想定外の遭遇(6月第1週)
今日はチケットを買ってからずっと楽しみにしていたライブの日だ。
「おお、人いっぱいだー」
開場30分前、既にライブハウスの周りは人で溢れていた。この雰囲気だけでワクワクしてしまう。
張り紙とスタッフの案内にしたがって、自分の整理番号の待機場所に向かう。1000人規模のライブハウスで、200番台前半はまあまあ優秀な方だよね。
「あ、すみません」
「っいえ!」
ぼんやりと列の最後尾に並ぼうとしたら、ちょうど同じタイミングで並ぼうとした人とぶつかった。
お互い頭を下げて、隣に並ぶ。ぶつかったのは、20代くらいの背の高いお兄さんだった。180近いんじゃないかな。
なんとなくそっちを見ていたら、ふっと目があった。……って、えっ、あれ? この人見たことある。なんか、鷲巣先生に似てない? いや、他人の空似にしては似すぎだよね。いつもの黒スーツじゃないから雰囲気違うけど、でも今日の午前も土曜授業で会った人を忘れるはずはないよ。そのちょっと長めの灰茶色の髪も真っ黒な目も、よく知っている。あなた、鷲巣先生ですよね?!
うわあ、まさかこんなとこで遭遇するとは。想定外にもほどがあるわ!
ううっ、視線を外したいけど、急に顔をそらしたら不審がられるよね?
「君、1人なの?」
しかも話しかけてくるし! 黒い帽子をかぶり、シンプルなグレーのシャツに、ブラックジーンズというスマートな格好の鷲巣先生は、そう言って笑った。なんとなく、好意的な雰囲気だ。同じバンドのファンなんだし、当たり前かもしれないが、これはまずい。
でも、これ、まだわたしだって気づいてないね? よし、今日はこのまま、知らんぷりしておこう。
別に悪いことしてる訳じゃないけど、なんかこういうとこで会うと気まずい。先生とプライベートで遭遇っていうだけでも微妙な感じなのに、天羽さんの攻略対象だし。
とりあえず、今は普通に世間話しといて、中入ったらできるだけ離れることにしよう。
「はい。おかしいですか?」
「いや、君、学生だろ? このバンドのライブに若い女の子が1人で来てるのは珍しいから」
「そちらもお1人ですか?」
「うん。あ、でもナンパとかじゃないから」
「あたりまえでしょう?!」
予想外の返しに、びっくりして本気の返事をしてしまった。冗談のつもりで言ったんだろう、先生は目を見開いて、あっけにとられた顔をしている。
「いや、その、高校生をナンパとか、大人としてどうなんですか」
しかもあなた教師ですよね、と喉まで出かかったけど、必死で我慢する。
「高校生? 大学生くらいかと思った」
「っそ、そうですか」
「ああ。けど、それだと親御さん心配しないのか?」
今度はわたしが驚いた。思わず先生の顔をまじまじと見返してしまった。鷲巣先生がそんなこと言うと思わなかった。今時の高校生ならこのくらい普通だしな、とかいって目をつぶってくれるタイプかと。
「だって、遅くなるだろう。ライブ終わったら9時過ぎだし」
「いやいや、そんなの普通ですよ」
「でも、君1人だろ? 電車で帰るなら遅くなるし、なんかあったらとかさ……」
へええ、意外と真面目というか、心配性なんだ。ああ、でも学校の先生やってるくらいなんだし、真面目でいい人なのは当たり前か。なんだか、ふっと温かい気持ちになる。
「わたしはいつも真面目にしてますから。両親も信用してくれているんです」
「いや、それでも……」
でもちょっと、心配しすぎじゃない? いくらいい先生でも融通きかないのはちょっとなあ。周りの人もなんかこっちをチラチラ見てるしさ。
微妙な顔をするわたしをよそに、先生はなおも女の子1人はダメだろ、とかぶつぶつ言っている。周りの目も痛いんで、いいから放っといて!
