東庭の少年(5月第3週)
先日の鷲巣先生との件をむっちゃんに相談した。こないだやった乙女ゲーに、転びそうなところを攻略キャラに助けられるというイベントがあったのと、ゲームを貸してくれた友達が、ライバルがプレイヤーの捨てたイベントを拾うことがある、と言っていたのを思い出したからだ。
ライバルキャラ(仮)のわたしは不安になったのだけど、そんなイベントはない、と言われた。つまり、ただの事故だったらしい。
そんなわけで、たとえ攻略キャラ相手でも、普段と変わらない程度の接触は気にしないことにした。
たとえば、むっちゃんはうちに結構な頻度で来るから会う回数は多いけどそれが減ることはない。もともと学校の中ではほとんど会っていないから、別にそれを変えるつもりもないのだ。
あと、時々三鷹先輩から、生徒会の資料作りのヘルプ要請が来るけど、これも前からなので断わらない。これはわたしの事情もある。なんでって、作業の傍らにお茶を飲みながら生徒会の人たちとする雑談が、いい気分転換になるから、可能な限り手伝いたいのだ。
それに、わたしプリント冊子作りは得意なんだよね。超早くてきれいに作れますとも。中学の生徒会で一緒だった三鷹先輩はそれを知ってるから、わたしに連絡を寄越すのだ。そこに甘酸っぱい何かなぞ存在しない。だってお仕事要員ですから。
そんなわけで、今日もわたしはいつものように生徒会のお手伝いをしていた。テスト1週間前になると、放課後の活動は部活も委員会も全て停止になる。それがちょうど明日からだから、今日のうちにテスト明けの会議の準備をしてしまうんだそうだ。放課後から、役員の皆さんと生徒会室で、ひたすら資料を揃えてホチキス止めしておりましたよ。もちろん、口もだいぶ動かしていたけどね。
面白いことに、雑談中に一番盛り上がったのは、三鷹先輩に最近気になる女の子がいる、という話だった。
もちろん誰とははっきり言ってなかったよ。普通科2年のかわいい子、とまでしかね。でも高校生の雑談、しかも女子が混じってるとなると、それで終わるわけがないじゃない?
もうみんなでさんざん突っ込んで、身長どのくらい? 髪長い? 性格は?とかとか、色々聞いて、だいたいの容姿は吐かせたよ。照れて拗ねかける三鷹先輩なんて、めちゃくちゃレアなものを見せていただいた。
でも聞いた感じからして、三鷹先輩が気になる子ってのは8割がた天羽さんのことだと思うね。いろんな意味で、不幸な結末にはならないことをお祈りしております。邪魔する気はないから頑張って下さい! でも、生徒会のお仕事はちゃんとしてね!
このことは、あとでむっちゃんにも報告しておこう。うーん、三鷹先輩がライバルとか、手強いと思うなあ。
「じゃ、お先に失礼します!」
「助かったよ、お疲れー」
声をかけて、生徒会室を出る。夕方6時になったので、正式な生徒会メンバーでないわたしは、帰らなければいけないのだ。でもあともう残り2割位だし、5人でやったらすぐでしょう。
手伝ったお礼にと貰ったクッキーをポケットに入れて通学鞄を肩にかけ、ご機嫌で階段を下る。生徒会は管理棟の2階なので生徒玄関にも近くて便利だ。
「……ん?」
生徒会室の最寄の階段は、管理棟の東側にある。1階まで下りきると、目の前は東庭の出入口だ。天気のいい日は大抵ドアが解放されている。1日晴れの予報だった今日も当然そうなんだけど、そのドアの手前に、なにか紙が落ちていた。
「……プリント、っぽい」
何気なく拾いあげたそれには、左側に英語の文章、右側にはそれについての問題が並んでいた。しかし、難易度はそこはかとなく低い。中学レベルといっても差し支えないと思う。答え、間違ってるけど。
