102 ランクA昇格⑤
「じねぇ!」
駆け出した俺を挟み込むように、ゴリラがその長い両腕を大きく振るった。
高く跳躍しそれらを避けようとするも、不格好なチョップは角度を変えて斜め下から俺を追ってくる。
足場を真後ろに作って蹴り、相手の攻撃の軌道から逃げ、同時にそれを推進力として、俺は両腕を伸ばしたせいで無防備になっているゴリラの腹部へ右肩から突っ込んだ。
「ぐぉぅっ!?」
衝撃でゴリラは数メートル地を滑り、川の端で止まる。その腹からは血が流れており、俺の右肩からは微かな鉄の臭いがした。
鎧の装飾だと思っていたトゲにもちゃんとした意味はあったらしい。
……やってみるまで気付かなかった。
ゴリラが痛みに呻いている隙に地を蹴り、再び接近。
「ごん、のぉぉ!」
すぐにゴリラの右腕が鞭のようにしなって俺を襲うも、それが地面を叩く頃、俺は間合いに相手を入れていた。
「はやいぃ!?」
「らっしょぉぉい!」
渾身の力で拳を叩き込む。
ゴリラは大きく吹き飛び、しかし拳に感じた手応えは弱い。
力を流されたのだ。
「ったく、相変わらず人間臭いな。」
そこまで頭が回ることに内心舌を巻きつつ、ゴリラを目で追えば、そいつは背後の川に落ち……
「ぐうほぉ!」
……る直前で虚空を蹴り、川の対岸に着地した。そしてこちらを睨んだかと思うと踵を返して森の中へと逃げていった。
「嘘だろ……。」
空歩まで身に付けてるのかよあのゴリラは!?
慌てて一っ飛びで川を越え、ゴリラを追いかける。
逃げるなら足に引っ掛かった冒険者プレートを置いていけよ!……ていうかあれだけ激しい動きをしておいて何で冒険者プレートが取れないんだ!
愚痴を垂れつつ森に踏み入り、気配察知に集中。
囲まれてる!?
「掛がっだな!」
前方で待ち構えていたボスゴリラがだみ声を上げると、俺の全方位から、親玉より二回りほど小さい(それでも十分大きい)ゴリラ達が現れた。
精鋭ってところかね?
よく見ると、全員が何かを腰に抱えている。
あれは……サラマンダー?
「撃でぇ!」
「アンドニーのがたきぃ!」
「おどうどを殺しやがってぇ!ゆるざねぇ!燃えろぉ!」
「があざんをきずづげだなぁ!じねぇ!」
「燃えろ、燃えろぉ!イッヒヒヒ、燃えちまえぇ!」
「おでがごの森を守るべ!」
ボスの号令と共にどうやら家族らしい彼らは口々に叫んだかと思うと、彼らの抱えていたサラマンダーから炎が吹き出た。
「バカヤロー!」
いくら生木が燃えにくいからって、燃えるもんは燃えるんだぞ!?
あまりにあんまりな攻撃に怒鳴りつつ、一番近くの気配へと炎の中を突き進む。
防御は鎧に任せ、ゴリラの土手っ腹に右の籠手を突き入れてやると、腕が肘辺りまでそいつの体に埋まった。
「ゴ、ボォッ!?」
目の前から吐き出された血は下がって避ける。
いやはやこの鎧、さっきから随分と魅せてくれるな。性能が素晴らしい。
ちょっとした感慨を抱きながら腕を死体から引き抜き、次の標的へと走る。
「グゲェ!アン……ト……ニー。」
「すまん、兄ぢゃん、失敗しぢまっだ……だ。」
「ぐっ、ま……ま。」
「ガハッ、燃えづきだ、ぜ。」
「おでが、守……る。」
腕で敵の胸や腹を貫いて抜いては貫いて抜き、炎が止んだ後、俺は火照り始めた体でボスゴリラと対峙した。
ちなみにサラマンダーは持ち主に放されるとさっさと逃げて行った。特段協力していたとかではないらしい。
「お、お前だぢ!危なぐなっだらにげろ言うだはずだのに!」
取り乱し、ボスゴリラがもう物言わぬ息子(?)達へ悲痛な声で呼び掛ける。
「なに、お前もすぐにあいつらと同じところに送ってやるさ。」
天国と地獄の概念がクソザルにあるかは知らないけどな。
笑って挑発し、しかし油断はしない。
「お前だぢの死、ぜっだいに無駄にはしない!」
泣きながら駆け出すボスゴリラ。
さて、さらなる機能チェックといこう。
膝を軽く曲げる。
「ごれが、アンドニーの分だぁ!」
そして繰り出された左拳を真正面から受け止めれば、相手の膂力で足が地面を大きく滑った。
ただ、伝わってくるダメージそのものは少ない。
力任せなだけで技術が備わっていないからかね?何にせよ、鎧の性能のおかげではあるだろう。
伸びきった長い腕をの横を駆け抜け、相手の懐に入る。
「ごれがアンドリューの分!じっぐ!」
