128 キャラバンでの日々⑥
風呂から上がり、下着以外は風呂に入る前と同じ物を着て、ベンと共に暖簾をくぐって更衣室を出る。
この温泉宿には俺とベンの二つのパーティーしか泊まらないので、ほぼ貸し切り状態で温泉を堪能できた。
更衣室のすぐ外には、おそらくこの国では当たり前になっているのであろう、今まで止まったことのある宿屋と全く同じ間取りの食堂。
「リーダー……。」
「却下だ。」
俺とベンに二人がかりで方に担がれたフェリルは縄でぐるぐる巻きにされた状態で、悲痛な声を出しながら懇願してくるが、冷たくはね除ける。
「そこを何とか。」
「俺はまだユイやセラに殺されたくないからな。」
「うん、セラが、あそこまで怒るのは、僕も、初めて見た、よ。」
何とも情けない応答を返す俺とベン。
……俺の回りの女性の意見が異様に強いような気がするのは気のせいかね?
と、ルナ達とセラが隣の暖簾をくぐって出てきた。
俺達と違って三人とも浴衣を着ており、何だかんだで似合っている。歴代の勇者達の誰かが伝えたのだろう。
内心で拍手喝采を送っていたら、ルナを除く三人はこちらに気付き、一様に目を険しくする。
「フェル、覚悟はできてる?」
そして、中でもおっかない目をしていたシーラが口を開いてフェリルに向けて手を向けた。
「あ、いや……。」
「できていなくとも、叩き斬ってくれる。」
「ヒエッ!?」
セラは浴衣の上から腰に帯びた剣を抜き始め、焦ったフェリルが俺の肩の上でモゾモゾと暴れ始める。
「フェリルさん、痛みは一瞬です。」
既に刀を抜き放ったユイがそう言い、俺とベンはフェリルをその場に置いてそそくさと脇へ退いた。
「じょ、冗談だよね?ね?そりゃ僕も悪かったけどさ、皆魅力的過ぎるから……ごめんなさい、許してください。」
ちゃっかり口説き文句を並べ始めたフェリルだったが、即座にそれが無駄だと分かったようで、命乞いを始めた。
……たぶんこれだから俺の回りの女性の意見が強いんだろうなぁ。
「はぁ。」
「ご主人様は覗かなかったのですか?」
ため息を吐いてフェリルのピンチを眺めていると、ルナが俺の隣に来て聞いてきた。
恥じらいなのか風呂上がりだからなのか分からないが、顔が少し赤くなっている。
「俺はベンと酒やら温泉卵やらを楽しんでたよ。ルナは食べてみたか?あれは結構酒と合うんだよ。甘くてしかも濃厚でな、あれは素晴らしい物だ。」
多少早口になってしまいながら言っている内に温泉卵の味を舌に思い出して、俺は夢見心地な気分になった。
「そうですか……。」
「おう、俺は覗いてないぞ。なぁベン。」
何故か若干拗ねたようなルナの頭に手を置き、撫でながらベンの証言を求める。
「そう、だったね。」
ベンは鷹揚に頷いてくれ、さっきからチクチクと刺さっていた、ユイ達からの視線は俺から離れた。
……怖かった。
「ふぅ。」
安堵して、息をつく。
「ひゃっ!?」
ゆらゆらと揺れているルナの耳にそれが掛かったらしく、ルナはビクッと震えたかと思うと、その場で小さく奇声を上げる。
パッと自分の手で口を抑え、ルナは俺を恨ましげに、その赤い瞳で責めるように見てきた。
「はは、すまんすまん。」
笑いながら、今度はわざと、その耳をモフる。
「ひゃん!?」
再び奇声を上げるルナを見て何だか楽しくなってきて、今度は両手で左右の耳を同時にモフってみる。
「きゅぅ……。」
気の抜けたような声が漏れ、ルナは俺の手に自分の手をかぶせる。
……そして手袋越しでも痛みが感じられるほど、俺の手は思いっきりつねられた。
[へー、温泉かー、良かったねー。]
夜、温泉宿の一室、久々のベッドの上に座り、ルナの尻尾をすきながらネルに念話で今日のことを話すと、ネルは棒読みの見本を聞かせてくれた。
「ふはは、羨ましいか?羨ましいだろ!」
[……コテツ、もしかして酔ってる?]
