式神と陰陽師、鬼退治をする語
依頼された邸へ向かう途中。
「晴明さん」
「なんだい、つぐみくん」
てくてくと歩く晴明さんに声をかけた。
彼は視線を俺に向けることなく、小声で答える。
外見が人外すぎる俺が一緒に歩いて大丈夫なのかというと。師匠ストップが入るレベルで大丈夫じゃなかった。
「僕は人間だから分からないが」なんて前置きをしつつも、俺のイメージを的確に誘導し、依代の人形から自由に出入りできるようにしてくれた。人形を持ち歩くわけには行かないから、晴明さんの懐に入れた木札を中継している。
すごく便利だけど、魂が定着しきってない今だからできるのであって、完全に馴染んだら無理らしい。他にも、二人のような「鬼を見る力を持つ人」には無効。身体という器がないので脆い……とデメリットも大きい。要対策だ。今回は晴明さんの力で補強してもらっている。
というわけで、俺は別に晴明さんに嫌われたわけじゃない。姿が見えないからだ。
誰もいないのにそっち向いて会話してたら怖いし。
置いといて。
「俺、現地で何するといいんですかね」
保憲さんは「確認してこい」と言ったが、確認方法については俺達に任されている。
確かに俺と晴明さんは式神とその主。そこに割り込まないのが、彼なりの弟子への接し方らしい。晴明さんならちゃんとサポートしてくれると信用してるのだろう。
「そうだなあ。保憲さまは、君がどういう術を使えるのか確認したいんだと思う」
多分、今回の鬼は君でも対応できるんじゃないかな、と付け足される。
「危ないときは私も手伝うし、つぐみくんに任せるよ」
「分かりました。にしても、どういう術を使うか、ですか。……んー。土が相性良いって言ってましたよね」
「そうだね」
出かける前に属性だけ確認した。どの属性も使えそうだけど、土が一番相性良いらしい。
「基本も一応教えたけど、人によってやり方が異なるからね。そこは自分で探さないといけない」
「なるほど。出力イメージができてないとダメと」
「いめーじ?」
「えーっと、想像かな。こういう風に力を使うんだって自分の中で分かってる必要がある、みたいな」
「ああ、そうだね。そこは私も課題なんだけど……」
「でしょうねえ」
晴明さんの視線がちらっとこっちを向いた。おっと、と視線を逸らす。
しかし、この力で何かやるってなると。どうするのがいいんだろう。ゴーレムとか作る? 地面から武器を作るのもかっこよさそうだ。あれこれ考えるとちょっとテンション上がる。どうやって戦おう。
「楽しそうだね」
「そりゃあ、俺の世界には魔法も錬金術もなかったですしね。それが使えるんですよ。テンションも上がります」
晴明さんは少し何か考えて、頷いた。
「なんですか?」
「いや、君の使う言葉がもっと分かるようになりたいなって」
そう言って微笑む横顔はとても穏やかで綺麗だった。あ、これ、人たらしの素質があるやつだ。その顔、無闇に人に見せたらヤバいですよ、という言葉は飲み込んで。
「……そういうの、無闇に人に言わない方が良いですよ」
言葉を換えた。
「えっ、なんで!?」
「晴明さんの場合、変な人に引っかかりかねないからです」
「ええ……」
□ ■ □
そして依頼人の邸。
寝不足なのか、疲れた顔の依頼人は、俺達を庭へと案内してくれた。
広々とした庭に、小さな池がある。どこからか水を引いているのか、流れを感じる。
鬼は、昼夜構わず池から現れては、邸をうろつくのだという。
彼にとっては晴明さんも同じ部類に見えてるのか。案内が終わるとそそくさと奥へと引っ込んでしまった。
「うわ、態度悪う……」
「まあ、そういうものだよ。特に私のような者はね」
晴明さんはそんな態度を気にする様子もなく、早速庭を見て回っている。
「ところでつぐみくん。鬼の気配は分かるかい?」
「気配……」
気配とはどういうものだろう。依頼人は当たり前だけど人間だった。あの人はなんかまろやかというか、柔らかそうな感じだったっけ――と、考えていると、何かぴりっと冷たい、異質なものを感じた。
姿は見えない。でも、池の反対側。植え込みの影に何かが潜んでる。ワンチャン猫……いや、この時代野良は居ない。どっかの猫好きキャラがそう言ってた。じゃあ違う。
と、いうことは。これが鬼の気配か。
「あっちですか」
「正解」
なるほど。と気配を辿って近付くと、植え込みから影が飛び出してきた。
