夏のお嬢さん(8月第3週)
久々に恋愛色のあるお話です。
主人公と目白くんのお話。
窓の外の人通りを見ながら、わたしはぼんやりとアイスティーをストローでかきまぜた。まださっきまでの余韻が覚めない。
個人的に演劇の舞台を見たのは初めてだった。前からなんとなく興味はあったけれど、高校生の自分にはちょっと敷居が高いような気がしたし、一緒に行くような相手もいなかった。だから、チケットを用意してあげるからと言われて、戸惑いつつも行くことに決めたのだ。
スポットライトの下で非日常の世界を作り出す役者さんたちは、みんないきいきと輝いていた。少し強引に誘われはしたけど、観に行ってよかった。素直にそう思える。
「お待たせ、ヒロムちゃん」
「いいえ、お疲れ様。舞台、すごくよかった。かっこよかったよ」
そう言って、アイスコーヒー片手にわたしの前に座ったのは、つい1時間ほど前まで衣装を着て舞台に立っていた望くん。今日の舞台を観に来てよ、そのあと遊んでよ、とわたしを誘った張本人だ。
実は一緒にお昼を食べる約束をしてからすぐに夏休みになったので、あの後、1回しかお昼を一緒していない。それでも時々メールのやり取りをしていて、今では立派なメル友だ。文化祭の有志の話から劇の話題になり、じゃあ観においでよ、結局1学期はあんまり話せなかったからそのあと遊んでよ、と言われてこの状況である。
「ほんとー? ありがとう。ヒロムちゃんも今日はなんかお嬢さんって感じでかわいいね」
「あ、ありがと」
今日は大人っぽく、水色のワンピにサンダルをはき、髪は緩く巻いてハーフアップにしてきた。ほめられるのはくすぐったいけど、今日はちょっと頑張ったので嬉しくもある。シンプルなTシャツにシルバーアクセ、黒のベストとジーンズという、ちょっと落ち着いた格好の望くんと並んでも浮かない感じなので、それも含めて我ながらいい選択だったと思う。
「じゃー、なにして遊ぶ? 買い物? カラオケ? ゲーセン?」
「えっ、カラオケとか大丈夫なの? 夜の公演は?」
「ああ、ボクの役はダブルキャストだから、夜は出ないんだ。次の仕事はあるけど」
今日観た舞台は、昼夜2回公演のはずでは? と思って聞いたら、あっけらかんとした答えが返ってきた。そういえば、そんな話も聞いた気がするなあ、と思ってうなずいた。
「そうなんだ。……じゃあ、夕御飯は食べずに解散だね」
「うん。えっ、なになに? ヒロムちゃん、夜ごはんも一緒してくれるつもりだった? ボクともっと一緒にいたかった?」
なにげなく口にした言葉に、テーブルから身を乗り出すほど食いつかれて、思わずたじろいだ。そんな風に取れなくもないニュアンスだったけど、恋人でもないのに、それはない。
「えっ? いや、次の仕事に遅れないようにしないと、って思っただけで、他意はないよ?」
「えー? 期待したのに。……まあ、ボクは7時には都鳥駅にマネージャーが来てくれることになってるよ」
すぐさま否定すると、望くんはつまらなそうな顔をした。しかし、お昼ご飯に誘われたり、遊びに誘われたり、わたしはいつの間に望くんにここまで気に入られたんだろう。そりゃ、なついてくれるのは嬉しいけど、でもなんでわたし? と思わないではいられない。
そういえば、撮影が終わって以来、天羽さんからもメールがくるんだよね。しかも、今日行ったカフェがいい感じだったから今度一緒に行こうとか、変なキャラ見つけたとか、今日買った本が面白かったとか、たわいもないものばかりだ。この人も、どうしてわたしに構うのか謎だ。
