彼女は女友達(鴇村修成視点)
「修成は、羽鳥先輩のこと、どう思ってるの?」
駅のホームに降りたとき、ふいに袖を引かれて言われた言葉に、僕は首をかしげた。
どう、というのはどういうことだ。そもそも、なぜ舞子にそんなことを聞かれているんだろう。2人きりでろくに会話も続かないままの電車の中は正直息苦しかった。みんなと騒いでいたときは、もっと普通に話せていたはずなのに、他の人がいなくなったとたんまるでダメで、自分の会話力の低さに嫌気がさすくらいには。
しかし、共通の知人、しかもさっきまで一緒にいた人間の話を出すのは、名案だとは思えない。いったい、どんな意図があって舞子がそんなことを言い出したのかもわからない。こういうときは、本当にもっと周りの人間の積極的に交流を持っておくべきだったと思う。
「ねえ、答えてよ。修成」
「羽鳥さんは、優しい人だと思っているが……」
「そういうんじゃなくてぇ!」
ダンッ、と踵の高いブーツでホームを踏み鳴らす舞子を、通りすがりの人がちらりと見ては何事もなかったような顔をして歩いていく。
なにを要求されているのかまるで見当がつかなくて、ぼんやりと舞子の顔を眺めていたら、今度は腕を捕まれた。
「だからっ、修成にとって羽鳥先輩はなんなのかってことっ!」
だいぶ最初の質問とニュアンスが違う。それならそうと、初めから聞いてくれればいいものを。しかし、女子とはそういうものなんだろうか。
「何って、そうだな、数少ない友人だ」
「友人って、……ただの友達なの?」
疑わしげな表情で、まっすぐこちらを見てくる舞子に、僕は1つうなずきを返した。
羽鳥弘夢。同じ特進科の2年生で、国立文系を志望する彼女は、隣のクラスに在籍している。僕の所属する理系と文系ではテスト科目が違うから、一概に比較はできないが、成績はかなりいい方だろう。法学部を目指す彼女は、先日の模試で志望校判定はBだったというから、簡単に予想できる。
体育や芸術科目なんかは3クラスある特進科全体で合同だし、長期休暇中以外は塾に通っていない彼女は図書館の常連だから、たびたび見かけることはあったし、言葉を交わしたこともあった。それでも、今年の夏に文化祭の有志に誘われるまではただの知り合い程度の関係だった。とはいえ、普段の様子を見ていて、なんとなく、自分と同じ波長のようなものを感じていた。彼女も、僕と同じで学校には勉強をしに来ている人間だ、そう感じたのだ。
特進科は、難関大学への進学を目指す生徒ばかりだから、もともとお互いに干渉したがらないし、休み時間や放課後の付き合いの悪さもある程度は折り込み済みだ。
そんな中でも僕や羽鳥さんのようなタイプはちょっと特殊だった。言葉を交わしたり、グループ作業をする友人はいるが、普段は1人でいることを本人も周りも気にしない。どんな授業でも真面目に受けて、休み時間でも本を読んだり課題をしたり。たまに、友人と雑談に興じることはあるけど、それも授業や受験、時事問題に関するものが多い。高校や塾に通うのだって、大学に進学するのだってタダじゃない。だから、もう目標が定まっているなら、それに向けて精一杯の努力をすべきだと僕は思う。だから僕はそうしていたし、それが当然だと思っていた。僕と同じような羽鳥さんを見て、自分は間違ってないと安心してさえいた。
学校は勉強をするところで、ともすればライバルになりかねないクラスメートとの付き合いは、ほどほどで充分だ、と。僕はずっとそうしてきたけれど、それは正しいのだ、少なくとも彼女は僕と同じような考えを持っているはずだ、と。
だけど、ちゃんと話して、一緒の時間を過ごしてみて、彼女の印象は大きく変わった。
結論から言えば、彼女は僕とは違っていた。クラスメートや友人と過ごすことの大切さや楽しさをわかった上で、あえて高校では勉強を優先しようとしている人だった。僕のように、端から友達付き合いを切り捨てている人間ではなかったのだ。だから、勝手に自分と同類だと思っていたことを後悔した。
「ただの友達、というのはどういう意味だ?」
「えっ、ええと……」
「僕は友人が少ないからな。僕の友人は彼女に限らず、大事な人たちだ」
