学生の本分(10月第3週)
今日から、2学期中間のテスト週間に入る。久々にお昼を一緒した望くんに、修学旅行のお土産を渡したら、お返しに沖縄みやげのちんすこうをもらってしまった。
どうやら、テスト後の補習課題を手伝ってほしいらしい。つまり、賄賂ってことね……。テスト本番は頑張らないのかと聞いたら、半分くらいお仕事で出られないんだってさ。明後日からまた、舞台のお稽古が始まるんだそうな。それにしたって、テスト前に全然勉強をしないのもどうかと思うよ。
もちろんわたしは、ちゃんと勉強しますよ。仮にも特進科だし。今日も友達が予備校に行く前に、軽く教室で問題を教えあってから、図書館へ向かう。そろそろ自習室の利用者が増えてくる時期だけど、たぶんまだ1人くらい座れるだろう。図書館だから、当然基本は私語厳禁なのもあって、座る席がないほど混むことはないのだ。ただ、グループ学習用の個室は、すごく競争率が高い。私語も相談程度は可だし、飲み物と飴くらいなら、飲食も可なので、わいわい教えあいたい人に大人気なのだ。
さて、今日も頑張るかー、と図書館のドアに手をかけようとしたら、バンッ、と勢いよくドアが開いた。驚いて手を引っ込めたわたしは、そのまま固まって中から出てくる人を見つめた。
「連雀、くん?」
「……は?」
おおっと、怖い! なんだか眉間にくっきりシワを刻んで、ひっくい声を出されたら、さすがに知り合いだとわかっていてもびびる。鋭い目でわたしをとらえたと思うと、口をぎゅっと結んでわたしの手をつかみ、歩き出した。
「えっ? ちょ、連雀くん?」
ぐいぐい引かれて入ったのは、図書館前の階段の裏。倉庫の入り口がある関係で、他の階段と違ってここだけ階段下が空洞になっている。お呼び出しや、ちょっとした悪事、密会の現場になっているともっぱらの噂だ。
そんな所にいきなり引っ張りこまれて、何事かと思わない方がおかしい。
「ねえ、一体な、ふぐっ」
しかし、わたしの問いかけは途中で飲み込まざるを得なかった。なぜって、いきなり手で押さえられたからだ。おまけに鋭くシッ、とか言われてしまったら、黙るしかない。狭いからか、後ろから抱えるように押さえこまれてるんだけど、結構力強くて苦しいです。
するとすぐに図書館から誰かが出てきた。少し、図書館前の廊下をなにか探すようにうろうろしている。連雀くんは、その人の様子を気にしているようで、至近距離にあるその目は鋭い。中に戻っていくような音がすると、安心したのか連雀くんの手が緩んだ。すかさずわたしの口元からはがすと、やっとまともにこっちを見た。
「すんません、羽鳥サン」
「全くだよ。一体なんなの? あと、近いと思うんだけどな」
ため息混じりにそう言うと、連雀くんは、ぱっと手を離した。
「あー、ホント、いろいろすいません」
「いいけど。理由は聞かせてもらえるよね?」
向き直って有無を言わせない感じで聞いたら、連雀くんは素直にこくんとうなずいた。そんなに素直だと、こっちの怒りがしぼんでしまうんだけど。
「さっきまで、図書館で勉強会してたんすけど」
「へえ、えらいね」
「別にえらくないっす。無理矢理連れてかれただけだし」
渋い顔で吐き捨てるように言う連雀くんに、わたしは思わず問い返した。
「それでも、参加しようと思ったからついていったんでしょ?」
「まあ、けど……」
あとはお察しください、ってとこかな? 図書館を出てきたときの雰囲気からして、一緒に勉強していた人となんかあったんだろう。友達と勉強会なんて、慣れてなきゃやりにくそうだし、1人でやる方がはかどるって人だっている。連雀くんは、そもそも勉強会が合わないのか、連れていかれた先に合わないタイプの人がいたのかはわからないけれど、とにかく今日の勉強会は失敗だったんだろう。
表情を見れば、なにか不満なことがあったのはわかる。もしかして、天羽さん関係かなあ。気になるし、もうちょっと聞いてみようかな。
「んー、場所移動しようか。ここ狭いし」
「え?」
「一応、勉強する気はあるのよね? 勉強しながらでよかったら、話聞くよ」
