聞きたい声。
これは、本当にあった悲しき恋の物語。
あなたは、日頃から大切な人に直接言葉を贈っていますか?
今から伝えるのは、自分の中で大切で特別な存在になっていく人に——直接言葉を贈らず、突然の別れを迎え——今も後悔の念で、時折涙を流す女子生徒のお話です。
新学期が始まって数週間が経った。
一年生のときと変わらず、朝練が毎日あった。無意識に神田先生のことを考えながら、寒いグラウンドを二周した。
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朝練が終わったあと、制服に着替えて、支援学級の人たちが集まる一階のオープンスペースにある自分の席に腰をかけた。
時計を見ると、次にチャイムが鳴るまで時間はたっぷりあった。
わたしは、オープンスペースにある自然の写真が並ぶ分厚い本を一冊手に取ってページをめくる。
写真の中の山や湖は、自分の行けない世界に行っているようで、誰かを想う気持ちも薄めてくれた。
職員室や、一年生の教室もある空間だけど、この時間は基本わたしひとりだった。
誰にも邪魔されず、静寂の中でひと時を過ごす。
時間が経ったと認識するのは、他の皆が朝練に帰ってくる頃になる。
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あれから何分経っただろう。
誰かの足音が近づいてくる。誰か朝練が終わったのかな。そう考えていると、後ろからあの声が聞こえてくる。
「佐紀、おはよう」
心臓が、ビクッと跳ねる。
驚いたわたしは、焦って本を閉じ勢いよく席から立って挨拶を返した。
「お、おはようございます……! 神田先生」
明らかに不自然すぎる反応にも、神田先生は何も言わなかった。
本当に気にならなかったのか、そういう人だと思われたのかは分からない。
ただ、今まで意識せずやっていたことが、意識するようになり、軽く手を振る笑顔でさえも、胸が締め付けられるくらい愛おしかった。
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やっぱり一度考え出すと止まらない。
もう一度本を読んでも、全くと言っていいほど風景の情報が入ってこなかった。
それでも読むふりを進めていると、バタンと扉の閉まる音が聞こえ、暗がりの更衣室の廊下から、神田先生が戻ってきた。
何か言いたかった。引き止めたかった。だけど、そのまま神田先生は職員室に入った。
絶望するわたし。緊張で声が出なかった。ひどく自分に落胆する。
すると、案外早く職員室の扉がガラガラと音が鳴り、出てきたのは――神田先生だった。
グレーのパーカーに、黒いシャカシャカのズボンと室内用のスニーカー。
音の方へ振り向いただけだったのに、気付けばまた神田先生を見ていた。
「寒いねぇ……何読んでんの?」
私の席に向かって歩いてくる。今この空間に二人だけ。
動揺しながらも、心を落ち着かせて聞かれた質問に答える。
「景色の、本……です。暇だったので、見てみよかなって」
本を見せるように、神田先生に向けて差し出す。
すると、一ページずつめくってくれる姿に感動した。
「佐紀は、景色とか好きなの?」
「好きというか……でも気持ちが楽になるので」
今度の会話は、詰まることもなく普通に答えることができた。
本当に若々しい男性。社会人一年目くらいの可愛らしい顔立ちは、ページをめくるのに夢中だった。
「朝練終わったの? どうだった?」
急に話が変わった。
でもそうやって、話の種が増えるのは、全然嫌じゃなかった。
「そうですね……やっぱりこの時期はまだ寒いので……室内のほうが良いなって思いました」
最後は少し笑いながら、はなすことができた。
多分このときのわたしは、確実に笑顔だったと思う。口角が上がって、神田先生とはなすことが、何より幸せだと感じていたから――
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やがて、皆が朝練を終えて続々と、オープンスペースに帰ってきた。
わたしも、まもなく鳴るチャイムに備えて、準備を始める。
神田先生も、理解して最後にわたしにこう言った。
「じゃあ佐紀。ちゃんと授業受けてくださいね」
「はーい」
この一瞬の会話だけでも、楽しいと感じた。
解散するときには、何もかも解かれて、“明日もまたこの人に会いたい”という感情が爆発していた。今日はまだ、一度もチャイムが鳴っていないのに。
でも、神田先生がどれだけ若く見えたとしても、介助員と言えど先生と呼ばれる存在。
一方わたしは、中学生でまだ若く、恋や結婚を考えるには早すぎる年齢。
現実は、アニメや映画と違ってご都合展開は――絶対にあり得ないのだ。
本作は、実際に体験した出来事を元にしたフィクションです。
登場人物の名前や、地名・学校内の配置など一部の描写には、個人が特定されないよう配慮した変更を加えております。
実在の人物や団体を特定するような行為は、どうかお控えください。
あくまで一つの物語として、心に留めていただければ幸いです。
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