彼らは、僕の考え方を変えたと言ってもいい。特に、文化祭の有志に参加してからは、友人と呼べるような関係の人が増えた。誰かと協力して何かを成し遂げることの難しさや楽しさを知って、友人がいることの温かさを理解した。
それ以降は、休み時間にクラスメートと他愛のない話をしたり、放課後や休日に一緒に出掛けるようにもなった。これまでに比べたら、僕の生活は大きく変わった。
あまり友人と過ごすことのなかった僕は、会話が下手くそで、ときたま頓珍漢な物言いをするのに、彼らはそれを笑って許し、根気強く付き合ってくれる。このままじゃ、大学に入ってから一人ぼっちになるぞ、と言われて、確かにそうだなと納得したものだ。大学に入ってからいきなり友人を作ろうとしたって無理だし、学生のうちにうまく人間関係を築けないようでは、社会人になってからやっていけない。そんな単純なことにも気づけていない、僕はなんと愚かだったのか。
「大事な、人……」
舞子は表情を失った顔でそう呟いた。なにか、僕はまたおかしなことを言っただろうか。自分の目を覚まさせてくれた友人を、大事な人だと言うのはおかしいことだったろうか。
その中で、手を差しのべてくれた筆頭が羽鳥さんで、きっかけを与えてくれたのは他でもない舞子だ。
舞子や羽鳥さんも含め、今日のパーティーに来ていた人たちはみんな、僕にとっては大事な友人だと思っている。僕に気軽に話しかけてくれて、話を聞いてくれて、ときには叱ってくれる。それを大事な友人だと言わずして、なんと言うのだ。
「舞子?」
「大事って、特別ってこと?」
大事と特別はイコールなんだろうか。僕にはよくわからないけれど、かなり近いような気もする。
「たぶん、そうなんだろうな」
「そう、なんだ……」
明らかにトーンの落ちた声に、僕は慌てた。やっぱり、僕はなにかよくないことを言ったらしい。失言や余計な一言が多いという自覚はあるとはいえ、それに気づくのは、だいたい相手の反応を見たり、たしなめられたりしてからがほとんどだ。
「なんだ、舞子? 僕は、なにかおかしいことを言ったか?」
指摘されなければわからないなんて、情けないことだが、不適切な発言を口にする前に引っ込めるなんて、今の僕には備わっていないスキルなのだ。だから、残念ながら相手にその都度指摘してもらって、適不適のボーダーラインを身に付けていくしかない。
「……いや、別に」
「それなら、どうしてそんな顔をするんだ。情けないが、僕には言ってもらえないとわからないんだ」
なにかに落胆したような諦めたような顔をして、視線を落とす舞子に、僕は思わず詰め寄った。
なぜか、舞子に対してはうまく会話を繋げることができない。しばらく顔をあわせずにいたうちの舞子の変化に、僕が未だ戸惑っているせいだろうか。それか、昔にもまして人付き合いが下手くそになった自分に、幻滅されたくないせいか。
「じゃあ、聞くけど」
「ああ」
「修成はさ、羽鳥先輩のことは大事で特別な友達だと思ってるんでしょ?」
「そうだな」
なんせ、僕が友人をつくる入り口を用意してくれたのは彼女で、一緒にいてもかなり気楽な相手だ。なんとなく、僕をわかってくれていて、多少のことでは動じず、幻滅もしないでいてくれそうな相手だと思っている。
彼女いわく、周囲に期待を寄せられやすい人の葛藤は何となくわかる、のだそうだ。この人はこんな人、というイメージを周りから強く持たれている人は、時折そのイメージに振り回され、そのイメージと異なる自分に幻滅するのだという。僕自身がそれに当たるとは考えたこともなかったが、言われてみれば、真面目な優等生で規範意識が強く、人間関係には淡白で感情も薄い、という自分に対する評価を、僕はいつの間にか受け入れていたし、知らずそのように振る舞おうとすることもあった。
周りは気にせず好きにしたらいい、それが自分なんだから、案外周りは幻滅なんてしないし、幻滅するようなのは友達じゃない、と笑う彼女に肩の荷が下りたような気分になった。それはきっと彼女とちかしい鳩谷くんや前生徒会長のことを見ていて、自然と身に付いた考え方なんだろう。もしかすると彼女も、周りに貼られたレッテルと戦っているのかもしれない。
「あたしといるより、あの人といる方がいいんでしょ?」
「は?」
