ちょっぴり短編ホラー話――排水口
人間は、生物的な本能があり、怖がるものも十人十色で存在している。
例えば自然現象の雷やら、動物の昆虫やら……あるいは、よく聞こえる高所や幽閉などの恐怖症まで、人間は簡単に恐怖を感じる生き物だ。
だが、俺はこれが悪いこととは思わない。
恐怖を感じたから、危険を察知し、避けられる。
そういう危機的察知能力は、人間の生物本能に潜んでいる。
ええ。
今日皆様にお伝えしたい物語は、俺が経験した、この本能に関するちょっぴり怖い話である。
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皆さんは排水口のこと、わかりますか?
いや、わかるでしょうね。
厨房の流し台、洗面所の洗面台、あるいは浴室の地面に水を流せるあの穴のことです。
……そうそう。ご家庭の排水口。
勘違いされないよう、念のため、もう一度説明しますね。
この“排水口”は路上の“排水溝”ではなく、鉄パイプや水道管などに繋がる、ふたに閉ざされた排水用の穴のことです。
清潔することがある人なら一番わかると思いますが、場合によっては、下にゴミを受けるバスケットもありますよね。
……ええ。あれを清潔するのが面倒ですよね?こまめに掃除しないと、髪や石鹸カスに詰まっていて、後々水がうまく流せないんですよ。
俺が今住んでいるところまさにそう。そういうバスケットがある。
ちゃんと面倒だなーと共感できます。
でもね、面倒と言っても、やはりアレがあった方がいいと俺は思っている……いや、はっきり言って、たぶんアレがないと、俺は排水口を清潔できません。
もちろん前はそうではなかったですよ。何も考えずに普通に掃除できていました。
しかし、あることによって、今はアレがないと少し怖がっています。
ええ。そのことは、今俺が言いたい話です。
俺は今住んでいるところの前に、実は一人でマンションに住んでいて、生活に困らない料金で暮らしていました。
ここのマンションはマンションと言っても、別にタワマンみたいなところではありません。
あのマンションの高さはたしか五階層で、築年数が30年以上も経ったそこそこ長かった暦の建物です。それに、あそこはただの住宅街ではなく、周りに居酒屋やらパチンコの店やら、飲食店や遊ぶ場所も存在している。
……ええと、そうですね。ちょっと雑居ビルのイメージです。
よって、あそこの賃料は安くて、管理費とかもあまりかかりません。周りの環境の問題でちょっと安くなれるからね。
それで、俺がこの前に住んでいたマンションに、浴室の排水口にバスケットがなかったです。
え?ちょっといきなりですか?
うーん、俺は一人で住んでいたし、特にこれと言った特別な生活があるわけではないですから、言う必要はないと思いますが……
じゃあ……そうですね。
一つ、皆さんにお聞きしましょうか。
バスケットがない排水口に水を流されている時の音って、皆さんは聞いたことがありますか?
……うん。誰もありますよね。
例えばお風呂する時、浴室を掃除する時、洗面台で顔を洗っている時……
あの排水口の栓を緩める時、水を流されていると、必ずズズズズゥ……ゴゴゴゴォ……という、ちょっと異様な音が聞こえますよね。
ええ、あまり気持ちいいとは言えない音です。
特に、最後のわずかな水が穴に入ってる時、絶対水と空気の音が混ぜて、ゴロゴロ……プクプク……という、泡でも吹いてるような音が出てきます。
アレを聞いて、時々思っちゃうんです。
もしかして誰かがあの穴の中に入って、泡でも吹いてるんじゃないかって……まあ、変な想像ですよね。
ははは。俺はここで皆さんに怖がらせるつもりじゃないんですよ。
俺がただ言いたいのは、人間は嫌でも想像力が豊かな生き物ということです。
機械の構造がわからないけど、仮設で中身の仕組みを想像する。原理がわからないけど、仮の理論で合理的な状況を当てはめる。
ええ。この方法はつまり想像力という存在、昔の歴史から積み重ねられた、ある種先人の知恵とも言えるものなのでしょう。
つまり、そういう話。
ああ……少し話が逸れてしまいましたね。
さっきの話は――ええ、そうそう。排水口の話ですね。そして、前に住んでたマンションの話。
さて、本題に戻りますが、俺の生活は特筆すべきことがない……と思いますが、排水口の話で、今一つ思いつきました。
あのマンションの壁は、少し薄いです。
ただしその薄い程度は、たぶん皆さんが想像した、隣人とトラブルになるようなレベルではありません。
むしろその逆で、隣人からの音は掃除機みたいな機械音でもなければ、ほとんど聞こえないレベルです。
では、壁が薄いという意味は一体どういう感じだというと……俺もうまく説明できないんですが、築年数がそこそこ長かった建物がよくある感じの程度です。
少しわかりづらいと思いますが、一つの前提を知ってほしい。
築年数そこそこ長かった建物って、各部屋の中に埋もれている仕組みはちょっと壁に近いんです。
それは設計ミスなのか、あるいは設計されている段階で手を抜いているのかわかりませんが……発電盤のワイヤーやら、換気用の扇風機やら、そして、各排水口に繋がる水道管まで……
いろんものが壁の近くに設置されています。
俺が言った壁が薄いという意味は、この話です――あなたは浴室にいると、壁の近くに設置されている水道管の中の音が、聞こえます。
水が水道管の中にゴロゴロ……と、プクプク……と。
流れている音がしっかりと聞こえます。
もちろんすべての建物がそうということではありません。
ただ少なくとも、俺が前に住んでたマンションはそういう感じです。
……嫌でも想像させられちゃう状況でしょう?
