球技大会2日目(6月第4週)
「三鷹先輩、来ましたー」
「ああ、悪い羽鳥………………羽鳥、だよな?」
呼び掛けに振り返った先輩は、わたしを見た瞬間、あっけにとられたような顔でそう言った。ああ、先輩ならわかってくれるんじゃないかと期待したわたしがバカでした。ある意味予想通りの返答に、わたしは無言で張り付けたような笑みを浮かべた。
「えっと、羽鳥?」
「ええ、はい。羽鳥ですよ」
いいよ、もうわかってもらうのは諦めたよ。きっとこの格好のわたしを一発でわかってくれるのは、家族くらいだろうよ。眼鏡が壊れちゃったから、今日はコンタクトで学校に来たんだけど、実は会う人会う人この調子なのだ。
三鷹先輩から、プリント資料作りのヘルプコールが来て、球技大会本部に来るまでの間にも、「誰? ……えっ、羽鳥さん?! いや、なんか雰囲気違うね」「そうかな?(それはどういう意味だ!)」というやり取りを幾度となく繰り返した。
みつあみだったらまだわかってもらえたのかも知れないけど、朝の教室でクラスの友人達に「せっかくだから髪いじらさて!」と言われて、お団子頭にしちゃったからなあ。クラスメートどころか、中学からの知り合いである三鷹先輩にまで言われるとか、どんだけだ。鷲巣先生にライブで会ったときも思ったけど、そんなに眼鏡と髪型で違うかなあ。なんなの? わたしのアイデンティティーって眼鏡なの?
「で? なにを手伝えばいいんですか?」
「うん。このプリントを2枚1組にして、2つ折りにしてってくれる?」
「わかりました。ホチキスで綴じなくていいんですね?」
「うん。大丈夫だよ」
テーブルの上には2種類のプリントが山になって積まれている。
どうやら、今日の午後から行われる各競技の準決勝と決勝、三位決定戦の日程表のようだ。
生徒会って華やかそうなイメージを持たれがちだけど、結構雑用的な仕事が多いのだ。特に行事になると、実行委員で手のまわりきらないこういう資料づくりは、ほぼ生徒会の仕事である。
わたしは先輩の向かいに座って、作業しやすいように適当な量のプリントを取った。
「でも、なんで三鷹先輩1人なんですか?」
「実委はさっきまで午後の打ち合わせしてて、日程表の印刷までしてくれたからね。あとの仕分けは生徒会でやるって言ったんだけど、僕以外の連中はまだみんな競技が残ってるから練習あるんだってさ」
「あー、それはそれは」
三鷹先輩は苦笑いを浮かべながら答えた。どうやら、三鷹先輩は半ば進んで貧乏くじを引いたらしい。こういうときは、生徒会の人に仕事だぞーって言って召集かけてもいいと思う。でもそれをしないのは、責任感のあるこの人らしい気もするんだけど、流石に全校分の資料を1人で用意するのは無謀だよね。
これを全部折ったらクラスごとの数に分けて、昼休み中に実行委員が各クラスに持っていく手はずになってるんだそうな。本当に、1人でやる作業じゃない。
「羽鳥はもう競技はないの?」
「うちのクラスは卓球だけ準決勝に残ったので、それは応援に行きますよ。先輩はどうなんですか?」
「僕はソフトボールだったけど、もう負けちゃったよ」
おしゃべりをしながら、プリントを重ねては折る、をひたすら繰り返す。今はちょっと長めの全体昼休みが後半に入ったところで、なんとなく学校全体がざわついている。
「で? 羽鳥、眼鏡は体の一部ですって言ってたのに、どうしたんだ?」
「……壊れました」
手を動かしたままぼそっと返すと、先輩の手がピタリと止まった。あ、顔をあげてこっちを見た気配がする。いや、わたしは顔あげないけど。だってほら、作業中ですから。
「壊れたあ?」
「バスケのボールが、当たったんです」
「頭にボール当たった女子生徒がいるって聞いたけど、あれ羽鳥だったのか?! 大丈夫かそれ!」
「ちょっとコブになったくらいで、へーきです」
それを聞いて、触って確かめようとしたのか、こっちに腕を伸ばす三鷹先輩をさっと避ける。さすが運営側にいるだけあって、そういう情報は早いようだ。