「だって、あたしといるときより、話すし、笑うし、雰囲気がやわらかいもん。それって、あの人は特別だからじゃないの?」
「それは……」
それは、羽鳥さんの方が緊張せずにいられるからだ。ある程度僕の考え方を理解してくれているし、よっぽどのことをしない限り、僕に幻滅しないという言質を取っているからだ。
だけど、舞子は違う。しかも、昔、舞子に向けられた尊敬の視線がたまらなく嬉しくて、気持ちよくて、今でもそれを向けてくれる。だから舞子の前では、格好つけたくて、うまくやりたくて、幻滅されたくなくて、緊張してしまうのだ。
つまり、特別気楽な相手が羽鳥さんで、特別よく見られたいのが舞子だ。どちらも特別ではあるけど、その差は大きい。
「ねえ、あたしは、迷惑なの? 付きまとわれててウザいの?」
「な、誰がそんなことを言ったんだ」
誰がそんなことを言ったのだ。少なくとも僕はそんな風に思ったことはない。そりゃあ、友人たちにところ構わず突っかかってこられたころは、一体なんなのかと戸惑いもしたし、腹をたてたりもした。けれど、最近ではそんなこともなくなってきた。そして、昔のように僕を慕ってくれるのが嬉しくて、怖くて、困っているくらいなのに。
「……誰かにって言うか、修成がそう思ってんじゃないの?」
震える声で放たれたせりふに、一瞬理解が遅れた。
なんだって? どうしてそんな勘違いをされているんだ。僕がいつ、そんなことを言った?
「だってあたしとは、全然会話も続かないし、なんだか表情も固いし、あんまりこっち見てくれないじゃん」
「それは……」
「あたしなんて、頭悪いし、ギャルだし、短気だし、口も悪いし。釣り合わないってことくらいわかってるもん。でも、バカだからウザいならウザいって言ってくんなきゃわかんないの!」
「な……」
うつむきぎみに、唇を噛み締める舞子に、思わず絶句した。
要するに、僕の昔のように親しく話せるようになりたい、という思いはまるで伝わっていなかったということだろう。自分なりに、態度に出していたつもりでも、あの緊張した態度では駄目だったらしい。
ふいに、いつだったか、ゆっくり話す機会があれば、誤解も解けそうだ、と誰かに、たぶん羽鳥さんに言われたのを思い出した。そうだ、頭のなかで考えていても、態度に出しているつもりでも、それだけでは伝わらないこともある。それを僕は、この半年ほどの友人付き合いで学んだはずだ。
そうだ、格好をつけようとしている場合ではない。たぶん、今は、そんなものを放り出してでも舞子と話すべきだ。
「舞子だって、特別だ」
「……へ?」
「羽鳥さんが特別なのは、彼女と話すのが楽だからだ。でも、舞子は違う。舞子には昔みたいに格好いいと思われたくて、幻滅されたくなくて、だから緊張するんだ。僕だって、もっと普通に話したいさ。けど、しばらく会わないうちに、舞子はすっかり雰囲気が変わっているし、僕こそ一緒にいちゃおかしいんじゃないかって、そう思ってた。けど、羽鳥さんや、他の友人にそんなこと気にするなって言われて、だから勉強会に誘ったり、今日だって来たんだ。舞子は僕にとって、本当に初めてできた友人なんだから、嫌われたくないって思ったって、前みたいに仲良くしたいって思ったっていいだろう」
一息に言い切って、はーっと長いため息を吐き出す。真正面から舞子を見て言う勇気はなくて、下がっていた視線をそっと上げる。すると、ポカンとした表情で舞子がこちらを見つめていた。
「……舞子?」
呼び掛けると、はっと我にかえったのか、目があった。するとみるみるうちに真っ赤になって、ホームを駆け出した。
「えっ、おい、舞子?!」
予想外の行動に思わず大声で呼び止めると、ホームの端で立ち止まって、舞子はぐるりと振り返る。
「そっ、そんなにいうなら、遠慮なく付きまとうんだから! 修成のバカっ!」
「はっ?!」
そう早口で言って、舞子はあっという間に走っていってしまった。
「なんなんだ、一体……」
本当に、舞子の言動は理解できない。僕が悪いのか、舞子の反応の方がおかしいのか、さっぱりわからない。
とりあえず、また羽鳥さんにでも相談してみるしかないだろうか。持つべきものは、話しやすい女友達だ、と僕は深い深いため息をついた。




