10. 自白
目の前に現れたエルディックに、ナディアは目を瞬かせた。
「ど、どうなされたのです? このような時間にいらっしゃるなんて・・・」
ナディアの問いに答えないまま、エルディックは部屋の中へと歩を進めた。テーブルに近づき、ナディアとテミスリートを見やる。その表情は険しく、ナディアは身を強張らせた。しかし、テミスリートは特に気にした様子もなくニコリと笑んだ。
「お早いお渡りですね、陛下」
「テミス・・・」
「よほど急いでいらしたのですね。まずは少し休まれてはいかがです? ちょうどお茶の時間ですし」
「・・・・・・・・・貰おう」
エルディックはしばらくテミスリートを見据えていたが、やがて軽く頷いた。テミスリートは苦笑を押し殺し、空いている席にケーキと紅茶を給仕する。エルディックは席に着くと、カップをしばし凝視し、一気に中身を呷った。普段とは態度の異なるエルディックにナディアは目を丸くする。
「もう1杯、いかがですか?」
「・・・頼む」
再び紅茶が淹れられ、それもすぐに空になる。そんなやり取りが何度か繰り返され、ティーポットが空になる頃、エルディックはようやく顔を上げた。
「落ち着かれましたか?」
「・・・ああ。」
どことなく切れの悪い返事を返すエルディックに、テミスリートは満面の笑みを向けた。その様子に、エルディックは眉をひそめた。
「何を・・・企んでいる?」
「何も」
「嘘をつくな。あのような手紙を送りつけてきて・・・」
どうすれば良いか分からず、ナディアは黙って二人の会話を見守った。話の内容から推測すると、テミスリートは何らかの手紙をエルディックに出し、それを見てエルディックは慌ててここを訪れたようだ。
「・・・いくらお前でも、許可する訳にはいかん」
「何故です? 特に問題はないでしょう?」
「惚れ薬に問題がないわけがあるものか」
エルディックの言葉に、ナディアの目は点になった。
「(『惚れ薬』?)」
ナディアの疑問が解消されないまま、二人の会話は続いていく。
「陛下がナディア様に振り向いて頂きたいと仰っていらしたから、その方法を取ったまで。私を責めるのはおかしいと思いませんか」
「だからといって、薬に頼るのはどうかと思うがな」
「そのように仰られても、もう遅いです。そろそろ効果が出てくる頃ですし」
会話の内容があまりにも突拍子でついていけない。どんどん険しくなってくるエルディックの表情と始終笑顔のテミスリートを視界に納めていたナディアは、追い詰められた兎のように身を縮こまらせた。
「さっさと解毒しろ」
「何故です?」
あまりにものらりくらりとかわしていくテミスリートにエルディックは怒鳴った。
「――― ナディアを振り向かせるのは、私の仕事だ! 薬なぞに任せられるか!」
部屋中に響き渡るほどの大声だった。エルディックがここまで感情を露わにするのをナディアは見たことがない。驚きに目を見張り、放たれた言葉の内容に一瞬にして顔中が紅に染まる。
「(ええええええええ!?)」
ナディアの様子に気付かぬまま、エルディックは俯いた。
「・・・好いてもらえていないのは、私が悪いのだ。楽しませるような趣味もない、気の利いた言葉一つ言うことも出来ない、無口で無愛想な男を好きになる女はいないだろう。それを棚に上げて、薬に頼って無理矢理振り向かせるなど、許されるものではない。それに・・・」
エルディックは軽く咳払いすると、テミスリートに視線を向ける。
「・・・私が彼女を好きなのだから、私が振り向かせなければ意味はない」
あまりにも真剣なエルディックの面持ちに、テミスリートはきょとんと目を瞬かせる。そして、意味ありげな笑みを口に乗せた。
「・・・本当に、貴方には薬がよく効いてくれるので助かりますよ、兄上」
「・・・・・・何?」
訝しげに自分を見やるエルディックに、テミスリートは心の読めない笑顔を向けた。
「私は、手紙に『惚れ薬を仕込んだ』とはしたためなかった筈ですが?」
そう言われて、エルディックはふと手紙の内容を思い返した。そこに書かれていたのは、今日のお茶の席で『ナディアを振り向かせるための薬』を仕込むという報告だけだ。相手を振り向かせる薬と聞いてすぐさま惚れ薬を連想し、こうして慌てて止めにやってきたのだが、それは間違っていたのだろうか。
「私が仕込んだのは、ちょっとした自白用の薬です」
「・・・自白用?」
「ええ。ナディア様に兄上の想いを伝えるための」