あと、鷲巣先生も顔を合わせるたび、なにかしら声をかけてくる。この前はCDを貸してくれた。先日、ライブ会場で遭遇したバンドのインディーズ時代のものだ。同じバンドを好きな仲間だからだと思うんだけど、全然関係ない話もふられるし、相変わらずボディタッチが減らないどころか、むしろ増えている。嫌われるよりいいんだけど、どのラインから警戒すべきなのかが読めなくて困るんだよね。
本来なら、望くんも天羽さんも鷲巣先生も、あまり関わらないでいたい相手だったけど、名指しでこられたら変に避けるわけにもいかない。好かれる分には人並みに嬉しいし、今のところ周りからあからさまな悪意を向けられるわけでもないので、もういろいろ諦めることにした。
「了解。望くんは行きたいところは?」
「服買いたいかなー。そろそろ秋物の新作出る時期だし」
「じゃあ、まずは買い物行こうか」
「うん!」
考えてもわからないので、まずは望くんとのお出掛けに集中しようかな。
*****
さて、そのあと望くんの買い物に付き合って2軒ほどセレクトショップをまわり、近くにあったゲームセンターで遊んでいたら、あっという間に夕方6時半になっていた。
「ちょっとお腹すかない?」
「じゃあファーストフードかどこか入ろうか?」
確かに待ち合わせ以降、飲み物しか口にしていない。言われてみたら、小腹が空いたような気がするし。でも、コーヒーショップやカフェでゆっくりする時間はないだろうなあ。
「えっと、そこのクレープ屋さんは?」
「いいよ。望くん、甘いもの好きなの?」
「うんっ」
男の子は苦手って人も多いのになと思って聞くと、望くんに満面の笑みで返された。なんだか、弟みたいでかわいい。
舞台の上の望くんは、キリッとしたクールな二枚目役だったのに、ギャップがすごくて、笑ってしまいそうになる。もしかしなくても、こっちが素なんだろう。でも、俳優の目白望を好きな人たちは、こういうのを見たら幻滅するのだろうか。わたしは今のちょっと子どもっぽい望くんの方が親しみやすくて好きだけど。
「じゃあ、次はわたしに払わせてね?」
だって、舞台のチケットもクレーンゲームの景品ももらってしまったんだもん。仕事してるし、自分が誘ったんだから、と言われたけど、お互い高校生でわたしの方が先輩ってことを考えると、なんだか全部負担してもらうのは申し訳ない。こんなクレープじゃたかが知れているけど、せめてものお礼に、と思って言ったら、こてんと首をかしげられた。
「いいの?」
「いいよ。さすがに全部負担してもらうなんてわたしも困る」
「そう? デートは男が払うものじゃない?」
「え、デート? わたしたち付き合ってないよね?」
「付き合ってなくてもデートはするでしょ?」
不思議そうに問われて、望くんはそういうタイプか、と思った。わたしは違うけど、友達同士で出掛けるのにデートって言う女の子もいるし、その辺の定義は議論してもしょうがないと思っている。しかし、デート代は誘った方、あるいは男が全部持つなんてわたしは認めない派なので。
「あー、まあ、デートかそうでないかはおいておいて。全部望くんに出してもらうなんて、わたしは困るの」
「ふーん? ヒロムちゃんは、変わってるねー」
「普通です」
この子はいったいどういう教育をされてきたのか。デート代は男が払うなんて、誰が決めたのよ。そりゃあ、それで喜ぶ女の子もいるんだろうけど、わたしは違う。できたら友達や恋人とは対等でいたいから、自分で負担できる分は負担したいのだ。まあ、恋人なんていた試しないけどね!
