109 ヌリ村最終日
[アリシア、起きてるか?]
ヌリ村を経つ前の日の夜、アリシアの様々な失敗談を手にいれることに成功した俺は、その成果を披露するべく、ベッドに寝転がったままアリシアに念話を繋げた。
[ひゃっ!?へ、あ、ごめんなさい、何でもありません。はい。……(コテツさん、どうかしましたか?)]
しかしそれに応じた彼女は誰かに向かって謝ったかと思うと、声を潜めてそう返してきた。
「都合が悪かったか?それならまた後で……[(大丈夫です!)]……おう、そうか。」
じゃあ何で声を潜めてるんだよ。
[(それでどうしたんですか?コテツさんから念話をくれるなんて)……くす。]
「今俺はヌリ村にいる。」
[えぇ!?ヒッ!にゃ、にゃんでもありみゃしぇん!]
またえらい噛んだな。
「もしかして補修中だったりするか?それもファレリルの。」
[(そうです。)ひゃ、ひゃい!聞いてます!]
「じゃあ後で念話し直すよ。」
[(絶対ですよ。)あ!?[相手はコテツかしら?]……はい。]
と、ここでファレリルの声が聞こえ、その冷えきった声に俺の心臓が跳ねる。
「え、えーと、久しぶりだな、ファレリ[そっちの声は聞こえないから一方的に言わせて貰うわよ。よぉぉぉく、聞きなさい。……補修の邪魔を、しないでくれるかしら?]は、はい!」
ゆっくりと言い聞かせるような口調からはファレリルの有らん限りの怒りが伝わり、俺は向こうから見えも聞こえもしないというのに思わずその場で姿勢を正し、腹から声を出して即答、同時に敬礼をした。
[さてアリシア、集中できていなかったようだから、今日はいつもより厳しくするわよ。良いわね?]
[うぅぅ、はいぃ。]
アリシアの悲痛な返事の後、ファレリルの声が遠ざかっていく。
相変わらず怖いったらない。一対一で話をしているときは妖精の可愛らしい見た目で少しは恐怖が緩和される分、イヤリング越しだとそれが倍増したような錯覚がする。
……頑張れ、アリシア。
内心で祈り、俺はファレリルの要請通りそれ以上の念話を止め、アリシアから連絡が来るのを待った。
[コテツさん!今終わりました!起きていますか?]
羊の数を数えながらうとうとしていると、待ちに待った天然娘の声が頭に響いた。
「お、おう、そうか。ああ、起きてるぞ。」
上体を起こしながら数度頷く。
[良かったぁ。ふふふ、やっと話せま……え、あ、いえ、これは別にファレリル先生の授業がつまらなかったとか、そういうことではないんですよ!?……本当です!]
どうもアリシアは補修が終わった直後に俺に連絡を取ろうとしたらしい。
何もわざわざファレリルの前で念話をする必要はないだろうに……。ていうか部屋に戻ってからで良いだろ。
[あ……いえ、それはもう、本当に申し訳ありませんけれど……へ!?いや、その、〝け!ど〟じゃなくて……うぅ、すみませんでした!]
ファレリルの説教にあたふたするアリシアの様子が脳裏にはっきりと映し出せる。
[……ふぅ、行きました。やっぱりファレリル先生は怖いです。]
と、鬼妖精はようやく去ったらしい。
「はは、そうだな。で、アリシア、魔法はどんな調子だ?」
[ふふ、ウィンドカッターやファイアランスの威力が上がりました。速さが段違いで、コテツさんも絶対にびっくりすると思いますよ。]
「ほぅ、で、他は?」
まぁ、アリシアが元から使える魔法を話題に出したことから大体の想像は付く。
[あぅ……他は、えと、練習中です。]
「そうか……。」
[うぅ、すみません。]
「ま、謝ることはない。俺はこっちでアリシアの失敗談の収集を頑張るから、頑張れよ、神童。」
[はい……あ、違います!コテツさん、すぐに拠点の都市に帰ってください!]
「おう、明日帰るつもりだ。一週間って案外短いよな。」
[……イッシュウカン?]
アリシアの声が震え出した。
「おう、楽しかったぞ。」
[そ、そんな、な、何で最初の日に連絡をくれなかったんですか!?]
「だって神童が止めるだろ?」
[当たり前です!あと神童って言わないでください!]