真横に振られた丸太のような左足はぐっと低くしゃがんで避け、俺は逆にゴリラの軸足へ全力の蹴りを入れた。
威力は十分。毛むくじゃらの太い足から骨の折れる感触が伝わってくる。
「アガァァ!」
支えを失い、うつ伏せに倒れたゴリラは激痛に悶えながらも何とか俺に攻撃を入れようと手足をばたつかせ、しかしそれらを軽々と避けて接近した俺にその後頭部をぶん殴られた。
「ぐべぇっ!?うぐ、あああ……。」
しかし毛皮の防御もあいまって返ってくるのは堅い手応え。流石に一発じゃトドメに至らなかったらしい。
それでも地面に頭突きさせたことで軽い脳震盪は起こさせられたようで、ゴリラの動きは明らかに緩慢になった。
「あが、あ、あだいだちが何をしだっでんだ……。」
「こっちの都合だ。」
そして朦朧としているボスゴリラの言葉にそう返し、俺は二発目の拳でその頭蓋を叩き割った。
「ふぅ……っとと。」
周囲に敵がいないのとを確認し、体から力を抜いて鎧を消すと、それまで感じていなかった体の重みによろけてしまった。
……思ってた以上に疲れていたらしい。
「そしてあの鎧はそれすら俺に感じさせなかった、と。くはは、凄いなこりゃ。」
ゲイル、いい物をありがとう。
「ご主人様、お役に立てず申し訳ありません!」
頭の爆ぜたボスゴリラの尻尾を担ぎ、取り返した冒険者プレートを片手にキャンプに戻ると、ルナがそう言って平謝りしてきた。
「…………どゆこと?」
助けを求めてユイを見るも、目を逸らされた。
「えっと、ルナ、取り合えず顔を上げようか。な?」
「うぅ、はい。」
恐る恐るといった風にルナが俺を見上げる。
「それで、何について謝ってるんだ?」
「その、録に役にも立たず、あんなに簡単に意識を失ってしまったことを……。」
なぁるほど。
「あー、まぁ気にすんな。仕方ない、元々斬撃も炎も効きにくい相手だったんだから。相性の問題だよ。それにほら、プレートは取り戻せたんだ。はは、結果良ければ全て良しだ。」
「それでも……ひゃん!?」
そう笑い飛ばしてもなおルナがマイナス思考に走ろうとするので、俺はその柔らかい耳をモフってその思考を中断させる。
すると、少し怒った顔を向けられた。
「ご主人様!わ、私は、奴隷として真面目に……。」
……またか。
「はぁ……奴隷扱いしたくないんだよ。何回言えば良いんだ。ったく、そのままだと奴隷から解放された後の生活に支障が出るぞ?」
長い間し続けていたことがいつの間にかしないと落ち着かなくなってしまう、なんてことはよく聞く話だ。
「え……?」
しかし返ってきたのは呆然とした顔。
上手く伝わらなかったかね?
「あのなルナ、お前は強いし、賢い。一人でも十分生きていけるだけの力はあるんだ。だからもっと自信を持て。ていうか、奴隷だからなんて、頼むから言わないでくれ。」
もし奴隷根性が染み付いてしまったら終わりだ。普通の生活ができるようになるのに苦労するのは目に見えてる。
「解、放?」
呟いたルナに分かりやすいよう、大きく頷く。
「ああ、俺はファーレンに帰る前にラダンに行ってお前を奴隷から解放して貰うつもりだ。」
「そんな……。」
「なんだ、不安なのか?安心しろって。お前は綺麗だし、ラダンでなら絶対に幸せに暮らせる。俺が保証してやる。」
そのときが来るまでは言わない積もりだったけれども、今回は良い機会だ。
まだぽかんとしているルナに笑い掛ける。
「だから後少しの辛抱だ。もうちょっとだけ、俺に協力してくれ、な?」
最後にポンポンと銀色の頭を軽く叩き、苦笑いをしながら立ち上がる。
そしてボスゴリラの尻尾を他の討伐証明部位の入っている袋に入れに奇跡的に無事だったテントに向か……
「ねぇ、その前に体を洗ってくれないかしら?あなた、臭いわよ。」
……おうとしたところでユイにそう指摘された。
糞は全て回避したつもりだったんだけどなぁ。やっぱり臭いが移ってしまったか……。
その場に尻尾を置く。
「そうか、じゃあ俺は少し水浴びするからユイ、ルナを連れて……「ルナさん、木の実を取りに行きましょう。作戦会議もしないと。」「……ええ、そうですね。」……うん、行ってらっしゃい。」
俺が言いきる前に、ユイは何故か意気消沈しているルナを連れて森の中に入っていった。
……木の実を取るのに作戦会議なんて必要なのか?
