122 進展
「話は、聞かせて、もらった。」
俺がテントに入るなり、そこらのマッチョなんざ目じゃないぐらいの巨漢が、テントの中央の机の向こう側でむくりと立ち上がった。
茶色の髪の毛は短く刈り上げられており、糸目で穏やかな雰囲気の顔とは裏腹に、その胸板は厚く、迷彩柄っぽいズボンとブーツが恐ろしいほど似合っている。
が、何よりも、上半身は素っ裸であった。
「……裸で寒くないですか?」
今は10月の下旬である。
まだ夏の暑さを思い出させるような日もあるにはあるが、上半身素っ裸の格好をするほど暑くはない。
「ああ、これは、裸じゃあ、ないんだ。」
どこか余裕を感じさせる話し方で、団長は俺の言葉を否定した。
キールを見る。
「あれはつまり、下を履いてるから裸じゃないってことだ。」
「あー、そ。」
半裸って言い直せば頷いたのかね?
「えっと、俺はこれからこのキャラバンと同行することとなったパーティー〝ブレイブ〟のリーダー、コテツです。よろしく。」
「僕は、このキャラバンの、団長の、ベン。ベン=エル=スレイン、だ。君達の、目的地は、ギカンテ山脈だと、聞いた。短い間だけど、僕からも、よろしく頼むよ。」
一歩前に出た俺が差し出した手を掴んだ団長、ベンと握手を交わす。
「無礼者ォ!」
ここで、ずっとテントの上に潜んでいた奴がついに動き出した。声からして女か?
左手で右肩からナイフを取り出しながら、敵の位置を気配でもう一度正確に捕捉。
……丁度真上か。
「待て、敵じゃない!セラもやめるんだ!」
ナイフを振りかぶり、スナップを利かせて投げつけようとしたところでベンがそう怒鳴った。
上からの刺客かと思った女は、鎧による微かな金属音を立てて着地すると、持っていた抜き身の剣を構えたまま、睨み付けてきた。
金色の髪を後ろに流し、俺に対する怒りがかけている眼鏡を通してその緑色の目から窺える。体に纏う鎧はそこまで多くなく、身軽な動きを可能にしているのが分かる。
そして全体的に生真面目そうな印象を受けた。
……こいつも俺が前に会ったことある奴なのかね?全くもって見覚えが無い。俺に無礼者って叫ぶのはあの騎士ドレイクだけで十分だ。
「えっと、前に会ったことありますかね?」
「あってたまるか!」
じゃあ何なんだよ!
困ってキールを振り返るも、既に逃げた後だった。こうなることは予想していたらしい。
ベンに視線を戻す。
「どちらさんで?」
「僕の、護衛、だ。」
「……団長はもしかしてどっかの貴族様ですか?」
「ハッ、貴族なんぞと一緒にするとは!この方は他の誰でもない……「セラ、静かに。」……はっ。」
もう会話の内容から大体の予想はついた。名字がスレインで、貴族が下に位置するような言い方から、おそらくベンは……
「僕は、王族なんだ。」
「これは口外禁止でしょうか?」
「君は、彼女、セラの、こんな様子を見て、バレていないとでも、思うのかな?」
護衛の騎士、セラを手で示し、苦笑するベン。
なるほど、皆知ってるのね。
「王族がこんな危険な場所にどうしているんですか?ていうか、ここにいて良いのですか?」
「僕は、第二王子だから、ね。あと、口調は楽にして、良いよ。不敬だなんて、思わないから。あ、セラは、黙ってね?」
ベンは口を開けた護衛の騎士を笑顔で黙らせる。
「……分かった。それで、第二王子なら尚更じゃないのか?」
かなり高い身分だと思うのは俺の気のせいだろうか?
「第一王子、僕の兄は、元気だから、特別優秀、というわけじゃない僕には、王位は回って来ない。だから、王族として、スレインのために、何ができるかって、考えから、ね。」
第一王子を暗殺しようとは思わないんだな……。
「あー、じゃあ俺はこれで。セラさんも今後ともよろしく。じゃ。」
未だに剣を鞘に納めることもせず、俺を睨んだままのセラから逃げるようにして、俺はテントから出た。
「おい副団長、なんで王族がいるなんて言わなかったんだ。俺が毒竜のことでお前を倒した意趣返しか?おかげで胆が冷えたぞ。」
テントから出、そこでヨーセルとダベっていたキールを見かけ、文句を言う。
もし最初から分かっていればまた王家の騎士に嫌われることも無かっただろうに。
『どうせどこかでボロが出るじゃろ。』
それでも多少はマシだったかもしれないだろ?
