯉口から手を離そう、な?」
ユイに全力で命乞いをしていると、今度はシーラが口を開いた。
「私達のここでの立場は奴隷だってこと、忘れたの?怪しい動きをしたからって殺されても誰も文句を言わない身分が奴隷なの。暗躍するには危険すぎるわ。」
「ルナに動いて貰える可能性は?」
「たぶん無理じゃないかな。言い方は悪いけど、主人は今家族に監視されてるのと同じ状態だからね。」
『誰か来たぞ。』
気配察知をし忘れてた……ったく、これで何回目だよ。
「そうか、じゃあ今の話は聞かなかったことにしてくれ。シーラ、連絡はなるべく密にな。」
そう言って、俺はフェリルを連れてルナの寝室から出た。