ま、いっか。
服を脱ぎ、伸びをしながらふと上を見ると、空は明るみ始めていた。
……結局、眠れなかったな。
「身分証を……」
「ほい。」
「はい。」
「ようこそ、おえっ、げほっごほっ、シュバルトへ。」
定型文のやり取りをし、俺はルナ、ユイの二人と共にシュバルトの町に入った。
……衛兵さんが鼻を摘んで吐きそうな顔をしたのは気のせいだと信じたい。
入ってすぐの大通りを――爺さんの案内の元で――歩いていき、御者さんとの待ち合わせの宿、森の恵み亭の中に入ると、大きなだみ声で迎えられた。
「らっしゃい!宿か?飯か?」
「待ち合わせでな、イベラム行きの馬車の御者を探してる。」
聞いてきたここの主人らしきおっさんに淡々と返すと、おっさんは何故か少し不機嫌になって黙りこんだ。
……あ、そっか。
「それと、飯を軽く三人分頼む。」
おっさんがニヤッと笑う。
この対応で正解だったらしい。
「奴隷もか?」
「それだけ働いてくれた。」
「酒は?」
ユイとルナを振り返る。
「私は未成年よ?」
「ん?二年前は高校生で、カイトの先輩だったんだからもう二十歳かそこらだろ?」
「え……あ、本当ね。でも、まだ早いと思うわ。」
「知ってるか?昔、12才ですらもう成人だったんだぞ?」
「はぁ、いつの話よ……。それでも、私は要らないわ。」
「そうか、ルナはどうだ?」
ルナに視線を移す。
「いえ、私は……「ルナさん?」あ、も、もしご主人様が飲まれるのなら……飲みます。」
最初は断ろうとしたルナは、ユイに意味有りげな目を向けられると、あっさりその意見を変えた。
ただ、言い方がかなり回りくどい。
「つまり、飲みたいんだな?」
「ご主人様と一緒なら……」
……飲みたいらしい。
「酒は二つだ。あまり強くない……「(ご主人様、私は大丈夫です。)」……そ、そうか?やっぱり強めの奴で頼む。」
「よし、分かった。空いてる席に座ってくれ。」
注文を聞くなりそう言って、おっさんは店の奥に引っ込んでいった。
「なぁルナ、本当に大丈夫か?このあとはずっと馬車に揺られる事になるんだぞ?」
早速近くの席に座り、問い掛ける。
ルナが特別酒に強いわけではないことは、ファーレンでワインを飲んだときに分かっている。
もしユイと何らかの賭けで負けたからということなら、イベラムに帰ってからでも遅くはない気はする。
「う……。」
言葉に詰まり、ルナはサッと隣のユイを振り向き、ユイはというと何も言わずにそっぽを向いた。
なんなんだ?
「……なぁユイ、お前とルナとの間に何かあったのか?俺にはお前が強制的にルナに酒を頼ませようとしてるように見えるぞ?」
「いいえ、何もないわ。さっきは、えーと、ルナさんが、あー……そう!本心を隠しているように見えたから注意したまでよ。あなたもそう望んでいるのでしょう?」
ルナに奴隷根性が根付いてしまうのを防ぎたいという俺の意思はユイも汲んでくれたらしい。
「まぁ、そうだな。でも今回は……」
「そうね。ルナさん、ごめんなさい。」
ユイがルナの方を向いて、その目を凝視しながら、謝罪の言葉を口にした。
なるほも、絶対反省してないな。とてもよく分かる。
「……だ、大丈夫ですよ。お酒も少しぐらいなら平気だと思いますし。」
「無理をするな。俺が全部飲んでやる。もし飲みたいのなら後で、満腹亭で、な?」
「はい!」
パァっと笑顔を浮かべて元気に返事をし、ルナはユイと目を合わせ、互いに笑いあった。
お前ら、仲が良いのか悪いのか分かりにくいな……。まぁ、仲が良いことを願おう。
「ほらよ、ドラウトの塩焼きとその背骨の焼いたのだ。背骨の方は酒のつまみとしてくれ。あとあんちゃん、ちょっと耳貸せや。」
良い匂いと共に今日の昼飯が持って来られた。
すぐさま手を付けてしまうのを我慢し、おっさんに耳を傾ける。
「何だ?」
「こいつは忠告だ。良く聞け。」
「おう。」
「……あまり奴隷を甘やかしすぎるな。そいつらが働くのはあくまで奴隷紋のお陰だからな?あまり可愛がっていると痛い目見るぞ。相手が獣人ならなおさらだ。主人が変われば今までの主人を簡単に殺すことだってある。」
……分かった。このおっさんは獣人族、いや、そもそも奴隷をあまり良く思っていないクチらしい。
「そんなこと、百も承知だ。でも良い仕事をしてくれたんなら多少ちやほやしても構わんだろ?」
「まぁ……そうだな。」
面倒臭いので適当な言葉で流し、おっさんが厨房に戻っていくのを確認して、俺は目の前の料理に向き直った。
さてと、……またドラウト、か。
ま、飽きが来てしまったわけでも無いし、まだ食べられるかな。