「はは、聞いたぞアリシア、お前、かくれんぼで船ごと売られたらしいな。」
軽く笑いながら言うと、声にならない悲鳴が聞こえてきた。
[あわわわ。]
「お前は五歳までは病弱で心配してたのに、六歳からは他の子供の誰よりも活発過ぎて心配だったつて神父さんも言ってたぞ。」
[神父さんまで……。]
それからは仕入れた数々のアリシア失敗談を披露し、アリシアの精神を滅多打ちにしていった。
一つ一つ話す度にいやぁ、とかふぇぇ、とか変な声を出すので面白い。これはなかなかやめられそうにない。
「ま、俺が仕入れたのはこのくらいだな。あと少し滞在すればもうちょっと集められそう……[帰ってください!]……なら仕方ない。大人しく帰るさ。」
[絶っっっ対ですよ!?]
「分かってるって。一応ネルにもこの話をしておくから。」
[ネルさんに、い、今のを、ですか?]
「当然。」
[意地悪。]
一言だけ言い、アリシアは不機嫌さを隠さずに黙りこくった。さすがにやり過ぎだったらしい。
しかし、どうしたことだろう、頬をぷくーっと膨らませたアリシアの顔が頭に浮かんでくるからニヤけてしまう。
……でもこのままは駄目だよな。
「はぁ、分かったよ。ネルには言わないから。」
[ん。それで良いんです。]
「あ、でもルナはもう知ってるからな、そこのところは勘弁してくれ。」
[うぅぅ……何でこんなことに……]
「弄り甲斐があるからな。」
[……弄るのはネルさんだけにしてください。]
こいつ、サラッとネルを売ったな。
「だってネルもお前もやり過ぎたら怒るだろ?だから均等にだな……」
[変なところで公平にしなくても良いんです!]
「そうか?じゃあアリシアだけ……」
[……怒りますよ?]
「ん?怒ってなかったのか、じゃあまだ大丈夫そうだな。」
[……泣きますよ?]
「そんな情けない宣言するんじゃない。」
焦るだろ?
[うぅ……あ、ということはコテツさん、ネルさんとはまだ念話をしていないんですか?前はネルさんの方から先に連絡を入れたようでしたけど。]
「そりゃまぁアリシアの恥ずかしい話をするのには一応本人の許可が必要かと思ってな。……やっぱりネルにも念話した方が良いか?」
[コテツさんの好きなようにして良いと思います。あ、許可はしません。]
「そうかい、残念。アリシア、明日で俺達はイベラムに戻る。誰かに念話をしておきたいとかあるか?」
[えっと……じゃあ神父さんに感謝の気持ちを……]
「分かった、呼んでくる。」
[え!今ですか!?そんな、まだ何も考えてないですよ?]
「感謝の気持ちに考えるも何もないだろ。そんなに立派な演説を求めてる訳じゃない。たった一言、ありがとうってだけでも良い。なんならおかげで無事にファーレンに入学できたとか、相変わらず少し抜けているとでも付け加えてみたりすれば良いんじゃないか?」
[抜けてません!]
「はは、アリシア、転けるなよ?」
[むぅ、そんなこと……キャッ!?]
「おい、どうした!?」
いきなり聞こえてきた悲鳴に素早く返す。
[……転けました。]
マジかよ。
「あはは、まぁとにかくよく考えておけよ。今から神父さんのところに向かうから。」
[え、あ、コテツさん!待ってください!]
「断る!」
以降の抵抗は無視し、ベッドから降りて部屋の外に出る。
さて、神父さんは自分の部屋かな?
