師匠、晴明の元を訪れる語
そして朝。
「……どうしたんですか晴明さん」
昨日の部屋を覗くと、なんか落ち込んだ様子の晴明さんが居た。
「ああ……つぐみくん。調子はどうだい?」
「調子は良いですね。朝こんなにスッキリ目が覚めたのは久しぶりです」
「それならよかった」
よかったと言うけど、その声にも元気がない。
「俺は良いですけど、晴明さんは元気なさそうですね」
向かいに座って顔色をうかがう。
表情は沈んでるけど、顔色は悪くない。具合が悪いんじゃなくて、何か困ったことがあった。そんな感じに見える。
「それで、どうしたんですか?」
「その。保憲さま……師匠が来るって連絡があって」
「師匠が」
それだけでこの様子。一体どんな人なんだ師匠。
「そんなに怖い人なんですか?」
晴明さんは少し考えて、首を横に振った。
「いや。口数は少ないけど、優秀な人だよ。こんな私のことを幼い頃から案じてくれる」
「へえ」
「今日の要件も、昨日の落雷が近かったから様子を見にくると」
多分ついでに仕事を持ってくるだろうな、と付け足される。
「じゃあ良いじゃないですか。何か不安なことでも?」
「そりゃあ……」
言葉を濁して俺を見た。
「ああ。なるほど」
ぽん、と手を打つ。俺の存在か。
禁呪アレンジの試作であり、盛大な失敗作。1000年後の魂を詰め込まれた、めちゃくちゃ出来のいい式神。
うん、問題しかない。絶対なんか言われる。思わずふふって笑い声が漏れた。
おっと、と口を押さえると、晴明さんの切れ長で綺麗な目が、じっとりと俺を見た。
「他人事みたいに……」
「ああ、すみません。でも、どっちかっていうと被害者俺ですし?」
うっ、と晴明さんが呻いた。そうだけどぉ、と小さな声が漏れ聞こえてきた。
「まあ、晴明さんの胃を痛めるのはここまでにして。都合悪いなら隠れてますよ?」
試しに提案してみると、彼は神妙な面持ちで首を横に振られた。
「いや。多分、気配ですぐバレる」
「なるほど。すごいですねお師匠さん」
「うん」
こくりと頷いて、そのまましばらく固まって。
「……どうしよう」
顔を両手でおおった。
長い髪がさらりと揺れる。こういう姿もなんか絵になるのは何故だろうか、なんてどうでも良い事を考え、すぐに追い出す。今はそこについて考察してる場合じゃない。
「まあ、やってしまったものはしょうがないですし、俺も素直に自己紹介しますよ」
「そうだね……。正直に話すしかないのは分かってるんだけど。話が出て大きすぎてさ」
「それは確かに」
晴明さんは俺の記憶を通して1000年後を見たからある程度飲み込みが早かったけど。何も知らないお師匠様に信じてもらえるだろうか。
「信じてもらえるといいですね?」
「他人事だ……っと」
何かに気付いた晴明さんは遠くに視線を向け、横に置いてた扇を取り上げた。
扇に視線を落とし、少し躊躇ってからぱちんと鳴らす。その音に反応するように、ふわりと何かが動いた気配がした。
なんだろうと視線を向けると、「迎えをやったんだ」と教えてくれた。
「保憲さまが来た」
「なるほど。噂をすれば、ですか」
俺の言葉に晴明さんの首が傾いた。昨日何度か見た、知らない単語を聞いた時の顔だ。
気にしないでくださいと話を散らすと、ふわりと空気が動いた。
風かと思ったけど、なんか違う。上げっぱなしの御簾の向こうから、静かな足音が近付いてきた。
中を伺うように現れたのは、烏帽子を被った背の高い影。
しゃんと伸びた背筋。立ってるだけなのに、その動きには隙がない。
地の文に書くなら、きりりとした目元に精悍な顔立ちをした、落ち着いた佇まいの青年。
俺の言葉で言うなら、吹奏楽部のパートリーダーとか図書委員長やってそうな、堅物文系青年。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
ほどよく低い声で挨拶をしたお師匠様は、俺に気付いて目を留めた。その一瞥で、背中の空気がぴっと張り詰める。
ぺこりと頭を下げると、同じように頷いてくれた。少し眉間にしわが寄ったのが見えた。見知らぬ顔が居るんだ、当たり前の反応だろう。
「晴明。彼は?」
「はい」
端的な一言に「説明しろ」が詰まっている。
晴明さんは萎縮してしまうんじゃないかと少し心配になったけど、彼の返事は静かだった。ちらっと伺った横顔は、覚悟を決めたのか仕事モードなのか。さっきまでの頼りない感じは消えていた。
けど、それは師匠の前だからそういう風に取り繕ってるだけで、内心はドキドキしてるっぽい。目線が完全に落ちてるし。
