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別れの涙

作者: 星 冥

 雨が降る地平線の彼方から汽笛の音が聞こえきた。青年は使い古した鞄を地面に置き、列車が到着するのを待つ。長い留学生活を終え、彼は一年近く過ごした異国の地から去ろうとしていた。

 彼は首から提げていたロケットを手に取り、その蓋をゆっくりと開ける。真新しいロケットの中には、一人の女性の写真が収められていた。

 彼はその写真を見ると、最後に見た彼女の顔を思い出す。優しい笑顔を見せながらも、その瞳からは涙を流していた。その涙を流したのは、彼との別れを惜しんでいたから。無論彼も別れたくはなかったが、官費留学生という立場上、国からの帰国命令に逆らうことは出来なかった。

 彼は幼少の頃から才能豊かであり、地元の高校を首席で卒業した後は、恩師の推薦(というよりも、政府高官と知り合いの校長の)ではるか西の異国への留学をすることとなった。

 ある日、彼の自宅に一通の封筒が届いていた。その封を開けてみると、そこには一枚の紙が入っていた。

 『祖国に危機迫りし故、貴殿は留学を取りやめ、本国に戻られたし』

政府からの帰国命令だった。手紙が届いたその当時、世界では祖国が引き起こした様々な事件から大規模な戦争に発展していた。恐らく、敵国にいる邦人の確保のためだろうと彼は思った。

 彼はすぐさま大学で除籍の手続きを済ませると、大使館で船の予約を取り、国を離れる支度をし始めた。幸いにも、彼が予約を取ったときはまだ大使館は機能していたが、もう今は大使館は閉鎖されたと聞く。風の噂では、多くの同胞が強制収用されたと聞いたことがある。

だが彼は知恵を振り絞ったり、友人の手助けも会って強制収用の魔の手から何とか逃れていた。そして街から去るとき、彼は自分の大学でよく御世話なっていた女性の家に足を運んだ。

 彼の顔を見た彼女の表情はとても嬉しそうであった。淡い金色の短髪の彼女は彼と違い、生まれも育ちもこの国である。それゆえに、容貌も東洋系の風貌をしている彼とは違い、彼女は西欧系の顔立ちであった。

 彼の口から帰国するという話を聞いたとき、彼女は涙で顔を濡らした。そして彼にしがみ付くと、ただ行かないでと口にした。彼女の言葉を彼は拒むと、彼女はしがみ付いていた彼の体から離れる。

 「どうしても……行ってしまうの?」

 「すまない。行かねば、行かねばならないんだ」

 彼の答えを聞いて落胆したのか、彼女は何も言わなかった。彼はそんな彼女の姿を見て、とてもいたたまれない気持ちに襲われた。彼はこの場から逃げだしたくなったが、そんなことは出来ないとぐっとその逃げたい衝動を押さえ込む。彼は懐から麻袋を取り出すと、それを近くにあった机の上に置いた。

 「これは、僕からの少しばかりの餞別だ」彼はそう言って、すぐに彼女の家から立ち去った。

 家の扉を開けると鼠色の空からは雨が降っていたが、彼は濡れるのを気にせず駅のほうへと走り出した。途中で何度か後ろを振り向いたが、彼女は追いかけては来なかった。彼はそのことに安堵すると、ゆっくりと周りの西洋人に目をつけられぬように駅のホームへと転がり込んだのだった。

 ようやく来た列車に乗り込んだ彼は座れる席を見つけると、被っていた帽子を深く被り直す。そうして窓から見えるホームの景色をぼぉと眺めた。

 すまない。そんな謝罪の言葉が彼の脳内で何度もリフレインしている。だが、祖国に帰らなくてはいけないのだ。帰らねば、自らの命が危ないのだ。

 彼はそう頭に言い聞かせると、ホームの景色をなんとなく眺めていた。その時、彼は自分の目で見たある光景を疑った。

 彼女が、息を荒くしながら、この列車に向かって走ってきていた。彼は彼女を見るまいと、自分の震えている膝をへと視線をおろす。汽笛が鳴り、列車が動き出す。彼女はなにか叫びながら、走り出す列車を、懸命に追いかける。聞くまい、聞くものかと彼は彼女の叫びを聞いていないふりをするが、その叫びは彼の耳に訴えかける。

 行かないで、置いていかないで。私を連れて行って。

 彼女はそう叫びながら、なんとか追い付こうと、列車の後を走る。その姿を見ていた彼は見るものかと自らを抑えていたが、遂にその抑えていた感情が解き放たれた。

 必ず、必ず迎えに行くから。だから、待っていてくれ。

 彼は列車の窓を勢いよく開けると、走る彼女にそう叫んだ。その叫びを聞いた彼女は走るのを止めると、離れていく列車に向かって叫ぶ。

 待ってますから。

 その叫び声はだんだん遠くなっていく。だがその叫びは、いつまでも彼の頭の中で響き渡っている。彼は拳を強く握り締めると、涙をぼろぼろと流し始めた。

 必ず、迎えに行くからな。彼はそう呟きながら、泣き崩れる。

 東へと向かう列車の一角からは、彼の嗚咽が聞こえてくる。だが列車はそんな彼を、ただ東へ運んでいくのであった。

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