105 雨
「ふふ、昨夜はお楽しみ……え、ルナさん、まさか。」
次の日の朝、どうやら二日酔いにはならないで済んだらしいルナ(それでも何故か沈んだ様子の)と共に一階に降りると、ユイがそんな言葉と共に俺達を出迎えた。
周りに他の客の姿はない。……満腹亭は本当にレストラン扱いされてるらしい。
「……はい。」
「そんな……。」
ユイとルナの話題が何なのかが全く分からない。
「ゲイル!軽いのを三つ頼む!」
疎外感を感じ、取り合えず気をまぎらわせるために指を三本立てて厨房に向けて声を出す。
「おう、昨日はあれだけ飲んだってのに随分元気そうだな。」
呼ばれた店主は姿を見せず、その声だけが聞こえてくる。
「俺は酒には強いんだ。むしろルナが無事だったことが驚しだよ。」
「そうか?たしかに飲んだ量は凄かったが、強い酒は全部お前に流れていた気がするぜ?」
ガタッ、と俺の座っていたテーブルが揺れた。
ん?
「酒類の強弱ってのはメニューに書いてあるのか?」
「当たり前だろ?強すぎる酒は人を殺す。そんなことされたらただでさえ少ない客が……。最後まで言わせないでくれ。」
……ほほぅ。
「へぇ?面白い偶然もあったもんだ。なぁ?お前らもそう思うだろ?」
テーブルを揺らした女性陣二人に視線を向ける。
二人はずっとこちらを注視していたらしく、俺が振り向くとバッとお互いに視線を合わせた。
そしてゆっくりとこちらに視線を戻し、ギコッと機械じみた笑みを向けてきた。
ごまかすのが下手にもほどがある。
「目的は何だったんだ?」
まさか俺を殺そうなんてことは無いだろう。……きっと。な?
「えっと、あなたの……その、そう!弱味を握りたかったのよ!」
「そうです!ご、ご主人様が困ってる姿を見たことがなかったので興味が湧いたんです!」
そんなに嬉しそうに言う台詞じゃないだろ……。
「はぁ……まぁ良い、それよりこれからの予定だ。俺はアリシアの故郷に行ってみようと思う。ルナは「ご主人様と一緒にいます。」……そうだったな。ユイ、お前はどうする?」
「私も行くわ。武術以外にも回復魔法の練習もしないといけないもの。」
「やめてくれ。仲間の故郷に寄るだけだってのに危険に合いたくない。」
「ええ、そうね。まだスレインに来て一ヶ月も経っていないのにGからAまでランク上げをして、その上来月にはSランク昇格でしょう?少しはゆっくりしたいわ。」
あまりにもしみじみと言うもんだから無理矢理付き合わせているこっちが申し訳なくなってくる。
「はい、ゲイルさんの特製、お味噌汁だよ!」
ここで、元気溌剌といった様子のローズがお盆に湯気の立っているお椀と箸を三組乗せ、やって来た。
「ああ、ありがとう。」
一つずつ受け取り、ルナやユイに回していく。
見れば、味噌汁の具はいくつもの小さな貝。
……しじみ、かな?
「これだけか?」
確かに軽くとは言った。でも味噌汁一杯だけってのは少なくないか?
すると、ローズはチョイチョイと手を振り、耳を貸すように言ってきたので素直に耳を傾ける。
「ゲイルさんがね、コテツは女性の前で意地を張ってるだけに違いないって。」
違うわ!ったく、余計なお世話だよ。
とは言えるはずもなく、俺はゲイルに礼を言っておいてくれと伝え、箸を手に持った。
好意ってのは断られたら嫌な思いをしてしまうからな、する方もされる方も。
「ヌリ村に行く?」
冒険者ギルドにて、セシルにアリシアの故郷であるヌリ村へ行く馬車がないかと聞くと、不思議そうに聞き返された。
ルナとユイには俺が話している間、暇潰しに何か換金率が高そうな依頼がないか探しに掲示板の所へいった。
「ああそうだ。」
「ヌリ村で何かある?」
「いや?俺達はアリシアの故郷に行ってみようって思っただけだぞ?何か変か?」
どうしたんだ?普段ならあっそ、と聞き流すだろうに。
「ヌリ村へ行く奴、10人目。だからこれで今のところ12人行く。はぁ、馬車の手配がギリギリ。」
俺を10人目だと指差し、これからの手続きを考えてか、セシルがため息をつく。
「はは、多いな。出発は同時か?」
「出る馬車は三つ、全てに四人ずつ乗ってもらう事になる。良い?」
セシルに頷いて返す。
「馬車が出るのは明後日。料金は8シルバー。」
「何日かかる?」
「順調なら2日ぐらい。」
「分かった、一人8シルバーだったよな……。」
懐からパンパンに膨らんだ巾着袋を取り出す。
別に所持金額が増えたわけではない、ファーレンから出るときに金貨しか持ってこなかったために、お釣りが凄いことになってしまったのである。
「口座、作る?」
俺が24シルバーを取り出したその巾着袋を見かねてか、セシルが口を開いた。
そういえばギルドが銀行の役割をしていたんだったな。アリシアがいないし、今後のためにも必要か。
「頼む。」
「ん。登録料3シルバーそして冒険者プレート。」
「はいよ。」
首から群青色のプレートを外し、3シルバーと共に差し出された手に乗せる。