「あ、てめぇ、やっぱり覚えてやがったのか。あのときはたしかに俺も悪かったが、よくも騙したなこの野郎!」
「まぁまぁ、お前が悪かったのは本当なんだしよぉ、そう怒んなよキール。」
ヨーセルがキールを両手で落ち着かせようとし、俺は足早にその場を離れる。
「じゃ、これからよろしく!」
最後に思い出したようにそう言って、俺は青の翼の連中から姿をくらませた。
夜。
今までは黒魔法で作った男女別々のテントで寝ていたがこれからはそうも行かないため、代わりとして、俺はユイの要請で馬車の中にしきりを作らされた。
「なぁ、別に俺はお前らを襲おうだなんて思ってないぞ?フェリルだってそのくらいの分別は付いてる、よな?」
「もちろん。」
しきり越しに、取り合えず名誉のために言う。
「寝顔を見られたくないのよ。」
……さいで。
御者台の側で寝るのは俺達男で、後部は女性陣が寝ることになった。
「よし、じゃあ明日は朝早いみたいだし、さっさと寝よう。」
妙に張り切った様子でフェリルが言い、それに対して、そうね、とか、おやすみー、とか言う声がしきり越しに聞こえる。
俺も目を閉じ、睡魔の到来を待とうとした……ところで肩を叩かれた。
薄目を開けてみると、口元に人差し指を当て、もう片方の手で俺に御者台から外に出るように促すフェリルの姿があった。
取り合えず指示に従って外に出る。
「で、なんだフェリル?」
「ねぇリーダー、ここには腕利きの冒険者がたくさんいる。」
「……おう。」
いきなり話し始めたフェリルの意図が分からず、生返事。大事なことかもしれないので注意して聞く。
「こんな大所帯にいる冒険者達はやっぱり鬱憤が溜まることもある。でもそれを発散することができる手頃な魔物が毎日襲ってくる訳じゃあない。」
「まぁ、そうだな。」
毎日のように魔物が襲ってくる場所に俺は絶対にいたくない。もしここがそうなら、反対意見を無理矢理黙らせてでも即行で別行動をとる。
「それなのにここでは鬱憤の溜まった冒険者による暴動が起きるような様子はないよね?何でだと思う?」
「団長が王族だからじゃないのか?」
反逆者と捕まえられて殺されてしまうと考えれば、暴動を起こす気も失せるだろう。
個人的には、だからこそベンが自分を王族だと公言しているんじゃないだろうかと思っていた。
「それもあるかもしれないけど、僕が言いたいのはそれじゃない。」
「……分からん、答えを頼む。」
頭の中で筋トレルームでもあるんじゃないかと思ったが、わざわざ重い器具を持ち運ぶことはないだろうと自分で自分の考えを否定し、聞く。
「ここにはね、娼館代わりのテントがあるんだ。」
あぁ、なるほど、……そういうことか。
「お前、キール……えっと副団長にそれを吹き込まれたんだろ。だからキャラバンに加入する方に寝返ったんだな?」
キールめ、案外洞察力が優れてるじゃないか。フェリルにとっては食いつかずにはいられないエサだ。
「まぁ、ね。ごめんリーダー。」
ったく、大事な話かもしれないと身構えた俺が馬鹿だった。
「はぁ……、分かった。秘密にしておいてやるから安心して行ってこい。」
「え、リーダーは行かないのかい?」
「俺は今日、お前らと1対4をかなり本気でやったんだぞ?そんな元気は無い。また今度な。」
それもそうかと残念そうに呟き、フェリルはため息を吐く。
「他の皆には本当に黙っていてくれるかい?」
「言うわけ無いだろ。あ、でもお前が勝手に見付かったときのフォローなんて期待するなよ?」
「了解、感謝するよリーダー。」
フェリルはそれだけ言って、少し先に見える暗めの光が付いた大きめのテントに走っていった。
「はは、は……はぁ。もうエルフのイメージがボロボロだな……。」
それを見送りながら苦笑し、寝ている馬の間を縫って歩いて、なるべく揺らさないようにして馬車に乗り込む。
「あ、ご主人様。」
……何故かルナがいた。
「うん、まぁまずはどうしてここにいるのか聞いても良いか?」
さっきのフェリルとの会話を頭を振ることで忘れようとしながら聞く。
「約束だからです。多数決でご主人様の味方をすれば……その……してくれる、と。」
今日は新月なのか空に月はない。
他のテントから漏れる微かな光ではあまりよくは見えないはずなのに、恥ずかしがっている、俺を妙な気持ちにさせるルナの顔が、ハッキリと目に浮かぶ。