そこまで聞いて、エルディックは自分がテミスリートに謀られたことに気付いた。そのまま硬直するエルディックにテミスリートは苦笑した。
「兄上は口下手ですから、こうでもしないとナディア様に自分の気持ちを上手に伝えられないでしょう? それに、ナディア様もこのように聞いて頂いた方が分かりやすいと思いますし」
ね? とテミスリートはナディアに同意を求める。しかし、ナディアはそれどころではなかった。
「(王が・・・私のことを・・・?)」
夜の訪れの時には一度も口にしてもらえなかった言葉に、ナディアは思わず頬を抓った。痛かった。
「それほど効果が強いものではないですが、解毒するまで効果が続きます。もし、ナディア様が直接お聞きしたいことがあるのでしたら、効果のあるうちにお聞きした方が良いと思いますよ」
テミスリートの発言に、エルディックは目に見えてうろたえた。そのような姿もナディアには初めて見るもので、驚くと同時に先程のエルディックの言葉が本心であったことに思い至り、思わず顔を背けてしまう。
「ケーキの飴細工に解毒用の薬が入っていますので、お話が済んだらお二人でお召し上がりください。・・・では、ごゆっくり」
テミスリートは二人に優雅に一礼すると、静かに部屋を退出していった。それを呆然と見送りると、ナディアはちらりとエルディックを見やった。エルディックも、呆けた顔をナディアに向ける。そのまま、しばらく見つめ合っていると、不意にエルディックが口を開いた。
「・・・・・・みっともない姿を、見せてしまったな」
どんよりとした雰囲気をまとうエルディックに、ナディアは言葉をかけられない。エルディックは特に気にした様子もなく、額に手を当て、項垂れた。
「・・・情けないことだ。弟と薬の力を借りなくては、自分の想い一つ伝えられないとはな」
意気消沈しているエルディックをナディアはしばらく見つめていたが、不意に顔を綻ばせた。
「それでも、嬉しかったですわ。・・・好かれていないと思っておりましたから」
「・・・本当に・・・?」
「ええ。・・・毎日いらっしゃるのに、夜明けと共にお帰りになるし、あまり御身のこともお話くださらないし。陛下は他に好きな方がいらっしゃるのだと思いましたわ」
「それは・・・!」
慌てて弁明しようとするエルディックに、ナディアは可愛らしい笑みを浮かべる。
「分かっていますわ。テミス様の所に行っていらしたのでしょう?」
「・・・約束したのだ。毎日会いに行くと」
以前、テミスリートはあまり身体が丈夫でなく、しょっちゅう体調を崩して寝込んでいた。死に掛けたことも一度や二度ではなかった。死が近づいてくる不安に怯える弟が少しでも落ち着けるように、エルディックは毎日必ず顔を見せると約束したのである。まだエルディックが王になる前の約束であるし、今のテミスリートは健常であるため、もう訪れなくても良いと言われているのだが、エルディックは今でも律儀に約束を守っていた。
「・・・テミス様が羨ましいですわ」
「羨ましい?」
「ええ。・・・私は約束をして頂いていませんし、陛下がいらっしゃらなければ会えませんもの」
しょげたように口にされた言葉に、エルディックは目を見開いた。
「私がいくらお慕いしていても、陛下にとって私は側室の一人でしかないですし。確かな繋がりのあるテミス様とは違いますもの」
顔を赤らめ、ぼそぼそと思いを口にするナディアをエルディックは呆けたように見つめる。
「ですから、先程のお言葉は本当に嬉しかったですわ」
好きだと言ってくれた。面と向かってではなかったけれど、普段のエルディックからは想像もできない言葉だったから、本当に心に響いた。
嬉しかった。とても。
心からの笑顔を浮かべるナディアにエルディックはしばし見とれた。そのまましばらく固まっていると、不思議そうな瞳を向けられる。
「どうなさいました?」
「いや・・・」
どう言って良いか分からない。自分の気持ちを他人に伝えたことが殆どないエルディックには、気の利いた表現のストックが少なくて。気まずそうに視線をそらしたエルディックの脳裏に以前、テミスリートに言われた言葉が蘇る。
――― 兄上は、思ったことをそのまま口にした方が、気持ちが相手に伝わると思いますよ
「・・・・・・ナディア」
「はい?」
「・・・・・・・・・・・・・・愛している」
読んでくださり、ありがとうございます。