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2人と1人(11月第2週)

ほとんど衝動的に講義室を飛び出したわたしは、とにかく望くんから離れようと廊下を走り出した。

なんにも考えずに走って走って、なぜか中央棟の端っこに差し掛かった辺りで、ふとなんで逃げてるんだろう。てか、望くんから逃げるのって2回目じゃん、なんて思って、減速して後ろを振り返ってみると、誰もいない。望くんは今回も追いかけて来ていないようだ。なんだ、よかった。

安心したとたん、息がすっかり上がってしまっていることに気づいた。自覚すると、急に息苦しくなってくるのが不思議だ。そういえば、なんだか膝もがくがくする。全力でなくても、数分走っただけでこんなになる自分が情けない。よれよれと壁づたいに歩いて、邪魔にならないように、ちょっと広くなっている階段のところまでたどり着く。誰もいないのを確認して、壁際に寄りかかるようにしゃがみこんだ。膝に頭をくっつけたまま、ゆっくりと深呼吸を繰り返して、どうにか息を整える。まだ心臓もバクバクいってるし、自分の呼吸音もうるさい。


「おい、大丈夫か?」

「ひいっ?!」


いきなり肩を叩かれて、驚きのあまり、倒れかけて床に手をつく。声をかけられた方を見ると、心配そうに眉を寄せた三鷹先輩が、腰を屈めてこっちを見ていた。


「三、鷹、先輩……」

「えっ、羽鳥? なんでこんなとこにいるんだ?」


知り合いの顔を見て、へなへなと力が抜けたように廊下に座り込む。先輩はそんなわたしに驚いたのか、しゃがんで目線を合わせてきた。


「はあ、いや、ちょっと……」

「ずいぶんボロボロだし、なにかあったか?」


まだ整わない呼吸のまま答えようとしても、考えはまとまらないわ、声は出ないわで、もうどうにもならない。それに、いろいろ必死だったから、先輩の言う通り結構ひどい見た目になっているだろう。少なくとも、髪はボサボサだし、たぶん制服もよれている。

おまけに、なにがあったかなんて聞かれたらさ……。


「うあああ……」

「おい、羽鳥?」


望くんの手の感触や、視線、間近で見たきれいな顔、そしてかけられた言葉。いろいろ一気に思い出してしまって、顔が熱くなってくる。うめきたくもなるというものだ。思わず頭を抱えてうつむくと、先輩は焦った声でわたしを呼び、頭を撫でる。


「とりあえず、落ち着け。移動しよう。廊下に座ってると冷たいだろ? ほら、立って」

「ううう……」


差し出された手をつかむと、そのままぐいっと引っ張りあげられた。まだ膝が震えているせいでよろめくと、背中に手をやって支えてくれた。その拍子に、耳に先輩の息がかかって、つい過剰反応してしまう。だって、さっきの今だし仕方ない。


「ひっ、せ、先輩っ、ちっかいです!」

「けど、羽鳥ふらついてるし。ちゃんと歩けるか?」

「あ、ある、歩け、ます!」


念のため、腕を先輩の腕に捕まらせてもらって、ゆっくりと西庭に出た。わたしがベンチに座ると、先輩はちょっと待って、と言って自販機で温かいお茶を買ってきてくれた。


「ありがとう、ございます」

「いいよ。それで、どうしたわけ。羽鳥がそんな風にパニックになることって珍しくない?」

「うー、その、ちょっと……」


正直、話したくない。だって、なんだか恥ずかしいし、微妙な反応をされるのは目に見えている。けど、ここまで心配されるほどの失態を見せておいて、なんでもないです、で済むかといったら……。ちらりと見た先輩の表情が、なんだか寂しそうで申し訳なくなった。


「なんか、話しにくいこと? それとも、僕には話せない?」


たぶんこれは、先輩に話すようなことじゃない。本当のことを話したりしたら、いつものように過保護に怒りはじめる予感がする。


「うう、その、……喧嘩、を、しまして」

「喧嘩?」

「それで、ちょっと思わず手が出てしまって、ですね。自分でもびっくり、して。逃げて来ちゃった……みたいな」


ゆっくりと落ち着いて思い出して、言葉を選びながら答えるうち、とんでもないことに気がついて血の気が引いた。

そうだ。わたし、望くんの顔を叩いちゃったんだ。とっさのことだったから、力加減ができなかったとはいえ、あのときの音と自分の手に届いた衝撃は、どう思い出しても押さえたというレベルじゃなかった気がする。