1mくらいの小さな鬼だ。手足が細く、薄茶色い。餓鬼というやつだろうか。キョロキョロと辺りを見回し――目が合った。おお、お前、俺が見えるのか。
ぎっ、という警戒の声。こっちも油断しちゃいけないと思った瞬間、細い手足を振り回しながらこっちに向かってきた。
慌てて札を取り出し――一瞬、手が止まった。
「つぐみくん!」
「っ!」
隙を突かれ、爪の先が頬を掠める。
反射的に鬼の腹を蹴る。鬼の小さな身体は宙を舞い、池に水柱を立てた。
「……」
思わず自分の手を見る。
ためらった。迫る姿があまりにリアルで、傷を付けるという行為に手が止まった。
頬の傷は痛くない。けど、空気が傷に触れるたびに、冷たさが染み込んでくる。
内側を蝕むようなその冷たさが、俺の躊躇いを急速に冷やしていく。
「つぐみくん、大丈夫かい?」
「――はい、大丈夫です」
うん。大丈夫。あれは鬼だ。
人に害をなす存在。この世界では倒すべき対象。ならば、倒さないと。
池から飛び出してきた鬼が、怒りの声を上げながら迫る。
もう一枚札を取り出して投げる――が、それは俺の指を離れた瞬間、儚く消え去った。
「あっ、使えない!」
俺の外見は服まで再現されてるけど、小物の威力までは無理ってことか? いや、今の俺は妖力の塊だと思えば、頑張ったらいける気もする。ただし、今そこを試す暇はない。
迫る鬼の攻撃をいなしながら考える。
「つぐみくん! えっと、ほら、あれ!」
晴明さんの声がする。
「どれですか!?」
「ええと、……そう。出力イメージ!」
「あっ」
指摘されて気付く。具体的なイメージもなく無闇に放っても意味がない。それはそう。
鬼は奇声を上げながら迫ってくる。動きはめちゃくちゃなのに、思った以上に速い。間に合わない。ええと、どうしよう。とりあえず地面に直なら乗り切れるか?
地面に手を当て、力を流し込んでみる。いける。量を調節して、浸透した部分を。こう……。
「土壁!」
ぼこ、と土が盛り上がった。いや、低い。鬼は足を取られて転がったけど、すぐに体勢を立て直す。けど、今ので力の流れはなんとなく分かった。考えろ。もっと形を、力を、固定し、補強できるような言葉……。
「土の枝。天へ伸びて弧を描き――」
声に応えるように、細い土の枝が地面から伸びる。オッケー、いける。
「結び捕らえる籠を編め!」
鬼を囲むようにその先が絡まり、捕らえる。ぎぃぎぃと耳障りな音で暴れている。
とはいえ、土を固めただけの即席籠。実に脆い。鬼が暴れるとぱらぱらと崩れていく。強度が足りない。このままでは壊されるのも時間の問題だ。
「つぐみくん、あとはその鬼を――」
土の檻がぼろりと崩れた。そこからあっという間に崩壊して土塊に戻っていく。自由を取り戻した鬼が、さっき以上に怒り狂ってこっちへ突っ込んでくる。
太く膨張した腕が、振り上げられる。
「え、ちょっ、なんか成長早くない!?」
ぎゃいぎゃいと甲高かった声も、いつの間にか低い呻り声に変化している。
もう一度檻を。いや、弧を描く爪が俺に迫る方が早い。
咄嗟に腕でガードする。一撃が重たい。食い込む爪から血が流れる代わりに、傷口から氷水を流し込まれたような感覚がした。
「なに、これ……」
傷口から黒い液体が流れ出て、何かの文字になって消えていく。それは範囲を広げ、腕を黒く染めていく。
「魂とは脆い存在だ。生身なら大したことない傷でも致命傷になり得る。気をつけろ」
保憲さんの言葉が蘇る。死という文字が頭の中で増殖する。だめだ。これを受け入れたら今度こそ消えてしまう。でも、それを否定するだけの意識も圧迫されていく。
「沈め、絡め……枷となれ!」
咄嗟に、鬼の足下を沼のように変化させて固める。バランスを崩した隙に距離を――いや、浅い。すぐに抜け出されて次の一撃が来る。
咄嗟に腕で防ぐ。鋭い牙が黒い腕に深々と刺さる。痛みはない。ただ、冷たくて嫌だ。
「くそ……!」
鬼を蹴り飛ばす。重い。逆に俺の身体が飛ぶ。腕が噛み砕かれて消えたけど、距離は取れた。頭がクラクラする。出血多量ってこんな感じなんだろうか。
鬼の気配が一気に膨れ上がったのを感じた。空気が苦い。身体が大きく膨れ上がり、すっかり俺が見上げる程になって――これはもう、昔話に出てくる鬼だ。
なんで。もしや、俺の腕……晴明さんの妖力を食ったから?