「アリシアと話せるのですか?」
アリシアが話したがっていると伝られ、神父さんは驚いたようにそう言ってきた。
「すみません、来たときにアリシアと連絡を取っておくべきでしたね。どうぞ。」
謝りつつ、外しておいたイヤリングを差し出す。
「いえいえ、アリシアと話せるのであればこれ以上嬉しいことはありません。……おお、アリシアですか?元気なようで何よりです。しかし、一年ぐらいぶりですかな?……え、感謝の言葉ですか?」
そしてイヤリングを耳に押し当てたアリシアの育ての親は、娘の声を聞いた途端に穏やかな笑みを浮かべた。
……あ、しまった。イヤリングを貸してしまったからアリシアの声が聞こえない。どんな事を言うのか結構楽しみにしていたのに。
ただ、アリシアの感謝の言葉に感極まってか、目元を拭ったり上を向いたりして涙を零さないようにする老神父の姿に、ヌリ村に来てよかったと改めて思えた。
俺は二人の邪魔をしないよう、沈黙を保った。
「そうですか……アリシア、ありがとう。あなたを育ててきたことが私の誇りですよ。……ええ、頑張りなさい。」
元から皺の多かった顔をしわくちゃにしながら、神父さんはそう言ってイヤリングを耳から離した。
「感謝します、ズズ、アリシアの、声だけでも聞かせてくれた、ことを。」
差し出されたそれを耳に付け直し、俺は大したことじゃないと笑い返す。
「いや、俺がもっと早く思い出していればさらにアリシアと話す時間も増やせたのにな、本当にすまん。」
ごめんなさい、確信犯です。
「しかし、現に私はアリシアに感謝の言葉を貰えました。それに伝えたいことを伝えられました。……感謝しますよ、心から。」
神父さんが腰を折り、頭を下げてくる。
本当に大したことをやったわけじゃないから困る。
「いや、別にそこまで感謝する必要は……。」
「私が感謝の気持ちを持った、それだけですよ。」
俺が感謝を受け入れないとテコでも動きそうにない。
「はぁ……どういたしまして、かな?」
言うと、神父さんは頭をあげて笑った。
やはり今までずっとアリシアの事を気にかけていたのだろう、とても朗らかな笑顔だ。
これからも気に掛け続けることだろう。たた、少しは安心させられたのなら良かった。
……アリシアを連れて帰ってきたら真っ先に泣きそうだな。
「あ、やっぱりコテツさんじゃないですか、お久しぶりです。」
仲良くなった人達に簡単な別れと感謝の言葉を伝え終え、馬車でヌリ村から出ようしたとき、ちょうど村に入ってきた馬車から顔見知りの奴隷商が出てきた。
御者台に座っていた俺は御者さんに馬車を一端止めてもらい、顔見知りの奴隷商へ挨拶代わりに手を上げる。
「おう、この村が世話になってる奴隷商ってのはお前のことだったのか。久しぶりだな、カイル。それにしてもよくもまぁ俺の事を覚えていたもんだ。」
「これでも商人ですから、それに恩人でもあります。あのときは本当に助かりました。」
「いや、俺も稼がせてもらったからな。それに聞いたぞ?あのフラッシュリザードはこの村で流行った病気を治すために集めたんだってな。」
「ええ。……さっき私にこの村が世話になっていると言っていましたが、この村の仕組みを知りました?」
カイルとしてもこの村がかなり特殊であることは承知しているらしく、かなり真剣な顔になった。
「別にやめろって言ってる訳じゃない。この村とは少しの縁しかない俺が、満足そうな村人達の考えを無視して言えることじゃないしな。」
「そ、そう、ですか。」
肩透かしを喰らった様な顔でそう言いながら、カイルは安堵からか、胸を撫で下ろした。
「はは、やっぱりここでの仕事でかなり稼いでるのか?」
一人あたりの払うお金は少なくても数百人分集まれば収入も大きいだろう。
「荒稼ぎという訳ではありませんが、毎年安定した収入を得られるというのは私としてもありがたいですからね。つい、らしくもなく真剣な顔を。忘れてください。」
笑い、カイルは続ける。
「そういえばルナベインはお役に立っていますか?もしかして解放なさったとか?」
俺は始め、ピンと来ずに少し悩み、数秒後にルナの事だと思い当たった。
「いや、いつも助かってるよ。今は……寝てるな……うん。えーと、起こした方が良いか?」
馬車の中をチラリと見、ぐーすか言ってる本人に苦笑い。しかしカイルはその必要はないと頭を振り、心底安堵したような表情で
「そう……そうですか、お役に立てているのなら紹介甲斐があったというものです。」
と言って何かを確かめるように、何度か頷いた。
「では私はこれからこの村での仕事をしなければなりませんので、お元気で。ルナベインも側に置いてくれると幸いです。」
「おう、じゃあな。」
二つの馬車は同時に逆方向に動き出した。
……カイルにはああ言われたものの、ルナを解放するかどうかはやはりルナを彼女の家族に会わせてから決めさせるべきだろう。