彼女は優等生(鷲巣祐太郎視点)
「生徒をからかうのはやめてください。勘違いを招くと思います。それとも、先生は生徒と教師の恋愛はありだと思ってるんですか?」
正面に座る仏頂面の羽鳥は、忌々しげにそう言った。さっきの「かわいい」発言がまずかっただろうか。それとも「俺は好きだけど」の方か。いずれにせよ、面白いくらい顔を赤くして、ココアにむせる様子は、初々しくて好感がもてた。
夢見すぎって言われそうだけど、高校生ならこのくらいうぶな反応でもいいと思うんだよな。まあしかし、それに対して恋愛感情がわくかどうかは別だ。これで二十歳越えてたら本気出すんだけどなあ。
「いや、俺には無理だと思ってるけど」
「へえ? それは、なんでですか?」
さも意外そうに目を見開く羽鳥に、苦笑が漏れる。あんまり口数が多くない分、全部表情に出ていて面白い。これで本人はクールなつもりらしいから、余計に微笑ましいものだ。
「意外か?」
「いえ、まあ。……先生は若いし、生徒ともそこまで年も違わないから、なくはないんじゃないかと」
ぼそぼそ言う表情は、まだ納得のいかない様子だ。別に、俺のことを好きって訳でもないだろうに、どうしてそんなことを気にするんだか。
「絶対ないとは言い切れないけど、リスクがでかすぎるからな。大変な仕事だけど、俺はまだ、教師を続けたいんだよ」
教師というのは、体力と精神力と人からの信頼がものをいう職業だ。
ちょっとしたことで生徒には嫌われてしまうし、あまり浮わついていると保護者からの評判が下がる。同僚の先輩からは生徒に交じるばかりではなく威厳も必要だ、勉強が足りないとチクチク言われる。授業の準備にその他事務作業、保護者対応、特別活動の監督、教科の研究会に各種研修、やることは山ほどあって、神経も削られるのだ
それでも、続けたいと思うのは、昔からの目標だっただけじゃなく、やりがいがあって楽しいからだ。
今のうちは、若手の特典で生徒に受け入れられやすく、親しまれやすい自覚はある。好きだと言われたり、あこがれられたりするのはやっぱり嬉しいし、それがやる気に繋がることもある。
ただ、いくら慕ってくれるから、ちやほやしてくれるからといって、身近な生徒を恋愛対象に見ようなんて、もっての他だ。それこそ信用に関わる。
実際、俺が高校生の時、生徒と噂になった先生が、年度末に左遷紛いの転勤をさせられたことがある。その噂は事実無根だったのだが、生徒からも保護者からも、そもそもそんな噂がたつような先生は信用ならないと言われ、そういう処置になったらしい。教師とは、そういう職業だ。
だいたい、教師に対する恋情なんてものは、教師と生徒という許されない関係への背徳感と緊張感、年上への憧れの影響が強いんじゃないかと個人的には思う。うちの学校の教師陣でも、教え子と結婚した人が何人かいるし、大学の同級生でこっそり教え子と付き合ってるヤツもいるから、本気のヤツがいないとは言い切れないけどな。
「でも、美歌さんとか、かわいいと思いませんか?」
「みかさん……?」
「普通科2年の天羽美歌さんです」
「ああ! 確かに下手なアイドルよりよっぽどかわいいな、とは思うけど」
でも、それだけだ。はっきり言って、俺の好みではない。もちろん、自分の好みが絶対とは言わないけれど、それでも、時々こっちを見透かしたような目をするから苦手なんだよなあ、あの子。
「それだけ……?」
「授業態度もいいし、素行もいいし、愛想もいいし、まあ見事な模範生だとは思うよ」
けど、教師にとったら少しつまらなくもある。悪い意味ではなく、こちらから余計なことをしなくても、すんなり人生渡っていけそうな天羽の様なタイプは、まあ変に気にかけなくても大丈夫か、という安心感があるのだ。ただ、その分なんというか、お節介のしがいがない。
その点、目の前の羽鳥はどうだ。一見、真面目な優等生……いや、成績も授業態度も素行も良好なんだか、人間関係の作り方が妙に下手くそで、トラブルに事欠かない。去年はそうでもなかったが、今年に入って西庭で他学科の人間と揉めてから、特進科の中でも要注意の生徒になった。
