106 ヌリ村へ
「……」
「……」
「……」
「……」
ザーザー雨が降り続ける中、ゴトゴトと幌馬車に揺られながら、俺、ルナ、ユイの三人と同行者一名は出発してからずっと無言を貫き通していた。
同行者一名というのは、黒いマントに身を包み、イベラムを出発してからこの方ずっと体育座りをして自身の取る馬車内の面積を最小限にしている男。
彼からは話しかけるなというオーラをひしひしと感じさせられ、おかげで幌馬車の中の空気は雨で湿ってふやけることなんぞなく、すっかり固まってしまっている。
きっとこういう状況にも慣れてる御者さんなら何か話題を振ってくれるかもしれない、という期待は完全に裏切られた訳だ。
「……ちょっと運転してるところを見学してくる。」
言いながら立ち上がろうとすると、向かい側に座るユイにロングコートの裾を捕まれた。
「ここで何か話でもしたらどう?なんでも良いわ。どうぞ話題はご自由に。」
この野郎、なんつー無茶ぶりをしやがる。
だがしかし、ご丁寧にも同行者一名に聞こえるようにユイが声を出したため、向こうも外の雨からこっちに視線を移してきた。……移してきてしまった。
「えー、あー、うん、そうだな……ヌリ村へは何をしに?」
取り合えず、言うことがないので無難に行こう。
それにこっちはヌリ村のことをほとんど知らない。何か特産品とかあれば教えてほしいな。アリシアへの良いお土産にできる。
「……放浪の旅。」
しかし、返ってきた答えは予想の斜め上を行っていた。
「そうですか……。」
放浪の旅、か。どうしよう、会話を続けられない。
「た、旅の中でどこか、印象的だった場所というのはありますか?」
と、また空気が固まってしまうのを避けたいがためか、ここでユイが問いかける。
「……ない。」
しかしその努力も空しく、会話はあっさり終わってしまった。
ユイがこちらを振り向くのを察知、俺は馬車の先頭へと顔を逸らす。
「ぎょ、御者さーん、あ、あとどのくらいなんだー?」
「おう、順調に行けば明日の昼には就くぞ。」
「そうかぁ。」
御者さんに話し掛ける体を装いながら、両手だけでじりじりと背中からそちらの方へ動いていく。
ルナは静かに座って瞑想みたいなことをして時間を潰しているし、ユイは俺同様、この状況で激しい動きを敢行できる精神力の持ち主ではないから行動の邪魔される可能性は低い。
ジトッとした視線を真正面から感じながらも移動を続行する。
「お前達は……」
しかし、あと少しで御者さんと仲良く話せるポジションに着けるというとき、同行者が口を開いた。
移動を中断、その場で同行者の発言を待つ。
「……ヌリ村へ何をしに?」
「ちょっとした観光だ。」
「あそこには何もない……らしいが?」
「それは行ってみないことには分からないだろ?」
「……そうか。」
そこで会話を終わらせないでくれ!まだあるだろ?そっちがヌリ村へ向かう目的とか。何でこんなにヌリ村行きが多いのかとか、そんな程度の感想でも良いから!
