135 密入国
135 密入国
『ふむ、都合良く二人になれたのう。ほれ、早うやることやらんか。』
うっせ。静かにしてろ!
「チッ。」
面倒臭い絡みをしてくる爺さんに向けて舌打ちをしながらも、気配察知に集中する。
『お主のいる大陸は北に行けば行くほど魔物が多い分、人による警備は薄い。というより、国境戦自体、戦争によってよく変わるからわざわざ関所を構えておるわけでもなく、ただ柵が立てられているだけじゃよ。じゃから安心して行動を起こすが良い。……さっさと、の。』
やかましいわクソジジイ!
「ごしゅ……コテツ、どうかしましたか?」
「あーいや、何でもない。あとルナ、それはアウトだからな?」
相変わらず俺をご主人様と呼ぼうとするルナに苦笑してしまう。
「ごめんなさい。」
「まぁ、ラダンに入ったら気を付けるようにな?それで、魔物とかはいないか?」
「ええ、大丈夫です。今の時期は寒いので冬眠に入っているのかもしれません。」
俺の問いに首肯しながら、ルナは魔眼で辺りを見回して警戒している。
今、俺とルナの二人は国境警備や魔物など、国境を越える際、障害となる物がいないかの偵察を行っているのである。
主な理由としては、警備兵がいるのなら先に気絶なり何なりさせておきたいし、魔物は馬車の馬を怖がらせてしまうかもしれないので先に退治しておきたいから、というものがある。
『本来の目的は別じゃろ?わしがおれば索敵の必要はほぼ無いからのう。』
だから爺さんは黙っとけ!
ちなみにユイ達の乗っている馬車はかなり後方でノロノロと後から付いてくる事になっている。
「ご、コテツ、今のところ問題ないです。」
「ああ、俺の気配察知にも何も引っ掛かってない。……もう少し進もう。」
「ユイ達から離れすぎていませんか?」
「良いから。」
心配そうに言うルナの背中を軽く押して前に進ませ、俺達は葉の代わりに雪を枝に飾った木々の間を進んでいった。
さて、どうしよう。
俺の目の前で油断なく周りに目を向けているルナを眺めながら、爺さんに索敵を全部放り投げた俺は、一人で考え込んだ。
実際、俺達以外のパーティーメンバーはいないし、今は夕方なので念話が来る心配もほとんどない。今程他人の邪魔や茶々の入らない状況はないかもしれない。
爺さんが俺を急かしたのも、それが理由……な訳ないか、あれはただ面白がってるだけだな。そうに違いない。
ラダンに入ってしまった後はスレインに戻ってくるまで言うことはできないだろうし、戻ってからもこうして二人きりになれるとは限らない。夜はネルと念話をする約束をしているしな。
それに、これから家族と会った後、ルナがやっぱり自分はラダンに残りたいと言い出す可能性だってある。ルナの意思を尊重したいとは思っている俺だが、それは……はっきり言って嫌だ。
「……ふぅ、よし。」
『お、やっとじゃな。』
黙れ!
すぅ……はぁぁ。
深呼吸で心の準備をし、歩き出す。
ルナは注意深く耳をすませていて、俺が地を踏む音にも、ピクリとその可愛らしい耳が反応する。
「なぁ、ルナ。」
そんなルナの肩を叩き、声を掛けた。
「どうかしまし「いや、振り返らなくて良いから、そのまま聞いてくれ。」……?分かりました。」
今の自分がどんな顔をしているのかは想像に難くないので、ルナにそう頼み、柔らかそうな耳に口を近付ける。
……鼻息が荒くなってないよな?……ええい、なるようになれコンチクショウ!