個人的にはそれ以前から、ライブで遭遇したのをきっかけに、なんだか数少ない同志を見つけたようで気にしてはいた。けれど、一度、準備室で相談にのってしまってからさらに気にかかるようになった。ああ、あれはまさか告白でもされるのかと思って、柄にもなくびびったな。けど、あのときの羽鳥は、自己嫌悪と周りからの攻撃に飽和状態のようだった。このまま潰れてしまうかもしれないと思うと見ていられなかった。だから目先を変えさせたくて、文化祭への参加を勧めてみたけど、どうやらそれは正解だったようでひと安心だ。目に見えて前よりも表情が明るくなって、ほっとした。まだまだ心配なところはあるけど、ひとまずは。
「気になる生徒という意味では、羽鳥の方が気になるな」
「なっ、また、そういうっ……!」
心配という意味で、とはあえて言わずにいると、案の定羽鳥は顔を赤くする。こうして構うのはあんまりよくないとわかっているけど、羽鳥は反応が面白くてなあ。それに、そんなに簡単に勘違いをしないタイプなのもわかってるし。
「生徒は対象外なんじゃ、ないんですかっ」
「普通に心配なだけだって」
「でも、さっきも、名前呼んだりとかっ」
「……ああいうやつの対処は、連れがいるってわからせるのが一番いいんだよ」
それも、身内とか友人とか、当然恋人でもいいんだが、できたら教師と生徒よりも親密な関係に見せかけるのが望ましい。教師とばれると侮られやすいし、相手に手を出されてもこちらからやり返しにくくなる。たとえ相手が悪くても、やっぱり教師が力に訴えたとなると、問題視される可能性もあるからだ。
「そうかもしれませんけど……」
「結果、無事に解決したんだからいいだろう」
「それは、……はい」
そう言って羽鳥は口では同意しつつも、不満げな顔をしている。そんなに名前を呼ばれるのが嫌だったのか。なんか、ちょっと凹むな。やりすぎだったか?
そういや一時、ライブで会った後に、構いすぎて避けられたこともあったか。あのときは久々に同じ趣味の人間に会って、相手が生徒だとか関係なく浮かれてた。あからさまに避けられるようになって、自分の行動の不味さに気づいて反省したものだ。
しかし、羽鳥はどうみても、必要以上に先生と関わりを持つのはよくないと考えるタイプだ。真面目な生徒に嫌われるってのは精神的ダメージがでかいから、今回は素直に謝っておくのが得策だろう。
「わかった、悪かったよ。あんまり構われるの、好きじゃないんだろ?」
「……どうして」
そう言ったら、驚いた顔で見返された。そのどうしては、どうしてわかったのか、なのか、どうして謝るのか、なのか。どっちだろう。とりあえず、前者を想定して言葉を返す。
「見てたら何となくわかる。まあでも、クラスメートとはうまくやってるんだろう? それなら、大丈夫さ」
「あ、その節は、ありがとうございました」
「俺、なんかしたか?」
「有志団体、参加したらどうかって言ってくれたじゃないですか」
それは確かに言ったけど。でも、俺がしたのはそれだけだ。それに、困ってる生徒にアドバイスをするのも、教師の仕事のうちだし、そうとってくれて構わないのに。
「俺は提案しただけだよ。実際、参加するって決めて、頑張ったのは羽鳥自身だ。そうだろ?」
「けど、先生に言われなかったら、そんなこと考えもしなかったし。だから、今のわたしがあるのも、先生のお陰です。本当に、ありがとうございました」
そう言って、照れくさいのか、ほほを染めて笑う。
初めて見るその表情に、少しだけ心臓が変な音をたてたような気がしたが、それを悟られないように、こちらも笑顔を返した。
「羽鳥が楽しくやってるなら、俺も嬉しいよ」
「はい、楽しいです。自分を見せるって、恥ずかしくて大変だけど、認められるとやっぱり嬉しいです」
はにかんで見せる羽鳥は、いつか、英語科準備室で泣きそうになっていた時にくらべて、随分と強くなったように見えた。
*****
藍田からのメールを受けて、待ち合わせのテレビ塔前に向かう羽鳥を見送って、長い息をはいた。