いかんな、さっきまでフェリルとしていた娼館についての話がまだ頭に残っているようだ。変に意識してしまっているのが自分でも分かった。
「あ、ああ、そういえばそうだったな。」
若干狼狽えながら言葉を発し、御者台に座り込む。
いつものように軽く膝を叩く。そっと俺の隣にルナが座り、ふさり、と柔らかく、暖かい塊が膝に乗せられる。ついでに俺の肩に背中から寄り掛かられた。
よって俺の顔右斜め下にルナの頭が来る形となる。
「やっぱり、柔らかいな。」
「ふふ、ご主人様のおかげです。」
撫でながら呟くと、ルナはくすぐったそうに身を震わせた。絹のような髪が揺れ、俺の首筋をお返しとばかりにくすぐってくる。
櫛を作り、尻尾に当て、とく。
「ん。」
いつまでたっても慣れない、色っぽい声をルナが漏らし、ふぅ、と静かな吐息の音が聞こえてくる。
知らず知らずの内に俺の顔に熱がこもっていたのか、吹き込んできた、秋らしい、涼しい微風が心地良い。
「ご主人様は……ん、ご主人様は、私のことが嫌いですか?本当の事を、教えてください。」
こてん、と俺の肩に背中だけでなく頭まで乗せ、ルナは不安そうにそう聞いてきた。
「お前を奴隷から解放するかしないかについての事か?」
コクリと小さく頷いたルナの耳が俺の頬を撫でる。
「安心しろって。別に、お前が嫌いだから、もっともらしい理由にかこつけて奴隷から解放しようとしてるって訳じゃない。」
「でも私のためだという理由にかこつけてそうしようとしてるのは本当です。」
そう言われると言い返せないな。
「それでも私はご主人様の奴隷ですから、ご主人様の望む通りにしてくださっても構いませんよ?」
ルナの頭の上に軽く頭突きする。
「アタッ!うぅ。」
「俺は最後までお前の意思を尊重しようと思ってる。故郷に行って、家族に会わせようとしているのはな、ルナ、お前が自分の決定を後悔してしまうことを防ぎたいからだ。」
銀髪を頬で感じたまま、俺はそう続けた。
「……ちょっと痛かったです。」
「はは、そりゃすまん。……ルナ、自分の意思を捨てようとするな。俺みたいな奴に買われたお前は、言い方は変だが、幸運な奴隷なんだ。だから俺を利用しろ。障害になる物は俺が壊すし、何らかの橋が必要なら俺が作ってやる。なんとしてでも、どんな手を使ってでも、だ。分かるな?だからお前は好きなようにすれば良い。……ていうかしてくれ。」
「……ご主人様は、私と会ったときから、ずっとそう言い続けていますね。」
「くどいか?」
「くどいです。」
このやろう。
「キュゥッ!」
ルナが声を漏らす。吐息が感じられて変な気分にさせられる。
「……尻尾はズルいです。」
「ルナ、たとえくどくても俺の言葉は覚えておいてくれよ?」
文句を言うルナの頭を肩と頬で一度軽く抑え付け、放す。
「私の願いが、人の心情に対する願いなら、ご主人様はどうしますか?」
そう言って、ルナはその赤い瞳で俺を見上げてきた。気のせいかはしらないが、その声だけでなくその目にも少し力が籠っているような気がした。
しかし他人の心か……残念ながらそりゃ無理だ。
「はぁ、意地悪は言わないでくれ。俺にできないことなんてごまんとあるんだからな。」
「そうですか……」
申し訳なく重いながら、なるべく軽く笑うと、ルナの声が少し沈んだ調子になった。
こっちまで罪悪感を感じてしまうから本当にやめてほしい。
「まぁルナは美人だから、男に好意を抱かせたいのなら簡単だと思うぞ?女性の交友関係は良く分からんが……。」
「ご主人様は私の事……」
「さっきも言ったろ?嫌いじゃないから安心しろって。」
「そう、でしたね。……今日は、フェリルは?」
「あー、あいつは用事で、たぶん今夜は帰ってこない。」
「そう、ですか。」
「そうだ。」
苦笑して答えると、ルナは目を閉じ、何かを決心したように力を入れたかと思うと、また目を開いた。
「ご主人様は、私の事、好きですか?」
「ああ、もちろん好きだぞ?」
そうでない相手に対してここまで言えて、そしてしてやれると思える訳がない。
「……!あ、ありがとう、ございます……。」
最初は目を見開き、次に何か不服そうな顔になったルナは、取り合えず、という感じでお礼を言ってきた。
ルナはもう一度目を閉じ、数度深呼吸をして呼吸を整える。
「……でも、違います。」