「ルナ、好きだ。」
言うと、ビクッとルナが体を震わせたのが手から伝わってきた。
「!?ご、ご主人「振り向くな。」ひゃ、ひゃい……。でも、私達はて、偵察ですよ?こ、ここで話すような事では……」
「大丈夫だ。周りに魔物や敵は何もいない。俺達二人だけだ。」
爺さんによる確認もしてあるしな。
「そ、そうですか。えっと、えと……わ、私は、私も!ご主人様の事がす、好きですよ?むしろ、今のパーティーの人に嫌いな人はいません。」
あ、〝好き〟って言葉の質を変えられた。
キャラバンに加入した日にルナが告白してくれたときの事を思い出す。
あのとき俺は、確かルナに好きだと言われたとき、今のルナと同じような反応をしてみせたっけか。
「……当て付けか?」
「何の事でしょう?」
こっちを見るなって言ったのに、ルナは振り向いて微笑を浮かべてみせた。
うん、これは本人も分かった上でやってるな。
「あー、そういうことじゃなくてだな……。」
「そうですか?ふふっ。もっと分かりやすくお願いします。」
今笑ったな?……このやろう。
「いや、別に今話さないといけない事って訳じゃないし……」
「え?」
「ん?どうした?」
「い、いえ、別に何でもありません。」
漏れた声を聞き漏らさずに追及するも、あっさり流し、ルナは俺から目を外してまた前を向いた。
ヤバい。会話がここで打ち切られてしまう。何とか言葉を……
「いや、でもやっぱり今が一番良いかもしれん。」
うーわ、こりゃいかん。駄目だ。不自然も程がある。
「ふふ、そうですか?それならば是非聞かせてください。」
ユラユラと、ルナの銀毛の狐耳が楽しそうに揺れ、この会話の勝利を確信していることがありありと伝わってくる。
くそぅ、やっぱり少し悔しい。
俺は、ルナの、俺と比べれば小柄な体に後ろから両腕を回して抱きつき、ささやかな反撃とした。
「!?」
慌てた様子のルナがか細い奇声を上げる。
あ、ここでもし振りほどかれでもしたら俺の精神は持ちそうにないな……どうしよう。
ま、今更か。
頭の中で開き直り、俺はルナに抱き締める力を強くした。
「ルナ、お前が好きだ。」
「それは、さ、さっきも、聞きました。」
「意味は分かるだろ?」
「わ、分かりません。ちゃんとした言葉を使って欲し……あ、いえ、使ってください。」
俺の腕の中で軽く震えながらルナが言い、逃げないようにか、目の前で交差する俺の両腕をグッと掴む。
やっぱり駄目か。何とか勢いで押していけると思ったんだがな……
「…………ルナ、愛してる。」
耳元にささやき、俺は言ってしまった恥ずかしさに耐えられず、誰も見ていやしないのに思わず下を向いてしまう。
ルナの匂いが鼻孔をくすぐり、さらさらな髪の感触が心地良い。
「ご主人様、だ、誰が、私を好きなのかを、明確にして欲しいです。」
ルナの、鈴のような、それてでいて少し震えた声が耳に入ってくる。
ここまで来たらもう何も恐れることはない。羞恥なんぞ気にせずに言ってやろう。
「ルナ、俺はお前が大好きだ。……愛してる。そのほら、俺の、恋人になってくれないか?」
意気込んだくせに〝大好き〟で言葉を濁そうとし、止め、俺は何とかそう言いきった。
くそっ、顔が熱い。
「くふ、……良く聞こえなかったので、もう一度、お願いします。」
こいつ、味をしめやがったな?
