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そんな未来はお断り〜幸せになるために暗躍してたら、なぜかみんなが優しい〜


「ヒロインか、ヒドインか、悪役令嬢か。なによそれ、そんなの困る」


 高熱で三日間、生死の境をさまよったサブリナ。熱が下がった後、鏡の中にいる自分にそう語りかけた。ピンク色の柔らかい巻き毛、猫のように少し吊り上がったエメラルドグリーンの目、陶器のような白い肌。まごうことなき、美少女。でも、鏡に映る緑の目は揺れている。熱の間に見た、様々な断片を、どう整理したらいいものか。


「あれは未来なのかな」


 サブリナは色んな人生を夢で見た。大まかに三種類ぐらいあっただろうか。


 ヒロインと呼ばれたサブリナは、王子様と運命的な出会いをし、奇跡の玉の輿に乗っていた。ヒドインと称されるサブリナは、あらゆるイケメンにチヤホヤされ、逆ハーレムという境遇を得ていた。悪役令嬢のサブリナは、婚約者の浮気相手をいじめ、反撃をくらい、修道院に追放されていた。


「どれも、アタシが望む未来じゃないわ。あんな未来は、イヤ、お断りよ!」


 でも、だったらどんな未来がいいのかな。神様が見せてくれた未来の断片から、気をつけて選べば、サブリナの求めるものが得られるかな。


 サブリナは考えに考え、パートナーをひとりに絞った。


「あの人が、一番チョロそうだわ。それに、アホっぽいけれど、邪悪ではないもの。うまく扱って、誘導しましょう。アタシとあの人の輝かしい未来へ」

 

 いくつか見た未来の中で、サブリナの養父はどれも違った。孤児であるサブリナにとって、貴族の養父は後ろ盾であり、運命共同体。誰を選ぶかで道が分かれる。 



 サブリナは、そのときが来るまで辛抱強く待った。焦りは禁物。夢の中で得た教訓だ。

 そして、ついにその日がやって来た。アッフェン男爵が孤児院を訪れたのだ。


「下働きができる元気な男の子をお探しとのことですね」


 院長先生の穏やかな声が聞こえる。


「馬小屋の掃除、馬糞捨て、みぞ掃除、草抜き、落ち葉拾い。そういう体力仕事ができる子がいい」

「思い当たる子が数人います。面接されますか?」

「そうだな、そうしよう」


 院長室の扉に耳をつけ、聞き耳を立てていたサブリナは、急いで院長室から離れ、外に出た。面接を終えた少年たちが、庭に出てくる。少年のひとりが、通りすがりにサブリナの手を一瞬握る。ふたりの目が交差した。


「がんばれよ」

「任せて」


 サブリナは小声で答えると、歩き出した。建物から出てきたアッフェン男爵の邪魔にならないよう、脇によける。アッフェン男爵が馬車に近づいたとき、サブリナは後ろから声をかけた。


「あの、これを落とされました」


 アッフェン男爵は振り返り、サブリナの手にある懐中時計を見て、眉を上げる。


「ありがとう。鎖がゆるんでいたのかな」


 サブリナは懐中時計をアッフェン男爵に渡す。サブリナの指が、男爵の手の平に触れた。サブリナはビクッと体を震わせ、白目になって崩れ落ちる。


「君、どうしたんだ、急に」

「あの、もしかして、奥様がおひとりで夜会に行かれるのではありませんか? どうか、どうか、馬車の車軸を見てください。奥様の馬車が川に落ちるのが見えました。未来は、まだ変えられます。お願いします」


 サブリナは涙をひと粒、転がり落とす。呆気に取られているアッフェン男爵にお辞儀をすると、サブリナは速足で立ち去った。


***


 愛妻家のアッフェン男爵、屋敷に戻り、全ての馬車を調べさせる。妻がよく使用するふたり乗り用の小さな馬車の車軸が折れかけていることが分かった。アッフェン男爵は後日、サブリナに会いに孤児院を来訪する。


「君のおかげで、妻を失わずに済んだ。本当にありがとう。しかし、なぜ分かったのだろう? 君にはそういう力があるのかい?」

「懐中時計を拾ったときに、美しい女性が見えました。その後、閣下の手の平に触れて、美しい女性が馬車の事故で亡くなる場面が浮かんだのです。泣いていらっしゃる閣下も。そういうことは、あれが初めてでした」


「そうなのか。実は、懐中時計は妻からの贈り物だったのだ。懐中時計を拾ってくれた上に、妻の命も助けてくれたこと、心から感謝している。どのようにお礼をすればいいだろうか」

「アッフェン男爵家の下働きに雇っていただけると嬉しいです」


 サブリナは健気な少女らしく、殊勝なことを言う。アッフェン男爵は意外そうな顔だ。


「そんなことでいいのかい? もちろん構わないが。君はまだ小さい、働くには早くないかい?」

「もう十歳になりました。裁縫は得意です。野菜の皮むきもできます」


「分かった、ではお願いしようかな。それはそれとして、何か欲しいものはないかい? お礼をしないと、私と妻の気が済まない」

「でしたら、アタシだけでなく、他の子も下働きで雇ってほしいです」


 アッフェン男爵はすっかり感じ入ったようだ。何度もうなずいている。


「なんて優しい少女なんだ、君は。分かった、できる限りたくさん雇おう。孤児院への寄付も増やそう」

「ありがとうございます」


 こうして、サブリナは計画通りアッフェン男爵家に入り込むことができた。孤児院の仲間たちと共に。アッフェン男爵は男女十人の孤児を下働きに雇ってくれたのだ。



「みんな、がんばろうね。スリの特技は、ここでは披露しちゃダメだよ」


 サブリナは、懐中時計をスッて渡してくれた少年に念を押す。


「分かってるって。盗まないし、サボらない」

「アタシたちがちゃんと働けば、他の子たちも雇ってもらえるかもしれないもんね」

「残してきたヤツらの分まで、結果だそうぜ」


 少年少女たちは、孤児院で泣いていた仲間を思い出す。誰だって、出て行く子を見るのは悲しいのだ。自分は選ばれなかった、いつまで孤児院にいなきゃいけないの、悔しくて辛いことだ。



 サブリナたちは毎日骨身を惜しまず働いた。男の子たちは主に外仕事。女の子たちは洗濯、掃除、料理の下ごしらえなどだ。男爵夫妻が折に触れ、サブリナたちを気にかけてくれるおかげで、使用人たちも親切だ。


「旦那様から聞いたよ、あんたが奥様を助けてくださったんだって?」

「あのお優しい奥様がひどい目に合わずにすんでよかったよ」

「ごはんが足りなかったら言うんだよ。あんたたち痩せっぽちだから心配だよ」


 サブリナたちは、物心がついてから初めてお腹いっぱい食べるという経験をしている。毎日だ。とても幸せな一方、残された仲間への罪悪感にさいなまれる。


 サブリナは、次の一手に進むことにした。アッフェン男爵が豊かになれば、孤児院の仲間をもっと救えるかもしれないから。


***


「ご主人様、また未来が見えました。王宮である仕事を引き受けていただきたいのです」

「それはなんだい、サブリナや」

「王宮のゴミ回収の仕事です」

「なんだって? あの仕事は誰もやりたがらないから、手を上げる貴族がいないことで有名なのだよ。なにせ、不名誉だからね」


 アッフェン男爵は渋い顔をする。サブリナは聖母のような笑顔で続けた。


「ご主人様、王宮のゴミには金、地位、名誉、全てが詰まっています。アタシを信じてください」

「サブリナがそこまで言うなら、引き受けよう。君は妻の命を救ってくれた恩人だからな」


 サブリナの予言を聞き入れ、アッフェン男爵は王宮の汚れ仕事、誰もやりたがらないゴミ収集を引き受けた。もちろんアッフェン男爵が自ら動く訳ではない。こういうときのための、安い労働力がたくさんいるではないか。


 アッフェン男爵は孤児院から子どもたちをたくさん引き取り、屋敷に住まわせる。キツイ仕事でも、低賃金でも、孤児たちにとってはありがたい。衣食住のどれも、孤児院と比べると格段に改善された。仲間もいる。お金を貯めれば、いつか結婚して家族を持てるかもしれない。


「アタシたちには両親はいないけど、仲間はいる。でも、本当の家族ってのにも憧れるよね」

「大人になったら結婚できるのかなあ」

「子どもが生まれても、どうやっていい親になれるか分からないけど」

 

 みんな、不安そうに下を向く。


「俺たち、親ってどんなか知らないもんな」

「まだまだ先の話じゃないの。大人になるまでに、色んな大人を見て、いい親になる練習をすればいいんじゃないかな」


 サブリナが言うと、そうかな、そうだよね、そんな楽観的な雰囲気になる。少しずつ、サブリナたちの未来が明るくなってきた。



 王宮でのゴミ回収には、選ばれし、見た目のそれなりによい少年たちが行く。

 夢の中では何度か見た、巨大でお金のかかっていそうな王宮。男装したサブリナは小声でささやく。


「みんな、分かってると思うけど、盗みはダメよ」

「分かってる。盗らないし、サボらないし、無駄口もたたかない。さあ、いこうぜ」


 サブリナと少年たちは台車を押しながら王宮を練り歩く。廊下に出された木箱に入ったゴミを、台車の木箱に移す。紙類と生ゴミは分ける。


 衛兵以外、ほとんど誰もいない。官吏たちが働き始める前、朝早くに各部署のゴミを回収しているからだ。ゴミ収集の平民は、貴族のお目汚しだから、そう言えばすんなり認められた。 要所には衛兵がいて、部屋にはカギがかかっている、ただの子どもにそう悪さができることもあるまい。そう判断されたのだろう。


 ゴミ収集人たちは、王宮で働く高貴な人々にとっては、いないもの、いても見えないもの、道端でうごめくアリのような存在。誰かに注意を払われることもなく、サブリナたちは黙々とゴミを集めた。荷馬車にゴミ入りの木箱を乗せるとアッフェン男爵家に帰る。