「けど、どこで……」
「穴場があるの。そこならしゃべっても、飲食しても平気だから」
笑いかけると、連雀くんは困った顔をした。
*****
わたしたちが向かったのは、東棟の1階の端、空き教室もとい、講義室Cである。講義室は普段、理科や社会の選択科目の授業に使われるほか、少人数の部のミーティングなんかに使われている。特に高価な備品もないので、だいたい下校時間まで鍵も開いていて、相談をしながらお昼を食べたいときときなんかに、結構みんな自由に使っているのだ。
「ん、空いてるね。どーぞ」
「東棟って初めて来た……」
ガラスから中を覗いて誰もいないことを確かめてから、ガラリと戸を開ける。連雀くんを中に促すと、なんだか落ち着きなく辺りを見回していた。
「ね。静かでいいでしょ」
「はあ。こんなとこ、勝手に使っていいんすか?」
「大丈夫だよ。東棟の人は結構普通に使ってるもん」
「ふうん……」
荷物を置いて座っても、まだキョロキョロしている連雀くんに、思わず笑った。
「別に珍しいものなんてないよ? さ、勉強しよう」
「あ、はい……」
さあ話せとは言わず、わたしが鞄から参考書とノートを取り出すと、連雀くんもつられるように鞄から教科書とノートを出した。
「……あのっ」
「うん?」
まずは勉強、と思ってシャーペンを握ったら、いきなり話しかけられた。あ、もう話すのね。いいけどさ。
「女子にとって、やっぱバカより頭イイ男の方が上っすか?」
「……えー、人それぞれ、じゃない?」
やけに真剣な表情で聞くから、なんだか口ごもってしまった。本当に、図書館で何があったの。誰かに馬鹿だと言われでもしたんだろうか。
「けど、付き合うならバカじゃない方がいいですよね?」
「うーん、まあ、わたしはそうかな」
あくまで個人的にはね。でも、程度にもよるだろうし、そんなの関係ないって人もいると思うよ。と思ったんだけど、肯定の返事をしたとたんに、連雀くんはふてくされた顔で机にペッタリとうつ伏せた。
「やっぱおれ、ダメじゃん」
「なに、さっきの勉強会で誰かに言われたの?」
「……ちょっと」
別に連雀くんは、馬鹿じゃないと思うよ。勉強は得意じゃないのかもしれないけど、頭の回転はいいと思うし、周りの空気も読めるし、常識もある。そういう意味では、ちゃんとした人だ。けど、連雀くんはそういうことを気にしてるんじゃないんだろうな。
「……さっき。図書館で羽田や天羽さんに鳩谷さん、あと、鴇村さんと一緒だったんすけど」
「……へえ」
なんだそのすごい面子。鴇村くん、羽田さんをちゃんと誘えたんだな、とは思ったけど、ヒロインとライバルと攻略対象3人て、間違いなく危険だよね。なにをどうしたらその5人が集まるんだ。てか、鴇村くんと連雀くんて初対面じゃない? どう考えても、性格が合わなそうなんだけど、よく誘ったな。
「おれは、1年が自分だけだと目立つからって、羽田に連れてかれたんです」
「……羽田さん」
きっと、いきなり2人きりは緊張するからって天羽さん誘って、なぜかむっちゃんもそれに乗っかって、そしたら、2年の中に1年1人って事実に気づいちゃって、慌てて連雀くんを誘ったか。あーあ、やっちゃったな。羽田さんて、どうして鴇村くんがらみのこととなると、周りが見えなくなるんだろうね。
「最初は黙ってやってたんすけど、羽田の頭を叩いたのを見て、つい口出しちゃって」
「叩いたって、なんで。てか、誰が?」
「鴇村サン。羽田が問題間違えたのを見て、違う、って言ってノートでベシッと」
「ああ……」
その光景はなんとなく想像できるかな。鴇村くんは、文化祭の準備中も篠崎くんとは多少のどつきあいはあったし、やんちゃな弟さんがいるらしく、近しい相手にはとっさに手が出てしまうことがあるって言っていた。羽田さんも昔からの知り合いだから、つい手が出たって感じだろうか。
「注意っていうか、本気じゃないのはわかってたんす。でもおれ、女の頭を叩くとか、冗談でもやめろって言っちゃって」
「そうなんだ……」
