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変化の兆し(7月第3週)

今回は主人公がネガティブです。


重たい話や暗い話が苦手な方はご注意ください。

「何やってんだろ、わたし」


資料を置いた長机を前に、英語科準備室で1人呟いた。わたしに仕事を頼んだ鷲巣先生は、ちょっと先に済ます用事があるそうで、席をはずしている。

手元の資料は、夏休み明けの9月にある文化祭の出展者の一覧表。夏休み直前の実行委員会で、展示場所が決まるんだとか。これを3枚1組にしてとじる、というのが頼まれた仕事だ。

ずっと避けていたはずの鷲巣先生の頼みをうっかり引き受けてしまうなんて、ずいぶんぼうっとしていたんだろう。覚悟はしていたはずなのに、現実にそれが起こってしまうと、結構なダメージだったというわけだ。


先日の西庭での出来事は、瞬く間に学校じゅうに広まった。天羽さんに対して厳しい意見もあったけど、ほとんどはわたしに対するものだった。わざわざ天羽さんがいるところで文句を言うなんて性格悪いとか、なんだかんだ言ってむっちゃんのことを好きなんじゃないかとか、その程度の容姿でむっちゃんを束縛して、さらには望くんにまで手を出そうなんて身の程知らずだとか。まあ、とにかくわたしへの批判ばかり。最終的には、勉強ばっかりしてるからあんな風になるんだとか、見た目もブスなら性格もブスだとか、単なるわたしへの悪口だ。可愛いもしくはかっこいいは正義って、リアルに通用するんだ、と思ったね。

クラスで比較的仲のいい友達は事情を知ってたから、怒って慰めてくれたけど、それでもやっぱり凹む。

それだけでも精神力を削られてるのに、今日、わたしは生徒会から資料作りのお手伝いのお役御免を言い渡された。理由は、特進科の生徒を放課後拘束するのは悪いので、事務員をつけることにしたから。でも、わたしは本当の理由は違うところにあるんじゃないかと疑った。

それは、三鷹先輩が事務員に迎える、と言ったのが、天羽さんだったからだ。三鷹先輩のことだから、一緒にいたいというだけで、ろくに仕事のできない人を生徒会に入れたりはしないだろう。でも以前の態度をみたら、余計な勘繰りをしてしまうのも仕方がないことだと思う。

天羽さんがいるからもう手伝わなくていい、と言われたとき、わたしなんかもういらない、って言われたようで、ひどく悲しくなった。

天羽さんが現れて、わたしと三鷹先輩が話すことは減るのは覚悟していた。でも、生徒会室で他の役員と話しながら作業することは、これまでと変わらないと思っていたのだ。でも、そうじゃなかった。生徒会室に行くことも、もうできないのだ。学校で唯一といっていいわたしの息抜きの場所は、なくなってしまった。


「やっぱりヒロインは無敵ってことか……」


そりゃそうだよね、わたしが生徒会室に入り浸っていたら、天羽さんと三鷹先輩の邪魔だもの。普段通りの生活をしている分には気にならないけど、天羽さんに都合よく物事が進むのを見てしまうと、やっぱりここは彼女が主人公の世界なんだ、と思って苦しくなる。

わたし、天羽さんが嫌いだと思う。彼女に直接なにかされたり言われたりしたわけじゃないけど、彼女のせいでわたしの当たり前の日々が失われていくと思うと、どうやったって好意なんて持てない。ゲームの「羽鳥弘夢」が、天羽さんのライバルになった理由がなんとなくわかる。

わたしの狭い世界の一端を削り取っていかれるのを、黙ってみていることができなかったんだと思う。人付き合いの苦手なわたしにとって、むっちゃんや三鷹先輩は他の人とつながる糸口でもある。2人に置いていかれたら、わたしはきっと今よりもっと孤立してしまう。1人も気楽で好きだけど、誰かと一緒にいるのだって好きだ。だから、周りの人を失いたくない。ゲームの「わたし」が今のわたしと近い思考をするなら、きっとそう考えたに違いない。

4月のあの日。むっちゃんの話なんて、聞かなきゃよかった。そしたら、今みたいな状況になっても、きっとここまで苦しくならなかった。天羽さんに、こんな嫉妬みたいな嫌な感情を抱かずにすんだかもしれないのに。