どうしよう、仮にも役者さんの顔を叩くなんて。わたし程度の力じゃ怪我をするほどじゃないと信じたいけど、でも、もし爪がひっかかりでもしてたら……。万が一があったら、わたしに責任が取れるんだろうか。思わず、両手でぎゅっとお茶の缶を握る。


「おい、顔が白いぞ。大丈夫か?」


急に黙ったせいか、わたしの顔を覗きこんだ三鷹先輩にそう言われた。自分でも、そうだろうと思う。だってわたしは今まさに、さあっと血が落ちていくような感覚を味わっているのだから。

呆然として先輩の方を見上げると、校舎のほうから足音がして、ふいに名前を呼ばれた。


「―――ヒロムちゃん!」

「っ!」


まさかと思って、声のした方を振り向く。すると、鞄を2つ手にした男子生徒が、こちらに歩いてくるところだった。それが望くんだと認識した瞬間、ガチンと自分の体が固まるのがわかる。どうしよう、何を言われるんだろう。

硬直するわたしをよそに、望くんはあっという間にこっちに歩いてきて、わたしの目の前で立ち止まった。


「ごめんね、ヒロムちゃん」

「……えっ?」


困ったような笑顔を向ける望くんに、怒っている様子は見られない。叩いてしまった顔も、赤くなったりしてはいないようで、ひとまずほっとした。


「ボク、帰らなきゃいけなくなっちゃって。荷物持ってきたんだ」

「あ、ありがとう……」


立ち上がって自分の通学鞄を受け取ると、ぼんやり望くんを見上げる。


「それから、さっきはごめんね。急に、ビックリしたよね?」

「えっ、あ、うん。でも、わたしも、ごめんね」


わたしが慌てて首を振ると、望くんはキョトンとした顔で首をかしげる。


「さっき、叩いちゃったから。顔、痛くない?」

「あんなの、叩いたうちに入んないよ。全然痛くなかったし。ボクが、いきなりキスしようとしたからいけないんだ」


そう言われて、思わず顔が赤くなる。なんとなくそのつもりだったのかなとは思っていても、まさか望くんが本気なわけない、とどこかで思っていたから余計に。

恥ずかしくて顔をうつ向かせると、三鷹先輩が急に立ち上がった気配がした。ヤバイ、聞かれた! と思って顔をあげたら、既に望くんに詰め寄っているところだった。2人とも背が高いので、間近で並ばれると非常に圧迫感がある。


「おい、どういうことだ」

「え、なに? ヒロムちゃん、この人誰?」


険しい顔で三鷹先輩に睨みつけられているのに、望くんはなぜか笑顔で、それが妙に迫力がある。妙な雰囲気に気圧されてしまったのか、うまく声が出ない。


「あ、えと、三鷹先輩、で、前の生徒会長してたの。わたしが中学からお世話になってる、先輩」

「ああ、例の『お兄ちゃん』?」

「う、うん……」


そういえば、望くんには先輩がわたしを妹分扱いするって話をしたことがあった。だけど、今それを言ったら駄目なような気がする。案の定、普段より2割ほど低い声で先輩に問いかけられた。


「羽鳥、コイツ誰?」

「あ、えっと、はい。あの、目白望くん、です」

「目白? へえ、これが……」


紹介しながら、以前食堂で望くんと2人で出かけた話をしたときに、先輩は微妙な反応をしていたのを思い出した。

品定めでもするように望くんを眺める三鷹先輩に、さすがの望くんもちょっとムッとしたようだ。


「なんですか? まさか、ボクがヒロムちゃんと一緒にいるのが気に入らないとか言っちゃいます?」


どこか冷え冷えとした笑顔でそう言う望くんに、三鷹先輩は応戦するように笑顔を張り付けた。

一気にはりつめた空気に、わたしは体を縮こまらせる。まさかと思うけど、これってわたしのせいなんだろうか。


「そうだな。羽鳥が弄ばれるのを黙って見てられない。もう関わらないでくれないか」

「ボクはもてあそぼうなんて思ってないですよ。だいたい、そんなの外野おにいちゃんに口出されることじゃないと思いますけど」


……あっ、なんかブリザードの幻覚が見える。ナニコレ、なんでこの2人が対立するような構図に?