「ただいま戻りました」


 大部屋に並んだ木箱を前に、アッフェン男爵は心配と期待が半々のような表情でサブリナを見る。


「それで、このゴミが宝の山だというのかい?」

「見る人が見れば、はい。数字に強い人、政策に詳しい人などは見つかりましたか?」

「ああ、サブリナの言う通り、貧乏貴族の三男や四男でくすぶってる者を集めたぞ」


 後ろから咳払いが聞こえ、アッフェン男爵は振り返り、目を泳がした。


「ほら、もう後ろに来ている。世間が才能にまだ気づいていない、宝石の原石たちだよ」


 アッフェン男爵の露骨な言い直しに、若い男性たちが引きつった笑顔を見せている。サブリナは気まずい雰囲気を打ち消そうと、少し大きな声で説明する。


「こちらの木箱が財務関係の書類です。あちらが司法、向こう側が商業」


 アッフェン男爵が一番近くの木箱の中を見る。


「紙が破かれているが」

「そうですね。機密書類の書き損じや下書きだと思います。大丈夫です、アタシたちはパズルが得意ですから」


 サブリナは破かれた紙をいくつか取り出し、元の一枚に戻す。


「パイソン公爵家の徴税官と徴税金額の一覧か、へー」


 アッフェン男爵が紙を見てつぶやくと、後ろの青年たちがアッフェン男爵を取り囲んだ。


「それは、すごい情報ですよ。見せてください」

「私も見たいです。我が国で最も裕福な財務大臣パイソン公爵家の秘密がこんなところで見れるなんて」

「まずい、この情報が外に漏れたら、パイソン公爵に消されてしまう」


 青年たちは青ざめて顔を見合わせる。サブリナは心配そうにアッフェン男爵を見上げた。


「ご主人様、この方たちは守秘義務契約書にサインされましたか?」

「ああ、してもらった」

「では大丈夫です。こちらで働いている人は全員サイン済みですもの。一緒に秘密を守りましょうね」

「秘密は墓場まで持っていってもらう契約だから、心配ないな、サブリナ」

「よかったですね」


 ハハハ、フフフと笑いあう親子のようなふたりを見て、青年たちはもっと青くなった。



 数か月ゴミ回収をし、アッフェン男爵と青年たちはいくつかの推論にたどり着いた。


「ううむ、この情報をどうしたものか」

「やりようによっては、ヘビの家を没落させることもできますね」

「少し匂わせるだけで、大金をもらえそうな気もしますが」

「あのヘビを敵に回すのは、気が進まないが」

「女神の神託を受けてはいかがでしょう?」

「そうだな、それがいい、そうしよう」


 アッフェン男爵はサブリナと庭の散歩をする。


「サブリナの言う通り、王宮のゴミは宝の山だったよ。ただ、この宝をどう使ったものかと思ってね。ヘビの権力をゆさぶるのか、金をひっぱるのか。こんな汚い話を子どもの君にするのはよくないとは分かっているのだが」


「ご主人様、ヘビを敵に回してはいけません。情報は、脅すためではなく、助けるために使うのです。情報をタダで渡して、恩を売ってください。タダより高いものはないと、ヘビは知っているはずです」


「サブリナは、子どもとは思えないようなことを言うときがあるね。未来視の力は、君から子どもらしさを奪ってしまったのかもしれない。大人の私が、サブリナを利用してすまない」

「いいのです。アタシの力を良い方向で使えるのはご主人様ですから。それに、孤児院から仲間をたくさん引き取ってくださいました」

「パズルは小さい子たちでもできるからな」


 アッフェン男爵は、子どもたちでいっぱいになった屋敷を眺める。そろそろ手狭になってきた。食費もかかる。お金を欲しい気持ちはあるが。いや、脅すのはダメだ。サブリナの力を悪いことに使っては神様に嫌われてしまう。


「情報はヘビを助けることに使うとしよう」

「はい」


 アッフェン男爵とサブリナは、庭で駆けまわる小さな子どもたちを黙って見ていた。


***


 パイソン公爵は、アッフェン男爵が一枚ずつ紙を広げるのを鋭い視線で見ている。


 今までまともに会話をしたこともなかった。パイソン公爵にとっては、アッフェン男爵は取るに足らない木っ端貴族。権力も財力も知力もない。ただ、かろうじて貴族の末端に引っかかっている塵のようなもの。そんなゴミあくたが、なぜ王国の最高権力者である己の時間を使っているのだろう。


 パイソン公爵は「さっさと説明を」と促そうと口を開きかけた。


「結論から申し上げますと」


 アッフェン男爵が一枚の紙をパイソン公爵の前に置く。


「閣下の甥御様の領地が税を少なく申告しているようですな。根拠は小麦の収穫と税の比率が合わないこと」


 アッフェン男爵はいくつかの紙の数字に丸印をつける。


「閣下の甥御様は、実に巧妙ですな。毎年、税を中抜きする村を変え、中抜き率も変えているのです。規則性がないし、微妙な変化なので気づきにくい」


 パイソン公爵は机の上を人差し指で叩きながら、頭の中で計算する。少しずつだが、積み上がるとそれなりの金額だ。

「閣下の税収、閣下が国庫に納めている金額に比べれば微々たるものです。問題は、彼がこの方法を広めようとしている気配があることですな。少しぐらい、いいじゃないか。閣下の甥がそう言えば、そうなのかなと思う徴税官も徐々に増えるでしょう」


 パイソン公爵はよろめきそうな徴税官とすました甥の顔を思い浮かべる。表情を変えぬまま、奥歯を噛みしめた。あやつめ、羽虫の分際で、生意気な。


「それで、そなたは何を望む?」


 どうせ、なんらかの利権か王宮での立場、もしくは金、そんなところだろう。パイソン公爵にとっては日常茶飯事のおねだりだ。実にくだらない。


「金も利権も望みません。もし可能であれば、アッフェン男爵家の紋章を身につける者への庇護を少しばかり。不当に捕らえられたり、攫われたりした場合、閣下のお名前を出すことをお許しいただけないでしょうか」


 今までやや人を食ったようなふてぶてしい感じで話していたアッフェン男爵が、急に真剣な目でパイソン公爵をまっすぐ見つめる。パイソン公爵はじっくりと見つめ返した。ただの塵あくたかと思ったが、それなりに見所のある男かもしれん。パイソン公爵は少しだけ口元をゆるめる。


「よかろう。たった今から、アッフェン男爵家の者は我の庇護下に入る。各貴族家に周知はしておくが、そうだな。なんらか印は入れておけ。そなたの紋章のサルと、パイソン公爵家のヘビ。それらを服にでも刺繍しておけばよかろう」


「ありがとうございます」


 アッフェン男爵は深々とお辞儀をし、ゆっくりと部屋を出る。パイソン公爵は部屋の隅で控えていた侍従に合図した。


「各貴族家に周知して参ります」


 侍従が出て行った部屋で、パイソン公爵は甥をどのように料理するかを考える。


「処分するのは簡単だが。つまらんな」


 ほのめかせば、這いつくばって泣いて許しを請うだろう。茶番だ。退屈この上ない。


「所詮、小物。それに引き換え、あれは興味深い。あのサルを変えたのは何であろうか」

 

 卑小なサルを、パイソン公爵に立ち向かえるほどの男に変えたのは、さて。


「アッフェン男爵の身辺を洗え」


 残っていた侍従たちが頷き、部屋を出て行く。パイソン公爵は久しぶりに腹の中がざわめくのを感じた。


「少しはおもしろくなりそうだ」


 パイプに火をつけ、煙を吐き出し、ニヤリと笑った。


***


 サブリナが十一歳になったとき、王宮でのゴミ回収の実績が認められ、アッフェン男爵家は王都一帯のゴミ処理も任されるようになった。


「サブリナや、本当に王都のゴミも宝の山なのかい?」

「はい、うまく使えば宝になります、信じてください」

「分かった。何を用意すればいいか教えてくれ」

「ゴミ回収人と農民が必要です」

 

 サブリナが朗らかに言うと、アッフェン男爵は困った顔でアゴをさする。


「サブリナや、農民はともかく、孤児はもう余っていないよ。みんな我が家で雇っている」

「ご主人さまは聖人のように立派です」

「それはサブリナの方だと思うけどね」


 ハハハ、フフフと和やかに笑うふたり。アッフェン男爵家の財政状況は、パイソン公爵の庇護を受けてから劇的に改善した。


「パイソン公爵のおかげで、ほとんど税金を国庫に納めなくてよくなった。まさか、あんな方法があったとは」


 孤児を雇えば減税されるという法案を、パイソン公爵があっさり通してくれたのだ。孤児が浮浪者となり王都の治安が悪くなるのを防げるではないか。そう押し切ってくれた。

 今では全ての孤児がアッフェン男爵家で雇われている。


「パイソン公爵が手回ししてくださって、アッフェン男爵家が孤児院を運営することになったし。何が何だか分からないうちに、色んな事がうまくいったよ」

「よかったですわ。では、王都でゴミ収集できる人を募集しましょう」

「集まるだろうか?」

「集まりますわよ。制服を支給すると言えばいいのです。制服にはサルとヘビの紋章が入っていますもの」

「サブリナ、君は天才だな」


 アッフェン男爵はサブリナの両手を取り、力強く握った。


 サブリナの予想通り、人はあっという間に集まった。サルとヘビの紋章入りの制服を着られれば、王都で危ない目に合わないことが約束されるのだから。


 アッフェン男爵はサブリナの助言に従い、なるべく他の仕事に就きにくい人を優先して雇った。短時間しか働けない子持ちの未亡人、体が不自由な人、長時間は働けない老人、素行が悪くて職場を転々としている人などだ。


 素行が悪い人を雇うのは、アッフェン男爵は反対だったのだが、サブリナが薦めたのだ。


「ご主人様なら、彼らをまとめられます。手綱を握ればいいのです。ご主人様は親分として頂点に君臨し、彼らをしつけてください」


 そこまで信じられて、できないとは言えない。サルとヘビの紋章入り制服を着たクセの強い平民を前に、アッフェン男爵は訓戒を垂れた。


「真面目に働けばちゃんと昇給させる。何度も問題を起こしたらクビにする。この制服を着るものは、アッフェン男爵家の一員だ。弱い者にたかるようなダサいことはするなよ」


 王都で最も力を持つパイソン公爵をたらしこんだアッフェン男爵。孤児を雇い未来を与えた貴人。弱きを助け、道を踏み外した者にも手を伸ばそうとする聖人。本人のあずかり知らない間に、アッフェン男爵の評判はとんでもないことになっていた。


 アッフェン男爵から差し出された手に唾吐くことは、王都中から白い目で見られることを意味する。荒ぶっていた者も、それなりに真面目に働くようになった。


 女性や子どもは、見た目が荒々しい男性と共に台車を押して担当する区域を回り、ゴミを集める。ゴミのほとんどは生ゴミだ。


「生ゴミの処理がおいつかないな、どうしたものか」

「ご主人様、生ごみは木箱に集めて、土をかぶせ、ミミズを置けばいいのです。数週間で肥料になります」

「サブリナはそんなことも知っているのか。君の小さな頭にどれほどの知識が詰まっているのか、私はたまに恐ろしくなるよ」

「知識はいいことにしか使いません。ご心配なく。生ゴミがたまったら、トラに会っていただかなくてはなりません」

「なんだって」


 驚くアッフェン男爵に、サブリナは作戦を伝える。


***


 何を考えているのか分からない。そう評されることが多い、感情の揺らぎが見えない目で、ティガーン子爵はアッフェン男爵を観察する。


 あのパイソン公爵が目をかけているサル。たるんだ腹がベルトの上に乗った、だらしない体の冴えない男だ。パイソン公爵の庇護下にあること以外、特筆すべきこともなさそうな人相。


 貧民から、聖人と呼ばれていい気になっているのだろうか。いや、そうでもなさそうだな。己の平凡さをよく分かり、どちらかというと地に足のついた男のようだ。


 人を見る目には自信がある。ティガーン子爵は、アッフェン男爵の人となりを見極めようと静かに話を切り出した。


「それで? 私の商売に有用な提案があるとか?」

「王都で回収した生ゴミから堆肥を作っているので、それを商品化できないかと」


 ティガーン子爵はやや失望した。堆肥など、たいした売上にならない。わずかに持っていたアッフェン男爵への興味が霧散していくのを感じる。それでも、どのような人物でも潜在顧客であると分かっているので、商売人の顔を維持して聞いた。


「価格はどれぐらいでお考えかな?」

「ああ、堆肥そのものに値段をつけるつもりはないのです。ティガーン子爵閣下の商店が農家に野菜を仕入れに行かれますよね? その際のお土産に堆肥を持っていっていただけないでしょうか」