ああ、嫌だな。こういうネガティブで、汚い考え。1人で考えるのがよくないのかもしれないけど、でもこんなこと誰にも相談できないよ。


「お待たせ。悪かったな、1人でやらせて」


がちゃりとドアを開けて入ってきた鷲巣先生に声をかけられて、はっとした。

やばい、考え事してて、全然作業が進んでいない。どのくらい時間たってたんだろう。


「羽鳥、どうかしたか?」

「あ、いえ。その、すいません。ボーッとしてて……」


気まずくて、視線を手元に落とした。ぼんやりしてたとはいえ、引き受けた仕事を全然してないとか、なにやってるんだろう。


「なんだ、具合悪いか?」

「ち、違うんです、大丈夫です! ちゃんとやります!」


ぶんぶんと頭を振って、手元の作業に集中する。先生にまで使えない奴だなんて思われたら、本気で立ち直れない。


「そうか? まあ、無理はしなくていいから、できる範囲で頼むよ」

「はい」


鷲巣先生も、はす向かいに座って作業に取りかかった。ひたすら紙をめくっては重ねる、を繰り返していると、静かな部屋に紙の音が響く。普段はおしゃべりしながらの作業だから、難しいことを考えずにすむんだけど、今日は全然ダメだ。どうしても、ネガティブ思考を頭から追い出せない。

目の前の紙の山を、とりあえず3枚組にし終えたところで、はあ、とため息をついた。


「大丈夫か?」

「え?」


ホチキスを手に取ったところで、問いかけられて顔をあげる。鷲巣先生が、真面目な顔でこっちを見ていて、なんだか心臓がどきっと鳴った。


「その、なんだ。噂、聞いてるから」

「ああ……」


さすがに、噂の件は先生も知っているらしい。まあ、生徒の問題を解決するのも教師の仕事だもんね。でも、先生に面と向かって聞かれるなんて、今のわたしはそんなに切羽詰まって見えるのかな。


「話くらいは聞くぞ?」

「はあ……」


話すって先生に? 天羽さんがむっちゃんや三鷹先輩と仲良くし始めたら、わたしの居場所がなくなっちゃいそうで嫌で、その原因になった天羽さんを嫌っちゃう自分が嫌なんです、って? そんな子供みたいなこと、言えるわけない。

気の抜けた返事をしたまま黙って考えていたら、悲しいやら悔しいやらで、ちょっと泣きそうになる。わたしが誤魔化すように手を動かし始めると、鷲巣先生は話を聞き出すのを諦めたのか、黙ってホチキスを動かし始めた。

深く突っ込んでこないのが、安心する。先生はやっぱり大人なんだな。でも、この人も天羽さんの攻略対象なんだよね。好きな人ができたら、先生もその人中心になってしまうんだろうか。


「……先生、は」

「なんだ?」


返事が返ってきたことで、自分が声に出していたことに始めて気づいた。出てしまった言葉を引っ込めたい。


「あ、あー、その」

「ん?」


先を促すような声色に、躊躇した。いや、だってこんなこと、聞いてもいいのかな。先生は好きな人ができたら、それ以外見えなくなるタイプですか、なんて、失礼すぎない? なんとなく、そっちを見れずに、右手のホチキスを見つめたまま、わたしは口を開いた。


「なんだ、羽鳥?」

「あ、その……せ、先生は、好きな人いますか?」

「は?」


先生の手から滑り落ちたホチキスが、床に落ちて耳障りな音をたてる。

まずった気がする。直接聞けないからって、これは遠回しすぎる。まるで告白フラグじゃん。でも、そんなつもりないんだよ! へ、変な勘違い、されてない、よね……?

おそるおそる先生を見ると、驚きに固まった顔でわたしの方を凝視していた。おまけに、なんだかほんのり頬が赤い。違うんです、ごめんなさい! わたし、そんなつもりじゃないんです。

自分の失態に、顔に熱が集まる。しかも、さっき無理矢理誤魔化した涙が、まだ目尻にたまっている。こんな顔見られたらダメだ、絶対勘違いされる!