別に、わたしが油断していたのも悪かったとは思いますよ。だけどね、まさか望くんが冗談でもわたしにちょっかいを出すとか思わなかったし、その件について先輩が望くんを怒る必要もない、というか怒られるなら、わたしの方だと思うんです。

そんな風に現実逃避していると、急に肩をつかまれてハッとした。


「羽鳥、お前は」

「は、えっ、なんですか?」


驚いて顔をあげると、先輩と望くんはそろって固い表情でこちらを見ていた。


「嫌じゃなかったのか? いきなり、その、キス、なんて。許せないとは思わないのか?」


問われて、初めて気がついた。本当に、我を失うほどに驚きはしたけど、別に嫌だとか気持ち悪いとか、そういう感情は沸かなかったのだ。他には、誰かにバレたらということと、予測のつかないことへの少しの恐怖。また味わいたい感覚ではないけれど、うーん、どうだろう……。


「もう、2度としないって約束してくれるなら、平気、かな……」


ぼそりとこぼしただけの言葉は、どうやら2人の耳にも届いたようで。恐ろしく苦々しい顔をした三鷹先輩と、明るい笑顔の望くんがあまりに対照的でした。


「わかった、もういきなりあんなことしないよ。我慢する。だから、また会ってくれるよね?」

「う、うん。わたしも、気を付ける」


望くんの言葉にうなずくと、とても爽やかな笑顔が返ってきた。


「ありがと。でも、2人っきりだとかまってもらいたくなるし、かまいたくなっちゃうから、課題は1人でやるね」

「えっ、大丈夫なの?」


1人でって、今日みたいな感じでやってたら、絶対に期限に終わらないんじゃないかな。それに、一緒にやるって約束したのに、それを反故にするのは、ちょっと気が引けるんだけどな。


「だいじょーぶだよ。ボクだってやればできるんだから。ヒロムちゃんにあきれられたくないからがんばるよ」

「え、えっと、そう?」

「うん。ヒロムちゃんは自分の勉強がんばって。また、メールするね!」


そう言うと、望くんは笑顔で手を振って西庭を出ていった。それを見送ってふう、と息をつくと、ふいに三鷹先輩に名前を呼ばれた。


「羽鳥」

「あ、はい」


そちらを振り向くと、まだ眉根を寄せたままの三鷹先輩が、こちらを見つめていた。


「本当に許すのか? いきなりってことは、無理矢理ってことだろ? 本当に嫌じゃなかったのか?」

「えっと…………はい」


無理矢理とは、ちょっと違うと思う。もちろん、望くんとは付き合ってるわけじゃないから、キスとかするような関係じゃないのは確かだ。だけど、わたしも特に抵抗らしい抵抗もしなかった。予想外のことに呆然としていた、というのもあるけど、嫌だって気持ちが弱かったんだと思う。雰囲気に飲まれたっていえばそうなんだけど、自分が貞操観念の弱い人みたいに思えてちょっとへこむ。


「なんで……」


信じられないという表情でつぶやく三鷹先輩に、わたしは言い訳でもするようにまくし立てた。


「いや、ほら、ちょっと魔がさしただけで、たぶん他意はないと思うんですよ。だって、望くん、芸能人ですよ? わたしなんかを相手にするわけないじゃないですか。友達相手の事故みたいなものだし、そもそも未遂だし、本気で怒るのも、ね?」


うかがうようにそちらを見ると、はあとため息をつかれた。そして、真面目な顔でこちらをまっすぐ見た先輩は、子供を諭すような声色で言った。


「本気じゃないとか、余計だめだろ」

「う、でも正直、本気でも困るし……」


思わず、視線を泳がせた。だって、わたしはそういう意味で好きじゃないから、応えることはできない。だったら、事故だから、冗談だからごめんね、って言われた方がまだ気が楽だ。もちろん、今の自分に本気で好きな人がいたら、そんな風に思えないんだろうけど。


「じゃあ、僕にされたらどう思う?」

「は……?」


何を言い出すんですか、あなた本命あもうさんがいるでしょう? という思いを込めて、まじまじ見返す。すると、先輩はふっと笑って頭をかいた。


「悪い、変なことを言って悪かったよ。けど、やっぱり心配だな」

「えっ?」

「羽鳥は警戒心がなさすぎる。もっと気を付けた方がいい。いいか、忠告はしたからな」


そう言うと、三鷹先輩は西庭を出ていってしまった。わたしは1人残されて、ぼんやりとその言葉の反芻することになったのだった。



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