「触らないでください。せっかく友達がやってくれた髪が崩れるんで」
「いや、でも」
「だ、い、じょ、う、ぶ、です!」
三鷹先輩は、割とすぐわたしを子供扱いして心配する。もう中学の頃からそうだから、ちょっと慣れつつあるけど、実はあんまりよくないよね。
理由は単純だ。先輩は2人兄弟の弟で、下に妹か弟が欲しかったらしい。そして、あるときうっかり会話の流れで、わたしは上に兄姉が欲しかった、と言ってしまい、それ以来すっかり妹扱いなのである。
まあ、わたしのせいでもあるんだけど、誰が見てるかわからないところでは、あまりこういうことをやらないで頂きたい。先輩のファンの皆さんに睨まれるのはわたしなんですよ。
「けど、コブって……」
「平気です。わたし、石頭ですし。それに、ちゃんと冷やしましたから」
「わかったって。怒るなよ」
「怒ってないです! すみませんね、きつい顔で」
なおも頭に触ろうとする先輩を、軽くあきれた目で見はしたけど、怒ったつもりはない。しかし、わたしはつり目なので、眼鏡がないときつい印象になる。特に表情がないときは、怒ってるように見えるらしい。ほら、学校だと特に無表情になりがちだからさ。
わたしが眼鏡をかけるのは、学校では真面目な人でいたいのと、むっちゃんと似てるって言われるのが嫌なのもあるけど、きつそうな人って思われるのが嫌だからというのも大きいのだ。
「ごめんって。でも、そんなに気にすることないと思うけどなあ」
「気になるものは気になるんです」
「でも、そういうの似合うのに。学校では絶対しないよな」
「お世辞はいいですから、手を動かしてくださーい」
はいはい、先輩は優しいからそう言ってくれるんですよね。わたしがちょっときつめの顔を気にしてるの、知ってますもんね。誰にでもこうなんだもんなあ。そりゃファンも増えますわ。
「いや、でもうちの学校はそんなに厳しくないし、校則に引っ掛からない範囲で色々してもいいと思うよ? せっかくかわいいんだから、もったいないじゃないか」
……これは、笑い飛ばしてしまうのと、それとも一旦引き取ってお礼を言うのとどっちが正解? かわいいとか、そんな真剣な顔で言わないでくださいよ。なんとも思っていない相手でも男の人にかわいいとか言われると、言われ慣れないわたしは、ついどきっとしてしまうのだ。うわわ、じわじわ恥ずかしくなってきた。顔、赤くない? 胸の辺りがむずむずする。
「羽鳥は、本当にこういうこと言われるの苦手だよね」
「先輩、からかわないでくださいっ!」
くすくす笑う先輩に、わたしはついに大声をあげた。
しかたないじゃない。かわいい子っていうのは、見た目も性格も込みなんだよ。見た目はある程度取り繕えても、自分の性格がどう考えたってかわいいと言えるものじゃないことくらいわかっている。だから、外見をいくら頑張って一見かわいい風に装えても、中身はかわいくない自分のままだと思うと、居たたまれなくなる。特に、素の自分を知っている人の前ではだめだ。なにぶってんの? と内心思われてないかと考えたら、もうそれだけで耐えられない。周りの人がそんな意地の悪い人だと思ってるわけじゃない。けど、どうしても、自分が納得できない。
わたしはかわいいと言われて、そうでしょ、かわいいでしょ、と開き直れるほど強くもないし、どうもありがとう、と笑って受け流せるほど、大人でもないのだ。なんて子供だろう、と自分でも思うけど、そんな簡単に克服できたら苦労しない。
「羽鳥は自己評価低いよね」
「先輩はわたしを買い被りすぎです」
「まあ、妹みたいなもんだから。身内の欲目はあるかも?」
「……そんなんで、本命の子に勘違いされても知りませんよ」
仕返しもかねて言い返したら、三鷹先輩は面白いように動揺した。パイプ椅子をガタンとならし、手元のプリントの折り目が歪む。あーあ、それ配れませんね。
「ほ、本命とか、そんな」
「わたし誰だかなんとなく予想はついてますけど?」
「はあ?!」