「ええ、酔っています。さっきも私にあんな……。」
俺と耳を合わせているルナがネルに言い、身を震わせる。
別に、ほろ酔いって所だとは思うんだが、まぁいいや。
[え!?]
「あれは悪かったっていってるだろ?そろそろ許してくれたって良いと思うぞ?」
[な、何を……。]
「私に取っては大切な事です!それをご主人様は……うぅ。」
狼狽えるネルをそのままにし、ルナは具体的な内容を言わずに俺との会話を続ける。
[ねぇ、ねぇってば!]
かなり焦り始めたネルの声が聞こえてきて俺もイタズラ心が沸いてきた。
「はいはい、悪かったよ。でもお前だってそこまで嫌がってなかったろ?」
「別に、しないで欲しいとは言ってません。ふふ。」
俺の意思をくみ取り、微笑を浮かべてルナがしっかりと言葉を選ぶ。
くすりと小さな笑いが漏れたが、この場合はネルをからかうのに効果覿面だ。
[あ、あわわ……。]
[コテツさん、どういうことですか!?それに、ルナさんには変なことをしないでって言ったじゃないですか!]
と、ここでアリシアが会話に加わってきた。
今更だが、このイヤリング、魔力を通せばそのときに他の会話があっていても乱入できるのである。
流石ににネルをからかうのもここまでか。
アリシアはかなり本気で怒っているのが念話越しでも伝わってきている。
「アリシア、落ち着け。俺がルナの耳をモフモフさせてもらっただけだよ。手触りが良いのはお前も知ってるだろ?」
「え、ええ、私はご主人様には何もしていませんから。……アイタッ!」
明らかな嘘を付いたルナの頭にコツンと軽く頭突き。
「(嘘言うな。)」
「(ふふ、気にしてくれて嬉しいです。)」
俺の小声での非難は、悪戯な笑みをしたルナに小声で言い返された。
[うぅ、酷い。二人してボクを騙して……。]
[あ、そういうことだったんですか。ごめんなさい、邪魔をしてしまったみたいで。]
[そんな、アリシアまで!?出会ったときは少し抜けててあんなに可愛かったのに!]
[抜けてません!……よね、コテツさん?]
「優しい嘘と厳しい現実、どっちが良い?」
[それ、もう厳しい現実を突き付けちゃってるじゃん……。]
[酷いです、ネルさん。]
[え、ボク!?]
「ったく、俺はどちらにせよそんなことないって言おうと思ってたのにな。あーあ、ネルはなんて薄情なんだ。」
[もう、二人揃ってボクをいじめて……。ねぇ、楽しい?]
「[少し。]」
[うぅ、アリシアがどんどんコテツみたいになってる。もう、元は良い子なんだから、変なこと吹き込まないでよ!]
そこで俺を批難しますかい。
「まぁほら、あれだ。アリシアは見習うべき所はしっかり見習ってるってことで……」
[コテツは反面教師にしないといけないんだよ!アリシア、分かった?]
[ふふ、はい。ネルさんを反面教師に……]
[こらぁ!]
すっとぼけたアリシアにネルが軽く怒りを示す。
「しっかし、本当、アリシアは俺と会ったときから変わったな。前だったらこんな会話に付いていけずにアワアワしていたような気がする。」
「私も、アリシアはおどおどしているところの方が印象に残っています。」
[お二人にはそう思われていたんですか……。]
「だがまぁ、その様子だと人付き合いもある程度上達してきたのか?」
前は事務的な受付嬢としか、会話(?)できていなかったし。
[はい、一年目の学生には主に魔術の方で頼りにされています。]
[うん、一年生の間じゃあアリシアは志望を間違えちゃったおっちょこちょいな先輩って認識だよ。]
なるほど、魔法はそこまで上達してないのか。
[ええ!?そんな、いつの間に!?]