まぁ、もう開き直った俺としてはもう抵抗はない。
だがしかし、それでは負けっぱなしになってしまう。
ルナの頭から顔を少し上げて周りを見回し、新たな話題におあつらえ向きの物体を発見。
「あ、あれが国境の柵かぁ。しっかし国境ってわりにはちんけなもんだな。ルナはどう思う?」
ルナの頭越しに見えた、軽く飛び越えられそうな金属製の柵の事を話題に入れる。
「からかわないでください!ご主人様はいつもそうやって私をからかって……私は、私はご主人様の事が本当に愛しいんですよ?」
叫び、ルナは尻すぼみになりながらも、そう、悲しそうに言ってきた。
「あ、いや……」
そういう反応が来るとは全く思っていなかったために言葉に詰まり、そして俺が何かを言葉にする前に、ルナは続けた。
「あの夜、私がご主人様に想いを告白したあのとき、私は返事は要らないなんて言いました。でも、あれは嘘です。私はただ、状況に流された結果、ご主人様と一緒になるというのが嫌だったから、ご主人様が本心から私を求めて欲しいと思ったから、私はああ言って、ご主人様の返事を待とうと思いました。……あの日からずっと待っていたんです。あの日のあの言葉を後悔した事だって何度もあります。もし変に意地を張らなければ、ご主人様と一緒になれる事だけで満足していれば、と。……だから、凄く嬉しかったんですよ?ご主人様が私を好きだと、愛していると言ってくれたとき、ずっと待っていて、本当に良かったと思いました。……心の底からです。だから……」
俺の腕を握る力を徐々に強くしながらルナが言い、最後に「もしからかっているだけなのなら離れてください。」と一言俺に告げ、黙りこんだ。
よく分かった。
……俺は馬鹿だな。
「ルナ、こっちを向いてくれ。」
俺がずっと切り出すタイミングだなんだと抜かし、ヘタレているっている間、ルナはずっと待っていてくれたのだ。
毎日、内心では緊張しっぱなしだったのかもしれない。今か今かと待ち続け、そのまま寝るという日々をずっと過ごしてきたのかもしれない。
夜、尻尾の手入れのために俺と二人でいたときだって、今だってそうだ。俺は一体、無意識の内に何度ルナを失望させてきたのだろうか。
「……」
ルナは俺の腕を握ったまま動かない。
「ルナ……」
もう一度優しく名前を呼ぶ。
「……何ですか?」
二回目の呼び掛けには反応した。
そして、ゆっくりと首を回したルナの、強気な言葉とは裏腹に、潤んだ両目が俺に向けられた。
……ヘタレは悪だ。
「……」
「!?」
俺は無言でルナの桜色の唇を奪った。
一瞬の硬直の後、ルナは体をこちらに向けて俺の両脇の下から肩を掴み、俺はルナの頭と腰に手を置いてさらに引き寄せる。
舌を絡ませ、キャラバンに加入した日の物とは比べものにならない時間、俺達は互いの唾液を交換する。
「ん……はぁはぁ。」
いきなりだったために呼吸が乱れたルナを至近距離で見つめながら、口を離して、今更ながら一言。
「……ルナ、愛してる。」
「うぅ、順番が違います。はむ……!」
不満そうだったのでもう一度、今度は短く口付けする。
「……ふぅ、これで良いか?」
「今までご主人様はずっと何もしてこなかったのに、こんな、いきなり積極的に……。」
「まぁこれからキスなんてできる機会はほぼ無いだろうし、これまで待たせた分の埋め合わせも含めて、だな。」
「え……これからは、その、こういうことは、してくれないのですか?」
「ラダンに入るからな、流石にまずいだろ?」
物悲しそうに言ってくるルナに答えると、ルナは甘えるように、元から無かった距離をさらに詰めてくる。
「……たまにならば、その、どうでしょう?」
「まぁたまになら、な。」
流石に恥ずかしくなって顔を背ける。
「ご主人様ぁ。」
嬉しそうに俺の胸へ頭を押し付けてくるルナに対し、どう対応すれば良いのか分からなくなった俺は、ルナの頭の後ろに回した手でルナの片耳を軽く握った。
「きゃう!どうして……?」
「まぁほら、さっきからご主人様ってばっかり言っていたし……。」
「それは申し訳ありません。ふふ。」
俺の言葉をただの照れ隠しだと即座に看破したルナは、この上なく魅力的だった。
数十分後、ルナベイン様と俺達奴隷四人は、無事、ラダンへの侵入を果たした。