「彼は、その。私の新しい式です」
そして、その予想を裏付けるように、晴明さんの言葉はシンプルだった。
「ふむ。式か」
その言葉を確かめるように、俺を見る。
紫の左目が僅かに細められる。よく見ると左右で色が違う。
観察されてる。嫌な感じはないけど、何かを見透かされてる気分になる。多分、嘘をついたり適当言ったら秒でバレる。思わず背筋を伸ばす。
時間にして数秒。彼はなるほどと頷くように目を伏せた。
それから近くにあった敷物を引っ張ってきて座り。
「それで、昨日の落雷だが――」
普通に他の話を始めた。
「えっ」
いや、声を上げたのは俺じゃない。晴明さんだ。
俺が瞬時の判断で飲み込んだ言葉をそのまま零した。
「何だ?」
そんな晴明さんに、彼は他に何かあったかと言いたげな目を向ける。
「いや、その、彼なんですけど。その」
少し躊躇ったけど、意を決した晴明さんは、保憲さんを真っ直ぐ見て話を切り出した。
「中身が人、なんです」
「ほう?」
保憲さんが俺を見た。心なしか、さっきより目が輝いてる気がする。興味があるのか。
「名前は?」
「えっ? あ、えっと。吉野です。吉野つぐみ」
「確かに式らしくない名だな。ああ、僕は賀茂保憲という」
「賀茂さん」
知ってる苗字だ。日本史の時間に先生が話していたような気がする。いや、国語だったかもしれない。どっちでもいいけど。
「保憲と呼んでくれて構わない」
「はい。保憲、さん。……様がいいですか?」
「好きにしてくれ」
「では、保憲さんで。俺も、つぐみと呼んでください」
「分かった。では、つぐみ」
「はい」
「簡単にでいい。君のことを教えてくれ」
「俺のこと……」
そうですね、と簡単な出自をざっくりと話す。
年齢。学生であること。落雷で死んだかもしれないこと。
それから、およそ1000年先の未来から来たこと。
保憲さんは適度な相槌を打ちながら、俺の突拍子もない出自を受け入れてくれた。そういう変な話に慣れてるのだろうか? いや、晴明さんは驚いてた。多分、この人の器がざっくりしてるか大きいかのどっちかだ。
そんなこんなで一通り聞き終えて。「それで」と保憲さんは晴明さんに声を向けた。
「晴明。お前は彼をどうしたいんだ?」
「はい。できる事なら、彼を元の場所に帰したいと思ってます」
「つぐみ。君はどうだ?」
何気ない視線なのに、適当言えない鋭さだ。そんなつもりはないけど、背筋が伸びる。
「昨日晴明さんにも言いましたが、可能性は捨てないつもりです。けど。それはそれとして、ここの生活を楽しもうとは思ってます」
正直に答える。保憲さんは何度か瞬きをして。初めて表情を崩した。
「はは、なるほど。晴明が弁明すると言うだけなら時間の無駄だと思ったが――面白いな、君は」
「ありがとうございます……?」
「ん。それで、晴明」
「はい」
「つぐみを帰したいと言うが、手立てはあるのか?」
「いえ……今のところは何も。なので、保憲さまの力もお借りしたく」
お願いします、と晴明さんは頭を下げる。
俺は昨日まで知らない誰かだったし、正直信じられない話をしてる。なのに、彼はそれを信じ、真摯に責任を取ろうとしている。ああ、この人は本当にいい人なんだなと実感する。
禁呪を気軽にアレンジしてるとかネジの外れたことしてるのは、この際置いとこう。
保憲さんは晴明さんをしばらく眺め、分かったと息を吐いた。
「気に留めておく」
「ありがとうございます!」
ぱっと頭が上がった。声も表情も明るい。全ての心配事が払拭されたように晴れやかだ。
対して保憲さんは、その視線から逃げるように目を伏せて溜め息をついた。
「留めておくだけだ。期待はするな」
はい、と晴明さんは素直に頷く。
「なんかすみません」
「いや、構わない。ところで君は」
保憲さんの視線が鋭くなった。
「式として安定しているようだが、何ができる?」
「何が。えっと……」
その質問にはて。と首を傾げる。
式神としての俺は何ができるか。正直なところ、今日その辺を確認したいと思ってた。得意な属性とかあるんだろうか。それすら分からない。
「晴明さん……俺、何ができるんですかね?」
「えっ……さあ……?」
晴明さんも戸惑った声で首を横に振る。
二人揃って困っていると、保憲さんの声が降ってきた。
「分かった。晴明。つぐみ」
「「はい」」
二人の返事が揃う。
保憲さんは軽く座り直し、俺達を見た。
「鬼を一匹、退治してきてくれ」
ぱち、と扇を閉じる音が室内に響く。
「それで確かめてこい」