ポツリと、だがはっきりと言って、ルナは閉じていた目蓋をもう一度開く。
一層の力を込められていたルナの目が、真っ直ぐに俺の目を見る。微かに上気した顔の、スッと通った鼻筋が、少し引き結ばれた唇が、少量の光に照らされて俺の目に艶かしく映る。
「ご主人様、私は獣人族です。ご主人様の世界ではどうだったのかは知りませんが、この世界では人間と敵対関係にある種族です。」
「ああ、そうだな。それは俺も知ってる。」
なるべく平静を保って答えたつもりだったが、俺の手は、持っている櫛で尻尾をとく事なく、いつのまにか乗せているだけになっていた。
「私は前の戦争で何人もの人間を手に掛け、その末に捕虜となり、奴隷として売られました。」
「まぁ、想像はついてたさ。」
獣人族がこの国で奴隷として売られる経歴はえてして同じような物だろう。
俺が未だにルナの言葉の意図を理解できずにいると、ルナの右手が俺の右頬に添えられた。
俺が避けたりはねのけたりしなかったからか、ルナが微笑を浮かべる。
「負けた私は、それでも人間を殺すため、私の主になりたい者は私と決闘をして勝たなければならない、という条件を出しました。そして、結果は完敗。ご主人様の物となりました。」
「条件の話は前に聞いたし、今でも少しは申し訳ないと思ってる。まぁ、人間を殺してほしいって訳じゃないが。」
ご主人様は優しいですね、と少し笑い、ルナは左手を俺の左頬に当て、俺の首の後ろで両手の指を軽く絡ませた。
そして少し力が入れられ、ルナの顔との距離があと数センチ程になる。
「こんな私ですが、ご主人様は、私の事を…………愛して、くれますか?」
ルナは恥じらいを微かに見せてはにかみながら、それでも真っ直ぐ俺を見つめてくる。それだけ気持ちを込めている事がこれでもかも伝わってきた。
「私は……私は、ご主人様の事が愛しいです。ご主人様の事が、大好きです。」
言い切り、ルナは笑顔を浮かべて見せる。
一方で俺は、しばらく呆然としてしまっていた。
耳を信じられなかった。だが何よりも、全くもって心の準備ができていなかったからだ。
「ご主人、様?」
不安そうにルナが言い、深紅の瞳が微かに揺れて、若干だが涙ぐむ。
「何で、俺なんだ?」
俺の口をついて出たのは、答えではなく、時間稼ぎの質問だった。
ルナの手に力が籠り、少し戦慄くのが感じられる。
「わ、私は、初めはご主人様の強さに、惹かれました。でもすぐにご主人様の少し不器用な優しさや子供っぽさに触れて……」
声が震え、尻すぼみになりながらも、ルナは言葉を続ける。
「……そしてファーレンでご主人様と共に暮らしていて、そのっ、私は!ご主人様と、この人と、一生を、共にしたいな……と。」
「そうか、ルナ、俺は……」
否定の意思は全く芽生えなかった。
心を決め、返事を返そうとした直前、おもむろに、顔をさらに俺へと寄せたルナは、自身の唇を俺のそれに重ねた。
……接触時間は数秒程度、そんな短い口付け。
「ん……。ふふ、これだと私が言わせたみたいなので嫌です。」
唇を放し、悪戯っぽい微笑を浮かべたルナは、そのまま立ち上がり、サッと尻尾を着物の中にしまう。
「どういう……?」
「ご主人様、私はご主人様の事が好きです。でも、答えは今はいりません。私は思いを伝えられて満足しました。……でも、待っていますね?」
聞き返そうとした俺に一方的に言い、ルナは御者台から外に下りて後部の方へと歩いていった。
咄嗟に反応できなかった俺は、周りに誰もいないというのに、まるで何も起こらなかった風を装って頭を掻く。
「はぁ。」
御者台に手を置き、ため息をつきながら何とはなしに夜空を仰ぎ見る。
元の世界では滅多に見られない満天の星。この世界の星座は知らないが、今度誰かに聞いてみるのも良いかもしれない。
だがしかし、澄んだ夜空とは対称的に、俺の頭の中では今起こった一連のことを理解しようと考え込んでいた。
……ルナってとてつもなく綺麗だよなぁ。
考えた末、そんなことが頭に浮かぶ。
結局理解ができなかった俺の脳みそは、そんな結論を出して満足してしまったらしい。
「……待っています、か。ったくあのロマンチストめ。」
口元を軽く擦りながら、小さく悪態をついて苦笑する。
……フェリルがいなくて、本当に良かった。
『わしはおるぞ?にしても全く、このへたれめ。』
黙れクソジジイ。