「うーん、いつだろ?あ、でも、入学してきてすぐ、アリシアに治療して貰った一年生と話してたときに、アリシアのファイアランスがお団子みたいだって話したような……まさかね?」
[ふぇぇ!?]
「なぁネル、一年生がお前の所に話しに行くってことは、つまり……」
[ええ、大人気ですよ、ネルさんは。全学年の男子生徒に。]
すげぇ、半端ねぇなぁおい。
[別に頼んでないのに。むしろ迷惑なんだよ……。]
「そう言ってやるなよ。むしろ喜ぶべき事だろ?」
[だってさ、ことある事に可愛いだの愛してるだの言ってくるんだよ?前にコテツのせいでお昼ご飯を落としたときは皆して「可愛い……」だなんて呟いてたんだからね!?]
「あー、そりゃすまん。それでもまぁ、人気なのは悪いことじゃないだろ?」
[肝心な人はあの中にはいないからね……。]
「ネル、お前って案外一途だよな。」
[案外ってどういうことかな?ねぇ、コテツ、ボクとっても気になるなぁ。]
「ま、まぁ、それはおいといて[こらっ!]はいはい、俺の後任ってどんなやつなんだ?」
[えーと……ほら、コテツがトーナメントの決勝戦で戦った相手だよ。魔族の。]
「教師の名前を忘れてやるなよ。アルベルトだろ、確か。」
爺さんの神剣使いかぁ。ま、当然と言えば当然だな。制作者はともかく、性能は良いし。
『喧嘩を売っておるのか?』
買わないでくれ、世界が滅ぶ。
……本当、そんな副作用さえなければヴリトラは全部爺さんに任せられたのになぁ。
『全くじゃな。はぁ……、苦労を掛けるの。』
いや、俺も助けてもらってるし、そりゃ言いっこなしだ。
「ご主人様?どうかしましたか?」
っと、しばらくボーッとしていたらしい。
「あーいや、何でもない。」
返し、ルナの頭を撫でる。
「あ……ふふ。」
[コテツさん!]
「うおっ!どうしたいきなり。」
大きな声に驚いて聞くと、アリシアは急に何やら尻込みし始め、えっと、とかそのぉ、とかを繰り返し始める。
らしくない大声に自分自身でも驚いたのかね?
取り合えず会話を続けるか、そうすればアリシアも話しやすくなるだろう。
「アリシア、クラレスはどうしてる?同じ部屋なんだよな?誘拐とかにはもう合ってないか?」
[ふふ、大丈夫だと思いますよ。アルベルト先生はクラレスさんにべったりですから。]
……なぁるほど。王族だしな、無理もない。
「アルベルトの奴、クラレスに疎ましがられてなきゃ良いんだけどな。」
[もう手遅れですね。クラレスさんはいつも私に愚痴を言ってきますから。]
「なぁ、一応確認なんだが、まだ学園が始まってから2ヶ月と少しぐらいだよな?」
[ええ、そうですよ?]
「クラレス、やっていけるのか?」
一年は長いぞ?
[そこはたぶん大丈夫だと思うよ。フレデリックとは上手くやってるみたいだし。]
ほほぅ。それは良いことを聞いた。
「ちなみにテオとオリヴィアは?」
[うーん、それは知らないね。ていうか何でコテツが知ってるの?]