「はと、り?」

「ち、違う! その、ちょっと間違えました!」


目元をごしごし拭いながら、考えた。こうなってしまったら、素直に聞くしかない。こういうときは、誤魔化すだけ状況は悪化する。ずいぶんと失礼な質問だけど、素直に聞いちゃった方が、被害が少ない。


「えーと、なにを、聞きたかったんだ?」

「せ、先生は、好きな人できたら、周りが見えなくなるタイプですか?」


沈黙が落ちる。でも、さっきまでのなんとも微妙な空気が消え去って、わたしはほっとした。


「えーと、それとさっきの話、どうつながるんだ?」

「あー、その、噂のアイツが」

「そういうタイプなのか?」

「はあ、たぶん……」


不躾な質問に戸惑いつつも、真摯に答えようとしてくれるのがわかって、申し訳なくなる。

もういいや。全部話そう。先生なんだし、わたしがここで話したことを、誰か違う生徒に話したりとかしないよね。

そう決心して、わたしはもやもやと考えていたことを、特定の個人名は伏せて全部話した。天羽さんへの不信も、むっちゃんたちへの不満と不安も、好き勝手に言う外野への苛立ちも、こんなことでぐらつく自分への嫌悪も。時々感情が高ぶって涙声になるわたしの話を、先生は時々相づちをうちながら最後まで聞いてくれた。

悩みは人に話すとスッキリする、っていうけど本当かもしれない。ここに入ったときに比べて、なんだか気持ちが軽くなった気がする。


「青春だなあ」

「先生っ!」

「いや、悪い悪い。俺はそうやって悩むのは、いいことだと思うよ」


意を決して話したのに緊張感のない返事が返ってきて、わたしは思わず声をあげた。すぐに訂正してはくれたけど、なんだか信用ならなくて、険のある声が出てしまう。


「でも、なんにもしてない相手を、嫌いなんて……」

「間接的にでも嫌な目に遭ったら、いい感情は持てないのが人間だ」


穏やかに笑ってこちらを見る先生に、少しだけ胸のつかえがおりる。この汚い感情を肯定してもらえるなんて、思ってもみなかった。


「先生もこういうことありますか?」

「教師だって人間だからな。相性の悪い人間もいれば、負の感情を持つことだってあるさ」

「そうですか……」

「ああ。羽鳥は潔癖なんだなあ」

「そんな、つもりは」

「ま、強制するつもりはないが、もう少し素を出していいんじゃないか?」


先生は落としたホチキスを拾いながら、なんでもないように言った。


「素、ですか?」

「この前、ライブで会ったときみたいなのが羽鳥の素だろう?」

「あー、まあ……」


先生の存在を忘れて、すっかりはしゃいでいたのを思い出し、恥ずかしくなった。


「学校でも眼鏡とって髪型変えて、あんな風に笑って、はしゃいで、好きなこと話したらいい。そうしたら、もっと世界が広がるだろう?」

「でも、そんな簡単には……」


なんとなく、先生の言いたいことはわかる。わたしの見た目と態度で、周りを遠ざけてるのがよくないってことだろう。

勉強に集中したいわたしは、友達と深く付き合ったり、誰かに恋をしたりして、ごたごたに巻き込まれたくなかったから、それでいいと思ってた。だけど、それゆえ、わたしの周りには本気で味方になってくれる人が少ない。それが、こういう時に困るとは考えが及ばなかったのだ。

かといって、今さらどうしろというのか。2年の夏に高校デビューもないだろう。この時期にキャラを変えるのも、新しい友達作るのも、難しいんだけど。

答えに窮してうつむくと、先生は椅子を引きずってこちらに来て、プリントの1点をトン、と叩いた。


「それじゃ、まずは特進科の有志の出展に参加してみないか?」

「文化祭、の?」

「ああ。お前のクラスの藍田が代表だ。人が足りないって言ってたし、大歓迎だぞ」


突然の提案に困惑して顔をあげると、至近距離に鷲巣先生の顔があった。その目が、真剣でありながらどこか柔らかい光を帯びていて、吸い込まれそうになる。


「どうだ、それならいけそうだろ?」

「あ、……はい」


持っていかれそうな意識をなんとか引き戻してうなずくと、先生は満足げに笑って、わたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


先生の言うように、これでわたしの世界が広がったら、わたしはこのゲームの理不尽に立ち向かえるのだろうか。それなら、頑張ってみる価値はあるのかもしれない。



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