にっこり笑うと、先輩は明らかに慌てた表情でこっちを見た。うふふ、ちょっと楽しい。先輩は青みがかったさらさらの黒髪に、同じ色の少したれた優しげな目をしていて、和風美人のきれいな顔だちなのに、ちょっとしたことで崩れるので、なかなかにいじりがいがあるのだ。それがみんなに好かれる理由でもあるのかもしれない。
「普通科の天羽美歌さん。違いますか?」
「お、おお。知り合い、なのか?」
「いいえ? ただ、むっちゃんと同じクラスらしいので、話はよく聞くんですよね」
笑顔を崩さずに言うと、先輩の眉間にシワがよった。おお、困ってる困ってる。三鷹先輩は聡い人なので、今の言葉の裏にある、ライバルいますよ、というメッセージにも気づいたに違いない。
「ふ、ふーん」
「彼女、結構モテるそうですから、大変ですね?」
「いや、だから別にそういうわけじゃないって、この前も言ったろ?」
「でも、いい子だなー、かわいいなー、気になるなー、とは思ってるんでしょう?」
「う、まあ……」
あーあー、頬染めちゃって。そんな顔初めて見ましたよ。これはこの前、生徒会室で話したときよりも進展しているね。
前も、照れて顔を赤くしてはいたけれど、周りから一斉に攻撃されて興奮していたせいもあったと思う。でも、今回は違う。明らかに、彼女を思い出して、熱が顔に上がってきたようにしか見えない。
「そんな三鷹先輩を見たら、ファンの皆さんが泣きそうですね」
「は?」
「顔、赤いですよ?」
「っくそ、羽鳥。仕返しのつもりか」
「やだなあ、怒らないでくださいよ」
なんとなく胸の辺りがもやもやするのを、ふふふと笑ってごまかす。
わたしのこれは恋してるからじゃない。三鷹先輩は尊敬しているし、好きだけど、わたしにとってはどこまでいっても先輩だ。もちろん、きれいで、優しくて、穏やかで、慎重で、だけど怒るとかなり怖い、そんな先輩に、身内と言われるような特別扱いをしてもらって、嬉しくないわけでも、他の人に優越感がないわけでもない。
それでも、わたしにとって三鷹先輩は、あくまで幸せになってほしい人だ。一緒に幸せになりたい相手とは違う。
だからこそ、もしかしたら先輩がゲームに巻き込まれているだけかもしれない、その天羽さんへの思いは仕組まれたものかもしれないと思うと、悲しくなる。
「わたしは先輩の健闘を祈ってますよ?」
「応援する、じゃないんだな」
「わたしは誰にも肩入れするつもりはありません。もちろん、むっちゃんにも」
天羽さんから逃げたい、というならなんとか手伝えるけど、自ら彼女のそばに向かうのは、わたしには止められない。そもそも人の恋路にくちばしを突っ込むような趣味はない。特に天羽さん関連のことについては、わたしに災難が降りかかる恐れがある以上、傍観するしかないのだ。
「そうか。まあ、それならいいか」
「いいんですか?」
「羽鳥は頭がいいからな。僕以外の誰かに味方したら、そいつに負けそうだ」
そう言って、先輩は頭をかく。さりげなく、天羽さんへの気持ちを認めてしまっていることに気づかず、最後のプリントにきっちり折り目をつけた。
「買い被りすぎですってば」
「いいや。僕にとって羽鳥は、頼りになる分敵に回したくない、でもときどき心配で厄介な、かわいい後輩だよ」
「おほめに預かり光栄です。さて、仕分け、しちゃいましょうか」
「そうだな」
口を動かしながらも、手を動かすのはわたしたちにとって当たり前なので、折る作業はもう終わっている。休み時間は残り15分。戻り始めた実行委員と一緒に日程表の仕分けをしながら、なんとなく、こうやって三鷹先輩と話せるのは、もうこの先、何回もないんじゃないかと考えた。
三鷹先輩がこのまま天羽さんを好きになったら、きっと三鷹先輩の時間は天羽さんのものになる。わたしと今日みたいにおしゃべりをしている暇なんてないだろう。
彼女でもないわたしがこんなことを言う権利はないんだろうけど、それはちょっとだけ、寂しいと思う。ずっと変わらないことなんてあるわけないのに、もう少し、今のままがよかったと思ってしまうのは、やっぱりわたしが子供だからなんだろうか。