「ふうん。……じゃあ、ご馳走になろうかな」
「そうしてちょうだい。トッピングも2つまでならいいよ」
「それより、飲み物がほしいかも」
「ん、じゃあそうする?」
結局、わたしはストロベリーチーズケーキを、望くんはキャラメルクランチにアイスティーを注文した。
笑顔の店員さんに手渡してもらうと、お店の入口横で、さっそくまだほんのり温かいクレープにかじりつく。
「ん、おいしい」
「はー、おいしー」
思わず出たセリフが重なって、顔をあげると、幸せそうに笑う望くんと目があった。
「ヒロムちゃん、ありがと。これ、すごくおいしいよ」
「どういたしまして」
もぐもぐと口を動かす望くんになんだかほほえましい気分になって、顔が緩むのがわかる。そこまで幸せそうに食べてくれると、わたしもうれしい。
望くんが喜んでくれたことに満足して、しばらく黙って自分のストロベリーチーズケーキを堪能する。うん、ほどよい甘さと酸味のバランスが絶妙です。
「あ、クリーム」
「うん?」
ふと顔をあげると、望くんはもうクレープを半分ほどお腹に納めて、アイスティーを飲んでいるところだった。左の頬にクリームついてるけど。
「生クリーム、顔についてるよ」
「え、ホント?」
望くんは困ったように眉を下げるけど、右手にクレープ、左手にアイスティーを持っているせいで、どうにもできない。子供みたいでかわいいなあ、と思って笑ったら、望くんは頬を染めて、ますます困った顔になってしまった。
「とってあげるよ」
わたしはなにも考えず、自分よりかなり上にある望くんの顔に、左手を伸ばして指でクリームをぬぐう。ちょっと強めにこすってしまったのか、望くんはちょっと顔をしかめた。
「ん。……取れた?」
「取れたよ。結構ついてた」
わたしの指には、さくらんぼ大ほどのクリームのかたまりがうつっていた。
さて、これをどうするかが問題だ。わたしがなめるわけにもいかないし、どっかにぬぐうわけにもいかない。不精をせずに、ティッシュとか出すんだったか。でも、肩にかけたバッグを開こうにも、クリームのついた手では触れない。
人の世話を焼くなんて慣れないことするからだ、失敗したなと思って、わたしは眉を寄せた。
「ヒロムちゃん、手、貸して」
「え?」
かけられた声に顔を向けると、そこからはスローモーションだった。
望くんは少し残ったクレープをちょっと強引に口に押し込むと、アイスティーで流し込んだ。そして自由になった右手でわたしの手首をつかむ。なんだ? と思ってる間に、くっと引かれて思わずそちらに一歩踏み出すと、にっこりと笑顔を寄越された。
「ボクがとってあげる」
そう言って、するりとわたしの手首から手に持ちかえて持ち上げると、薄い唇を少し開く。そして、そのままクリームがついたままのわたしの指を口に含んだ。
ここまで、ぽかんと見ていたわたしは、指先に温かくて湿った柔らかい何かが触れる感触に体の芯がぞわりといって、やっと現状を理解した。衝動的に手を引っ込めようとしたころには、ちゅ、と小さな音を立てて唇から指が離れ、つかまれた手が解放されるところだった。
「っ?!……!!」
あまりの衝撃に声も出せず、口をぱくぱくさせながら望くんを見ると、彼はまるで邪気のない笑顔でこっちを見ていた。
「きれーになったでしょ?」
「っな、な、なに、してっ……」
「だって、もったいないし、ヒロムちゃん困ってたから」
言っていることは間違っていないけれど、そういうことを言っているんじゃないんだよ。なんだか噛み合わない会話に、頭痛がした。
「だからって……」
「おいしかったよ?」
「はあっ?!」
その言い方やめて! なんかちょっと違う意味に聞こえてきそうだからやめて! 怒りからか羞恥からかわからないけれど、顔が真っ赤になっていることだけはわかる。キョトンとした顔をして、どこまで本気なの、この子は。
「ダメだった?」
「ダメでしょ?!」
のほほんと笑う望くんにさらに言い募ろうとわたしが口を開いたところで、ふいに電子音が響いた。
望くんはポケットからスマホを取り出してなにか操作をすると、困った顔でこちらを見た。
「マネージャー、駅着いたって。ごめんね、ヒロムちゃん。もう行かなきゃ」
「えっ?」
話の途中じゃん、と思ったのもつかの間、望くんはすばやく体の向きを変えた。わたしが怒ってるからって、逃げるつもり?!
「今日はありがと! また遊んでね、バイバイ!」
「ちょっ、望くんっ!」
あっという間に走って行ってしまう望くんを呆然と見送ったところで、わたしは自分の行動の軽率さをやっと理解した。
望くんは、芸能人なのだ。こんな風にわたしと二人きりで出掛けていたと誰かにばれたら、どうなるんだろう。
顔を隠すでもなく割に人通りの多い道を歩き回っていたし、さっきのクレープのやり取りだって、そこそこ人のいる道でのことだ。誰か、望くんを知っている人が見ていないとも限らないではないか。
わたし、彼の事務所の人とかに呼び出されて怒られたり、ファンの人に嫌がされたりするんだろうか。いや、わたしはいいけど、万一、望くんの仕事に何か差し支えるようなことがあったら?
顔に集まっていた血が、一気に引いていくのがわかる。
急に1人で現実に戻ったわたしは、なんとも言えない不安を抱えたまま、家に帰ることになった。




