君はそれを恋とよぶんだね
朝の教室は、まだ空気が冷たくて静かだった。
窓際の席に座って、なんとなくスマホを眺める。特に見るものもないのに、スクロールだけしている。
「ねえ、なんでそんなぼーっとしてんの」
軽く頭を叩かれる。振り返るまでもなく、誰だかわかる。
「別に」
「絶対なんか考えてるでしょ。顔に出てる」
「出てないって」
「出てるよ」
そう言いながら、君は当然みたいに隣の席に腰掛けた。
本来そこは別のやつの席なのに、気にする様子もない。
少しだけこちらを見て、口の端を上げる。
「……まあ、そういうとこ嫌いじゃないけど」
「なんだそれ」
「さあ」
軽く流されて、会話が終わる。
それでも、さっきまでのぼんやりした感じは、いつの間にか消えていた。
こういうところが、よくわからない。
君といると、なんとなく落ち着く。
理由は思いつかないのに、それだけは確かだった。
⸻
昼休みになると、君は当たり前みたいに俺の机に来る。
「今日もそれ?」
弁当箱を覗き込まれて、少し身を引く。
「うん」
「また同じじゃん。飽きないの」
「いいだろ、好きなんだよ」
「味覚子どもだね」
そう言いながら、勝手に一つつまむ。
「おい」
「いいじゃん、一個くらい」
「勝手に取るなよ」
「ケチ」
言葉ほど悪びれた様子もなく、普通に食べる。
やめろと言えばやめるだろうけど、そこまでするほどでもない。
というか、君相手だと、だいたいこうなる。
「……なに」
視線に気づいたのか、顔を上げる。
「いや、なんでもない」
「なにそれ、気になるんだけど」
「ほんとに何もないって」
「絶対嘘」
じっと見てくる。
少しだけ居心地が悪くなって、視線を逸らすと、くすっと笑う気配がした。
⸻
放課後。
特に用事もなくて、鞄に教科書を詰めていると、君が声をかけてくる。
「帰るの?」
「うん」
「一緒に帰る?」
「いいけど」
「なにその言い方。別に一人で帰ってもいいんだけど」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「はいはい」
先に立ち上がって、教室を出ていく。
少し遅れて、その後ろを追う。
外に出ると、空はもう夕方の色になりかけていた。
⸻
校門の近くで、クラスのやつに呼び止められる。
「今帰り?」
「うん」
そのまま立ち話になる。
他愛もない話で、笑いながら適当に返す。
ふと横を見ると、君が少し離れた場所でスマホを見ていた。
さっきまで隣にいたのに、急に距離ができたみたいで、変な感じがする。
早く終わらせて、戻りたいと思った。
なんでそう思うのかは、よくわからない。
⸻
「……さっき、楽しそうだったね」
帰り道。
隣を歩く君が、前を向いたまま言った。
「え?」
「あの子と。笑ってたじゃん」
「ああ、普通に話してただけだって」
「ふーん、そっか」
それだけ言って、少し間があく。
「なにその反応」
「別に?」
軽い声のはずなのに、どこか引っかかる。
「お前も来ればよかったのに」
「は?」
「いつも一緒だろ」
言った瞬間、空気が少しだけ変わった気がした。
君が立ち止まる。
「……それさ」
「なに」
振り返ると、君は少しだけ困ったような顔をしていた。
「そういうの、無自覚で言ってる?」
「え?」
「なんでもない」
すぐに視線を逸らして、また歩き出す。
無自覚、という言葉だけが、頭に残る。
⸻
少しして、君がまた口を開く。
「ねえ」
「なに」
「会えないとさ、なんか変じゃない?」
「……は?」
「一日話さないと、ちょっと落ち着かないとか」
「まあ……なくはないけど」
「他の人とばっかり話してると、なんか嫌だなーって思ったり」
言われて、少しだけ考える。
思い当たることは、ある。
でも、それが何なのかはわからない。
「でもそれって、普通だろ」
なんとなくそう言うと、君は小さく笑った。
「普通、ね」
「違うのかよ」
「さあ」
沈黙が落ちる。
風が吹いて、君の髪が揺れる。
何歩か歩いてから。
「ねえ」
「なに」
君はこっちを見ないまま、軽い調子で言った。
「君はそれを恋とよぶんだね」
意味が、すぐには入ってこなかった。
「……なにそれ」
「そのまんまの意味」
「違うし」
「そっか」
「違うって」
「うん、わかってる」
そう言って、君は少しだけ笑う。
その笑い方が、いつもより少しだけやわらかくて、少しだけ遠かった。
⸻
それから先の会話は、あまり覚えていない。
気づいたら家に着いていて、靴を脱いで、自分の部屋にいた。
ベッドに倒れ込む。
静かな部屋の中で、さっきの言葉だけが、やけに鮮明に残っている。
恋。
そんなはずないと思う。
ただ、君といると落ち着く。
会えないと少し変な感じがする。
他のやつといると、なんとなく嫌だと思う。
それだけだ。
それだけのはずだ。
スマホを手に取る。
何かするつもりもないのに、自然と君とのトーク画面を開いていた。
最後のやり取りは、どうでもいい内容で止まっている。
少しだけ、間が空いている。
打とうとして、やめる。
何を書けばいいのか、わからない。
――君はそれを恋とよぶんだね
頭の中で、その声が繰り返される。
「……違うだろ」
小さくつぶやく。
そうじゃない。
そんな単純な話じゃない。
たぶん。
画面を閉じようとして、指が止まる。
少し迷ってから、短く打ち込む。
『今、なにしてる?』
送信ボタンを押した瞬間、わずかに心臓が跳ねた。
すぐに既読がつく。
それだけで、妙に落ち着かなくなる。
数秒後、返ってきたのは一言。
『別に』
思わず息が漏れる。
その一言に、なぜか安心してしまう。
「……なんだよ、それ」
小さく笑って、もう一度画面を見る。
少しして、もう一通メッセージが届いた。
『暇なら通話する?』
指が、少しだけ止まる。
それから、ゆっくり動く。
⸻
送信してから気づく。
さっきよりも、少しだけ。
胸が、うるさかった。




