陰陽師、式神に言質をとられる語
「あの時……」
つぶやいて。天井を見上げて。「ああ、あの時」と手をぽんと叩いた。
「あれは、思いつきだったんだけどね」
彼は少し恥ずかしそうに笑って答えてくれた。
「君が呼んでくれたあの響きが、落ち着かせてくれる気がしたんだ」
「なるほど?」
初めてそう呼んだ時も、そんな感じのことを言ってた気がする。
「それに、「安倍晴明」はすごい陰陽師なんだろう?」
「そうですね。「安倍晴明」は俺の知る限り、この時代最強の陰陽師です」
その答えを噛みしめているのか、切れ長の目が伏せられた。
「私はご覧の通りだからさ。少しでも、その姿に近く在りたいと思ったんだ」
「――ほう」
思わず声が漏れた。
言った。言質だ。
思わず頬が緩む。きっと、俺は今悪い顔をしているに違いない。構うもんか。
「今。伝説の陰陽師に。安倍晴明になりたいと言いましたか」
思わず身を乗り出す。晴明さんは逆に身をひく。
自分はなんか言ったのかって顔してる気がするけど逃がさない。逃げるなら壁際まで追い詰めることだってやぶさかではない。
「えっ、う。うん……言った、けど」
戸惑いながらも、彼は素直に頷いた。
「なるほどなるほど。分かりました。ならば俺は、あなたが安倍晴明とは認めません」
「えっ!?」
晴明さんは、困惑の声を上げた。
そういうとこだ。俺の否定に困惑こそすれ、自分が本物なのにと主張しないあたりが「晴明さん」だ。
「とはいえ」
溜め息を付いて、乗り出した身体を元の位置に戻す。
「あなたが本物なのは確かなんですよ」
「……本当に?」
「本人が疑うな」
思わず素で声が出た。いや、そういう状態にさせてるのは俺なんだけど。
「失礼。多分本当です」
一応肯定する。晴明さんはなんか心配そうな顔で俺の言葉を待っている。
「詳しいことは俺もよく知りませんけど、狐が母親で、不思議な目や力を持ってる陰陽師なんてそうぽこぽこ……いや、記録に残ってないだけで、陰陽師には割と普通のことだったりするんです?」
「いや、それはないと、思う」
少なくとも他に知らないよ、と首を横に振られた。
「でしょう? それなら、晴明さんは俺が知ってる陰陽師、安倍晴明なんですよ」
こくこくと彼は頷く。その頷き方も素直すぎる。
本当にいつか悪い奴に騙されないか心配だ。今その筆頭は俺かもしれないってのは置いといてほしい。
「だから!」
ぐっと拳を握る。晴明さんがびく、と肩を揺らした。
「安倍晴明ならもっとこう。自信とミステリアスさを兼ね備え、色んな術をスマートに使いこなして欲しいんですよ!」
俺の力説に、彼は「ええ……」と小さな声を漏らす。
そのイメージに近付くかは置いといても、晴明さんがそうなろうと思っていたことは純粋に嬉しいのだ。自分もだいぶテンション上がってるらしい。
「でもですね」
と、言葉を強めて置くと、彼は「はい」と素直に頷いた。
「晴明さんはそのイメージから遠い。今俺が話した安倍晴明像からはだいぶ遠いんです」
物腰柔らかなのはいい。ミステリアスさもある。だが。弱気、繊細、後ろ向き。これじゃあ名を残すより先に申し訳なさで山に篭りかねない。それは良くない。良くないけど。
「とはいえ、それが晴明さんです。あなたの良さなのも確かです。俺のイメージを無理に押し付けるのも良くない。大体、そういうの鬱陶しいじゃないですか」
「う、うん」
戸惑いながらも頷くあたり、心当たりがあるのだろう。
「だから、本人が現状を良しとしてるなら、口出ししないでいようと決めてました。でも、晴明さんは言いました。俺の知る姿に近付きたいと!」