「ったく、巨大化は……死亡フラグ。だってのに」
今そのフラグが立ってるのは俺の方なんだけど。
未来視なんてできないのに、無残に叩き潰されて霧散する自分が見えた。思わず身構える。ツヤのない爪が弧のような軌道を描いて迫り――。
がちん! と、何かに阻まれた音がした。
「……?」
いつの間にか閉じてた目を開けると、俺と鬼の間に透明な壁があった。地面には、左右に札が1枚ずつ刺さっている。
「つぐみくん!」
「晴明、さん……」
晴明さんが札を構えて立っていた。
壁から漏れる妖力が、俺の頭を埋め尽くしていた文字の密度を薄める。そうだ。しっかりしないと。式神生活をエンジョイし、晴明さんの伝説を見守るなら、ここで消えるわけにはいかない。
思考力は戻ってきたけど、指先はうまく動かないし、腕も片方ない。意識だってもうギリギリだ。
「あとは私がやる。少し、離れて」
「え」
「いいから!」
言葉の強さに反して、顔色は良くない。人前ではあまり力を使いたくないと言ってた。多分、今だって嫌なのだろう。
でも、彼はそれを振り切るように札を投げた。
鬼と池の一部を囲むように突き刺さる、さっきのと合わせて計5枚。綺麗な五角形を、いや、五芒星を描くように配置されている。
閉じ込められた鬼は、出口を探そうと暴れているが、壁はびくともしない。
晴明さんはそれを見据えてもう一枚札を取り出した。
背筋を伸ばし、札を構える。
目を伏せて息を吸うと、辺りの空気がピンと張り詰めた。
「私の名は、――安倍晴明」
「――え」
聞こえた名前に一瞬耳を疑った。
確かに今、「せいめい」と彼は言った。聞き間違いじゃない。
静かに告げられた名前に呼応するように、投げた札からぱちぱちと音がしだした。札と札を繋ぐように光が走り、五芒星が浮かび上がる。
肌がぴりぴりする。髪に、肌に、じりじりと漏れ出る妖力を感じる。
これはヤバい。術を使うという意志を見せただけでこれだ。動かない腕をなんとか動かして距離を取る。
「ちょ、晴明さ――」
俺の声もぱちぱちと帯電する。舌がぴりっとして、思わず口を閉じた。
ふわりと髪が揺れ、開かれた目が明るい緑――ネオングリーンに輝いたのが見えた。
手にした札を静かに差し出す。
笑みはない。ただでさえ端正な顔が、一層綺麗に、神秘的に、威圧的に。ただ一点。結界の中に居る鬼を見据える。
鬼は動かない。いや、動けなくなっている。
晴明さんの放つ圧倒的な空気に圧されてるのか、彼の視線にそのような力があるのか。分からないけど、ただ目を見開いて目の前に立つ陰陽師の裁きを待つことしかできない。
「――この名を聞いて、逃げられると思うな」
静かで、耳に心地いい。けれども、しっとりと重たい声が響く。
札の先が僅かに揺れる。指が震えている。力を抑えるのに彼自身も精一杯だ。
でも、それを顔には一切出さず。札先を微調整。
ここぞという一点で札を軽く放るように札を離し、手首を返して指を鳴らすと。
ぴ、しゃん!!
鳴らした指の音をかき消すように。
軽く、細く、強い稲妻が一本。落ちた。
そして俺の意識も同時に落ちた。
最後に見えたのは。
結界の内側だけ見事に焼け焦げ、抉れた地面だった。