友達宣言(8月第2週)
「ちょっと待ってって!」
「嫌! 離して、ったらっ!」
2階へ上がる階段の踊り場。両方の肩をガッチリ捕まれ、壁に押しやられる。髪をほどかれてぼさぼさになった頭を振って、少しでも相手に攻撃をしようとしても、まるで届かない。
「なあ、話をさせてくれ」
「話すことなんて、ないっ!」
「いってえ!」
なおもしつこく食い下がる相手の足を、思いっきり踏みつけると、悲鳴があがって肩をつかむ手が緩んだ。その隙に、相手の横をすり抜け、階段に向かおうとする。
「待ってくれって!」
「やっ?!」
ふいに手首を捕まれて、急ブレーキがかかる。転びそうになるのをなんとか踏みとどまって、相手を睨み付けた。
「なあ、本当に……」
「離してってば!」
「わっ?!」
捕まれた方の腕をぶんっ!と思いきり振ると、手が外れた。反動で相手が体勢を崩している隙に、脇目もふらず階段を駆け上がる。
「はあっ、はあ……」
3階まで一気に駆け上がって、上りきったところで立ち止まり、下の様子をうかがう。少し待ってもあの人が追いかけてくる様子はなくて、わたしはほっとしてその場にへたりこんだ。
「はいっ、カット、オッケー!」
篠崎くんの声がかかって、わたしは顔をあげた。
「大丈夫だった?」
「うん、ばっちり。あとは別アングルも撮るから、一旦下りよう」
「はーい」
ビデオカメラを持った篠崎くんと、二人そろってさっきの踊り場まで下りる。
「むっちゃん、大丈夫?」
「踏まれた足がマジで痛い……」
「あは、ごめん」
「なんかひーちゃん、最近ひどいよね。……仕方ないけど」
そう。なにを隠そう、さっきここでわたしともみあう演技をしていたのは、むっちゃんなのだ。
今、わたしたちは文化祭有志のドラマを撮影している。ついに3本目の撮影に入ったのはよかったものの、いかんせん時間的な都合でキャストができる人が足りず、篠崎くんが普通科を始め他の科からかき集めてきたのだ。その中にはむっちゃんと天羽さんも含まれていて、むっちゃんは被害者役、天羽さんは第一発見者役だ。他にも、探偵役は鴇村くんで、ゲストの教師役に鷲巣先生、聞き込みの相手に三鷹先輩とか千鳥先輩とかも出てくる。女子キャストも天羽さん始め、美人だとかかわいいと言われる子を頑張って集めた。
つまり、このドラマは最終日の上映分だからって、キャストを豪華にしたのだ。
ちなみにわたしは犯人役。被害者であるむっちゃんを、階段から落として気絶させるのだ。せっかく集めた綺麗所に犯人役をさせるわけにいかないでしょ? 男女がもみ合うシーンなんて、本物の役者じゃないのに加減なんてできなくて怖いから、もとから親しいわたしとむっちゃんなら大丈夫じゃないかという判断もあったらしい。
ただ、謝ってもらったものの、7月のお弁当事件はまだわたしの中で引っ掛かっていて、微妙にむっちゃんへの対応が厳しい自覚はある。しょっちゅううちにくる相手をまるで無視というわけにもいかないから、表面上は取り繕ってるけどね。
「じゃ、もみ合いで髪がほどけるシーンと、階段落ちのシーンを撮ろうか」
「はーい」
撮影できる時間はそんなにないので、かなりつめつめの細切れで撮っている。さっきのシーンだって、事件編と解決編で使うから、まずはわたしの顔を写さずに撮って、このあと顔出し部分を取るのだそうだ。有志に中学のころ放送部でドラマとか撮ってた人がいて、全部スケジュールを組んでくれている。今日から4日のうちに全部撮るんだから、結構大変なのだ。
「じゃあ、羽鳥さん髪直しながらでいいから、聞いててくれる?」
「うん」
「鳩谷もいいか?」
「オッケー」
片側だけほどいたみつあみを結い直しながら、篠崎くんの指示を聞く。今日は撮るシーンも多いから、ちゃんと聞いていないとこんがらがってしまいそうだ。
*****
「ふー、疲れた……」
「お疲れ様、羽鳥さん。はい、お茶どーぞ」
「ああ、天羽さん……ありがと」
撮影中の教室前の廊下で、わたしは置いてあった椅子に崩れるように座っていた。すると、そこに今日の出番が終わった天羽さんがお茶を持ってきてくれて、隣に座る。