でも、これはまだ怖くありませんよね。
ただちょっと嫌な音が聞こえる、嫌な想像がしてしまう環境です。
一番の問題は、俺が経験したこと。
これはあのマンションに住んでたとある休みのこと。
俺は残念ながら社畜でね、休みになると、完全に家にだらだらと過ごすタイプ。
ずっと一人で住んでるから、何事も自分で済ませなきゃいけませんし、環境の清潔も自分でやらなきゃダメです。
だからあの日、俺はちょうどいいと思って、浴室を掃除しようと思いました。
別に潔癖症とかそういうのではなく、ただただ気まぐれみたいな感じで、気持ちよくお風呂したかっただけです。
ですが、あの日、俺はお風呂できませんでした。
……いや、もっと正確に言うと、お風呂したくありませんでした。
あの日、俺は浴室を掃除してる時、水を流していると、排水口の音が少し変だと気付きました。
ゴロゴロ……プクプク……
最初は別に気にしていませんでした。さっきも言いましたが、俺にとってこの音の感想は“まあ、まだ嫌な音が出たな”ということくらいしかありません。
だから、最初は特に気にしていません。
ですが、俺が変だと気付いた時は、浴槽を掃除し終わった時にプクプクの音がまだ続いている時だった。
俺は必ず浴槽を掃除してから、床を掃除します。そのため、浴槽だけでなく、床の排水口のふたも必ず掃除します。
そして、当たり前だと思われるかもしれませんが、排水口のふたって、掃除する時、必ずふたを取らなければなりませんよね?
髪の毛や石鹸カス、そういったものを取り除くために、取らなければなりません……いや。知らない女性の髪の毛があるという定番のホラー話ではありませんよ?
だって、この話はまだ終わっていません。
俺は浴槽を掃除し終わって、水ももう流し終わりました。
ゴロゴロ……プクプク……
……しかし、水のプクプクの音がまだ続いていた。
俺は浴槽の排水口を見て、やっと気づいた。この音は浴槽からではなく、床のほうからだった。
ゴロゴロ……プクプク……
なんだ……シャワーのほうか――と、最初はシャワーノズルを閉め忘れたと思いました。
けれど、次の瞬間俺は鳥肌が立ちました。
……だって、俺はさっきまで浴槽を掃除していましたよね?
シャワーノズルは俺の手に持ったまま。浴槽を掃除していて、最後に水を流して……ノズルはまだ俺の手に持ってある。
そして、浴槽の排水口はちゃんと地面と繋がっています。
つまり、床にある排水口は、どう考えても“水を流されていません”。
では、床の排水口は……なんでプクプクの音が出てるのか?
水道管の中だと鮮明すぎる。
浴槽なら今見ている。
音の方向は、床から。
好奇心と疑惑。
恐怖と真相が知りたい気持ち。
色々な心情に踊らされ、俺は床の排水口に向かって……
見ました。
排水口の中には、白いものがいます……いいや、もっとはっきり言いましょう。
人間なら絶対に入れないところなんですが、俺は見ました。あれは……
人の顔です。
蒼白な皮膚、五官までついていて、ずっとプクプクと黒水のような泡を吹いている……人の顔です。
それに、排水口の穴って小さいですよね?小さくて暗い穴。
ですが、俺は首元が見えました。
少し透明な皮膚色の皮。水道管の中に皮が見えて、口元がプクプク、プクプク……と、黒水の泡を吹いていました。
加えて、単なる泡を吹いている感じではありません。
それはまるで、何に喋っているような、誰に話しかけているような口元の形です。
そう。
あくまで俺の想像ですが……
その口元の形はまるで――“私のことを……見てる?”、と言っているような感じ、でした。
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はい。
この物語が終わりです。
少しあっけないと感じたんですか?
まあ……これはただの俺の経験上の話ですから、仕方ありません。
ですが、あの時の経験は、今にも忘れられません。
現に排水口の掃除をする時、排水用のバスケットがないと全然掃除できませんし……
うん?言ってませんでしたか?
いやあー
だって、あの顔がこっちが目を瞬きするたびに近づいてきたのを見て、さすがに怖かったんですよ。
もし、俺は排水口のふたを閉じなければ……一体どうなるんでしょうね。
……いや。それとも、誰かが見てくれてるんでしょうか?
実はあの顔が、すでに俺の身に憑りついた――とか、なんてね。
まあ。
何はともあれ、この真相は――
君次第!
完