文化祭2日目(9月第2週)
我らが特進科2年有志のD−カフェは、それなりに盛況で、常に8割くらいの座席が埋まっていた。今やっとお昼のピークを過ぎたころだ。
「うわ、ホントに店員なんだ」
「あれ、連雀くん」
1人でやって来てわたしに声をかけたのは、連雀くんだった。球技大会以降、顔を見れば話しかけてくれるようになった。今日も相変わらずかったるそうな様子で、たぶんクラスの出店の衣装だろう、蝶ネクタイを首に引っかけ、シャツのボタンを二つほど開けている。
「えーと、お客さんだよね?」
「ええ、まあ。コーヒーください」
空いている席に座ってもらうと、すぐに注文を受ける。注文のコーヒーを取りに行く途中振りかえると、大きく息をはいて、連雀くんはイスに体を預けているのが見えた。
「お待たせしました。コーヒーです」
「どもっす。あ、羽鳥サン」
「なあに?」
「あの、しばらくここにいてもいっすか?」
いかにも疲れてます、というような声を出す連雀くんに、ダメとは言えなかった。まあ、順番待ちで並んでる訳じゃないし、混んできたら出てもらえば大丈夫だよね。
「んー、まあ、空席がある間は平気かな」
「あざっす」
なんだろう、なんかあるのかな、と思ったけど、あんまりにも疲れた顔をしてたので、理由を聞くのは諦めた。
そうして、平和に過ぎるはずだった文化祭2日目の午後。これから、今日のドラマの捜査編の上映時間だというころに、それは突然やってきた。
いらっしゃいませ、という声を無視してずんずん中に入ってきたポニーテールのメイドさんは、だらりとテーブルに体を預ける連雀くんの席に、まっすぐ歩いていった。
「あんた、こんなとこでなにしてんの?」
「はあ? ああ、羽田かよ」
「当番、途中で抜けるとか最低じゃん! みんな困ってるんだよ? さっさと戻って!」
周りの困惑をよそに、メイドさんは連雀くんに言い立てる。連雀くんのせりふと彼女の声を聞いて、わたしはそれが羽田さんだということに気づいた。
「人が休んでる間に、いかにも嫌がりそうな仕事割り当てたヤツが言うなよな。最初から納得してないし」
「はあ? ホームルームの日に休むのが悪いんじゃん。大体、前日までの準備ほとんどしなかったんだから、当番くらいやってよ!」
「別に、立ってるだけでいいんなら、おれはいらねえだろ。見せもんにすんじゃねえよ!」
2人の出すピリピリした空気に、周囲は完全に遠巻きだ。厄介なことに、二人の見た目がちょっと派手なのもあって、みんなビビってしまっている。
よりによって、こういうあしらいがうまい篠崎くんは、今日は当番を外れていていない。ここは2人と顔見知りである、わたしが止めにいくのが一番なんだろうなあ。さっき、連雀くんと話していたせいか、ちらちらみんながこっちを見ている。羽田さんからはいい感情持たれてないだろうから、下手したら余計に騒がれそうだけど、やむを得まい。
「はい、ストップ。それ以上続けるつもりなら、外に出てくれる?」
無理矢理2人の間に入って、そう言うと、一瞬教室に沈黙が降りた。
わたしの顔を見て、連雀くんは気まずそうに視線をそらし、羽田さんは眉をつり上げた。あ、なんかデジャブ。なんて、のんきに考えていたら、羽田さんは矛先をこちらに変えた。
「あんた、なんなのよ!」
「なんなのよって、それはこっちのセリフだって、前にも言ったよね、羽田さん?」
ここは、営業中の模擬店の中である。お客さんもそこそこ入っているこの状況で、席に座るでもなく別のお客さんと口論を始めるなんて、迷惑極まりない。おまけに、これから次の上映だ。
「営業妨害だから、揉め事なら出てちょうだい。そもそも、ここは特進科2年の有志の模擬店だけど、それもわかってる?」
「なっ」