「お土産? 農家に無料で堆肥をあげるということ?」

「はい、その代わり、売り物にならない形の悪い野菜をもらっていただけないでしょうか? 物々交換といった感じで。なにせ、育ち盛りをたくさん抱えておりますから。無料で野菜が手に入ればありがたいんですよ、ええ」

「それなら、勝手にあなたがやればよいことでは? 我が商会が間に入る必要があるとは思えないが」

「いやあ、人を雇って色んな農家に堆肥を持っていくの、大変じゃないですか」


「なにを──」

 言っているのだこいつは。そんなめんどくさいことはできないと、格上の貴族である自分に本気で言ったのか? アホなのか、こいつは? ティガーン子爵はアッフェン男爵を呆れながら見る。それともやはり、パイソン公爵閣下の威を借るただのサルということであろうか。


「私がやってもただの物々交換ですが、ティガーン子爵閣下の商会がやれば、利がありますよ。堆肥をくれるなら、今までの価格でいい野菜をより多く売ってくれるかもしれません」

「なるほど、一理あるが」

「今まで商売をしていなかった農家も、堆肥の評判を聞いて取引きを始めてくれるかもしれません」


 なかなか食い込めていない、良質な小麦を育てる農家が確かにあるが。効果があるだろうか。


「ティガーン子爵閣下の口利きがあれば、他の都市でも同じことができるかもしれません。アッフェン男爵家が孤児院を運営し、都市で生ゴミを集め堆肥を作り、ティガーン子爵家の商会が農家に運べば、三方よしですよね」


「もしかして、私に仕組みを売ろうとしているのか?」

「そういったところです。なにせ、規模が大きすぎて、私だけの力ではできないことですから」


 悪びれることなく笑うアッフェン男爵が、なにやらとてつもなく大きな男に見えてきた。こやつ、底が知れぬ。パイソン公爵閣下を篭絡するだけのことはあるかもしれない。


「おもしろい。お互いの利益の落としどころを詰めようではないか。まずは小さく始め、うまくいけば事業を拡大すればよい」

「ありがとうございます。ああー、よかったー、閣下が乗ってくださって」


 子どものような笑顔を浮かべ、椅子の背もたれにダラッと体を預ける姿からは、先ほど感じた大物感はまったくない。この男、なかなか興味深いな。ティガーン子爵は、サルの手の平で踊らされるような感覚を持ったが、それでもなぜかイヤな気分にはならなかった。



 その後、サルとトラの紋章が入った堆肥入り木箱が、王都から農家へと行き来するようになった。


***

 

 十二歳になったサブリナは見違えるように成長した。他の孤児たちも、小さくて骨ばっていたのが、背が伸び筋肉がきちんとついた健康的になった。


 アッフェン男爵家もそれなりに豊かになった。王宮と王都でのゴミ回収は公共事業という扱いになっているので、莫大な収入があるわけではない。ただ、税金が控除されているので、出て行くお金が劇的に少なくなった。


「堆肥との物々交換で、食費も抑えられているから、利益は常に上向き。ウハウハですな~」

「売り物にならない野菜だけじゃなくて、卵やお肉までもらえるようになりましたから、よかったです」


 妙な小躍りをしているアッフェン男爵を、サブリナは笑顔で見つめる。


「それで、サブリナや。また新しい未来を見たんだって? いい知恵を教えてくれるかい?」

「はい、今度はウマです」


「ウマ。だがあそこはもう力はないんじゃないかい? 先代が始めた事業がことごとくうまく行かなくて、爵位を手放すなんてウワサも出ているぐらいだよ、サブリナや」


「跡を継いだ今の当主夫妻は、家を建て直すのに必死なはずです。ということは、ご主人様の提案を柔軟に聞いてくれるはずなのです」

「そうかい。サブリナの言うことはいつも当たっているから。がんばってくるよ」


 アッフェン男爵は拳で胸を力強く叩いた。ベルトに乗ったお腹がタプンと揺れた。


***


 フェルデ伯爵夫人は深々とため息を吐いた。


「ゴミ男爵が来るだなんて。いったいどういうことかしら。我が家がひっ迫しているのを知って、家宝を買いたたきに来るのかしら」



 貴族の末端にかろうじて名を連ねていた男爵が、いつの間にか有力貴族を次々取り込み、勢力を増している。嘆かわしいことだ。由緒正しきフェルデ伯爵家までが、その毒牙にかかるだなんて、ありえないわ、許せないわ。


「フェルデ伯爵家に残っているのは、もはや伝統と家名だけですもの。せめてそれは守らなくてはいけないわ」


 それが嫁いできた自分の役目であろう。フェルデ伯爵夫人は断固たる態度で、毅然と対応しようと決意する。縄張りを守る雄鶏のようなたけだけしい気持ちで客間に入った。


「これはこれはフェルデ伯爵夫人。お忙しい中、ありがとうございます」


 深々とお辞儀をし、もみ手をせんばかりにへりくだるアッフェン男爵がそこにいた。御用商人よりも腰の低い相手に、夫人はいきなり戦意をそがれた。


「それで、ご用というのは?」


 夫人は単刀直入に問いかけた。さっさと聞いて、とっとと追い返そう、そう思った。


「私は別名ゴミ男爵と呼ばれているのですが。最近、不要になったものを有効活用することを喜びと感じるようになりまして。フェルデ伯爵家で埋もれている宝がもったいないなと、本日は提案に参った次第でございます」


「我が家の宝とは具体的には何かしら?」


 いざとなったら売ってしまおうかと思っている甲冑、絵画、壺などが宝物庫にはまだ多数ある。


「ドレスです。先代の伯爵夫人は社交界の流行を司る存在でいらっしゃいましたよね」

「いくらなんでも、古すぎますでしょう。大昔の最先端ドレスは、今では化石ですわ」

「物は試しというではありませんか。もう捨ててもいいと思われるドレスをいくつかいただけませんか?」


 買わせてくださいとは言わないところが、さすがゴミ男爵だわ。夫人は厚かましいアッフェン男爵に半ば感心した。


 パイソン公爵とティガーン子爵が発見したであろう、アッフェン男爵の才能の片りんは、フェルデ伯爵夫人には少しも見つけられなかった。


 でも、もしかしたら、本当にやり手なのかもしれない。切り捨てるのはいつでもできますものね。夫人は扇子をパチリと閉じると、軽く頷く。


「分かりました。いくつか処分しようと思っていたドレスを差し上げます」

「ありがとうございます。後日、改めてドレスと共にご提案に伺います」


 アッフェン男爵は、古ぼけたドレスを持って嬉しそうに帰っていった。




 フェルデ伯爵夫人が古いドレスのことをすっかり忘れた頃、アッフェン男爵がまたやって来た。


「いかがでしょう?」

 姑の古臭いドレスが、当時の流行を残しつつ、今風になっている。


「まあ、これは」

 夫人は息を呑み、広げられたドレスに近づく。


「あら、小さくなっているのかしら?」

「はい、十代前半の少女向けにいたしました。大人は当時の記憶が残っていて、古臭い、流行おくれという感覚が先にたってしまうでしょう。ところが、当時を知らない少女ならば、新鮮なのではと思いまして」


 夫人はすっかり感心した。その通りだ。自分は姑世代のドレスを着たくはないが、娘世代なら受け入れられる気がする。


「目のつけどころがいいですわね。とても気に入りました」

「ありがとうございます。では、どうでしょう? 手を組ませていただけませんか? 新しい流行をフェルデ伯爵家とアッフェン男爵家共同で作り上げませんか?」


 半信半疑で聞いていた夫人は、最終的には了承した。試してみても、何も損はないだろう、そう思ったからだ。


***


 フェルデ伯爵家が経営していたつぶれかけの服飾店。今では客の途切れない人気店となった。


「おばあさま、わたくしこのドレスが好きだわ。どうかしら?」

「まあ、懐かしいわねえ。これに似たのを若い頃に着たのよ」


「いらっしゃいませ、奥様、お嬢様。実にお目が高い。こちらは先代のフェルデ伯爵夫人のお気に入りドレスから着想を得ております。元々のドレスも飾られておりますので、どうぞご覧になってくださいませ」


 壁際のガラス棚の中には、先代夫人の衣装を着た人型がズラリと並んでいる。


「そうそう、こんなドレスでしたわ。思い出すわねえ、わたくしがまだ結婚する前のことですよ」

「これらを基にしたドレスがたくさんございますので、どうぞお試しになってください」

「おばあさま、わたくしこの青と白の縞模様のドレスと、あちらのピンクの花柄のドレスが好き」

「両方買ってあげますよ。次のお茶会に着るといいわ。さあ、試着してみなさいな」

「お嬢様にピッタリになるように調整し、すぐにお届けさせていただきます」


 店員はにこやかに言って、令嬢を奥の部屋に案内する。


 祖母と孫が一緒に買い物ができると評判の服飾店。看板にはウマとサルの紋章が入っている。

 

***

 

 十三歳になったサブリナは、すっかり安心しきっていた。アッフェン男爵に、ゴミから金、地位、名誉を手に入れてもらった。サブリナの計画はうまく行ったのだ。これでもう大丈夫、そう思っていたとき、王宮から知らせが来た。


「アタシが王子妃候補ですって? そんなまさか。何かの間違いです。アタシはただの平民ですよ」


「だけどな、サブリナや。立派な服を着た遣いの人が、サブリナを王子妃候補向けの勉強会に招待すると言ったのだよ。ほら、紙もある」


 分厚い紙に、美しい手跡で確かにそんなことが書かれている。サブリナは頭を抱えた。


「そんな、あの未来は回避できたと思ったのに。そもそも、あれが始まるのは二年後、学園に入学してからのはず」

「なんのことだい、サブリナや」

「アタシ、王子様とは結婚したくないのです。どうしましょう」


 サブリナは涙目でアッフェン男爵を見上げる。


「サブリナなら、王子様とだってうまくやっていけると思うがね。何度か聞いたけれど、本当に養女になる気はないかい? 今のアッフェン男爵家なら、サブリナを十分守ってあげられると思うのだよ。そりゃあ、王家から言われたら断れないが」


「せっかくなのですが、養女にはなれないんです。ごめんなさい。下手に貴族になったら、王子様と結婚しなくてはいけなくなるかもしれませんもの。まだ平民のままの方が安全だと思うのですよね。それにしても、王子妃候補だなんて、困りました」


 サブリナはしばらく考えた後、いいことを思いついて、パチンと手を叩く。


「王子妃候補向けの勉強会で、ダメダメっぷりを見せつけてくればいいんだわ。がんばりますわ、ご主人様」


 サブリナはやる気に満ちて拳を握りしめた。



 王宮の一室で、サブリナは他の参加者を観察する。

 長身で氷の女王のようなロザムンド・パイソン公爵令嬢は、才媛と名高い。

 女豹のような妖しい魅力を放つミシェル・ティガーン子爵令嬢は、父譲りの商売上手。

 花の妖精のようなクリスティーネ・フェルデ伯爵令嬢は、見た目が抜群。


「これなら、ぶっちぎりでアタシが最下位ね」


 サブリナは自信を持った。サブリナはかわいいが、この多様な美少女たちに比べれば普通だ。大丈夫、間違いない。絶対に、選ばれない。


「よかった、この人たちが没落しないようにがんばってきて」


 サブリナの見た未来で、三人は不幸な状況に陥っていた。そのせいで、サブリナが王子と結婚したり、逆ハーレムになったり、追放されたのだ。でも、アッフェン男爵に八面六臂の活躍をしてもらって、三人はこうして王子妃候補まで残れた。


