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衝動と逃亡(11月第2週)

ここ数日の放課後、わたしは約束通りに望くんの課題に付き合って、連雀くんと勉強してたのと同じ講義室で過ごしている。

もうテストが終わって3週間もたっているんだけど、仕事の都合もあるからと課題の締め切りは今週末までなんだそうだ。課題といってもプリントとか、簡単なレポートを書くとかばかりで、わたしなら本気を出せば休日1日半で終わるような代物だ。全教科分あるとはいえ、それがまだ1割も終わっていないなんて、どういうことなのか。時間に余裕のある人間の言い分なのは自覚してるけど、この2週間でなんでこれだけ? って感じなんですよ。だって、教科書見て穴埋めするだけのプリントなのに! 1枚15分で終わるよ!


「ヒロムちゃん、休憩しようよぉ」

「いやいや、望くん。まだ1枚も終わらせてないよ? このプリント終わったらって言ったよね?」

「だって、わかんないんだもん」

「だから、ちゃんと教科書見てごらんって。答え、そのまま書いてあるからさ」


うー、と言いながら、ぺったりと机にうつ伏せる望くんにため息が出た。

どうしよう、むっちゃんや連雀くんを上回る集中力のなさだ。お芝居の台本を覚えるときとかどうしてるんだろう。もしかして、覚えずに現場にいきます、なタイプ? あああ、困ったなあ。


「ねー、ヒロムちゃん……」

「なんでしょう、望くん」


ぐりぐりとこめかみを押しながら、プリントと教科書やノートを見比べる。机にのせた両手をパタパタさせながら、望くんは口を尖らせて、こっちを見上げている。

上目使いですか? うん、確かにちょっとドキッとくるよ? でもね、それは演技だってわかってるんだから。前はすっかり騙されたけど、今回はそうはいかないんだからね。……つい視線をそらしてしまうのは、あれだよ、その、ほら。ね? そっちに意識をやるとほだされちゃいそうだからってわけでは……!


「ね、じゃあ頑張ったらごほーびくれる?」

「うーん、そうだねえ……」


ふーむ、どうしたら望くんは自力でプリントをやってくれるんだろうか。結構簡単なプリントのはずなんだけど、それでもやる気がでないのは、やっぱり物で釣るしかないのか。

本当なら勉強これも必要なことだと思えるようにするか、わかると楽しいって思えるようにするのがベストなんだろうけど、一介の高校生のわたしにはそんなこと無理だ。とにかくなんでもいいから目の前の課題を終わらせることしかできない。約束したからには、この課題を期日までに提出させなければ。


「じゃあ、とりあえずこれ1枚は終わらせよう? 」

「ごほーびくれる?」

「うん、いいよ。キリがいいところで飲み物でも買って休憩しよう。でも、今日のうちにここにあるプリントの半分は終わらせよう、ね?」


ほぼ穴埋めのみのプリントは計7枚。この他にレポート(と言っても、現代文と古文の感想文だ)の提出が2つあるらしいので、少なくともこのくらいのペースでやらないと、後が辛い。


「えええ……」

「大丈夫、教えるから。6時までは頑張ろう」

「……うん、わかった」


しぶしぶシャーペンを握る望くんに、わたしはプリントの答えが書いてある教科書のページを開いて見せる。


「じゃ、世界史からね。ルネサンスの文化だから、答えはこっからここまでに書いてあるよ」

「ううん。……えーと、ルネサンスのはじまりは、イタリア、で?」

「そうそう、合ってるよ」


そんな調子でプリントの半分を終える頃には20分経過。でもまあ、この調子ならなんとかなだめてすかして、6時までに半分いけるかな。


「あ、これわかる」

「ん? シェイクスピア……?」


ぽつりと出た言葉に、望くんの手元をのぞくと、そこはちょうど有名な劇作家の項目の穴埋めだった。


「そう。この前の舞台、夏の夜の夢をベースにしたやつだったから、ちょっと読んだよ」

「へえ、なるほどね」


そうか、そうだよね。歴史や古典は、演劇の題材になることも多いし、現代でも上演される当時の作品もあるんだから、望くんも仕事上接している可能性は高い。うん、こっから攻めていったら、結構進むんじゃないかな。少なくとも今やってる世界史と、古文は「平家物語」だし、現代文は「坊っちゃん」で、英語は「オペラ座の怪人」の英語版を読んで答える問題みたいだから、この4つはいけそうだ!