俺の念もむなしく、同行者はゴソゴソと居住まいを正し、沈黙した。
ここで動いたら音が響いてしまう。……動けない。
ゴトゴトゴトゴト……
「ドナドナ……」
「やめてくれるかしら?」
「すまん。」
「お、やっとサイレスが見えてきたぞ。」
雨が降っていて、空が雲でおおわれているとしても、太陽はちゃんと俺達を照らしてくれている。
周りが暗くなってきたことをそんな風に実感していたとき、隣の御者さんがそう声を掛けてきた。
そう、隣、である。
あれから精神力をこれでもかと振り絞ってここまで辿り着いたのだ。
「そういえば宿ってどうするんだ?ギルドの方で取っておいてくれていたりは……」
「無い。」
「無いかぁ。」
「自分で取るか馬車で寝るかだ。決めるのはおめぇさん方だ。」
「ユイ、ルナ、どうする?」
俺の真後ろにいつのまにか移動してきていた二人に聞く。ユイが移動しようとするのは分かっていた。ただ、ルナまで移動してくるとは。
「ご主人様のお好きな方で。」
「私はどちらでも良いわ。……でもあの人が。」
目を会わせなくたって誰の事を指しているのかは分かる。
「……宿を使わせてもらう。」
そんな雰囲気を感じとったのだろう、同行者はポツリとそう言った。
……気を使わせてしまったなぁ。
俺は心の中で腰を90度曲げた。
荷台の中の寝場所の争奪戦(大して変わりはしないのに)やらをして夜は何事も無く過ぎ、馬車は再びヌリ村へと出発した。
サイレスまでと同じように同行者は荷台の後ろの端で後続の馬車を眺めていて、違う点と言えば、俺達が何の緊張感も感じずにいることだろう。
要は同行者の存在に慣れたのである。
それでも相変わらずの激しい雨でどうしても気が滅入ってしまう。唯一の救いは、森の中を一列に進む3台の馬車の先頭のそれに俺達が乗っていることか。
何せおかげで進行方向を眺めているだけで景色の移り変わりを楽しめるのだ。本当、2番目の馬車じゃなくて良かった。
ただそれでも退屈なものは変わらず、俺の目は今度は、雨に濡れてぬかるんだ道を確実に前進する馬達を眺め始めた。
……そういえば、こっちに来てからまともな犬な猫、というか動物を見てないな。
『ハッ、そんな脆弱な生き物、もうとっくに滅んだわい。』
いや、当然のように言われてもな。そんな答えはちっとも予想してなかったぞ。
『この世界はお主のいた世界よりも危険が多いことは分かっておろう?じゃから強いものが生き残るという法則が顕著になる。』
そうだな。
『犬猫も同じことじゃ。力を手に入れ、犬猫のような脆弱な者は滅び、というよりは進化し、人間への脅威、要は魔物になったんじゃよ。』
自然淘汰ってやつか。
ということはその自然淘汰の流れから馬は逃げてきたってことか。
『馬は生き残るために頭を使った、ということじゃな。人間と共存することで人間に守ってもらえるようになった。もしくは逆に、人間に守られているために進化の必要がなかったのやもしれん。』
そうかぁ。
にしても、安全な場所に住んで人間に馬車引きをさせられるというのと、厳しい自然に揉まれながら種族的に強くなっていくのとではどっちが幸せなんだろうか?
「ヒヒィィィン!」
「なんだぁ?」
どうでも良いことに思考を巡らせていると、急に背後から馬のいななきが聞こえてきた。
何事かと思って振り返れば、後続の馬車の馬が後ろ足で立ち上がっており、その手綱を握る御者が胸から鈍色の刃を生やして御者台に倒れているのが見え、かと思うと同行者が座ったままの体勢で馬車から落ちた。
「え!?」
ユイが驚きの声を漏らす。
「おい、どうした?……うおっ!?」
そして御者さんが不審がって聞いてきた瞬間、馬車の荷台が後ろにガタッと傾いた。
俺は慌てて御者さんの方に跳んで御者台の取っ掛かりに指を引っ掻け、傾いた荷台から滑り落ちるのを防ぎ、ユイとルナは幌を掴んで事無きを得た。
「なんだぁ?」
「止めるな!後輪を外された!」
いきなり真横に現れた俺へポケッとした表情を向けた御者さんに怒鳴る。