「んー、1年生のかな。……あれ?」
ふと顔をあげると、東庭の中にも数枚、似たような紙がある。
「ええー、誰だよもう」
見つけてしまったら放っておくわけにもいかない。それに、一応記入してあるってことは、誰かの持ち物のはずだ。放置しても誰の得にもならないから、と思って全部拾って職員室に届けることにした。
落ちていたのは全部で4枚。始めに拾った英語のほか、数学、古文、現代社会のプリントだった。しかも、全部同じ筆跡の記入跡がある。半分も埋まってない上に、書いてあるうちの半分は間違ってるけど。大丈夫か、この人。
「もうないよねぇ……。えっ?」
目に入った分を全部拾い上げ、他にないか周りをぐるりと見渡したら、とんでもないものを見つけてしまった。
東庭唯一のきれいな日向のベンチに、男子生徒が寝転がっていたのだ。
もう下校時間なのにとか、西庭じゃなくこっちにくる人いるんだとか、いつから寝てたんだこの人とか、思うところは色々あった。
だけど、仰向けのお腹にのせられた手の下にあるプリントの束を見て、絶対こいつだ! と心のなかで叫んだ。わたしの拾ったプリントは、崩れかけのあの束から滑り落ちたものに違いない。なに考えてんだ、この人。
さて、どうしようか。ここは、ちゃんと起こしてから手渡すべきだろうか。それとも、拾った分を置いたらそっと去るべきだろうか。東庭って、天羽さんも出没するから、あまり長居したくないんだよね。だけど、このままこの人を置いていって大丈夫か? このベンチ、校舎側からはほぼ死角なんだよね。見回りの先生が見落とすとは思わないけど、万が一ってこともあるかもしれないし。
とにかく、ちょっと起こしてみて、起きそうもなかったらプリントだけ置いて帰ろ。そう思って近寄って、やっぱり失敗だったかも、と思った。
近づいてみると、その男子生徒はとんでもない美人だった。全体にすらりとした体つきで、色素が薄めの茶色の髪に、ばしばしのまつげ、キリッとした眉に、通った鼻筋。寝てても整ってるのがわかる男子生徒は、青銀の校章と桜の学年章をつけている。
実は、四季が丘学園高校では、学科ごとに色違いの校章と、花のモチーフの学年章をつける決まりがある。普通科は銀、特進科は金、スポーツ科は銅、芸能科は青銀の校章だ。そして、並べてつける花は学年を示す。今年は1年生が桜、2年生が白椿、3年生が桔梗の学年章。たとえば、特進科2年のわたしなら、金の校章と白椿の学年章である。
つまり、他人の上着を着ているんじゃない限り、この人は芸能科の1年生というわけだ。もしかして、天羽さんの攻略対象なんじゃないの、この人。やっぱり起こさないでおこうかな。起こさないように静かに近寄って、プリントを置こうと手を伸ばした。
「……んー、だれ?」
「ひっ!」
起きちゃったー! うー、プリントだけ置いて、こっそり帰ろうと思ったのに。
こちらの焦りなんてまるで気にしない風に、男子生徒はひどく緩慢な動作でベンチから体を起こした。と、同時にお腹に乗っけていたプリントが雪崩落ちる。ちょっとちょっと、寝ぼけすぎでしょう?! 思わず声をあげてしまう。
「あーっ!」
「ん? あ、プリント……」
えっ、わたしの声で初めて気づいたの? なんてのんきな! この人、こんなテンポで芸能人とかできるのかな? 地面に散らばったプリントを拾いながら、ちょっと心配になった。
ってか、自分で拾おうよ! 寝起きっていったって、こんなベンチでここまでぼうっとなるまで熟睡できるものかね?