「うん。だから、ここはわかるよ。知ってる? ロミオとジュリエットって、17歳と13歳なんだよ」

「え、そうなの? 若いね……」

「そうなの。すごいよねー。っと、終わったあ!」


望くんはぽいっとシャーペン放り投げると、大きくのびをする。確かに、プリントの空欄は全部埋まっていた。


「じゃあ、休憩しようか。飲み物いるよね?」

「わーい、やったあ!」


無邪気に喜ぶ望くんに、思わず笑みがこぼれる。お財布だけ持って立ち上がると、ボクも行くよ、と望くんもついてきた。2人並んで自販機まで行って、わたしはホットティー、望くんはカフェオレを買った。講義室に戻ると、お茶を飲みながら10分ほど休憩することにした。


「ヒロムちゃんって、まじめだよねー」

「へ? そう?」

「そうだよ。こんなプリントなんて、ちゃんと書いてあれば、遅れたって先生も文句言わないよ?」

「それでも、成績下がったら望くんが困るでしょう?」


普通のことだと思って聞いたのに、望くんは首をかしげた。


「うーん、どうだろ。ボクは別に、卒業できればそれでいいかな」

「そんな適当な」

「芸能科なんて、けっこうみんなこんな感じだよ?」

「そんな馬鹿な……」


学科の違いってだけでもないと思うんだけど、芸能科ならお仕事の方が大事ってことなのか。カルチャーショックだ。話をしてるうち、望くんは、教科書には載っていない豆知識をたくさん知ってることに気がついた。出るわ出るわ、話のネタにはなるけど、勉強とは関係ないものばかり。


「知らないことは、その時その時で覚えるから、別にいいかなって」

「そうですか……」


はあ、とため息をついて、わたしは望くんの興味を勉強に向けさせることを諦めた。


「ヒロムちゃんは、なんで勉強するの? 好きなの?」

「わたしは、必要だから勉強するんだよ」


不思議そうに問う望くんに答えながら、連雀くんにも同じ状況で同じ質問をされたのを思い出して、笑ってしまった。なんだろう、高校1年の男子ってみんな似たようなこと考えるんだろうか。それとも、わたしがみんな同じこと聞きたくなるような人間なのかな。


「どうして笑うの?」

「いや、ちょっと前にも同じこと聞かれたのを思い出したの」

「へえ?」

「その時もちょうど、ここで2人で勉強してるときだったから。なんかおかしくて」

「2人って、誰と?」

「え? 連雀くんだけど……覚えてる?」


そう言えば、お弁当事件のときは2人とも西庭にいたな、と思って聞いてみると、望くんは顎に手を当てて考える仕草をした。


「連雀……普通科の?」

「そうそう」

「あのちっちゃいやつか」

「え、望くん?」


聞いたことがないほど低い声で、ぼそりと言った望くんに、わたしは驚いた。なんだか急に、雰囲気が変わった、ような? ぱっとこちらを向いた顔は、さっきまで笑顔だったのに、不機嫌さをあらわにした表情に変わっていた。


「それって、いつの話?」

「え? っと、テスト前だから、先月、だけど……」

「ふーん、ねえ、ヒロムちゃん?」

「へ、えっ?!」


不意に、机にのせていた腕をつかまれて、おかしな声が出た。


「あ、あの、望くん……?」

「他に、どんな話をしたの?」

「ええっと……」


あまりにもまっすぐ見つめられているせいだろうか。覚えてないはずないし、思い出せてるのに、なぜか言葉にまとめられない。なんだっけ、好きな人の話じゃなくて、恋人は賢い方がいいんだったか、それとも、お互いに恋愛対象ではないって話?

なんだか、鼓動が早い。でも、連雀くんに手をつかまれたときのような、気恥ずかしさに顔が熱くなるような感じではなくて、どこか冷えていくような感覚で。これはなに? 一体、どうしたの? わたし、なんか望くんを怒らせるようなことした?


「ボクには言えないような話? それとも……」

「っ?!」


ガガッと音がして、体が傾く。どうやら、座っている椅子に足を引っ掻けて、無理矢理方向転換させられたようだ。お互いの膝がぶつかるような距離で、正面から向き合うことになって、わたしは思わず視線を泳がせた。


「なにか、言えないようなこと、してたの?」

「ひぇっ?!」


腕をつかむのとは反対の手で、不意に頬に触れられた。さっきまでホットのカフェオレを飲んでいたはずなのに、ヒヤリとするその手に、思わず首をすくめる。


「あ、の、望、くん……?」

「ふふ、ヒロムちゃん。かわいい……」


想定外の言葉にぎょっとして望くんの方を見ると、どこか恍惚とした表情の望くんと目が合った。ええ、なにこれ、どうしたの? なんかちょっと怖いんですけど、どうしちゃったの?