確かに、人の頭を叩くというのは冗談でもあんまり見ていて気持ちのいいものじゃない、って人もいる。特に男子が女子にってなると、仮にカップルのじゃれあいだとしても、わたしもちょっとどうかなって思っちゃうかも。
「鴇村サンは謝ったんすけど、でも、みんなは冗談なんだから、そこまで言わなくてもって。羽田も自分がバカなんだから、今のは仕方なかった、みたいなこと言って……」
「うん、それで?」
別に連雀くんは間違ったことを言ったわけじゃないけど、相手とタイミングが悪かったんだろう。うかがうようにこちらを見ながら話す連雀くんに、続きを促す。
「バカだったら、頭叩かれても仕方ないってわけないだろって、勉強できるやつができないやつに何してもいいって考えはおかしいって、言っちゃって」
「おお、言うねえ、連雀くん」
すごいなあ。うん、でも大丈夫。連雀くん、君は馬鹿じゃない。きちんと分別と常識のある、ちゃんとした人だよ。
「そしたら、教えてもらう側のくせに、文句言うなって羽田が怒るし。おれは、鴇村サンより下だって、価値がないって言われたみたいで、腹が立ったから……」
「図書館を飛び出して来ちゃったわけね」
「そうです。連れ戻されて謝らされるのも嫌で、逃げたんす。おれ、まちがってますか」
肯定と共にため息を吐き出して、こちらを見る連雀くんに、わたしは思わず言葉を探して視線をさ迷わせた。
「連雀くんの言ってることは間違ってないと思うし、馬鹿だとも思わないよ」
そう答えると、連雀くんはそっと体を起こした。
「けど、おれ頭悪いし、小せえし、負けてるってか、相手にされてない感じがするんすけど」
「頭のいい悪いは、勉強の出来不出来とは違うし、体なんてまだ大きくなるでしょう? ほら、手も大きいし」
机の上に乗った連雀くんの手に、わたしのそれを並べると、関節1つ半は違う。今の連雀くんはわたしと少ししか身長も変わらないし、がっちりしては見えない。でも、なんだかんだ優しいし、成長したら絶対に格好いい大人になると思うんだよね。
「けど、やっぱり、恋愛対象にはならないでしょ?」
「えー、そんなこと、ないと思うけど……っ!」
いきなり、ぎゅっと手をつかまれて、息を飲む。重なる手と連雀くんの顔を見比べると、ふっと不敵な笑顔で、ぐっと体を寄せられた。
「けど、少なくとも羽鳥サンは違うっしょ? こうして、簡単におれと2人きりになるし、近づいても特に気にしないし。男だって認識してない」
「そ、れは……」
図星では、ある。ギクリとして、顔や体が熱を持つ。でもこれは、きっと、言い当てられて恥ずかしいからだ。連雀くんにときめいているわけでは、ない。だって、連雀くんだって……。
「連雀くんだって、わたしのこと、そんな風に見てないでしょ?」
だから、こっちも気にせずにいられるのだ。ぐっと目に力をこめて見返すと、連雀くんは一瞬キョトンとして、すぐにふっと表情を崩した。
「そっすね。……確かにそうか」
連雀くんが笑うのと同時に、つかまれた手がするりと外れたので、ささっと膝の上に引っ込めた。男の子に手をつかまれるのは落ち着かないもんね。
「でしょ? てか、さっきの聞いてて思ったんだけど、連雀くんて、羽田さんのこと好きなの? それか、天羽さん?」
「ぅ、それは、言えません」
聞いてみると、すっと視線をそらされた。でも、よく見ると少し頬が赤い。おやおや、これはもしかするのかな?
「ふーん。ま、いいけどね。で、どうするの?」
「なにをっすか?」
「戻って謝る? それとも、今日はここで勉強してく?」
おかしくなりかけた空気を変えたくて、明るく聞くと、連雀くんはちょっと考えてから答えた。
「……ここにいても、いっすか?」
「うん、いいよ。わたしでよかったら教えるから、わかんないとこあったら聞いてね?」
「うっす。ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げる連雀くんに、わたしは笑ってうなずき、改めてシャーペンを手に取った。




