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「さ、帰るわよ、智」そう言って土間は智を車に連れて行こうとする。香は土間に声をかけた。
「土間さん。出来れば私とハルオをこてつ組まで送ってもらえませんか?」
「あんた達を?」
「早く礼似さんに二人で謝りたいんです。無事な姿も見せたいし」
そう言う香の表情は何か必死なものがある。さっき、土間が智と杯をかわすと言った時、ハルオの顔色がわずかに変わったのを、香は見逃さなかった。
こんな状況から生還して、肉親として互いの無事を素直に喜ぶ態度も見せず、智の正式な組入りを認める事を聞かされたら、ハルオはやっぱり面白くは無いだろう。
この、よそよそしい態度のまま、土間に帰ってしまわれるのは、香としては避けたかった。
「いいわ、こんな時間だしね。二人とも乗んなさい」土間も何かを感じて、香の顔を立てた。
「ありがとうございます」
御子と良平も、香に頷いて見せる。肝心のハルオだけが、何だかモジモジとしていた。
「何だよ。大谷でさえ若い奴等を迎えに行ったんだ。お前もすねてないで、香を迎えに行ってやればよかったのに」
一樹のそんな台詞を礼似は仏頂面で聞いていた。
「いいのよ。あの娘、自分でここに謝りに来るだろうし、御子やハルオと無事を喜び合いたいだろうしね」
「お前だってそうしたい癖に」
「別に」
素直じゃない。これじゃ本当に娘を嫁に出す父親のようだ。
「香、そろそろ本気になるかも」礼似がポツリと言う。
「ハルオの事か?」
「ううん。それだけじゃなくて。本気で私の妹分から卒業する事を、望み始めているのかも」
「お前がそう思うんなら、そうなんだろうな」
礼似にはそういう心を見抜く力がある。元詐欺師は伊達じゃない。心の変化に敏感なところがある。
「どんなことにも、潮時ってあるのね」
礼似はぼんやりと誰に言うでもないようにつぶやく。
「だから、今の時間が大事なんだ。つまらない意地を張るなって何度言わせるんだ? 脅えてたって時間は流れる。ギリギリまで香を愛おしんでやればいいんだよ」
「一樹のそういう見透かしたようなところ、嫌いよ」
礼似が一層、むくれ顔になった。一樹の方も心の中で愚痴る。
よく言うよ。見透かしてるのはどっちだって言うんだ。本当に自分の事には鈍い奴だ。
「じゃあ、もっと嫌われよう。お前はこれからさらに手放さなきゃならない事が増える。情の厚さとか、自由とか。だからいい加減気づけよ。人に任せたり、頼ったりすることは気が弱くなる事じゃない。寂しさなんて感じて当たり前だ。任せられることは俺達に任せろ。もっと素直になれ」
「寂しいのは、気が弱るからでしょ?」
「違う。人間、寂しさは必ず味わうものなんだ。どうしようもないんだよ。だから気を紛らすしかないんだ」
そういいながら一樹が礼似に近づいた。
「寂しい時は誰かに伝えろ。きっと誰かが分かってくれる。もし、それが出来ないなら……」
前と同じように、顔を近づけて来る。
「俺を頼れば、いい」
そう言って礼似に口づけて来る。
今度は礼似も、それを受け入れた。