なぜ最終回、最終話を見たくないのか
結論として、その作品の世界にずっと、極論死ぬまで浸っていたいからだと思う。
勿論そんなことはあり得なくて、ちょっとしたすれ違いや目移りした時、いつか必ず我に帰る時が来る。なんなら読んでる最中に自分の趣向と作品が合わなくなって来て飽きがきてしまうかもしれない。
それでも、今、自分が見ているものは間違いなく面白くて、時間も忘れてその世界に夢中になってしまう。登場人物、世界観、地の文の言い回し。その全てがあまりに自分に合っていて、寝ても覚めてもその作品のことを考えてしまうことが、私はよくある。
言ってしまえば自分は割と熱くなりやすく、冷めやすいタイプなのだろうが、それでもこう言う体験を一度でもしたことがある人は少なくないんじゃないだろうか。
……あれ、あるよね?みんな割とドライでそんなに感情移入だったりはしてないとか、そういうのはないよね?
ま、まぁそこは置いておいて。
そんな作品に出会った時、ふと続きはどれだけあるだろうと気になる時がある。
勿論、長編であったりすればまだこれだけこの作品に浸れると満足できる。できるのだが。
そうではない時。
その作品の、世界の終わりが目に見えてしまっている時。
自分は割と絶望する。
『もうこれしか残っていないのか!?』
『まだまだこの作品をみていたい』
そんな気持ちにしょっちゅうなる。
ここで主題と結論の話に戻るのだけれど、最終回を見たくないっていうか、作品の終わりと向き合いたくないんだよね。
得てして終わりはやってくる。別れというものは逃れられないのだと分かっている。
だから、それそのものは嫌いじゃない。むしろ好きな方ではある。
けれど、欲を言えば終わってほしくないのだ。
終わった方が作品としては面白い。
主人公たちの冒険は綺麗に終わったのだから、これ以上は蛇足にしかならない。
うるせぇ!!!
蛇足でもいいから主人公たちのその後を見せてくれ!
………終わらないでくれ。
こう言う気持ちになっちゃうのが俺なんだよね。
だけど、何度も言うけど最終回は好きな方だ。
バットエンドでも、ハッピーエンドでも。
作品の中の彼らの終わり、読み手である私たちとの別れは必然であり、そして必要なことだと言うことを、みんな誰しも心の中で理解はしている。
むしろ、蛇足を望む自分たちが悪いと言うことも、ちゃんと分かっている。
けれど続きを見たい、もっと楽しみたいと言う感情自体は悪いことではないと思う。
その自己矛盾、って言ったら大袈裟だけど、そう言う子供くさい感情と大人になれと言う感傷が混じり合って、最終回を見たくない、終わりを直視したくないっていう人もいるんじゃないかな。
と言うか自分がそう。
だから、言っちゃえば二重の意味で現実逃避してるって感じ。
我ながらガキだなぁって思うね。
なんで今更こんなこと書いてるかというと、深夜テンションのせいもあるけど(現在深夜二時)、なんかネットの海を漂っていたら、最終回を見たくない人がいる的な話題を見つけて、これ俺じゃん!ってなって適当に自己分析、出来てるか分かんないけど、思ったことをつらつら書いてる感じ。
再三いうけどこれ深夜に書いてるから文章おかしいかも知んない。眠い。明日もバイトなのに。
ていうかなんだかんだ二次創作が盛んな理由って自分と同じようなこと思ってるひとが多い証拠なのかねー。
なんか感想とか意見みたいなのがあったら書いてくだしあ。
以上駄文でした。
こっから本当の駄文&自分語り
えー、自分が書いてた作品を更新しなくなって三年くらい経つんですけど、正直更新の見込みは薄いです。
まぁ高校生活で鬱になったり病気がちになったりで描く気力がなくなったのはそうなんだけど、今見返すとなんか無性に恥ずかしくて続き書けないんですよ。
なんでありえるとしたら完全にフルリメイクしてかくかなーって感じ。
やっぱ自分は書くより読み手としての方がいいのかもね。
でもふと思いついた時に勝手に文章書いちゃうんだよなー、後から読み直して恥ずくなって消すんだけど。