「がんばったアタシを褒めてあげたい」


 

 すぐひよるアッフェン男爵をおだてたりなだめすかしたり、大変だったわあ。


 壁際で気配を消し、令嬢たちを観察しながら独り言を漏らしていたサブリナ。令嬢たちに見つめられ、ピタッと口を閉じた。平民は貴族に話しかけてはいけない。未来視の中では、サブリナはそのことでよくロザムンド・パイソン公爵令嬢に怒られていたっけ。


***


 ロザムンド・パイソン公爵令嬢は、じっくりとサブリナに話しかける機会をうかがっている。ずっと気になっていた少女。平民で孤児という不遇な状況ながら、アッフェン男爵家を盛り立てた、影の功労者。そのことを、ロザムンドは二年前に知った。父の部屋にあった報告書類を、こっそり読んだのだ。


 そのときから、不思議な少女と話したいと願っていた。どうしてそんなことを思いついたの? なぜアッフェン男爵家の養女にならないの? パイソン公爵家の養女になってくれないかしら? そしたら姉として思いっきりかわいがれるわ。だって、春の精霊みたいなんだもの。ピンクの髪に若葉のような瞳。華奢で小さいから、抱きしめたらわたくしの鎖骨辺りに頭がくるのではないかしら。


 どうやって仲良くなろうかしら。わたくしは見た目が怖いから、怯えられてしまうかもしれない。怖がりの猫に近づくように、少しずつ距離を縮めましょう。


 王子妃の地位など興味はないけれど、サブリナが参加すると聞いていそいそとやってきたのだ。もしも、サブリナが王子妃に選ばれたら、全力で支えるわ。平民ですもの、知らないことがたくさんあるはずだわ。こっそり教えてあげるわ。


 妙な王子妃教育だって、わたくしがついているから大丈夫ですわよ。すかさず隣に座りましたから、どんな発言も聞き漏らさなくってよ。ほら、早速おもしろいことを言っているわ。


「利き茶ですか? 利き酒ではなく?」

「皆さんはまだ、お酒をたしなむ年齢ではございませんでしょう」

「そうでした。お茶なんて、お得な大容量、お値打ち価格しか飲んだことありませんわあ」


 教育係に言われて、小さくこぼすサブリナの隣で、ロザムンドは腹筋に力を入れた。気をつけていないと、吹き出してしまいそう。


 貴族令嬢たるもの、お茶には詳しくないといけませんの。お茶会は重要な社交であり、情報収集の場。どの貴族がなんのお茶を好むか、ロザムンドは熟知している。サブリナは、お茶には興味がないようだ。


 目の前に置かれた五つのカップを見て、サブリナはげんなりした表情をしている。


 そんな顔、王宮で見せてはなりませんわ、サブリナ。でも、かわいらしいから許しますわ、ええ、わたくしは許しますわ。教育係はどうかしら。彼女は表情がピクリとも変わらないから、何を考えているか分かりませんね。さて、お茶に注目いたしましょう。


 白磁の繊細なカップに、薫り高い紅茶が注がれた。茶葉の種類を当てるという、貴族のお遊び。ロザムンドにとっては、それこそお茶の子さいさい。


 サブリナにお手本を見せるつもりで、ロザムンドは大きめの動作でカップを持ち上げる。少し揺らし色を観察。カップを口元に近づけ、さりげなく香りを確認。最後にひと口含み、飲み込むまでのわずかな間で味を分析。紙に茶葉の名前を書き込む。大きな文字で、サブリナが見やすいように。


 サブリナはロザムンドの紙をチラリとも見ず、苦難の表情でゆっくり文字をつづっている。ああ、それは、間違っていましてよー。ロザムンドは叫びたかったが、こらえた。


 最後のお茶が終わり、教育係に言われてロザムンドはサブリナと紙を交換する。サブリナの文字は小さく、自信なさげでたどたどしい。隣でサブリナが感嘆の声を上げた。


「ロザムンド様は絶世の美女である上に、字まで美しいのですね」

「まあ、ありがとうございます。サブリナ様の手跡は、お姿と同じで小さくかわいらしいですわね」

「ありがとうございます」


 ロザムンドは精一杯、優しく見える笑顔を浮かべた。サブリナは子どものように無邪気な微笑みを返してくれる。


 答え合わせが始まると、サブリナは真剣な目でロザムンドの紙を見ている。


「それでは答えを申し上げます。一番目、デーリンの夏摘みです。みずみずしく華やかな香りと強い渋み、鮮やかなオレンジ色が特徴ですね」


 教育係が答えを言うと、サブリナが目を輝かせた。


「ロザムンド様、すごいですわ。夏摘みまで的中なさるなんて」

「デーリンの夏摘みは、王妃殿下のお気に入りですから」

「そうなんですね。知りませんでした」


 王妃殿下のお気に入りを知らない貴族令嬢はいない。でもサブリナは気にしていないようだった。平民ですもの、仕方ありませんわ。もし、サブリナが王子妃になったとしても、茶葉のことは侍女が知っていれば問題ありませんわよ。


 その後も、ロザムンドは順調に正解し、サブリナは不正解が続く。


「ロザムンド様が全問正解、ミシェル様とクリスティーネ様が四問正解、サブリナ様は──」「アタシは全滅です」


 教育係に向かってあっけらかんと言うサブリナ。


「大丈夫です、サブリナさん。茶葉の知識がなくてもなんとでもなりますわ。お茶会までに出席者の情報を覚えればいいですし。いざとなれば、茶葉に詳しい侍女が耳打ちなどで対応すればいいことですわ。不肖ながら、わたくしが務めさせていただきます」


 ロザムンドが力説すると、サブリナの顔が引きつっている。あら、怖がられてしまったでしょうか。気をつけなければいけませんわ。ロザムンドは急いで穏やかな笑みを作った。


***


 サブリナは休憩時間に、ひとり王宮を彷徨っている。王宮のことは熟知している。なにせ、ゴミ回収で津々浦々を歩き回ったのだから。誰にも見つからず、衛兵のいない、人通りの少ない庭園に無事たどりついた。


「あー疲れた。早く終わらないかなー。うわっ、まずい」


 サブリナは前方に庭師を見つけた。いや、庭師に扮した王子だ。仕事着をまとっていても、隠し切れない気品がある。輝くような銀色の髪に、金貨色の瞳。王太子のローレンスではないか。自然な形で王子妃候補者と話して人となりを見る、そんな計画なのだわ。困るわ。サブリナは引き返そうと立ち止まった。


「いい天気ですね」


 話しかけられてしまった。さすがに、無視して走り出すわけにもいかない。サブリナは仕方なくあいまいな笑顔を浮かべる。さあ、どうやって王子に失格を出してもらおうか。


「きれいな花ですね」

「ユリの花が好きですか? ピンク色の髪に似合いそうです。どうぞ」


 王子が白いユリの花を取って、サブリナの髪に挿してくれる。


「ありがとうございます。えーっと、殿下。アタシには王子妃は務まりません。平民ですし、教養が足りませんから」

「おや、知らないフリして会話を楽しむというのは、嫌いかな?」

「そういうのは、苦手です」


 未来視では楽しんでいる自分もいた。でも、その未来は選びたくない。


「身分はなんとでもなる。貴族の養女になればいい。教養は、これから身につければいい」

「アタシが王子妃になると、国が荒れます。殿下は、きっと後悔なさいます」

「まるで見てきたかのように言うね。それとも、本当に見たのかな? アッフェン男爵家には、未来を知っている少女がいるともっぱらのウワサだ」


 やっぱり。王家には隠せなかったんだわ。そうよね、たくさん情報収集する諜報機関を持っているものね。


「未来を知っている訳ではありませんが、これは確かです。アタシは殿下と結婚いたしません」

「あっさり振られてしまった。分かった、そこまで言われたら引き下がるとしよう。では」


 王子は美しい顔を残念そうに少しくもらせた後、静かに去って行く。サブリナはゆっくりと後ずさりし、王子と十分に距離が取れてから踵を返して走り出した。


 ああどうか、これで諦めてくれますように。アタシとあなたには、いい未来はないのだから。


***


 ミシェル・ティガーン子爵令嬢は、ロザムンドとサブリナのやりとりをしっかりと聞いていた。隣の席は僅差でロザムンドに奪われた。やはり、彼女もサブリナを狙っているのね。


 無理もない。平民の少女が税金調査、堆肥作り、ドレスの仕立て直しにまで手を回しているのだ。公にはアッフェン男爵の手柄になっているが、鼻の利く貴族は裏にサブリナがいることはとうに気づいている。


 パイソン公爵、ティガーン子爵、フェルデ伯爵が目を光らせ、サブリナが欲深な貴族に攫われないようにしていたのだ。


 この少女の謎を解き明かしたい。それは、ティガーン子爵家一同の望みでもある。金の卵を産むガチョウは、商売の女神だ。でも、ガチョウは臆病なので、怯えさせては元も子もない。逃げられないよう、慎重に。


 幸い、次の講習ではサブリナの隣に座れた。後ろから、ロザムンドの殺気を感じるが、無視だ。


 視界の端で、サブリナを見る。やはり、かわいい。髪がピンク色というのがいい。花畑に座らせて、絵を描いたら飛ぶように売れるだろう。ウサギや猫を周りに配置してもいいかもしれない。かわいいとかわいいの掛け算。売れる。


 ミシェルが捕らぬ狸の皮算用をしていると、教育係が入ってきた。


「本日は、国内外の貴族を覚えましょう」

「はあー、興味ありませんわあー」


 隣からとんでもないつぶやきが聞こえたが、ミシェルは奥歯を噛みしめて笑いをこらえた。

 何も聞こえなかったかのように、教育係は平然と肖像画を掲げる。


「簡単なところから始めましょう。はい、こちらはどなたでしょう」


 ミシェルはサブリナの様子を探る。サブリナは満面の笑顔で手を上げた。


「国王陛下です」

「その通りですね。お名前も言えますか?」

「名前、は分かりません。苗字は知っています。ヴォルフスフント王国ですから、ヴォルフスフント」


 おいおいおい。ミシェルは目をつぶる。いや、これはきっと演技だろう。まさか、国王陛下の名前を知らない国民がいるわけがない。


「陛下の好物はオリーブの塩漬け。でも、一日に食べていいのは五粒までと主治医に止められているそうです」


 こらこらこら。どうして、そんな極秘情報を知っている? 王宮に食品を納入しているティガーン子爵家でさえ、つい最近つかんだことなのに。


 教育係は顔色を変えず、次の肖像画を出した。サブリナが自信満々に手を上げる。


「王国の才媛、氷の令嬢ことロザムンド・パイソン公爵令嬢のお父上、パイソン公爵です。名前は知りませんが、趣味は寝る前に金庫の中の金貨を数えることです」

「当たっていますわ。すごいですわ、サブリナさん」


 氷の令嬢ことロザムンドが、とろけきった笑顔で手を叩いている。いいのか? 今の情報、垂れ流していいのか?