全部拾って顔をあげたら、ものすごくきれいなライトブラウンの目がこっちを見ていた。一瞬、ドキッとしたけど、その目の焦点が全くあってないことに気づいて呆れた。危なっかしい人だなあ。
ため息をついて、今落としたプリントを差し出すと、やっと目の焦点があったようだった。
「はい、これ」
「あ、ありがとー」
「どういたしまして。こっちもあなたの?」
続けて、庭の落ちていた方も差し出すと、数秒見つめて、カクンと音がしそうな動きでうなずいた。
「ありがとー。えっと、だれ?」
「特進科2年の羽鳥です」
「ハトリさん? ……はじめまして?」
「初めましてだけど、覚えなくてもいいから。それより、もう下校時刻だから帰った方がいいよ」
わたしがそう言うと、男子生徒は、ぐるりと首を巡らせて辺りを見た。そんなことしても、状況は変わらないんだよ?
「えー、もう?」
「もうだよ。いったいいつからここにいたの?」
「午後に学校来て、プリントもらって、それから……?」
なんで疑問形だ。でも、なんとなく、結構長い時間ここにいたっぽい。暖かくなってはきたけど、風邪引いても知らないよ。しかし、なんだろうこの子、天然キャラ? だとしたら、天羽さんの攻略対象じゃなくても、関わりたくないタイプかも。面倒くさそうだし。うん、この子を庭から出したら速攻帰ろう。
「部活も委員会も所属してない生徒は18時下校なの。もう時間だから、早く帰ったら?」
「そうなんだ。……お腹すいた」
うわああ、脈絡! 文章に脈絡を下さい! なんだ急に、お腹すいたって。ああ、もう、早く帰りたいのに! この人の記憶に残らないうちにここから逃げなきゃなのに、なんなのこの状況! やっぱり関わらなきゃよかったよ。話が微妙に通じない。
これ、答えなきゃダメ? 空腹が解消されたらわたしの話聞いてくれる? そしたら帰るかな、この子。仕方ない、ポケットのクッキーを犠牲にするか。
「ほらっ、これあげるから! あなた、鞄は?」
「あ、クッキー。いいの?」
「いいわよ。それより鞄は?!」
さっき生徒会で貰ったクッキーを押し付けると、男子生徒は目を輝かせた。そして、すぐさま封を切ろうとする。だから質問に答えてください!
……もう、この子置いて帰っていいかな? 関わった以上、放置も悪いかと思ったけど、もういいよね。初対面だし、そこまで面倒みる義理ないもんね。よしっ、帰ろう。
「それ、食べたら帰んなさいよ。じゃあね」
「んっ? あ、ありがとー!」
ぱっと身を翻し、玄関に向かう。後ろから、のんきな声がかかったけど、追いかけてくるような気配はない。あー、よかった。パタパタと小走りで自分の下駄箱まで向かって、息をついた。振り返っても、さっきの男子生徒の姿は見えない。
「はー、危なかった。あの人寝ぼけてたし、顔とか覚えられてないよね?」
まあ、芸能科の生徒なんてめったに学校来ない人が多いし、東棟の3階から出てこないから、もう2度と会わないと思うけど。そういえば名前きかなかったけど、それもきっと、たいしたことじゃない。
そんなことより、テストの勉強しなくちゃ。やることはいっぱいあるんだから、気にしちゃダメ!
*****
そして家に帰ると、むっちゃんが半泣きで待ち構えていた。数日前に渡したノートの意味が、さっぱりわからなかったらしい。
とりあえず夕飯を食べて、自分の課題とテスト勉強をする。その片手間に、明日クラスの人たちと勉強会なのになんにもわからない、と1人大騒ぎするむっちゃんに、ポイントを教えてあげていたら、あっという間に夜11時。
お風呂に入っていたら、日付を跨いでしまった。おかげで、その日の出来事をむっちゃんに話すのをすっかり忘れてしまっていた。
その時は、まあそれでよかったんだけど、そのことに気付いたのは、なんとテストが終わってしばらくしてから。
ある出来事をきっかけに、わたしの身の回りにもゲームのイベントらしきものが起こっているんでは? と思い始めてからだった。