「何だって!?「良いから取り合えず逃げてくれ!後ろの馬車の御者はやられた。あいつら、どうみたって友好的な雰囲気じゃない。」あいよ、ハァッ!」
言うと、御者さんは状況を飲み込めていなくとも、取り合えず逃げることには同意してくれた。
ガリガリと地面を擦りながら、馬車がスピードを上げていく。
取り合えず幌が破れる可能性があるのでユイとルナの腰辺りにワイヤーを飛ばして引っ付け、片手で二人ともを引っ張り上げ、二人に俺同様、御者台に指を掛けさせる。
「……便利ね。で、何がどうなってるのよ?」
「そいつは俺が聞きたい。……まぁまずは無くなった後輪の代わりを作ってくるよ。」
「ご主人様、援護するわ。」
「頼んだ。ほら、こいつを持て。命綱だから絶対に手を離すなよ。」
御者台に鉤付きワイヤーを二本引っ掻け、片方の先をルナに渡す。
「それなら私は万が一飛道具が来たときのために御者さんを守るわね。」
「おう、頼んだ。」
ユイの言葉に頷き返すと、御者さんが申し訳なさそうに笑った。
「はは、すまんね嬢ちゃん。」
「任せてください。御者さんは何も心配せずに馬を操ってください。」
「はっは、了解だ。」
そんな会話を背中で聞きつつ、ワイヤーを右手で掴んだまま荷台の後ろ端までズリズリ滑っていく。
すると案の定、俺達の正面――乗っている馬車から見たら後方から、火やら水やら電撃やらが無数に飛んできた。
「フレイムアロー!」
すかさずルナが俺の頭越しに大量の火の矢を放って迎撃。彼女が打ち漏らしてしまった魔法は俺が小振りの盾を浮かべて防いでいく。
「ルナ、防御に徹してくれ。反撃なら後でできる。」
そのまま指示を出しつつ荷台の下を覗いて車輪の接合部を見れば、そこに破壊の跡はほとんどなく、車輪だけが綺麗に外されていた。
あの同行者が几帳面なのかどうかは知らないけれども、雨を眺める振りをしながらもなかなか丁寧にこの作業をしていたらしい。
……何にせよ、今はありがたい。
頭上で激しい魔法戦を繰り広げる中、俺は荷台を黒魔法の板で下から押し上げることで馬車全体の尻を上げさせ、新たに車輪を作ってそこに取り付けると、馬車全体の速度が一気に上がった。
ただ、車輪がどう取り付けられていたかの詳しいところは分からないので、取り敢えず今のところは車輪を魔力で常に横から抑え続けておくしかない。
ついでに馬車そのものにも黒色魔素を通し、強化した。
「こっちは終わった。ルナ、大丈夫か?」
「ええ、問題ないわ。……ファイアピラー!ふふ、こうしておけばこちらに辿り着く攻撃も少なくなるし、向こうの馬も怯ませられるの。時間稼ぎぐらいならまだまだいくらでもできるわよ?」
聞くと、敵との間に太い炎の柱を作り上げ、ルナは余裕の表情を返してくれた。
「はは、そいつは心強い。……さてと、ここからは反撃だな。」
「それならドラゴンロアを使って……。」
「それ、周りの木を燃やしてしまわないか?」
「え?ええ、でも雨が降っているからきっと大丈夫よ。」
「却下だ。」
流石にドラゴンロアほどの火力を使うと、いくら生木が燃えにくいからと言っても燃えるものは燃えるだろう。
森の生き物たちが可哀想だ。
『心にもないことを……。どうせ責任を取りたくないからじゃろ。』
ま、森林火災の責任なんて取りきれる訳がないしな。
「まぁほら、この森を抜けて十分離れたら思いっ切りぶっぱなしてくれていいぞ。」
「ええ、分かったわ。っ、嘘!?」
ルナは俺の言葉に頷いた直後、目を素早く敵の方へ向け、吊られて俺もそちらを見ると、燃え盛る炎の柱に大穴が空き、そこを馬車が駆け抜けて来ていた。
見る限り、その車体に焼け焦げた箇所は一切ない。
「魔法か。ったく、便利だなぁ。」
俺なんて、目の前に燃え盛る炎があったら、黒銀を使って多少の火傷覚悟で突っ込むしか無いってのに。
と、隣のルナの小さな呟きが漏れ聞こえて来た。
「……たぶん風の、それもとても熟達した相手の物ね。私の炎を退けるなんて……ふふ、許さない。」
「え?」
相手の力量を冷静に分析してくれていると思いきや、彼女はむしろ頭に血を昇らせていたようだった。
「ハァァァ!ブレイズアロー!」