 鋼鉄の顔面を持つ教育係は、淡々と絵を出す。


「王国の炎、ミシェル・ティガーン子爵令嬢のご母堂、ティガーン子爵夫人です。名前は知りませんが、ティガーン子爵家で一番値切るのがお上手だそうです」

「なぜ、それを、知っている」


 ミシェルは思わず立ち上がりそうになり、咳払いして座り直した。


 教育係は軽く頷くと次の絵をサブリナに見せる。この人、おもしろがっているのでは。ミシェルは思った。


「王国の妖精、クリスティーネ・フェルデ伯爵令嬢のおばあ様です。名前は知りませんが、オシャレ番長と呼ばれるのが重荷で、家では乗馬服だったそうです。突然の来客には応じなかったとか」


「まあ、おばあ様が? 知りませんでしたわ」


 クリスティーネが手で口を押え、目を丸くしている。いや、だから。孫娘も知らない情報を、なぜ知っているの、サブリナ。


 ミシェルは、どうやってサブリナを取り込むか、真剣に考え始めた。


***


「はあー、今日もがんばりましたわあー」


 やる気を見せつつ、明後日の方向に全力疾走という高度な技を披露した。王子がオモシレー女好きでなければ、大丈夫だろう。大丈夫、だよね?


 下手に庭園に出て、ローレンス王子に出くわしたらイヤなので、今日は王宮の屋上に来た。ゴミ回収の途中で、仲間と朝焼けを見たものだ。


 階段を上がって、扉を開けると、胸壁のあたりでたそがれている少年。


「やだ、最悪」


 どう見ても、高貴な少年だ。ローレンス王子の弟ファビウスではないか。兄と同じ、銀の髪と金の瞳が、太陽に照らされて輝いている。キラキラ王子がサブリナを見る。


「こんにちは、サブリナ」

「こんにちは、ファビウス殿下。ローレンス殿下とは違って、知らないフリごっこはしないんですね」

「小細工をすると嫌われると兄から言われました」

「まあ」


 いやだわ。兄弟で情報共有しているんだわ。


「つかぬことを聞きますが、王子妃候補ということですが、ひょっとしてローレンス殿下ではなく、ファビウス殿下の妃候補なのでしょうか?」

「どっちでもいいですよ。サブリナが好きな方を選んでください」

「まあ」


 なんてこった。どうしてこうなった。いくつかあった未来の中で、サブリナはファビウスとも婚約していた。ローレンスのときと同じくで、平民上がりのサブリナを婚約者とすることで、国は荒れた。あの未来はイヤだ。


「ファビウス殿下。アタシは王子妃の器ではありません。ファビウス殿下もローレンス殿下も、理想の王子様と国民から抜群の人気です。アタシと婚約すると、間違いなく民が怒ります。そして、国が荒れます。アタシはそれを望みません」


 サブリナは、深く頭を下げると、駆けだした。


***


 クリスティーネ・フェルデ伯爵令嬢は、サブリナをうっとり眺めている。


 なんておもしろいお嬢様なのかしら。愛らしくておもしろい。理想の女性像ですわ。ああ、どうか。お友達になってくださいませ。我が家を救ってくださった、女神様。


 クリスティーネはおずおずとサブリナの隣の席に座った。


 サブリナさんって、見れば見るほどかわいらしいですわ。サブリナさんが考案して仕立て直してくださったおばあさまのドレス。きっとサブリナさんも似合うわ。わたくしとお揃いで着てくださったら、大評判になるわ。同じ型で色違い。ふたりで着たら五倍ぐらい売れそうです。わたくしと共に、服飾店の広告塔になってくださると嬉しいのですが。でも、お忙しいですもの、無理ですわよね。


 クリスティーネはため息を吐き、小鳥のように小さく震えた。


 同い年ですのに、どうしてこれほど才能豊かなのでしょう。不思議でなりません。お母さまに、決して失礼のないようにって何度も言われましたが。もちろんですわ。我が家の恩人ですもの、何千回お礼を言っても足りないぐらいですわ。あら、直接お礼を申し上げたこと、一度もなかったですわ。まずいですわ。早速申し上げましょう。


「サブリナさん、我が家を救ってくださり、ありがとうございます。フェルデ伯爵家一同、心から感謝しております」


「なななな、なんのことかしら。あれは、あれやこれやは全て、アッフェン男爵がされたことです。アタシはなにひとつ知りませんわ」


 頬を髪と同じようなピンク色に染めて、慌てていらっしゃいます。わたくし、やらかしてしまいましたでしょうか。目立ちたくない、謙虚なお人なのですね。クリスティーネ・フェルデ、一生の不覚ですわ。


 クリスティーネが自己嫌悪に陥っていると、先生が入って来た。


「本日は刺繍です。ご自由に好きなものを刺繍してみてください」


 好きなものですか、何にしましょうか。好きなものと言えば、やっぱり、服飾店の看板の──。


「できました」

 ほぼ同時に、四人全員が刺繍を終えた。四人はそれぞれの刺繍を見て、一瞬目を見開き、わっと笑い出す。鉄仮面先生も上品に笑った。


「クリスティーネ様がウマとサルの紋章。ロザムンド様がヘビとサル。ミシェル様がトラとサル」

「アタシはウマとヘビとトラとサルですわ」

「サブリナさんのサルはおもしろい恰好をしていらっしゃいますね。どういう意味がございますの?」


 サブリナのハンカチの中ほどに、サルが三つ刺繍されていて、サルの外側にウマ、ヘビ、トラが配置されているのだけれど。サルが、手で目をふさぎ、耳を押さえ、口を覆っている。


「これは、見ザル、言わザル、聞かザルを意味するのです。アッフェン男爵家もアタシも、秘密を決して漏らしません。そういう決意です」


「そうなんですね。サブリナさんの気持ち、よく分かりました。わたくしも、フェルデ伯爵家も、サブリナさんとアッフェン男爵家の秘密を決して口外したりはいたしませんわ」


 クリスティーネは手を胸に当てて、厳粛に誓った。


「わたくしもパイソン公爵家も同じく、誓いますわ」

「もちろん、私もティガーン子爵家も右に倣い、誓います」


 四人は胸に手を置いた。


「素晴らしい絆です。ではわたくしも誓いましょう。わたくし並びにヴォルフスフント王家一族はここにいる皆さんと、皆さんの一族の秘密を守りましょう」


 先生が言うと、みんなポトリとハンカチを落とす。


「えっ、先生って王家の人なんですか?」

「ええ、まあ、そのようなものです。ホホホ」

「えええー」


 サブリナだけではなく、少女たち全員が声を上げた。


***


「どうしてみんなあんなに優しいのかしら」




 休憩時間、サブリナは庭園を歩きながら不思議に思った。未来視の中の三人は、サブリナを大嫌いだった。同じ轍を踏まないよう、敵対しないよう、注意深く生きてきた。それにしても、だからといって、好かれるはずがないのだ。おかしい。王子ふたりといい、なにがなんだか意味が分からない。


 のんびり歩いていると、大きな木の下で寝そべっている少年がいる。黒髪で小汚い恰好をしている。下働きの子かしら?


「君がサブリナ?」


 少年は立ち上がると、あっという間にサブリナの前に立ち、両手を握って跪く。


「俺、バリーってんだ。君のおかげで俺も仲間も助かった。お礼を言いたくて待ってたんだ」

「えーと、あのー、心当たりがありません」


「え、だって君がアッフェン男爵に色んな街で孤児院を買収させたんだろう? 浮浪児を雇ってゴミ回収の仕事くれたのも君だろう? 本当にありがとうな。俺、孤児院追い出されて転々としててさ、ゴミ回収の仕事のおかげでドン底まで落ちずに済んだ」


「まあ、そうですか」


 それはよかった。とてもよかったのだけど。その元浮浪児が、どうして王宮に? サブリナの頭の中を疑問符が渦巻く。


「あ、俺さ、王都から大分離れた街で暮らしてたんだけど。たまたまティガーン子爵が来てさ。堆肥を届けに行ったら、王弟殿下にそっくりではありませんかーって言われてさ。調べたら、王弟の隠し子だったんだって」


 サブリナは混乱した。ということは、彼も王子では? でも、こんな人、未来視に出てこなかった。


「あのー、ひょっとして、バリー殿下もアタシとの婚約をお望みですか?」


「え、結婚してくれるの? 結婚したらどうしたい? 俺は、王宮生活は息が詰まるから、そろそろ逃げ出して冒険者にでもなろうかと思ってたんだけど。サブリナは安定した生活ってやつの方がいい? どっちにしても、楽しみだなあ」


 バリーは嬉しそうに笑うと、芝生に腰かけ、隣をポンポンと叩いた。


「結婚するなら、君のことをもっと知りたいから、教えてよ」


 勢いに押されて隣に座ってしまったサブリナ。バリーからリンゴを渡される。結婚するとは言ってない、それを口にすることができなかった。バリーの笑顔があまりにも幸せそうで。


「腹減ってない? さっき果樹園からくすねてきた。食べなよ」


 そう言って、バリーは別のリンゴをかじり始める。


「それで、王子妃教育って何してんの?」

「利き茶とか肖像画見て名前を当てたり、刺繍ですね」

「楽しい?」

「一緒に授業を受けている令嬢の皆さんは優しいので、これから楽しくなるかもしれません」

「ふーん、よかったね。サボりたくなったら、これで呼んで。いつでも駆けつけるから」


 バリーが真鍮の笛をサブリナの手に載せる。


「吹いてみて」


 言われるままに笛を口に当て、フーッと息を吹く。


「音が鳴りませんね」

「うん、これ犬笛だから。普通の人には聞こえない。でも俺には聞こえてるから、大丈夫」


 バリーが耳を触り、後ろを向いた。


「俺の仲間にもちゃんと聞こえてる」


 遠くから、大きな黒犬が走ってきた。黒犬はバリーに体当たりした後、顔をなめ回す。


「コーダっていうんだ。かわいいだろ?」


 黒犬コーダは、サブリナの匂いをかいでから、サブリナの手をペロリとなめる。


「コーダも君を気に入ったって。笛を吹けば、コーダと俺が走ってくるからさ。いつでも呼んで。なくさないように、首にかけておくといいよ」


 バリーは笛に鎖を通し、サブリナの首にかけてくれる。

「あ、ありがとうございます」

「おう、気軽に使ってくれよ。明日はもっといいものくすねてくる。そろそろ休憩時間終わりだろう? じゃあ、また明日」


 バリーは陽気に言うと、コーダとものすごい速さで走ってどこかに行ってしまった。


「変な人」


 サブリナは呆気に取られて、リンゴと犬笛を見る。孤児院の仲間たちと動きや話し方がそっくりで、つい受け取ってしまった。


「明日、どうしよう」


 サブリナは犬笛を触りながらつぶやいた。




 なんとなく、なぜか分からないけれど、サブリナは翌日の休憩時間に庭で犬笛を吹いた。すぐに満面の笑みのバリーがコーダを連れてやってくる。


「よっ、命の恩人で、俺の未来の嫁さん」

「えっ」


「あっ、急すぎた? もう少し年取ってからでいいぜ。サブリナはまだ十三歳だもんな。ちなみに俺は十八。あと二年以内に、ちゃんと稼げるようになるから。その頃かな」

「は、はあ」


 この人と話してると、調子が狂うわ。なんだか犬っぽいというか。まっすぐすぎて、はぐらかせない感じかも。


「リンゴよりもっといいもの持ってきたぜ。台所からくすねようと思ったら、料理人たちが用意してくれてた。なんでバレてんだろう」


 バリーは不思議そうに言いながら、バスケットをサブリナに見せる。


「デートがんばってくださいって言われちった」


 ハハハと笑っているバリーにつられて、サブリナも思わず吹き出す。


「料理人に、女性を芝生にそのまま座らせるのはどうかと思いますって言われた。悪かったな」


 バリーはバスケットの持ち手に結ばれた布を外し、芝生の上に敷いてくれる。


「さあ、ピクニックデートだ」


 バリーは肉とパンをコーダの前に置く。コーダが食べ始めたのを見てから、バリーはハッとした様子でサブリナを見る。


「やべっ、いつもの癖で。サブリナに先にあげるべきだった。ごめんな。何食べたい?」

「では、ブドウを」


 バリーはお皿にブドウを並べ、渡してくれる。バリーはパンに肉をはさんで、かぶりつく。大きなパンと肉が一瞬でなくなった。


「路上で暮らしてたときはさ、盗みもスリもなんでもしてさ。ゴミの中から食えるもの探してコーダと分けてたんだ。夏はその辺で寝ればいいけど、冬はさみーから、人んちの屋根裏とか納屋に忍び込んで。コーダと寝ればそれなりにあったかいんだぜ」