羽田さんは、わたしの言葉に慌てたように辺りを見回すと、きっとこっちを睨み付けた。たぶん、鴇村くんがいないか確かめたんだろう。今日は当番じゃないからいないけど。
「わかったら、さっさと出て。連雀くん、君もね」
「……わかりました」
2人を追いたてるように廊下に出て、中のクラスメートを振り返ると、ごめんね、というように手をあげられた。大丈夫、と言うように笑って、手を振り返して、教室の引き戸を閉める。
「羽鳥サン、おれもう行きます」
「クラスに戻るの?」
「はい。ウルサイの来たし。ちょっと休めましたから」
「そ? じゃあ頑張ってねー」
教室から出ると、頭をガシガシかきながら言う連雀くんに、わたしは軽く返す。しかし、それに待ったをかけたのは当然ながら羽田さんである。
「待ちなよ!」
「んだよ。別に、クラスに戻るっつってんだから、いいだろうが」
腕を捕まれた連雀くんが顔をしかめて見せると、羽田さんはよくない、と言って押し止めた。
そして、どういうわけかまた矛先がこちらへ。
「あんた、どういうつもり?!」
「どういうって、なに? わたし、なにかした?」
わたしに振り向くなり、こちらに敵意を飛ばす羽田さんに、わざとらしく首をかしげて見せる。わたしだって怒っているのだ。怯んだりなんてしない。大体、わたしに非はないんだから、彼女に遠慮なんていらないと思う。
「なんなの? そうやって男に媚びて、どういうつもりなのっ」
「はああ?」
なんだこの子。勘違いも甚だしいな。男に媚びてるって、わたしが? なにをどうしたらそういう発想になるんだか。何となく連雀くんを見たら、あきれたような顔をしていた。
「意味がわからない。あなた、何言ってるの?」
「修成も連雀も千鳥センパイも、女子と親しげに話すようなタイプじゃないのに、あんたとは普通に話すじゃん! そんなの、絶対におかしい! なんかしたに決まってるじゃんか」
えー、そんなこと言われても、普通に顔見知りになっただけだし、会ったら話くらいするでしょ? 鴇村くんも連雀くんも、そして千鳥先輩も、別に友達がいない一匹狼でもないんだから、そういう女子の知り合いがいたっておかしくないと思うんだけど。
大体、それを言ったら天羽さんはどうなるのさ。わたしよりも、よっぽど彼らと親しげだと思うけどなあ。ああ、でも、天羽さんは羽田さんの友達だけど、わたしは羽田さんにとって嫌な女でしかないもんね。なんたる理不尽。
「アホらし」
お互いの顔を見つめたまま沈黙するわたしたちに一石を投じたのは、黙って見ていた連雀くんだった。
「どういう意味?」
「羽田のソレは、ただの嫉妬だろ。羽鳥サンは、別になんもしてない」
「なっ!」
「少なくとも、おれはお前より羽鳥サンの方が一緒にいるの楽だし、好きだよ。だから、会ったら話しかける。それだけだけど」
えっ、今わたしのこと好きって言ったの?
正面切って、男の子に好きって言われたのが初めてで、思わずぽかんとそっちを見てしまった。てか、連雀くん、そういうことも言うんだ。失礼で意地悪な発言がデフォルトだと思ってた。羽田さんも驚いたのだろう、呆然とした顔で、連雀くんを見つめている。
わたしたち2人の視線を受けて、連雀くんはハッとしたように一瞬目を見開いて、ぎゅっと口を引き結んだ。そして、顔を真っ赤にするとこちらに向かって叫んだ。
「ちがっ、勘違いしないでくださいよ!? 別に、人として、好きってだけだ!」
「あ、うん。大丈夫、わかってる」
しかし、これは後からじわじわくる。なんと嬉しいことを言ってくれるんだろうか。もちろん、恋愛感情じゃないことは言われなくてもわかっている。でも、異性としてよりも、人間的に好きって言われた方が嬉しいのはわたしだけ?