本当に、十代の成長ってものは早い。夏休み前はあんなに頑なで、できる子を繕うことに必死で、自分を伝える努力を諦めていたような子が、数ヵ月であんなにいい顔をできるようになるとは、予想以上だ。
羽鳥のみつあみ眼鏡に規定ぴったりの制服という、以前の鉄壁の優等生スタイルは、周りを遠巻きにさせるなにかがあった。わたしは勉強に集中してるので声をかけないでください、っていうオーラが出ていた。
学校は勉強をするところだけど、それは教科書の上のものだけじゃない。人との付き合い方や社会、自分のことを学ぶ場でもあると俺は思う。それに気づいてもらえたのなら、喜ばしいことだ。
もちろん、あの鉄壁の優等生も羽鳥の一面であることは否定しない。けれど、隣にいた俺の存在を忘れてしまうくらいライブではしゃぐのも、理不尽なことには案外我慢できないのも、全部羽鳥弘夢という人間である。
いろんなものを飲み込めるようになるのも成長だけど、自分を繕わないというのも、ある意味成長なのだ。それは、自分自身の現実を受け入れられる、ということだから。それができるようになってきた羽鳥は、きっとこれからすごいスピードで大人になっていく。
「高校卒業するころには、すごい女になりそうだな……」
思わずこぼれた言葉をごまかすように冷めたコーヒーをすする。
すごい女ってなんなんだ。判然とはしないけど、それでも、普通の同級生じゃ相手にならないような、そんな予感だ。だったらどんな相手ならと考えて、あと1年半して卒業したら、俺でもありなのか、とそこまで考えて、自分の思考回路に驚いた。そして、妙に納得もした。
あれだけ、生徒は対象外だと言っておいて、自分はどうやら羽鳥弘夢という女の子に惹かれ始めているらしい。
よくよく考えてみれば、簡単なことだ。
標準的な身長にやや薄目の体つきも、ふわふわと柔らかい髪も、ちょっと高めのアルトも、抜けるように白い肌も、意思の強そうな目も、結構好きだ。音楽の趣味も合うし、からかうと必死にやり返そうとするところや、ちょっと素直じゃないところはかわいいと思う。
年齢が低い以外、見た目も性格も自分の好みに合うのだから、気にかかってしまうのも道理だ。
そういえば、ライブで会ったときに声をかけたのだって、好みの外見の子が同じ趣味を持っていて、嬉しくなったからだった。反発されるとわかっていてつい構ってしまうのも、何かあったと聞くと他の生徒以上に心配になるのも、ナンパにイラついて、必要もないのにわざと名前を呼んだり肩を抱いたりしたのも、全部。気づかないまでも、羽鳥が少なからず好きだからだ。
まだ育っていない気持ちは、せいぜい彼女が幸せになれるといい、という位。ただ、厄介なことに、この手の気持ちは気づいたとたんに育っていくもので。いずれ、彼女が欲しい、というところまでいくのだろう。
でも、あれだけ否定しておいたのだから、こちらに気持ちを向けるような不毛な真似は、羽鳥はしないだろう。それは残念なようで、安心でもある。
いずれにせよ、羽鳥の卒業までは、嫌でも彼女を見ていなければならない。きっと、この気持ちはその間に大きくなっていくんだろう。経験上、羽鳥に恋人でもできない限り、この気持ちが消えてなくなってしまう、もしくは完全に冷めるということはまずない。
「あと1年半。うまく逃げ切ってくれよ、羽鳥」
教師と生徒の関係が変わらないうちは、決定的な行動を起こす気はさらさらない。だけど、それを過ぎたらどうなるかは自分でもわからないとも思う。高校卒業で縁が切れたらそれまでだけど、もしもその先も縁が続くのなら、きっと我慢はしないだろう。
教師と生徒だけじゃなく、教師と元教え子の恋愛だって、いい顔をしない人は多い。それを気にしなくなるほど、この気持ちが育つかどうかは、これからの過ごし方にかかっている。
結構、ちゃんと先生をしている鷲巣先生のお話でした。
先生のお仕事や立場についてはあくまで自分の中の知識のみで書いています。これがすべてではないと思います。細かい間違いなどはご容赦ください。




