深淵の魔術師 1
ハイランド王国のオウル村の廃墟には奇妙な魔術師が住んでいる。
彼は魔族だけでなく人間をも殺す残酷な魔術師だった。
何度か国が軍隊を編成し、彼を討伐しようとしたが
軍隊が派遣されると彼は闇に溶け込むように姿を消した。
そして、ついにはオウル村周辺を彼の領土とし、
国から切り離し、砦を構え国境を設けたのである。
彼の奇怪な闇の魔術から、人々は彼を深淵の魔術師と呼び恐れた。
――・――
アンゼリカ、ローズマリー、……
僕はビンの中に浸してあるそれらを抜き取り、
それを煎じ煮込む事で調合する。
魔力水薬を作るのだ。
僕は人間には使えない闇の魔術が使える。
あの日、騎士を殺した短剣は転生儀式のものだった。
果てしない憎悪と生贄の血を浴びた短剣は
僕が騎士を殺した行為を儀式と捉え、僕を魔族に転生させようとした。
もちろんそんな事が偶然に成功するはずもなく失敗した。
僕は魔力質だけが魔族のそれと同じになったのだ。
こうして僕は人間ながらにして
闇の魔法を使う怪物になった。
魔族の魔法は非常に強力で、
時間操作から転移魔法までその用途は多岐に渡る。
僕の人間の体ではそれに耐えられなかった。
魔力水薬を使い魔力を強化する事でそれを緩和する。
いわばドーピングだ。
魔術を使い続ける以上、魔力水薬は常に一定数以上
用意しておく必要があるのだ。
「……足りない」
僕はビンの中にあるハーブを見て呟いた。
魔力水薬に使うローリエが足りないのだ。
ローリエを調達する必要があった。
ローリエは魔力水薬を練成するハーブの一種だったが、
配分を間違えると毒薬になる。
温暖な気候では育たず、この近辺では採取できない。
寒冷地である国境沿いのウドラ山脈にいく必要があるのだ。
僕は家のドアを開けて外に出た。
雨がしんしんと降っていて僕のローブを濡らした。
ウドラ山脈はハイランド王国と魔族の領土の境目でもある。
そこでは絶えず小競り合いが続いている。
日々人間が魔族が殺し殺され、山に捨てられているのだ。
僕は山間の道を歩く。
ふと声が聞こえる。
「大人しくしろ!」
「離して下さい!」
「ママ!」
……兵士だ。
2人組みのハイランド王国の国境警備兵が魔族の母子ともみ合っている。
やがて兵士は剣の柄で母親の首を殴ると
彼女を抱え、泣き叫ぶ子を連れてどこかへ去っていった。
――・――
「ドーン大臣はこんな汚ない魔族のどこがいいんだか」
「王都に住んでりゃ魔族なんて珍しいんだろうよ」
「ま、金さえもらえれば文句はないけどな」
彼等は山間の小屋にいた。
「ん――!」
縛られ、猿轡を噛まされた魔族の母子は身動きできない。
それでも抵抗しようと彼等を睨む。
「おい、母親の方は殺していいぞ」
「大臣様はそういう趣味かよ。気持ち悪いな」
兵士の1人が剣を抜いた。
そして魔族の母親に近づく。
「ん――!!」
魔族の子は必死にもがくが、
縄が体に食い込むだけで動けなかった。
兵士は手馴れた手つきで剣を揺らし、
やがてそれを頭上に振り上げた。
人の本質は悪だ……。
「お前はその母親を殺すのか?」
僕は剣を振りかぶる兵士の影の中から身を乗り出し彼に問う。
兵士は、ひっ、と短い悲鳴を上げ尻持ちをつくように倒れた。
恐怖に顔が歪んだ。
僕は彼に問う。
「お前は、母親を、子供の前で、殺すのだな?」