「別にいいじゃないですか。ここは学校の外なんだから、先生とか生徒とか立場関係ないでしょう!」
「……えっ?」
怪訝な顔をする鷲巣先生に、わたしは不機嫌全開のしかめっ面を返した。
しかし、首をかしげながらこっちを見返す鷲巣先生は、ぽんとわたしの肩に手を置いた。
「なんで、俺が教師だってわかった?」
「っ!」
しまった。わたし、余計なこと言った?! うわああ、頭にきてたからってなんてうかつなの! さっきの様子だと、自分の学校の生徒だってわかったら、お説教始まっちゃうんじゃない?
ど、どうしよう。逃げなきゃ!
「それでは、整理番号200番から250番の方、入場してくださーい」
いつの間に入場開始してたかわかんないけど、ナイスタイミング! わたしの整理番号は232番だから、もう入場できるってことだ。先生も今気づいたのか、係の方に気を取られている。逃げるなら、今しかない!
「そ、それじゃ、お先に失礼します!」
「あっ、おい!」
肩に置かれた手をするりと外して、入場口の人ごみに突入する。紛れてしまえばこっちのものだ。結構人が多いし、中は薄暗いからきっともう会うこともないだろう。
「はああ〜」
1階の真ん中より後ろのステージほぼ正面、手すりで仕切られて1段上がったところに陣取ると、バーカウンターでドリンクチケットと引き換えたお茶を飲み、手すりに寄りかかる。ああ、やっと一息つけた。
続々と中に人は入ってくるけど、鷲巣先生の姿は見えない。あー、ホントによかった。
「隣、いいですか」
「はいっ、どー……」
台詞が全部でなかったのは、驚きで固まってしまったから。一息ついて安心したのがまずかったんだろう。かけられた声に、上機嫌で返事をした。そして、1人入れるか微妙だったスペースに相手が入れるように少しだけ場所を譲る。そう、うっかり譲ってしまったのだ! 隣に並んだ人を見た瞬間、激しく後悔したさ!
「お前、四季が丘の生徒だな? なんで逃げた」
「っせ、せんせ……」
ニヤリと悪い顔で笑いかける先生に、わたしは血の気が引くのを感じた。ううっ、なんでなんにも悪いことしてないのに、こんな追い詰められた感じになってるの? 逃げたのがよくなかったの? でも、あそこで名乗るのもなんか違うと思うしさあ!
「やっぱりな。しかし、誰だお前」
「ちょっ、痛い! 痛いです!」
あっけにとられて動けなくなってるうちに、がっちり顎をつかまれました。先生の手、大きいなあ、って違う! もう逃げませんから、少し力抜いてください。あと、そんなにまじまじ見ないで下さい、恥ずかしいからぁ!
「んー、お前みたいなの普通科にいたか?」
「普通科じゃないです。てか、今日も授業あったのにわからないんですか?」
こんなに顔近いのにわかんないとか。だって、先生の睫毛数えられるくらい近いんだよ。週1回は最低でも授業で会ってるけど、わたしの顔覚えてないのか。
「特進の生徒か?!」
先生はひどく驚いた様子だけど、驚いたのはこっちも同じだよ。わたし、学校はノーメイク、普段でもパウダーとリップくらいのメイクしかしないんだけど、そんなに顔違うかな。今日は眼鏡がないせいですか?
「そうですけど、わかんないくせに追っかけてきたんですか……」
「うるさい! ……ん? あ!」
するりと右サイドにまとめていた髪をなでられたと思ったら、鷲巣先生はぱっと表情を明るくした。ううっ、その笑顔は眩しいです。目がやられる!