彼女は自分の出番がないときは、積極的に雑用を手伝ってくれていた。こうして休憩中の人に飲み物を配ったり、撮影場所の準備や現状復帰を手伝ったりと、くるくるとよく働く。しかも、実に楽しそうに、にこにこしてやっているものだから、すっかり撮影スタッフに馴染んで、ファンを着々と増やしているようだ。自分の人間観察力がどれほど信用できるかは疑問だけど、変に演じている感じもなかったし、空気も読めている。
わたしも初めてちゃんと話したけど、ヒロイン補正なのか、そんなのなくてももともと人がいいのか、客観的に見たら非常に好感の持てる人だった。やっぱりこないだは冷静じゃなかったのね。
それゆえ、彼女のせいで自分の日常が引っ掻き回されているかもしれない、という思いがぬぐえず、それをいまいち許容できない自分が辛いんだけど。
「羽鳥さんは、明明後日まで撮影?」
「そ。天羽さんはあと明後日の午後で終わりでしょう?」
「そうなの、ごめんね。引き受けたくせに、予定が合わなくて」
「いいんだよ。引き受けてくれただけで十分」
申し訳なさそうに言う天羽さんに、笑ってお礼を返す。だって、彼女が引き受けてくれなければ、今記録係をやってるよりちゃんが、ドラマ3本全部に出演することになっていたのだ。そして、そうなったら4日どころか2日で全部のシーンを撮らなければならないという、とんでもないスケジュールになるところだった。
「楽しかったし、全部見学したかったんだけどなあ」
「そ? じゃ、よかったら文化祭当日は見にきたら。台本を見せちゃったから謎解きに参加はできないけど」
天羽さんはミステリーを読むのは好きらしく、撮影の合間に1本目と2本目のドラマの台本も読んで、しきりに感心していた。そして、読みながらくるくると表情が変わってすごくかわいらしかった。
ただ、それを影から男子たちがこっそり覗いて写メを撮ろうとしていたのはいただけない。むっちゃんもそれに交ざっていたので、軽く蹴飛ばしておいた。隠し撮りとか、絶対によくない。
「うん、ありがとう! あの、それでね……?」
「なに?」
「私と、友達になってくださいっ!」
「……は?」
椅子に座ったまま、こちらに向かってぺこんと頭を下げる天羽さんに、わたしはぽかんと口を開けてそちらを見た。
「えーっと、なんで?」
「六実くんとか会長から話を聞いてて、いいなあと思ってたの。それに、こないだのお弁当のこと、さらっと許してくれたでしょう? なんか、かっこいいなって」
邪気のなさそうな笑顔を向ける天羽さんの真意を図ることができない。心からそう言っているのか、それともなにか裏があるのか。今まで、真正面から友達になりたい、なんて言う人は大抵裏のある人ばかりだったけれど。
「……わたしは、誰の味方もしないよ」
「えっと、それはどういう意味?」
「むっちゃんとの間を取り持ったり、三鷹先輩の情報を流したり、鴇村くんに口添えしたりしないってこと」
天羽さんはきょとんとした顔で見返した。さて、これは演技か、それとも素なのか。
わたしはほとんど生まれた頃からむっちゃんの幼馴染みをしている。わたしと彼の関係から、正面切って敵対する人間はいなかったけど、取り込もうとする人間は大勢いたのだ。それに、中学の生徒会に入っていたころは、三鷹先輩の話を聞きたがる子も多くて、しんどい思いをした。最近は、鴇村くんがわたしの誘いで有志に参加したと聞いた子から、紹介してほしいと言われるようになっているし。
でも、たとえどんなに仲のいい子が相手でも、彼らとの間を取り持ったり、何かを渡したり、情報を流したりは絶対にしない。
でないと、彼らに嫌われるのはわたしだし、中途半端に間をとりもって、誰の味方なの?! とかいう非常に下らない女の派閥問題に巻き込まれ、孤立してしまうのはわたしだ。
だから、基本的にそういうのに興味のない人を、彼らの方から紹介してほしいと言われたときしか取り持たないと決めている。