言いましたね? と視線で確認する。
頷いた。よし。
「ならば。僭越ながら俺がサポートします」
目指せ、伝説の陰陽師! と気合いを入れる。
さぽーと? と傾いた首に、補助ですと一言添える。
「けど、本当になれるだろうか……」
「ほらほら、そこで弱気にならないでください。大丈夫。素質はあります。正直、現時点でチートと言っても過言じゃありませんから」
「ちーと……とは」
「反則級に強いってことです。晴明さんの場合は、桁外れな妖力、千里眼、時々吹っ飛ぶネジとそろい踏みです」
「……」
「褒めてますよ?」
「本当に?」
「本当です。そんな色々を兼ね備え、現状をどうにかしたいと言う意思もある。変わりたいと思うなら、いくらでも手伝います」
だから、できますよ。と、笑いかけると。
「そうかな、うん。じゃあ、お願いするよ」
彼も控えめではあったけど、にこりと笑って頷いてくれた。
「――と、豪語してみたわけですが」
「うん」
「そもそも、俺は魔法や呪術って分野には不慣れなんですよね。理論だけ口にしたってどうしようもない。なので、二人で一緒に頑張っていきましょう」
うん。と頷いた晴明さんが、何か言いたげな顔をして俺を見た。
「なんですか?」
「うん。その。一緒に頑張るなら、ひとつ、頼みをきいてくれるかい?」
「頼み?」
俺にですか。と答えると。
そう、君に。と頷かれた。
「別に、晴明さんは俺の主なんだから、頼みなんて言わずとも聞きますよ」
「……」
なんかむっとした顔をされた。今の回答は不満だったらしい。
なんだろうと続きを待つ。
「あのさ。もっと普通に話して欲しいんだ。そんなかしこまった言葉遣いじゃなくてさ」
「普通」
「そう。そうやって親身になってくれるのに、気遣われるのはちょっと寂しいって言うか」
晴明さんは言葉を選ぼうとしているのか、僅かに言い淀む。
「その。主人じゃなくて、その。君の友人として、接して欲しいんだけど……」
「友人……」
目をそらして気恥ずかしそうに告げられたその単語を、頭の中で何度か繰り返す。
ふむ。友人として。なるほど。
稀代の陰陽師の友人とはまた、すごい肩書きだ。
「そんな。俺で良いんですか?」
おっと。心の声が出た。
「えっ、いや、居るよ!? 別に増やしてもいいじゃないか!」
「――ふ、ふふ、あははは!」
焦って否定する晴明さんが面白くて、思わず笑った。
晴明さんは一瞬戸惑ったようだったけど、袖を口元に当てて同じように声を上げて笑う。
「いやあ、俺としては魔王の腹し……いえ、安倍晴明の式神零号で通す気満々だったんですが」
「魔王って言った?」
「聞き間違いじゃないですかね」
しれっと話を流す。晴明さんはむっと眉を寄せたけど、無視する。
「わかりました。ええ、全然いいというか、嬉しいです。それじゃあ――」
すっと手を差し出す。
「握手。俺の時代の文化です。友情を結ぶ挨拶の一種と思ってください」
なんだろうという顔で差し出された手を見ていた晴明さんは、そろそろと袖から指を出し、俺の指に触れた。
軽く握ると、ぎこちなく握り返してくる。
ひやりと冷たい、けれども人並みの暖かさは兼ね備えた綺麗な手を数度振る。
「これからよろしく、晴さん」
「うん。よろしく。つぐみ」
おまけ
「さん付けはやめないんだ」
「いやあ、そこはさすがに恐れ多いって言うか」
「そう?」
「そう」
「あと、「せいめい」って呼ばないのかい?」
「いや、あれはリミッター外しそうだから」
「リ?」
「あー。枷? なんか、そう呼んだら力のタガを外しそうだなって」