「苦労したんですね」


 サブリナは、孤児院で貧しい生活をしたけれど、路上で暮らしたことはない。


「今まで苦労した分、これからはいいことばっかり起こるんじゃねえかなって。王宮で食い放題だし、サブリナにも会えたし。サブリナはどうやって暮らしたい? 王子妃になって贅沢三昧したい?」


「贅沢三昧をしたいとは思いません。食べられて屋根の下で寝られれば、それで」


「欲がねえなーサブリナは。俺なんかさ、王宮来てからまず宝物庫に行ったよね。いざとなったらかっぱらって売り飛ばして、その金で武器買ってダンジョンにでも潜ろうかなーと思ってる。衛兵にめっちゃ見られてたけどさ」


 この人、無茶苦茶言ってるな。サブリナは驚いた。


「でもなあ、サブリナはちっこいからダンジョンは無理だよな。やっぱり働くか。鍛冶屋がいいか、それとも大工か」


「王宮から出て行く気なんですね?」

「王宮にいてもすることねえし、迷惑だろ。俺みてえな育ちの悪いチンピラが王子ですっつっても、みんな困るぜ。外出てみて、金に困ったらまた戻ってくるかもしれねえけど」


 あっけらかんとしているバリーに、サブリナはなんだか力が抜けた。


「アタシ、怖い未来をたくさん見て、そうならないように気をつけてきたんだけど。バリー殿下みたいに、気楽に生きてもいいんでしょうか」

「怖い未来ってどんなの? 打ち首とか?」


「いえ、修道院に追放でした」

「ふーん。修道院に迎えに行ってやるよ。もし打ち首だったら、処刑前に助けてやる。心配すんなって」


「そっか」

「そうだよ」


 バリーはスイカをサブリナの皿の上に載せる。


「どっちが遠くまでスイカの種飛ばせるか競争しようぜ。勝った方がひとつお願いきいてもらえるってことで。始め」


 バリーはスイカを食べると、種を飛ばす。


「子どものときはやりましたけど、ここではできませんよ」


 サブリナは首を振る。


「サブリナはまだ子どもじゃんか。誰も気にしないよ。やってみなよ」


 サブリナは周りを見回す。絶対に誰か見てると思うんだけど。王家の影とか。

 バリーはスイカをどんどん食べ、種を飛ばし続ける。コーダは種を追ってあっちこっちに走っている。サブリナは、なんだか気にするのがバカらしくなって、スイカをかじり、種を飛ばした。


「当たり前だけど、俺の勝ちだ」

「お願いを言われても、できることとできないことがありますから」


 サブリナはピシャリとクギを刺す。

「そんな難しいことじゃねえさ。明日もピクニックデートしようぜ、な」

「それぐらいなら、いいですよ」

「やった」


 バリーは芝生の上でゴロゴロ転がり、コーダのお腹の上に頭を乗せ、サブリナをまぶしそうに見上げた。


***


「本日は、皆さんに大事な話をしなくてはなりません」


 先生が静かに切り出した。


「この方をご存知ですか?」


 先生が肖像画を出す。黒髪の鋭い目をした妖艶な美人。サブリナは全身が冷たくなった。


「帝国のエヴァ皇女」

 サブリナはポツリとつぶやく。


「そうです、十八歳の若さで帝国の古い仕組みを改善し、抜群の国民人気を誇るエヴァ皇女。次期皇帝というウワサも出ております。実は、エヴァ皇女が我が国を間もなく訪れるのです」


 サブリナの頭の中を炎が渦巻く。王都が真っ赤に染まっている。


「調べたところエヴァ皇女、どうもオモシレー女とやらを集めていらっしゃるようなのです。常識にとらわれない、一風変わった女性を色んな国から集めていられるとか。そして、我が甥、国王陛下が心配されておりましてね。皆さんを奪われてしまうのではないかと」


「陛下は、わたくしたちがエヴァ皇女と共に帝国に行ってしまうと思われているのですか?」

「陛下は、私たちを、オモシレー女と思っていらっしゃるのですね」

「わたくし、帝国には行きませんわ。服飾店がせっかく黒字になってきましたもの。今離れたくはありません」


 令嬢たちが口々に言う中、サブリナは何も言えない。混乱しているのだ。




「皆さんは、我が国に必要です。自然な理由で我が国にとどまってほしい。それが王家の総意です。そして、皆さんをとどめるために、強引で姑息な手段を取りました。王家を代表してお詫びいたします」


 先生が頭を下げる。顔には苦悩の表情が浮かんでいる。サブリナは、やっと言葉を出せた。


「王子様と婚約すれば、エヴァ皇女に取られない。そういうことでしょうか」


「そういうことです。特に、サブリナさんは平民ですから、守るためにもいずれかの王子と恋に落ちてもらえれば好都合だなと、そう思っておりました。残念ながらローレンスもファビウスもサブリナさんを射止めることはできなかったようですが。バリーとは友情が芽生えているようですね」


「バリー殿下のことは好きですが、婚約したいほどでは、まだ」


「では、どうでしょう。形式的に婚約を交わし、エヴァ皇女が帰国されてから改めて婚約を継続するか解消するか考えては?」


 サブリナは、のろのろと頷いた。それが、安全だと思う。確かに。未来視にいたエヴァ皇女は魔王のようだったから。連れ去られるのは避けたい。


「私は遠縁の親戚と婚約する予定なので、殿下と婚約はできません」


 ミシェルがあっさりと断った。先生は気を悪くしている感じはない。


「分かりました。無理強いするつもりはありませんよ。ロザムンドさんとクリスティーネさんはいかがですか?」


「契約婚約ということであれば、わたくしは問題ありませんわ。年齢的にはローレンス殿下がいいですが。クリスティーネさんがローレンス殿下をお望みでしたら、わたくしはファビウス殿下でも構いません」


「わたくしに王太子妃は務まりません。ファビウス殿下でお願いします」

 

 クリスティーネが消え入りそうな声で答えた。


「それでは、ロザムンドさんがローレンス殿下、クリスティーネさんがファビウス殿下、サブリナさんがバリー殿下ということで。丸く収まりました。皆さん、感謝いたします」


 なんて、事務的なの。サブリナは頭がついていかない。その後、エヴァ皇女についてたくさん説明されたが、サブリナは気もそぞろでほとんど覚えられなかった。


 考えがまとまらないうちに庭園につくと、バリーとコーダが既に待っている。


「俺と契約婚約してくれるんだって? 俺を選んでくれてありがとう」


 バリーがサブリナの両手を握ってニコニコ笑う。


「どうして?」

「ん?」

「どうして怒らないの? 契約婚約なのに? 失礼だと思わないの?」


 サブリナは握られた両手に視点を落としたまま聞く。


「どうしてって、そりゃあ、あの美形の王子ふたりより、こんな俺を選んでくれたら嬉しいよ。契約じゃなく本気の婚約にしてもらえるように、俺ががんばればいいだけだし。やっぱり無理だって婚約解消されても、一生の思い出になるよ。俺にはこんなにかわいい婚約者がいたんだよなーって」


 なんて、楽天的なの。サブリナは力が抜ける。


「俺、ひどい目に合うのは慣れてるからさ。イヤだったらいつでも婚約解消してくれていいからさ。気楽にしててよ、な」

「分かった」


 サブリナは、自分が最低な人間に思えた。こんないい人を、自分より辛い過去を持ってる人を、もてあそんで、いいように利用している。アタシって、やっぱり悪役令嬢じゃない。


「泣くな。俺なんかのことで泣くな。サブリナには笑っていてほしい」


 バリーが痛そうな顔でサブリナを見る。サブリナは頬が濡れていることに気がついた。濡れた顔は、次の瞬間ベチャベチャになった。コーダがなめたからだ。


「こらっ、コーダ。女の子の顔はなめちゃダメだ。ごめんサブリナ。俺、ハンカチも何も持ってねーや」

「大丈夫。持ってるから」

 サブリナはポケットからハンカチを取り出す。サルとヘビとトラとウマが刺繍してあるハンカチだ。


「みんなと、ちゃんと向き合わなきゃ」


 不幸な未来を回避するために、逃げ回ってきた。でも、夢で見たみんなと、ここで会ったみんなは違う。サブリナを軽蔑した目で見たりしない。平民のサブリナを、とても優しく受け入れてくれた。バリーだってそう。他の王子ふたりもそう。サブリナだけが、怖がってた。


「アタシ、がんばる。がんばって、みんなをエヴァ皇女から守る」

「なんだなんだ。エヴァ皇女って怖いのかよ。じゃあ、みんなを守るサブリナを、俺が守ってやる。安心しろ」


 バリーが小指を出した。サブリナは小指を絡める。


「約束ね」

「約束だ」


***


 ついにその日がやって来た。


 王都の民は、華やかな飾りをつけた黒馬にまたがった帝国の騎士たちを見ようと、通りに群がる。普段目にするよりもはるかに大きく、立派な馬。キリリと引き締まった表情で、見目の良い騎士たち。


 豪奢な馬車は、中の様子を見ることはできない。美貌の王女と名高い帝国の貴人をひと目見たいと、王国の民は首を伸ばす。


 王宮の入口で待っていたサブリナたち。ゆっくりと近づいてくる帝国の一行を見て姿勢を正す。


 その時、王国を一陣の風が吹き荒れた。


 農家の女は、ニワトリが半狂乱になりながら小屋に押し寄せるのを見て、何事かとたまげた。

 好き勝手に散らばって草を食べていた羊たちが、引き寄せられるように集まり、同時に一点を見つめたので、羊飼いは異変を察した。

 小舟で釣りをしていた漁師は、前触れなく起きた大波で湖に落ち、その日の獲物を全て逃がした。

 洗濯物を干していた女は、突風で飛んでいく服をつかまえようとやっきになった。


 サブリナは、急に辺りが暗くなり、驚いて空を見上げる。


「ドラゴンだ」

「ドラゴンが五つ」

「背中に誰か乗っているぞ」

「待て、矢を放つな」


 衛兵たちが騒いでいる。それも当然だ。この国にドラゴンはいない。太陽も青空も隠してしまうほど巨大な怪物が王城の上を旋回しているのだ。王族を守れなければ王国が亡びる。  