「合言葉が必要。」
合言葉、か。
「ネル大好き、で。」
ドン!と机が叩かれ、その振動でジャラジャラと銀貨の山が少し崩れる。セシルがキッと睨み付けてきた。
さすがにからかい過ぎたか。
「すまんすまん、冗だ……「分かった。」……は!?」
セシルはプレートと銀貨をこれでもかと握りしめ、ギルドの大黒柱の前に立ち、転移していった。
待つこと数分。
「手続きは終わった。いくら預ける?」
戻ってくるなり俺にプレートを放り投げ、セシルはそう言いながら机の上の24シルバーを持ってきた袋に回収し始めた。
俺がセシルを待っている間の暇潰しに完成させた、銀貨12枚ずつのツインタワーは脆くも崩れ去った。
「25ゴールドぐらい、行けるか?」
「問題ない。金を引き出すときや金をギルドを通して払うときは受け付けにそのプレートを見せて合言葉を言えば良い。」
ここでネル以外にはいつも無表情なセシルが珍しくニヤッと口角を上げた。
まさか……
「その合言葉ってのは……」
「さっき自分で言ったはず。忘れた?」
フフン、と鼻でセシルに嘲笑される。
「あ、合言葉って毎回言わないといけないのか?」
「当たり前。それには受付しか読めない暗号が書かれている。その暗号と一言一句同じ言葉でないといけない。こうしないと盗んだ金が使い放題。」
防犯のためって訳か。
あぁ、数分前の俺をぶん殴りたい。何で俺はあそこでボケをかましたんだ!
くそぅ、死にたい。
「はぁ、死んでしまった冒険者の金はどうなるんだ?」
「10年以上音沙汰なしならギルドの物。」
「はは、たくさん預けた冒険者ほどギルドに命を狙われそうだな。」
「そんなことはない。長い目で見ればギルドは金貸しでの利益の方が高い。」
ギルドってのは考えていたよりもずっと〝銀行〟だったらしい。
「なら安心だ。」
「はぁ、そんな心配をする馬鹿は一人もいなかった。はい、さっさと預ける金を入れる。」
セシルがさっき24シルバーを回収した袋の口を開ける。
「俺がいくら預けているのか分からなくならないか?」
「個人専用の物だから心配ない。」
適当すぎじゃないかね?
でもまぁ本人が言うんだから大丈夫だと信じよう。
「……ま、無くさないでくれよ。」
金貨24枚と、巾着袋を圧迫しているカッパーやらシルバーやらをほとんど取り出し、袋に入れると、
「当たり前。信用は大切。」
セシルはそう言って袋を閉じた。
「じゃあ、馬車は明後日、だったよな。集合はギルドか?」
「そう。」
ボソリと言って頷くと、セシルはこちらに興味を失ったように、手元のメモ帳みたいな物へ何やら色々書き込み始めた。
「了解、またな。」
聞こえてないのは承知で言い、懐に巾着袋を戻してその場を離れる。掲示板の前でこっちを見ているルナ達に手を軽く上げて〝終わった〟と合図し、ギルドの出口へと向かった。
さて、何故空路を選ばず、わざわざ馬車を頼んだのか。
それには“楽をしたかったから”以外にもちゃんとした理由がある。
「ご主人様、日程は分かりましたか?」
「ああ、明後日出発だとよ。」
出口でルナ達に合流し、扉を開ける。
するも、それまでは全く聞こえていなかった外界の音――ザァザァと激しく降る雨の音が耳に入ってきた。
「またこの中を走るのかしら?」
「それしかないだろ?」
「ええ、そんなに長い距離ではないので大丈夫ですよ。」
「しっかし、こっちにも梅雨、というか雨季があるとはな。」
そう、俺が空を飛んで行くのを断念した理由は雨が降って来たからである。
しかもこの先一、二週間ぐらいは振り続けるらしい。
「そうね。ここまで元の世界に似なくてもいいのに。」
「はは、そうだな。」
俺達は満腹亭に向けて走った。
「今日も雨、か。」
「ああ、そうみたいだ。」
明日にヌリ村への出発を控え、特にやることのない俺は満腹亭のカウンターにどかりと座り、大通りに面した窓から見える、雨がひたすら地面を打つ、たまに通行人が通る以外は単調な光景を厨房の中からカウンターに寄りかかっているゲイルと共に眺めている。
「……暇だ。」
「別に雨だからって冒険者が活動しちゃあいけないなんてことはないぜ?」
「重装備だったお前が言うか?」
絶対にゲイルも雨の日は休んでいたはずだ。
「俺は寝転がって新しい装備の構想を練ってた。」
「寝てただけだろ。」
「大当たり。」
「はぁ、何か飲み物はあるか?」
「ほらよ。」
ドン、とカウンターにウイスキーが置かれる。
「ありが「40シルバーだ。」……。」
礼を言いつつそれを手に取ると、ゲイルはきっぱりとそう言った。
くそ、やっぱり金を取るか。……まぁ当然だよな。
「まけろ、お前も飲むだろ?20シルバー。」
「商売と好意は別物だぜ。」
「これは好……「商売。」チッ。……あ、そうだ。冒険者プレートで払えるか?」
懐から財布を取り出そうしたところで、ふと気になって聞いてみる。
冒険者プレートにはキャッシュカード以外にもクレジットカードみたいな役割はあるんだろうか?
