初恋の歌
マコト君は左手で頬を支えながら、右手でクルクルとペンを回していた。
教科書とノートは開いているが、それが活用されているのを一度も見た事がない。
そんな彼を見て、進級できるのかとハラハラしたものだが、なぜかテストの点だけはいいようだ。
私たちの学校は偏差値50の普通科。
ごく普通の高校だし、よっぽど生活態度に不備がなければ、留年する事なんてない。
ましてや三年生ともなれば、先生の性格や傾向も理解している。
一番口うるさい数学の時は、ノートを取っているフリだけはしているようだ。
だから私も安心して、彼を眺めていられる。
クルクルとペンを回しながら、ぼんやりと窓の外を見ている。あっあくびをした。
相変わらず大きな口だ。
目の淵にうっすらと涙が浮かぶ。それが・・・たまらなく可愛くて好きだった。
私はその様子を、さりげなく、でもしっかりと、脳裏に焼き付けながら眺めている。
他の事は何も視界に入らない。
クラスメイトも、つまらない授業も全て消えて、この世に存在するのは私とマコト君だけになる。
妄想の中では、私とマコト君は恋人同士だ。手をつないで買い物をして、私の作った料理を食べ、セックスをする。そして裸のまま、手をつなぎながら眠るのだ。
授業が終わるチャイムが鳴り、私は現実に引き戻された。
なんだ、まだ買い物の途中だったのに。
教科書とノートをカバンにしまう。
まいいや。続きは家に帰ってからだ。
部屋に入った私は、鍵が掛かっている事を確認して、机の引き出しからマコト君の写真を取り出した。
去年の体育祭の時の写真だった。
廊下の壁一面に写真が張り出され、それぞれの写真に番号が割り振られている。
希望者は自分の欲しい番号をメモし、提出すればその写真を買えるシステムだ。
本来私は写真の収集に興味はない。
だが去年は写真を買いまくった。
自分が写っている写真。私の友達が写っている写真。集合写真。
お目当てはもちろんマコト君の写真だ。
マコト君の横顔一枚のカモフラージュの為に1500円の出費をしたが、まあそれはいい。
マコト君の横顔を見ながら、制服を脱ぐ。いや・・・脱がされている。
洗い息遣いを抑えながら、優しく、力強く。
時計を見たら、すでに六時を過ぎていた。
マコト君の事を想い、果ててから30分以上も、裸でまどろんでいたようだ。。
けだるい体を引きずりながらシャワーを浴びる。
そしてマコト君との叶わぬ恋に涙を流すのが私の日課だった。
中学生の時、クラスメイトの男子を好きになった事があった。
もちろんその時も叶わなかったし、思いを伝えることもなかった。
でも、その時の私はどこか冷めていた。
おそらく、周りの友達が、恋だの彼氏だのとの言う話を聞いて、自分も恋をしなければならないと思っていたのだろう。
あれは違う。あれは本当の恋じゃない。
今が、マコト君に対する想いが、私の本当の初恋だ。
卒業したら、親戚の経営する、小さな会社で働く。
マコト君が友達と話しているのを耳にした。
彼が進学ではなく、就職するのはなんとなくわかっていた。
塾にも通ってなかったし、放課後の任意の補修も受けていなかった。
私は地元の短大に行く事を決めていた。
学力的にはまず問題ないレベルだったし、これ以上勉強する気もなかった。
卒業すれば、マコト君と会うこともないだろう。
この恋も終わる。
すごく悲しいけれど、早くこの苦しみから解放されたいという気持ちもあった。
卒業式は淡々と進んだ。
だいいち卒業する前から何度も予行演習をしているのだ。
段取りも把握していたし、いまさら感動もない。
クラスメイトはみんな泣いていたけど、私は泣かなかった。泣けなかった。
なんでだろう。
悲しいのに。
さみしいのに。
涙が出ないのはなぜなんだろう。
卒業式が終わった後、一度解散したのちまた集まった。
クラスメイト全員・・・ではないけれど、半分以上は集まっていた。
もちろんその中にマコト君もいる。
よかった。彼がいなければ、ここに来た意味はない。
お決まりのカラオケボックス。
大部屋とはいえ、20人がぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
狭くて息苦しくて、でもバカみたいに騒いでいた。
私は一曲だけ歌った。
「GReeeeN」 の 「歩み」
この曲を好きだったわけじゃあない。
いつだったかマコト君が、この曲が好きだと言ってたのを聞いたことがあった。
これから社会に出る彼への、せめてもの応援歌だった。
ずっと前から決めていた。この曲を歌って、彼への想いを終わりにしようと。
「あー疲れた」
部屋に戻った私は、着替えもせずにベッドに横になった。
今日の事をぼんやりと回想する。
結局、マコト君と話すことは出来なかった。
「歩み」を歌ったことで、何か声を掛けてくれるかも・・・と期待していたが、それもなかった。
静かに引き出しを開けた。
そしてマコト君の写真を、ごみ箱に捨てた。
これでいいんだ。これで終わりにしよう。
そう自分に言い聞かせた。
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卒業式からもう5年以上がたっていた。
短大を卒業した私は地元の企業に就職した。
新しい恋をして、恋人もできた。
初恋の相手を想いだし、胸を焦がすことも無くなっていた。
そんな昼下がり、
つまらない買い出しと銀行振り込みのため、商店街の端を歩いていたら突然声を掛けられた。
その相手が・・・マコト君。
いくら恋心が無くなったとはいえ、初恋の人に変わりはない。
突然現れた、かつてのあこがれの人に、目を丸くしながら呆然としてしまった。
「あれ・・・覚えてない?私だよ岡田真琴」
仕事を終えた私は、大急ぎで家に帰った。
そして、一度も開くことのなかった卒業アルバムを引っ張り出し、表紙に書かれた文字を、そっと指で撫でる。
仙台市立桜木女子高等学校
私はなぜか穏やかな気持ちで、ページをめくった。
懐かしい校舎
校門
自転車置き場
体育館
部室
グラウンド
高校生だった私の記憶が、猛スピードで再生される。
そして
目鼻の整った端正な顔
日に焼けた浅黒い肌
黒くつややかな髪
3年2組
岡田真琴
彼女に恋をして、いつからか自分の中で、彼女を男性に見立てていた。
同性を想う罪悪感と叶わぬ恋
毎晩のように自分を慰め、そして涙した。
そんな自分を振り切るように、卒業と同時に彼への未練を断ち切った。
写真を捨て、卒業アルバムも一度も開く事はなかった。
やがて私も新しい恋と、日々の生活に追われ、自らに課した戒めすら忘れていた。
今日5年ぶりに彼に会えて、やっとその戒めからも解放される。
「真琴」の写真を見ながら、今日の会話を反芻する。
「私ね、結婚したんだ。うん。2歳の女の子。あとさ、お腹にももう一人」
突然の報告だったが、私は素直に「おめでとう」と言えた。
何の計算もなく
嘘、偽りなく
本心でおめでとうと言えた。
そんな自分が誇らしかった。
もしあのまま「マコト君」への未練を引きづっていたら、今日、素直におめでとうと言えなかったかもしれない。
苦しんだ分だけ成長できていた。
それが嬉しかった。誇らしかった。
そして別れ際にこんなことも言ってた。
「今度みんなでカラオケ行こうよ。卒業式の時、「歩み」歌ってたでしょ。私、あの曲大好きなんだ。すごいカッコよかったよ。」