気合いの籠もった声と共に彼女が掌を突き出し、その前に作り上げられた数え切れない数の火の矢が一斉に敵へ襲い掛かる。
しかし、馬車の荷台から二人の黒ずくめが顔を出し、御者台に座る元同行者と合わせて三人でこちらに手を向けたかと思うと、眩い赤色の雨あられは四方へ散らされてしまった。
次いでお返しとばかりに黒ずくめの三人が多種多様な攻撃魔法をこちらに見舞い、俺が咄嗟に作り上げた黒い障壁は一瞬で虫食いだらけとなる。
「ご主人様、これをどけて。私はまだ本気じゃないわ。もっと大量に……「落ち着け。」あぅっ!?」
障壁にさらに攻撃を加えられ、くぐもった爆発音が聞こえる中、ルナがそう言って魔法発動体でもある刀を掲げ、俺は立ち上がって加熱した戦闘狂の額をつついてやった。
「ったく、相手は三人だぞ?まともに撃ち合うのは馬鹿げてる。それにこっちにはドラゴンロアっていう奥の手があるんだ。森を出るまで凌げればそれで良い。」
「うぅ……分かり、ました。」
なんとも不服そうな、沸き起こる衝動を無理矢理抑えたようなルナの返事。ただ、ここはやはり待ってもらう他ない。
「良いか、障壁を消したら狙うのは馬か馬車そのものだ。敵のことなんて放っておけ。」
魔法は術者に近い程操りやすく、威力も増す。こうすれば向こうは防御せざるを得ない上、その防御に割く魔力も大きくなるはずだ。
もちろんこちらも馬車も馬は死守しなければいけないものの、そもそもこちらは敵の前方を走っているから馬を守る必要が殆どない。
敵の方へと目を戻す。
ヒビ割れた黒壁の向こうでは色とりどりの光が明滅して暗い森を強く照らし、相手の攻撃の苛烈さを伝えてきていた。
……弓を左手に作り上げ、右手には無色の魔素を集中。
「行くぞ!」
「いつでも!」
「ドラァッ!」
そしてボロボロになった盾を霧散させるやいなや、俺は右手を前に勢い良く突き出し、すぐそこまで迫っていた魔法の群を掻き消した。
すぐさまルナが燃える矢の連射を始め、俺も即座に弓に矢をつがえる。しかし、足場が不安定過ぎて狙いを定められず、放った矢は敵の馬車にかすりもしなかった。
「クソッ、なら……くっ。」
ならばと周囲に剣を浮かべるも、7本作り上げたところで魔力に限界が来た。
感覚からして、殺傷力のある速度で飛ばせる剣はせいぜい4本。まぁ現在進行形で馬車の後輪の維持と馬車そのものの硬化もやってるから、当然の帰結ではある。
「……ルナ、防御は任せろ。」
情けないことに俺はそう言うしかなかった。
「え?ええ、お願い。ハァッ!」
そんな俺の心の内なんて知るよしもなく、ルナは少し不思議そうな目をしつつもこちらに頷き、俺は幌の端を掴んで身を少し外に出した。
撃ち漏らした幾つかの魔法を浮かべた2枚の小振りの盾を操作して防ぎつつ、雨が目に入らないよう薄目を開けて敵への警戒も怠らない。
しかしいくらルナが魔法が達者とは言え一対三という人数差は明らかで、敵の魔法は彼女の放つ矢全てを迎撃した上でこちらへ飛び、ルナの疲労のせいか、その数が次第に増えてきた。
このままじゃ押し切られる。
「御者さん!ユイにルナの援護をさせたい!護衛無しで行けるか!?」
だから背後に大声を飛ばすと、頼もしい返事が返ってきた。
「ああ、大丈夫だ!嬢ちゃん、行ってきな!」
「はい!ライトニング!」
「うぉっ!?」
直後、俺とルナの間を鋭い閃光が駆け抜け、飛んできていた火の玉や水の弾丸を消し飛ばす。
「おいユイ!危ないだろ!?」
冷や汗がブワって出たぞ!?
「大丈夫よ、ちゃんと狙ったもの。」
俺の文句をどこ吹く風と素っ気なく言って、ユイは俺とルナの間に入り、敵への攻撃を開始した。
しかし勇者と勇者並みの力を持つ種族の二人により敵の魔法がこちらへ届かなくはなったものの、やはりこちらの攻撃は向こうへ届く様子がない。
……早くルナにドラゴンロアをぶっ放させたい。
「御者さん!森を抜けるまであとどのくらいだ!?」
「ハハッ!もう目の前だ!さぁ走れ走れぇ!フゥーっ!」
……なんだか様子が変になってないか?
ま、御者としての能力には影響は出てないみたいだし、今は良いか。