「そんなの、いらないよ。私は、羽鳥さんと友達になりたいだけ」
天羽さんは、わたしの答えに一瞬びっくりしたようにぱちぱちとまばたきをして、すぐにふわりと笑った。
だけど、すんなりとは彼女の言葉を信じられない。だって彼女は乙女ゲームのヒロインなのだ。攻略対象との繋がりを、スルーするなんてあり得ないと思う。
「……本気?」
「うんっ。おかしいかなあ?」
「おかしい、と思う」
「そう? 羽鳥さんと仲良くなったら楽しそうなのに」
変わらずにこにことこちらを見る天羽さんに、わたしはため息をつく。
「わたしなんて、つまらない人間だよ?」
「そう? 私には、すごく興味深いけど」
それはいったいどういう意味? わたし、天羽さんとまともに話したことって今日までほとんどなかったはずなんだけど。
「……変な人」
「そうかな? まあ、私が普通かと言われると、よくわからないけど」
「そう、ね」
確かに、普通の基準なんてあってないようなものだ。本人が普通と思っていても、周りはそう思っていないこともあるし、逆もまたしかり。
この人、ふわふわしてるように見えて、結構頭の回転の早い人なのかもしれない。自分の行動が周りにどんな影響を与えるか全部わかってて立ち回ってるのかも。だとしたら、やっぱりゲームの記憶を持っているんじゃないかな。
「だめかな?」
「友達っていわれても、なあ」
正直、天羽さんがわたしとどういう関係になりたいのかわからない。クラスが違うから全く接点がなかったし、趣味とか好きなものとかすら知らない。行動範囲も違うだろうし、休みの日の過ごし方も違うだろう。それなのに、友達になりたいなんて、理解できない。
「たまにメールしたり、顔を合わせたら話したりするくらいでいいの」
「別に、それくらいなら……」
こんな人前で、友達になってって言われて断るのも感じ悪いし、いっそ直接自分で天羽さんの真意を探るのもありかもしれない。
実際、今回の撮影の日程調整や連絡でメアドは交換済みだから、連絡をつけようと思えばいつでもできる。撮影の連絡以外で使ったことはまだないけど。
「本当?! 嬉しいっ、ありがとう!」
わたしがそんなちょっとひねくれたことを考えてるなんて知らない天羽さんは、わたしの返事に心底嬉しそうに笑った。
彼女の今日一番の笑顔は、まさしく花がほころぶようで、正面でそれを受け止めたわたしばかりか、周りにいた待機中の人たちまでもが息をのむほどだった。さすがヒロイン、笑顔の威力が半端ない。
「ど、どういたしまして……?」
場の空気に気圧されたように、思わずそう答えると、天羽さんにご機嫌でうなずき返される。
それとほぼ同じタイミングで教室から撮影してた人たちがぞろぞろと出てきた。撮影が終わったらしい。
むっちゃんがまっすぐこちらに来るのに気づいて、声をかけた。暑いのか疲れたのか、役作りのためにちょっとだらしない着こなしの制服は、さらによれっとしていっそくたびれたサラリーマンみたいだ。
「お疲れ」
「疲れたよー。あれ、美歌ちゃん、なんか嬉しそう……?」
「うんっ。羽鳥さんと友達になったの!」
「へー、よかったね。ずっと仲良くしたいって言ってたもんね」
「うん!」
ゆるーい口調でへらっと笑いながら、とんでもないことを言うむっちゃんに、わたしは思わず聞き返した。
「え、そうなの?」
「そーだよ。なんかひーちゃんが話に出てくるたびに、いいなー、話してみたいなー、って」
なんだそれは。天羽さんは本当にわたしと友達になりたいだけってこと?いやいや、でもまだ油断できないよね。
「私、羽鳥さんみたいな人、憧れだったの!」
天羽さんに掛け値なしの好意を向けられるわたしに、周囲から視線が集まるのがわかる。男の子からは嫉妬の、女の子からは興味深そうな視線だ。
ああ、だから目立ちたくないんだってば。第一、まだ本当になんの裏もないかなんてわからないのに、と微妙な気分になる。
これほど周りからいい評価されている天羽さんを前にこんなことを考えてしまうのは、わたしの性格がひねくれているからだろうか。