 なんて大きいの。夢で見たより、ずっと大きい。アタシなんて、ひと口で食べられてしまうわ。  



 カチカチカチカチ。サブリナの頭の中が音でいっぱいになる。止めなきゃ、この音。全身が震え、歯と歯がどうしようもなく音を立てる。


 バリーがサブリナの手を強く握ってくれる。コーダは背中の毛を逆立てながら、うなり声を出す。サブリナのカチカチが止まった。


 ドラゴンから綱が落とされる。綱を伝ってドラゴンから人が降りて来る。降り立った五人が、サブリナたちの方にゆっくり近づく。フードをかぶっているので顔は見えないが、真ん中を歩いている人は頭ふたつ分ぐらい背が高い。声を張り上げなくても普通に会話ができるぐらいの距離まで来た。


 サブリナは五人を見上げた。首が痛くなる。今まで出会った誰よりも背が高い。帝国の王族はドラゴンの血を引くので、大きくて美しいんだとか。


 真ん中の人がフードを取る。月のない夜を思わせる漆黒の髪が風にたなびく。まだ誰にも踏まれていない新雪のような肌が太陽に照らされ輝く。紅の瞳と唇は、夢の中の炎と同じ色。エヴァ皇女だ。


 食べられるんだわ、アタシ、この人のドラゴンに。そして王都は火の海。大事な人はみんな焼ける。


「あっ」

 サブリナの体がグラリと揺れる。


「危ない」

 バリーとエヴァ皇女が同時にサブリナを支えた。


「失礼いたしました。エヴァ皇女殿下」


 サブリナが謝ると、エヴァ皇女は軽く首を振る。エヴァ皇女の隣の男がフードを取り、低い声でささやいた。


「驚かせてしまって申し訳ございません。ドラゴンで登場するのはやめるべきと申し上げたのですが。どうしても自慢のドラゴンを王国の皆さまに披露したいとエヴァ皇女殿下が」


 エヴァ皇女は少し口の左側だけ上げ皮肉っぽい笑顔を浮かべた後、軽く手を動かす。男はポケットから笛を取り出し、長々と吹く。音は出ない。旋回していたドラゴンは、どこかに飛んで行った。


「王国の外に魔物を狩りに行かせました。ご安心ください。王国の家畜を襲うことはございませんので」


 その気になれば、王国の家畜はおろか民も兵士も、ドラゴンたちの餌食。暗にそう言っているのだろうか。いならぶ王国関係者の顔色がどんどん悪くなる。




 国王との謁見、外務大臣との会談後、エヴァ皇女とサブリナたち若い者とのお茶会が開かれた。


「エヴァ皇女は喉を痛めていらっしゃいますので。殿下のお言葉は私がお伝えいたします」


 侍従らしい男性が言うと、エヴァ皇女は少し眉を下げた。美人の困った顔というのはとても破壊力があるのだと、サブリナは知った。毎日自分の顔を鏡で見て、美しいものを見慣れているであろう王子や令嬢が頬を染めている。


 そこにお茶が運ばれてきた。いつものお茶カップのように持ち手がない、丸みを帯びたカップ。中に入っているのはサブリナの瞳のような瑞々しい緑色。


「まあ、これは? 初めて見るお茶ですわ」


 お茶に詳しいロザムンドが目を輝かせる。


「エヴァ皇女殿下が最近開発なされた緑茶でございます。茶葉を摘み取ってすぐに加熱処理することで、若葉の色を楽しむことができます。紅茶のようにミルクや砂糖を入れるのはおすすめいたしません。茶葉の風味をお楽しみください」


 エヴァ皇女が優雅な手つきでカップを両手で支え、口に運ぶ。ロザムンドはいそいそと後に続いた。サブリナは周りの様子を伺いながら、カップを持ち少しさめるのを待ってから飲んでみた。


 苦い。でも、なんだか癖になる味だわ。苦いけれど、さっぱりしているような不思議な味わい。


「新しい味ですわ。爽やかで、若葉そのものを飲んでいるようですわ。この苦みが独特で、眠気覚ましによさそうですわね」

「独特の色、さっぱりとした風味、そして美容と健康によいという調査が出ております。飲み過ぎると寝られなくなるのは紅茶と同じですので、ほどほどに飲むことが大事です」


 ロザムンドの言葉に、エヴァ皇女の侍従がそつなく説明する。


「この味、わたくし好きですわ。購入することはできますかしら? 家族にも飲ませたいですわ」

「エヴァ皇女は、帝国から王国への流通を検討されていらっしゃいます」

「楽しみですわ」


 ロザムンドの言葉に、エヴァ皇女はほのかに笑みを浮かべる。凍てついた冬の日に、雲の隙間から日の光が一瞬差し込んだような、そんな笑み。サブリナは、胸の中にある恐怖が少しだけ減った気がした。この人、笑うこともできるんだわ。夢の中では毒々しい表情ばかりだったけれど。サブリナは、緊張をとかそうと、残っていた緑茶をゆっくり飲み干した。


「エヴァ皇女殿下は、他国の若い人たちと交流されるのを楽しみにされておりまして。新しい遊戯も考案されていらっしゃいます」


 侍従が白くて丸いものを掲げる。人の頭ほどの大きさだ。


「鹿革で作った球、マリでございます。このマリを蹴って遊ぶ蹴鞠が、帝国では大人気となっております」



 侍従が少し離れ、軽やかにマリを蹴り上げる。王子たちが身を乗り出して熱心に見つめている。侍従は最後に大きく蹴り上げ、マリを受け止めた。王子たちが拍手喝采する。


「お茶会の後に、実際にやってみてもいいだろうか?」


 ローレンス王太子が興奮した様子で侍従とエヴァ皇女を交互に見る。


「もちろんです。そのために持って参りました。蹴鞠は男性向きの遊戯ですが、女性向けに羽根つきという遊びもございます」


 侍従が今度は二枚の板のようなものを見せる。


「羽子板というこの板で小さな球を打ち合います」


 侍従がふたり向き合って、板で羽根のついた球を打っては返しを繰り返した。カツンと小さな音を立てて、ふわりと舞い上がる球。羽根がついているからか、優しく落ちてくる。


「乗馬は苦手な令嬢たちも、これならできるかもしれません。我が国でもはやりそうです」


 ファビウス王子が言うと、令嬢たちは一斉に頷いた。


「緑茶だけでなく、蹴鞠と羽根つきに必要な道具類も帝国から輸出したいとエヴァ皇女はお考えです。貴族はもちろん、平民にも人気が出ると確信しております」

「それは嬉しいです。父も喜ぶでしょう」


 ローレンス王太子が顔をほころばせる。侍従が慇懃なお辞儀をしてから、咳払いした。


「緑茶、蹴鞠、羽根つき、どれも心の底から良さを分かって、伝道師として広めてくださる方をエヴァ皇女はお求めです」

「お茶のことなら、わたくしにぜひお任せいただきたいですわ」


 ロザムンドが胸に手を当て、エヴァ皇女を見つめる。エヴァ皇女は表情を変えない。


「蹴鞠と羽根つきに、いかに本気でご対応いただけるかで決めさせてください。他国でもそうさせていただきました。エヴァ皇女が王国に滞在している間のうちに、蹴鞠と羽根つきを百回落とさず続けることができること。それが条件です」

「それは、ひとりでもできればよいということか?」

「蹴鞠も羽根つきも、複数人で楽しむ遊戯です。ふたり以上で百回落とさずにできれば合格とさせていただきます。担当者については、練習風景などを見て決めさせていただきます」

「なるほど。いいのではないか。蹴鞠については王子三人でやろう。羽根つきは女性たちに任せてよいだろうか」

「お任せくださいませ、ローレンス殿下」


 令嬢たちを代表し、ロザムンドが答える。こうして、王子と令嬢たちの蹴鞠と羽根つきに挑戦する日々が始まった。



 王子たちはまだよかった。乗馬はもちろん、剣技や体術も訓練しているので、順調に百回に近づいている。


問題は令嬢たちだ。サブリナ、ロザムンド、ミシェル、クリスティーネは、まず羽子板で素振りから始めることになった。


「手の皮がむけましたわ」

「手にタコができました」

「腕が痛くてもう無理」

「皆さん、がんばってくださいませ」


 幼いころからホウキやハタキを使って掃除し慣れているサブリナは、一番覚えが早い上に手の皮も厚い。ゴミ回収で鍛えているので体力もある。自然、サブリナが特訓の仕切り役を引き受けることになった。


「手首の返しが甘いですわ、クリス」

「はいっ、教官」

 美少女のクリスティーネが汗と涙を拭きながら手首を振る。


「膝が固いですわ、もっと柔軟に、ミッシー」

「はいっ、教官」

 妖艶美女ミシェルが額の汗をハンカチで拭いながら屈伸する。


「羽子板は当てるだけでよいのです、振り回すと球がとんでもないとこにいきますわ、ロジー」

「はいっ、教官」

 令嬢たちとはすっかり愛称で呼び合う中になっている。


「教官、そろそろ休憩を」

「教官、今日はもうそろそろ終了で」

「教官、お腹がすきましたわ」


「あまーい、あまいですわ。いつエヴァ皇女殿下が帰国されるか分かりません。まだまだ、まだまだまだですわ」

「そんなあ」


「クリス、思い出して。エヴァ皇女が羽子板の色んな可能性を見せてくださったでしょう? 羽子板に絵を描いたり、人形を飾ったりできるのよ。うまく行けば、フェルデ伯爵家が羽子板の装飾を一手に引き受けられるのよ。どういうことか分かるわよね?」

「儲かる?」

「そうです。儲かるし、流行を作りまくれますのよ」

「わたくし、がんばります。でも、水を少し飲ませてください」

「もちろんよ」


 令嬢たちはくたびれた騎士のような雑な仕草で水を飲み干す。ミシェルが息荒く手を膝についている。


「ミッシー、もうひとふんばりですわ。帝国からお茶に羽子板や蹴鞠の道具を輸入するには、熟練の商人の知識が必要でしょう」

「もちろん。商人といえば我がティガーン子爵家。絶対に仲介業者に指名されてみせます」

「帝国は豊かですから。他にも色々輸入できそうですわ。もちろん、我が国の商品を輸出することも」

「絶対に百回、やり遂げる」


 ミシェルは羽子板を握りしめた。隣でロザムンドが新しい手袋にはきかえている。手は豆だらけで痛々しい。


「ロジー、痛いでしょうけれど、もう少しですわよ。緑茶のおいしい淹れ方をエヴァ皇女から漏れなく聞いて、王国中の貴族に伝える。それができるのはロジー、あなただけなんですから」

「分かっておりますわ。サビー、いえ、教官。わたくし、人生でこれほど燃えているときはございませんわ。必ずや、百回の偉業を達成いたしますわ」


 傷だらけの令嬢たちは円になって手を重ね、サブリナが「百回」と叫ぶ。三人が「百回」と返し、全員で空高く手を挙げた。頭上では、真っ青な空の中、巨大なドラゴンがのんびりと飛んでいる。