「まぁ、他にやることがなくてな。」
[うわぁ……相変わらず趣味悪いね。]
相変わらずってどういう事だよ……。
「そんなこと百も承知だ。でも口出しはあんまりしないから無害だろ?」
[コテツさん、それは……]
[ほらぁ、あのアリシアも引いてるじゃん。]
「ご主人様、秘密にした方が良い事もあるんですよ?」
同意を求めるも、三人にあっさりと否定された。
ルナに至っては眉をしかめているところが目の前で見えるので、心から俺を非難しているのだと分かる。
でもなぁ、他人の恋愛事情ってのは見ていて本当に面白いからなぁ。青春を描いた漫画を読んでニヤニヤしていたのを親に気持ち悪いと言われたまである。
『うむ、大いに同意してやろう。』
黙れクソジジイ。
「そういえばネル、アリシアは無駄遣いしてないか?」
話題を変える。
[アハハ、大丈夫、お菓子を買溜めしようとしてたけど、ちゃんと止めたよ。]
「よくやった。そしてアリシア、何か言いたいことは?」
[一日一個は、駄目、ですか?]
「一日300カッパー以内なら許す。」
おやつは300円まで。常識だ。
[コテツさん、大好きです。]
[なっ!?]
ネルが驚きの声を上げ、ルナが俺の腕を掻き抱く。
だが俺は、慌てず騒がず、アリシアの少し間違った方向への成長に苦笑しながら口を開く。
「ありがとな。でも300カッパーは変わらないぞ?」
全く、アリシアはいったい誰の影響を受けてしまったんだろうか。
あまりにも普段のアリシアからは考えられない言動に、俺と一緒にファーレンから出たルナはともかくとして、ネルまでが驚いていた。
[ほっ……もう、これもコテツのせいだからね?]
落ち着いたあと、ネルが俺を非難するが、俺としても心外だ。
「ちょっと待て、俺はこんな交渉術をアリシアに教えた覚えはないからな?なぁ、そうだよな、アリシア。」
[はい、私はただ、コテツさんが弁のたつネルさんを言い負かすために使う『誉め殺し』作戦を使ってみただけですよ。]
マジかよ。
[やっぱりコテツのせいじゃん!]
「いやぁはは、申し訳ない。」
[それにアリシア、そのやり方だと誉め殺しとは言わないと思うよ?ただ相手を動揺させるだけだと思うな。]
[そう、ですか?]
「ああ、でも嬉しかったぞ。」
大好きと言われて嬉しくない奴は、まぁ、たぶんいないだろう。
[うぅ、私は勢いに任せて何て事を……]
当のアリシアは今さら羞恥に苦しみだしていた。
「ご主人様、(大好きです。)」
そして今度はルナが、ネル達に聞こえないよう、小声でイヤリングのない方の俺の耳元にささやく。
俺が多少でも動揺するのが見たいという魂胆がバレバレである。
仕返しとばかりに尻尾の根元を強くモフり、ルナがビクッと震えたのが掻き抱かれた腕から伝わってきた。
[ふぁ……ん。1シルバーは。]
アリシアが欠伸を噛み殺しながら、それでも眠気を押し退けて主張してくる。ったく、お菓子を好きにもほどがあるだろうにな。
「ネル。」
[ん?何?]
「アリシアの世話、頼んだぞ?」
[大変だから、さっさと帰ってきてね。]
くすりと笑いながらネルがそう言い、俺も知らず知らずの内に苦笑い。
「はいよ、頼んだ。じゃあアリシアも眠いみたいだし、お休み。」
[眠く、ないです。]
「……嘘を付くなら100カッパーに[コテツさん、お休みなさい。]おう、お休み。」
うん、アリシアはやっぱり素直が一番だな。
[アハハ、じゃあコテツ、気を付けてね。お休み。]
「了解、お休み。」
そして俺はイヤリングから手を離し、未だに恨まし気な目を俺に向けるルナを無視して久々のベッドに寝転んだ。
「ルナ、ベッドは二つあるからな?」
そう言ってルナを牽制すると、今にも俺の隣に寝ようとしていたルナは渋々隣のベッドにダイブした。
「ご主人様の意地悪。」
ボソリとルナがそう言うのが聞こえたが、俺は安眠のために考えるのを止めた。