わたしがどうしていいかわからずに固まっていると、望くんはすっと目を細めて笑った。


「ヒロムちゃんさあ」


するりと頬に触れる手が動いて、耳から首筋を撫で、うなじのあたりにたどり着く。肌の上を優しく滑るような触れ方に、背筋がぞくりといった。こしょこしょとうなじをくすぐられるたびに、頭の中がかき回されて、なんだか思考が霞んでいく。


「それってわざとなの? それとも、ほんとーに無意識?」

「……な、に?」


自分の声がかすれている。声まで出なくなるなんて、一体、どうなってるの。さっきのホットティー、なんかおかしなものでも入ってた?


「無意識っぽいよねえ。実は、小悪魔ちゃんだったんだ?」


いつの間にか機嫌がなおったらしい望くんは、くすくすと楽しげに笑い、変わらずわたしのうなじ辺りを撫でている。どうしてこんなことになっているのか、どうして望くんはそんなことを言うのか、そんなことをするのか。そして、わたしは一体、どうしたらいいのか。わからないことばかりで、答えがさっぱり見つからない。

ぐるぐるといろんなことを考えすぎて、ついにわたしの思考回路はオーバーヒートしたらしく、望くんの言っていることも行動も、なんだかぼんやりとしかわからなくて、体が全然動かない。固まってしまっているわけじゃないのに、力が抜けていうことをきかない。


「ね、ボクのこと、好き?」

「……う、うん?」


反射的に応答した答えは、首をかしげながら縦に振る、という至極曖昧なものだった。一拍おいて、頭に入ってきた質問の意図も、どう答えていいかわからないもので、結局、首をかしげたまま、ううん、と唸った。


「わかんないの? ひどいなあ、ボクはヒロムちゃんのこと好きなのに」

「そ、うなの?」

「そうだよー。じゃなきゃ2人っきりにならないし」


そういうものか、と納得したようなしないような気分でぼうっと望くんを見つめていると、すっと距離が縮まったような気がした。


「うーん、わかんない? じゃあ、チューでもしたら、わかるかなあ?」

「へ?」


ぐっとうなじの辺りを引かれて、コツンと望くんのおでこがわたしのそれにあたる。これまでにないほど至近距離で見た望くんの顔は、やっぱりすごく整っていて、腹が立つほどに肌もきれいだった。ずるい、男の子の癖にそんな美肌でどうするのよ。イラっときて、滑らかな頬から視線をずらすと、かちりと目があって、外せなくなった。見つめ合ったきれいな瞳がすっと細まるのを見て、あれ、チューするんだっけ、ていうか、チューってなんだっけ、なんて霞がかった頭で考える。


「ふっ、ヒロムちゃん、目、閉じないんだ?」


望くんの吐き出す息が、自分の鼻先、口もとにかかって、次の瞬間。わたしは、やっと我に返った。


なにやってるの、チューって要するにキスってことでしょ?! それは普通、恋人同士でするもので、友達じゃしないでしょ?! ていうか、望くんとこんな近距離で接触していたなんて、誰かにバレたら、わたし一体どうなるの怖い!!

そこまで一瞬で考えて、ざあっと血の気が引くのがわかった。

そしてわたしが出した結論は、今すぐこの状況を打破すべし!


そうと決まったら、次の行動は早かった。

ぱしん、と気の抜けた音をさせて、わたしは今にも自分の顔にくっつきそうな望くんの鼻と口を、空いている右手で押さえた。わたしの左手と首の後ろをつかむ手が緩んだ隙に、ガタンと音をたてて椅子から立ち上がると、あっけなく拘束は外れる。いつの間にか詰めていた息をはっ、と吐き出して視線をあげると、きょとんとした顔でこちらを見上げる望くんと目が合った。

そのとたん、自分の今の状況が一気に頭に入ってきて、ぐわっと身体中が熱くなる。あまりの居たたまれなさに、視界がにじんでくる。


これからどうしていいかわからなくなったわたしは、とにかくその場を離れることしか考えられなかった。



珍しく、次話に続きます!

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