***


 エヴァ皇女は窓からじっと外を見ている。口元を扇で隠しているのは、たまに浮かぶ笑みを見られないためだ。


「上達なさいましたね」


 後ろから侍従が声をかける。エヴァ皇女はひとりごとのようにつぶやいた。


「おそらく、今日」

「連絡して参ります」


 侍従は静かに部屋を出る。エヴァはお気に入りの緑茶をひと口飲んだ。

 本当に、短時間でよくここまで上達したものだ。へっぴり腰、棒立ち、ギクシャク、そんな動きを見せていた少女たち。サブリナの鬼気迫る指導で、みるみるうまくなっていく。


「この国は、大丈夫そうね」


 エヴァは、頬を上気させ走り回っているサブリナを見下ろしながら、フッと肩の力を抜いた。前世の記憶をよみがえらせてから早十年。鏡の中に美少女の自分を見たとき、なんらかの物語の世界に転生したのだと思った。


「ヒロインか、ヒドインか、悪役令嬢か。なんにせよ、やってやろうじゃないの」


 鏡の中の自分に誓ったのを鮮明に覚えている。


 がむしゃらに、信奉者を作り、国を建て直し、ドラゴンを味方につけることで盤石な基盤を築いた。


 それからは、外交も兼ねて他国に行っては、不遇な立場に置かれている主人公や悪役令嬢がいないか、注意深く見守ってきた。放っておくと危なさそうな、オモシレー女の子は積極的に助けて囲い込んだ。


 初めて会ったときのサブリナの目には絶望と恐怖が見えた。自身も知らない、王女エヴァのキャラクターとその物語を知っているのかと期待したのだけれど。侍従たちを通じてそれとなく聞いてみたところ、エヴァとドラゴンをただ恐れているようだった。同じ前世の記憶を持つわけでもなさそう。緑茶や羽子板に心の底から驚いていた。あれは、演技ではない。


 ということは、登場の仕方が悪かったのだろう。ドラゴンから飛び降りたらかっこいいと思ってつい調子に乗ってしまった。反省。


 あれ以来、侍従たちが冷たい。「ご令嬢たちをこれ以上怖がらせるわけにはいきませんので。殿下はひと言もしゃべらないでください」なんて言われてしまった。黙っていると、さらに怖がられる美貌ではあるのだが。しゃべるとアホっぽさが露呈するので、余計にイメージダウンになると侍従が思っているのだろう。彼らはエヴァを効果的に使う方法を熟知しているから、助言には素直に従うことにしている。


 そうこうしているうちに、人が集まってきた。アッフェン男爵やパイソン公爵。少女たちの関係者だ。挨拶をひと通り済ますと、皆で窓際から庭園を見下ろす。


「いよいよですか」

「まさかこの短期間で」


 親たちは顔を見合わせ、驚きの表情を見せる。


「ロザムンドがあのように口を開けて笑うとは思いもよりませんでしたな」

「ミシェルは金儲けにしか興味がないかと誤解しておりました。同年代の少女たちとあのように楽しそうに遊ぶとは」

「人見知りで引っ込み思案なクリスティーネがあんなに大きな声を出して。それに、すっかり健康的になりましたわ」


 親たちが、まんべんなく親バカぶりを発揮している。ただひとり、アッフェン男爵は顔を青くしたり赤くしたり、慌てふためいている。


「サブリナがご令嬢たちにあのように偉そうな態度をとって、誠に申し訳ございません」


 土下座しそうな勢いで頭を下げている。


「まあまあまあ、頭を上げなさい。身分を超えた友情は尊いものだよ。ワシは気にしておらん。ロザムンドの子どもらしい顔を見れて嬉しいからな」

「そうですとも。そもそもサブリナは、可能なら養女にしたいとずっと狙っておりましたからな。なんなら今からでも」

「まあティガーン子爵閣下、抜け駆けは許しませんわよ。サブリナを娘にしたい気持ちはわたくしも同じですわ。でもねえ、サブリナは今のまま、平民のままアッフェン男爵家にいるのがいいと思いますのよ。貴族界はなにかと面倒ですからね」


 間違ってもサブリナを帝国に連れて行かないでという、遠まわしな懇願を、エヴァは確かに受け取った。



「サブリナが不幸ならば、連れて行きたいところですが。サブリナはこちらで幸せそうですわね。たまに遊びに来て様子を見ますわ」


 エヴァが言うと、貴族たちの緊張感が少しゆるまったようだ。どうも、オモシレー令嬢収集家と思われているらしい。決して間違ってはいないが。いい環境に恵まれた令嬢までさらったりはしないのに。やや釈然としない気持ちもあるが、いかんせん顔が怖いので仕方がないかと思い直した。帝国の威光とドラゴンの力をちらつかせ、長居していれば、煙たがられるのも納得だ。


「今日できっと百回を達成しますわ。そうすれば、わたくしは国に戻りますわね」

「まあ、お名残り惜しいですわ」


 こちらの世界にも、ぶぶ漬けどうどす文化はあるのだ。社交辞令で切った張ったなのだ。


「おっ、始まりましたな」


 今までは各自で羽根をついていたのだが、ふたりひと組で打ち合いを始めた。サブリナとクリスティーネ、ロザムンドとミシェルのペアだ。


 ロザムンドとミシェルのペアは手堅く、危なげない羽根つきを見せている。お互いあまり動かず、相手のところに的確に羽根を飛ばす。


 クリスティーネとサブリナはハラハラさせる進行だ。非力なクリスティーネが弱々しく羽子板を振る、ふよふよと頼りなく宙を舞う羽根をサブリナは懸命に追いかける。


「クリス、うまいわ。いい感じ。とにかく、上に打ち上げてくれれば、あとはアタシがなんとかするから」

「はいっ、教官」


 サブリナは縦横無尽に駆け巡り、羽根を拾い、ほぼ棒立ちのクリスティーネに返す。


「がんばれ、サブリナ。がんばれ、クリスティーネ」

「ロザムンドとミシェルもその調子」


 貴族たちは手を叩いたり、拳を振り回したりしながら、こっそり応援する。


「あっ、ごめんなさい」



 クリスティーネの打った羽根がかなり低く返る。サブリナが羽子板を思いっきり伸ばしながら飛ぶ。かろうじて羽子板に羽根が当たる。サブリナは地面に倒れた。


「短いっ」サブリナが悲鳴を上げる。

「任せろ」どこからともなくバリーが現れ、サブリナの手から羽子板を取ると羽根を柔らかく打ち上げる。


「クリス、いつも通りでいいから」

「はいっ、教官」


 クリスティーネはいつも通りに打ち返す。サブリナは立ち上がり、バリーから返してもらった羽子板で優しく打った。


「ハッ、ハラハラしたー」

 アッフェン男爵が椅子にへたり込む。クリスティーネの母は、ハンカチを引っ張りすぎて破ってしまう。


 その後は、たまにバリーの助けも借りつつ順調に進む。


「九十九、百。ロザムンドとミシェルは終わったな。おや、でもやめないのか」

「ふたりがやめてしまうと、クリスティーネの気が散るからではないでしょうか。ふたりとも、優しいですわね」

「王妃教育、そして羽根つきを通じて、絆ができたんでしょうなあ」


 アッフェン男爵の言葉にクリスティーネの母は、破れたハンカチで目元をそっと拭った。


「九十八、九十九、百。やったー」


 サブリナが羽子板を投げ上げ、バリーが受け止める。サブリナは呆然としているクリスティーネの元に駆け寄り、手を握った。ロザムンドとミシェルがふたりを囲み、背中に手を当てる。


 大人たちは窓を開け、大きな拍手を送る。見上げた少女たちは、驚いた顔をしたあと、笑顔で手を振る。


***


「皆さん、短期間で素晴らしい成果でございます。エヴァ皇女殿下はいたく感心なさっていらっしゃいます。真摯に練習に励む姿、仲間同士助け合う絆、困難に立ち向かう心。まさに、これから王国を背負われる、王国になくてはならない逸材であると」


 侍従の言葉に、エヴァ皇女が微笑む。


「帝国との友好の証として、こちらの証書をお納めください。サブリナ様、ロザムンド様、ミシェル様、クリスティーネ様。緑茶と羽子板の名誉大使として全権を委任いたします」


 帝国の紋章であるドラゴンがついた立派な証書を、四人は緊張しながら受け取る。


「蹴鞠の名誉大使はバリー殿下にお願いできますでしょうか」

「いいよ」


 バリーは気軽に答え、まったく緊張していない様子で証書を手にする。


「サブリナ様、バリー殿下。エヴァ皇女から内密で連絡事項がございます。こちらへ」


 サブリナとバリーはエヴァ皇女の近くに案内される。エヴァ皇女はふたりに顔を近づけてささやいた。


「おふたりが初日にわたくしのポケットからスッた笛。正式におふたりのものにいたしますわ。さあ、吹いてみてください」

「えっ」

「なーんだ、バレてたのか」


 サブリナは真っ青になり、バリーは頭をかいた。


「気にしなくていいのです、サブリナ。ドラゴン乗りは、常識や規則の外側に出られる人でなければ務まりません。ですから、初日、怖くてふらついたフリをしてポケットに手を入れたあなたを頼もしく感じております。そんなことがあったらいいなと、色んなポケットに笛を忍ばせたかいがありました」


 サブリナは呆然としてエヴァを見上げた。バリーがサブリナの背中を叩く。


「気にしなくていいって言ってんだから、気にすんなって。なっ。吹いてみようぜ」


 バリーはポケットから笛を取り出す。サブリナは首飾りを胸元から引っ張りだした。バリーからもらった銀色の犬笛と、エヴァからスッた金色の笛が並んでいる。


 サブリナとバリーはふたり同時に笛を吹く。


 辺りが暗くなり、木々が揺れ、窓ガラスが音を立てる。地面が揺れ、サブリナはよろめいた。巨大なドラゴンがふたりの前に降り立った。ドラゴンは首を伸ばし、大きな口を開く。尖った歯がサブリナに近づく。


 食べないで。サブリナは目をつぶる。生温かいザラザラしたものに全身を舐められ、サブリナは震えあがる。


「サブリナ、大丈夫。食べようとしているわけじゃない」


 目を開けると心配そうなバリーと、困ったような顔のエヴァが見える。ドラゴンは首をかしげ、サブリナを見ている。


「あなた、アタシを食べたいんじゃなかったの?」


 いつもこの鋭い歯に驚き、目が覚めた。いつも、食べられたくないと起きてから願った。


「そっか、食べようと思ってたんじゃなかったんだ」

「ドラゴンの愛情表現は紛らわしいのだ。すまなかったな」


 エヴァが言う。そうか、この人も、敵じゃなかったのか。サブリナは力が抜ける。


「お茶や羽子板が足りなくなったらいつでも笛を吹けばいい。すぐにこの子が飛んでくる」

「はい、ありがとうございます」


 サブリナはゆっくりとドラゴンに手を伸ばす。ドラゴンはサブリナに触られている間、じっとしていてくれた。


「また来る。すぐにな」


 エヴァはいたずらっぽい笑顔を浮かべると、ドラゴンにまたがった。

 ドラゴンが消えて行くのを、サブリナとバリーはいつまでも手を振って見送った。



 この国には最強の平民少女がいると密やかに言われている。銀の笛で蹴鞠王子を、金の笛でドラゴンに乗った帝国の皇女を呼びつける少女だそうだ。

 



<完>


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