「あぁ?アホか。そりぁあ俺に合言葉を教えた上でプレートを渡すってことだぞ?」
あ、確かに。
「そうだな、これなら一々財布を取り出す必要が無いんじゃないかと思ったんだけどな……。ゲイルお前、良い奴だな。」
「ハッ、お前が迂闊すぎんだよ。それに俺はこの宿屋で十分ローズとやっていける。もちろん義父さんが帰ってきた後もな。」
「……そうか。……んぐっ。」
琥珀色の液体を煽る。
アルコールのキツさを楽しみ、カウンターの上にその重厚な容器を戻す。
「お前、さっき『お前も飲むだろ?』とか言わなかったか?」
「気が変わった。」
「それ、かなりキツい酒のはずだぜ?一人で大丈夫か?」
「チビチビ飲んでおけば問題ない。……40シルバーだったよな。」
懐から財布を取り出し、支払う。
「おう、毎度。」
心ここにあらずといった様子で言い、金に手を付けないまま、ゲイルは再び外の様子を眺め続けた。
俺も別に取り返そうとはもう思っていないので、同じく雨の落ちるのを眺める。
「……暇だ。」
「そうだな。客もいな……いや、いつも通りか。」
「喧嘩売ってんのか?」
「そうだとして、買う気は?」
「……ねぇよ。ローズから聞いたぜ?毒竜をたった三人で殺ったんだってな?そんな奴の喧嘩を買うアホはいたとしても俺じゃねぇ。」
……懐かしいな。
「もうあれから2年か……。そういえばよく俺を覚えていたな。2年間何の連絡も取ってなかったのに。ローズも含めて、な。」
俺がファーレンから帰ってきてここに初めて入ってきたとき、ゲイルが俺を思いだそうとする雰囲気は感じなかった。ローズの方は即座に分かったようだったし。
「そりゃあ毒竜を殺ったパーティーのメンバーの名前は毎日見てるからな。あの柱に名前を刻んだのはお前自身だろ?」
あー、そういえばそうだった。
「俺は逆にお前が何で俺を覚えていたのかが気になるぜ。」
返された質問に、俺は無言でズボンを軽く叩いて答えとした。
「そういやそれがあったな。役に立ったか?」
「何度感謝したか覚えてない。」
「そいつは良かった。値段はたしか1ゴールドぐらいだったよな?やっぱり安かったか?」
「お買い得だったな。」
「はぁ、お前が20000ゴールド稼ぐことを知っていればもっと吹っ掛けられたのにな。……あ、やっぱりその酒、80ゴールドな。」
「はは、吹っ掛けすぎだ。喧嘩売ってんのか?」
「冗談に決まってんだろ?だがそうだとして買う気は?」
「無い。上手い料理に毒でも盛られたらたまらん。」
「毒竜殺しがか?」
「竜はたしかに殺したけどか、毒は盗まれたよ。はぁ。」
ため息をつき、ウイスキーボトルを手に取る。
「そうなのか?」
「ああ、毒竜の剥製はオークションに上がっても、その毒袋は無かっただろ?ぐっ。」
「そうだったな……。文句を言いに行きゃあ良かったじゃねぇか。」
「ふぅ。……そのときは毒袋が売れるなんて知らなくてな、ファーレンで教えてもらって初めて価値を知ったんだよ。ま、20000ゴールドで剥製が売れたから大して落ち込んじゃいないけどな。」
「当たり前だ。20000ゴールドも持ってる奴が落ち込んでたら殴ってる。」
「くはっ、そうか?」
「ああ、そうだ。」
半笑いで聞いた俺に同じく半笑いで返すゲイル。
そして俺達はどちらからともなく視線を動かし、天から落ちる水を眺めた。
「……暇だ」
「ああ、そうだな。」