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皆、すっかり浮足立ってしまい、殆んどパニック寸前の様相だ。こういう時に一番怖いのはパニックから冷静さを失う事。群集心理が働いて、どんな事態が起こるとも分からない。しかしここで落ち付けと言うのはかなり難しい。騒いだからと言ってどうなるものでもないのだが。
しかしまずいな。周りがこんな状態では、御子の集中力にも影響があるだろう。御子は大丈夫だろうか? 良平は御子達のいた場所へと戻って行く。すると突然、場違いな声がフロア中に響いた。
「ワン!」
その、甲高い鳴き声に誰もが耳を疑い、そして鳴き声の聞こえた方向に視線を向けた。
「ワンちゃんだー」子供の一人が嬉しそうに声を上げる。何人かの子がその方向に駆け寄って行く。
「こ、こてつ? なんで……」由美でさえ、呆然としていた。
こてつも由美の姿を見つけたらしく、あの、ひしゃげた防火扉の隙間から懸命に中に入ろうとする。 子供達もこてつの顔や前足を遠慮なく(!)引っ張り、こてつを中に入れようとしていた。
決してスリムとは言い難い体型のこてつだが、子供たちに引っ張られて、無事フロアの中に入ると、嬉しそうに由美の元に駆けつけた。大勢の子供達もその後を追って行く。
こてつは唖然とする由美の前に、こてつらしくペッタリと座り、いかにも頭をなでてくれ言わんばかりの笑顔を向けた。すると由美より先に子供たちが次々とこてつに抱きついてくる。
「かわいー」
「ふわふわしてる」
「あったかいねー」
子供たちは片っ端からこてつをなでまわしている。
「こてつ。あの車の中から出てきちゃったの?」
由美は思わずこてつに聞いたが、勿論こてつに返事が出来る訳もなく、
「このワンちゃん、こてつって言うの?」
「こてつ、お座りー」
「ねえ、こてつ。お手してよ、お手」
と、子供たちの方がはしゃいでいた。
「ね、こてつはおばちゃんに会いに来たの?」由美のすぐ隣にいた子が、そう聞いた。
由美はあらためてこてつの顔を見る。いつもと同じ、屈託のない(いささか無さすぎる)笑顔だ。
「ええ、ええそうね。偉いわね。ありがとう。こてつ……」由美はこてつを思い切り抱きしめた。
こてつは一層の笑顔になって、嬉しそうな表情をする。すると子供達は「可愛い、可愛い」とはしゃぎ出す。さっきまでのピリピリとした空気が、こてつの登場でかなり和やかになっていた。何よりも子供たちの表情が違う。大人たちの緊張から来る、激しい不安が、目の前の愛くるしい生き物によって、大きく和らいだのが分かる。
「犬でさえ入ってこられたんです。警察や救助隊だってバカじゃない。きっと、犯人の隙を突くなり、捕まえるなりして、救助に来てくれるはずです。子供たちだって、こんなに元気じゃないですか。大人がうろたえてどうするんです。私達も信じて待ちましょう」
男性店員がそう言うと、もう、誰も苦情を言うものはいなかった。パニックは起こらずに済んだのだ。
御子と良平はホッとして顔を合わせた。また、同じような事が起こらない内に、早く犯人の裏をかいて、爆発を阻止しなければ。