「お前、羽鳥か?! なんだ、学校とはずいぶん印象が違うんだな。そっちの方がかわいいぞ?」
「なっ……!」
恥ずかしいことを言う先生へのわたしの抗議の声は、ライブの始まりを告げる歓声にかき消された。
*****
「あの、わたし帰りたいんですけど」
「だから、送るって。羽鳥もそれ食ってちょっと待ってろ」
「わたしは帰ったら夜食がありますから」
「そうなのか? じゃあ、いらないなら俺が食うよ」
そう言って、先生はわたしのトレイからチーズバーガーを取り上げた。
わたしは今、ライブハウス近くのバーガーショップで鷲巣先生と向かい合っている。
なんでこんなことになっているかというと、1人で帰すのは心配だから最寄り駅まで送る、と言って先生が譲らなかったからだ。そのくせ、帰る前にお腹を満たしたい、という先生の希望でこの店に入ったのである。1人でハンバーガー2つとポテトLにドリンクLを凄まじい速さで消費していく先生を前に、わたしはストローをかじるようにアイスティーを飲んでいた。
ライブはすごく楽しかった。演奏が始まった瞬間、先生の意識は完全にステージに向かったから、わたしも心置きなく楽しむことにしたのだ。演奏の合間やアンコールまでの間にも、話を蒸す返されることもなく、すごくライブに集中できた。集中しすぎて先生の存在を忘れてて、ライブ終了後、ふいに先生に腕を捕まれたときに、悲鳴をあげかけたくらいだ。
「よし、お待たせ。帰るぞ」
「えっ? もう食べたんですか?」
「ああ。遅くならないうちに行こう」
消えてゆくバーガーセットをぼんやり見ていたら、ふいに先生から声がかかってはっとした。早すぎない? 早食いは体に悪いですよ。まあ、早く帰りたいし、いいけどさ。
自分が寄り道したくせに、さっさと立ち上がる先生に呆れながら、大人しくあとに続いた。
「羽鳥の家は、駅から近いのか?」
「はい。鴨宮から徒歩3分です」
「ホントに近いな。うらやましいよ」
乗り込んだ電車はそこそこ混んでいて、座席には座れず、並んでつり革につかまることになった。ここから40分、わたしの最寄り駅に着くまでは逃げることもできないし、だんまりなのも感じ悪いので、会話を繋ぐしかない。
「先生は遠いんですか?」
「水沼から徒歩15分だよ。学園の宿舎だけどな」
「へえ。じゃあ学校には近いんじゃないですか?」
「まあな。けど、なんかあったらすぐ呼び出しだし、一番遅くまで対応させられるから、一長一短だよ」
「なるほど」
そんな当たり障りのない会話から始まって、今日のライブの感想を話し合い、いつからファンなのか、どの曲が一番好きかとか、意外なことに結構盛り上がった。先生が10年来のファンだったことには驚いたけど、ファン歴が長いだけあって、いろんな裏話を知っていて面白かった。話上手なのも、先生の大事なスキルだよね!
話していたら、あっという間に最寄り駅に着いてしまった。
「あ、じゃあわたしはこれで」
「改札まで送る」
「えっ、でも」
「いいから、ほら降りるぞ」
先生の下車駅はあと2つほど先なのに、わざわざ降りてくれた。
「先生は心配性ですね。わたし、高校2年なんですけど」
「あのな、世の中女子高校生ってだけでの目の色変えるバカも多いんだよ」
「わたしは大丈夫ですよ?」
「そういうやつが危ないんだっつーの」
並んで歩いていたのに、先生が立ち止まるので、振り返った。いつの間にか、改札はもう目の前だ。
「先生?」
「いいか。あんまり女1人で遅くまで出歩くんじゃないぞ」
「え」
急に詰められた距離に息を止めた。さっきまでと空気が違う。ライブハウスの中で捕まったときに感じた、怖いような、危険なような、なんだかとてもよくない雰囲気だ。いつの間にか合わさっていた視線は、なぜかはずせない。このままだと飲み込まれてしまいそうで怖いのに、視線をはずしたらもっと怖い目にあいそうで、思わず固まってしまう。
ふいに髪を捕まれて、肩がびくりと震えた。えっと、なんでしょうか?
「お前が生徒だってわかったからよかったものの。そんな無防備でいて、俺みたいなのに捕まっても知らないぞ」
ぼんっ、と音がしたかと思うほど、顔が一気に熱くなる。
今わたし、なんかとんでもないこと言われなかった? 言われたよね? 意味がわからない。なんでわたしにそんなこと言うの? ああ、もうわけわかんなくてくらくらする!
「羽鳥?」
「っ!」
名前を呼ばれてはっとする。目の前の鷲巣先生が笑顔なのに、なんだか怖い。う、うわー、もうだめ! やだ! なんなのこれぇぇ!
「せ、せ、先生、さよならっ!」
裏返った声でそれだけ言うと、わたしは慌てて改札を出て家まで全力疾走した。
……ええ、もう全力で逃げましたよ。だって、どうしていいかわからなかったんだもん!