「わたしも、連雀くんと話すの面白いから、結構好きかも」
「そ、れは、どーも」
思わず緩む表情を隠さずにわたしが言うと、連雀くんはふいっとそっぽを向きつつ返してくれた。いやあ、後輩に慕われるっていいもんだね。
しかし、羽田さんは納得がいかない。クラスメートの自分より、自分が嫌いなわたしといる方がましって言われたんだもの、そりゃそうだ。
「ありえない! あんた、バカだから騙されてんのよ!」
「ありえねーのはお前だろ。おれが嫌がんの知ってて接客させようとしたり、自分が気に入らない相手をすぐ悪者にしようとしたり、お前の方がよっぽど性格悪いんじゃねえの」
「っ!」
連雀くんのせりふには、わたしもびっくりした。ずいぶん辛辣なお言葉だ。まあ、わたしはいちゃもんつけられた側だし、庇ってあげる義理もないけどね。
でも、やっぱり同世代の男子に結構なことを言われた羽田さんは、顔を真っ赤にして固まってしまった。まさか、泣くんじゃなかろうな。これじゃあ、わたしが連雀くんと一緒になって羽田さんを泣かしたみたいになるんだけど。
「あのさあ、羽田さん」
「な、っなによ……!」
しかし、さっきまで泣きそうに顔を歪めていたくせに、わたしが声をかけただけでこれだ。
ひとつため息をついて、できるだけ厳しい表情をして羽田さんを見つめる。すると、ぐっと眉間に力をいれて見返された。
「ずいぶん、視野狭窄なのね」
「なんなのよ! バカにしてんの? そうやって、こっちを見下したような感じが頭にくんのよ!」
キイン、と頭に響くような高い声で叫ぶものだから、思わず顔をしかめてしまう。それにしても、なんて我が儘な言い分だ。自分はあんだけ敵意むき出しのくせに、こっちには普通の対応を望むつもり?
「残念だけどわたし、聞く耳持たない相手に、友好的な態度で接することができるほど、心が広くないんだよね」
「そういう言い方がムカつくって言ってんの! 勉強ばっかしてんのの、なにが偉いのよ。どうせそれしかできないくせに、だからそんな性格悪くなるのよ!」
さすがにこれは、わたしもかちんときた。
言ってしまったね? そのせりふは、特進科や、普通科でも頑張って勉強している人みんなを敵にまわすせりふだからね?
これはもう、お灸を据えさせてもらうよ。容赦しないんだから。
「羽田さんさ、今のせりふ、鴇村くんにも言えるの?」
「はあっ?!」
「彼は、わたしなんかよりもよっぽど勉強してるよ? 予備校にも行ってるみたいだし、放課後も図書館の閉館時間まで頑張ってる。そんな鴇村くんが今の言葉を聞いたら、どうするかな」
こういうせりふは、できるだけ冷淡に言うと効果的なのだ。こっちまで熱くなったら負け。案の定、顔色を変えた羽田さんは、慌てて弁解しようとする。
「な、なっ……修成は、ちが……」
「いや、ガリ勉なんだったら一緒じゃん」
「連雀は黙ってなさいよ!」
思わずそうに言った連雀くんに、羽田さんは素早く一喝した。ほら、そうやって人の話を聞かないのがよくないんだって。きっと、今まで指摘してくれる人がいなかったんだろうね。かわいそうに。
「あと、特進科は別に目的もなく勉強してる訳じゃないから。将来やりたいことがあって、そのために目指す大学があって、そこに入るために勉強してるの。それのなにが問題なの?」
「それはっ、バカにしてるからよ! 普通科はバカだって見下して、こっちの話を聞かないじゃない!」
「少なくとも、わたしは聞いてるつもりだけど? 大体、あなただってわたしのこと見下してるでしょ?」
「そんなことしてないっ! あんたと一緒にしないでよ!」
話が通じない子、という意味では多少わたしも見下してる。でも、自分だって、あんたなんて勉強しかしてないくせに、ってのが態度で駄々漏れだってのによく言ったものだわ。
「本当に? あなたがわたしを気に入らないのは、外見に気も使わない、ガリ勉眼鏡の地味女が、鴇村くんとか目立つ人たちと仲がいいからでしょう?」
「っそ、れは」
「そりゃね、あなたの方が美人だし、おしゃれだし、スタイルもいいよ? でも、だからってあなたよりわたしが下だと判断するのは、見下し以外の何ものでもないよね?」
図星をさされたのか、そんな指摘をされるとは思わなかったのか、言葉に詰まった羽田さんに、わたしは容赦なく畳み掛ける。
「別に自分の信じる道を突き進むのは勝手だけど、少しは周りの話も聞いたら? そんなんじゃ、いつまでたっても、鴇村くんたちとまともに話せないよ。っていうか、いつか孤立するよ?」
わたしがそう言いきると、羽田さんは、泣きそうなのをこらえるような顔でこっちをにらみ、無言で去っていった。初めの勢いはどこへやらって感じ。
連雀くんに、「羽鳥サンて、怒らしちゃいけないタイプだったんすね」という感想をもらったけど、後悔はしていない。
さすがに、友達やクラスメートをバカにされたら黙ってられませんからね。




