式神、主に解釈違いを起こす語
「俺は吉野つぐみ。高校2年生。17歳です」
「つぐみ……?」
「はい。平仮名でつぐみです。好きに呼んでください」
「う、うん」
「高校、って?」
「学校の一種です。毎日通って色んな事を学びます。例えば「春はあけぼの」とか」
「?」
「えっ。まさか枕草子を知らな……いや。もしかして、まだないのか」
「どうだろう。聞いたことないから、そうかもしれない?」
そういうやりとりを繰り返し、俺自身の話をする。
とはいえ、そんなに話すことは多くない。名前。およそ1000年後の人間だということ。普段どんな生活をしていたか。そのくらいだ。
晴明さんはふむふむと頷きながら、真剣に聞いてくれる。
疑ったり、否定したりしない。時には「そうなんだ」と素直な理解まで示してくれた。
「あの。せ……晴明さん」
あんまり素直すぎたので、思わず聞いてしまった。
「うん?」
「俺が言うのもなんですが。こういう話って、普通信じられないと思うんですよ。どうしてそんなに受け入れられるんですか?」
「ああ……それは」
晴明さんの目が少し泳いだ。天井をフラフラして、床に落ちて。なんか申し訳なさそうな顔になる。
「さっき、君の記憶を少し覗いてしまったから……」
「記憶を?」
頷きながら、「すまない」と深緑の目を伏せる。
眉が寄る。袖の隙間から指先がトントンと動いてるのが見えた。理由を話して良いかどうかを考えているのだろう。
「あ。無理に話さなくても良いですよ。未来視とかあってもいいと思ってますし」
難しそうに寄っていた眉がぱっと上がった。なんか驚いている。
「もしかして、私の目の事知っ――」
「いや、知らないですよ?」
言い切ると彼は「えっ」と戸惑いの声を上げた。
「安倍晴明ならそういうのがあってもいいな、ってだけです」
晴明さんはうーんと何かを考え、困惑した顔を向けた。
「あのさ。君の中で、「晴明」はどういう人なの?」
「小説に映画に引っ張りだこな、平安時代最強の陰陽師ですね」
「……?」
あ。何言われたか分からない顔してる。
「どこまでホントか分かりませんが。不思議な幼少期とか、蛙を潰したとか。そんな興味深い話がいくつか残ってて――って、晴明さん。目が怖いです」
「!」
指摘に彼の肩が大きく揺れた。ハッとしたように目を伏せる。
眉間を押さえ、「ああ、ごめんね」と少し力なく声を落とした。
代表的な話だったけど、それは彼の戸惑いを困惑に変えるには十分だったらしい。
さっきの床を見つめてた鋭い視線からするに、今の話は割と真実。だけど、あまり気軽に触れられたくない話題。そんな気がした。
「晴明さん。それより今は目の話です」
脱線した話を戻すと、晴明さんは頷いて居住まいを正した。
「あのね。私の目は、その人の過去や未来を見ることができるんだ」
マジでできるらしい。やっぱチートじゃないかこの人。異世界転生したら、その世界に喚んだ本人が最強て。普通ならそれで話が終わってしまうやつでは。
なんて感想は胸の中にしまっておいて「そうなんですか」という普通の相槌を打つ。
「さっき君の目を覗いた時、知らない景色を垣間見た。それが、1000年後の世界なんだと思う」
「ああ。なるほど」
だから晴明さんは、俺の目を覗き込んですごく驚いたんだ。
あれはてっきり、人形が自我を持ったからだと思ったけど、俺の記憶にある景色を見たというのも納得がいく。
「ここと全然違うでしょう」
「そうだね。うん。なんかすごく不思議だった」
「きっと現物見たら目を回しますよ」
「はは、そうかも」
晴明さんの表情が綻ぶ。少しは緊張が解れたのか、表情が増えてきた。いいことだ。
「で、話を戻す……にしても、これで終わりなんですが。学校帰りに雷に打たれて。目が覚めたら超有名な陰陽師と同じ名前のあなたが目の前に居た、と言うわけです」
「なるほど」
「向こうの俺がどうなってるのか分かりませんが。この状況だと……死んでる可能性が高い、ですかね?」
う。と晴明さんが呻いた。
「こっちでも君が目覚める少し前に大きな落雷があったし。その可能性は、あると思う。ああでも、落雷より前に君の魂を送り届けることができれば……なんとか。なるかも……?」
後半がごにょごにょと小さくなっていく。視線も斜め下に落ちていて、自信がないのがよく分かる。
「なるほど。――あ。俺の未来、見たら何か分かったりします?」
「っ!?」
そこでハッピーな未来が見えたらお互い嬉しいな、という気軽な提案だったのだが。息が詰まったように肩が揺れた。分かりやすいくらい動揺した。何か妙なものでも見たのかと思ったけど。
「いや。それは……分からない、かな。選択次第で変わったりもするから」
声も視線も落ちたまま、首を横に振られた。
すまない、と謝罪も零れ落ちる。
「謝る必要はないですよ。分かれば良いなって思っただけですし」
千里眼をもってしても見えない未来。それは、俺の死亡説を補強する材料として十分だ。
「じゃあ、その辺はあまり期待しないでいきましょう」
「えっ?」
驚いた声と共に、晴明さんの顔が上がった。どうして、という疑問が顔に張り付いている。実に分かりやすい。
「元の生活に戻りたいとは思わないのかい?」
「思わなくもないですよ。戻ったら死んでるかもしれませんけど、身体の調子が良すぎて実感薄いんです。まあ、未来は分かりませんし、なってしまったものは仕方ない。そうでしょう?」
そう思ってた方が楽ですし。と言う言葉はなんとなく飲み込んだ。
晴明さんは「そう。だけど」と、それでも少し気落ちしたように頷く。
「それに、昔の人は言いました。全ては運命の巡り合わせ。不運を嘆いて閉じこもって、春が来たことにも気付かないような生き方はすべきじゃない」
呟いた言葉に、彼の表情から不安げな感情がするりと落ちた。少し身を乗り出したのか、指先が床に触れる。
「それは――」
「お。知ってますか。好きな言葉なんですよ」
なので、と言葉をつなぐ。
「戻れる可能性は捨てないつもりですけど。それはそれとして、安倍晴明――晴明さんの式神なんて滅多にできるもんじゃありませんし。この生活を楽しむ方のもアリじゃないかと思ってるんです」
ね、と言い切ると、晴明さんは戸惑った表情のまま、こくこくと頷いた。
「君がそうありたいというのなら、分かった。私もできる限り協力するよ」
「はい、よろしくお願いします」
□ ■ □
あの後、邸を案内してもらい、夕食を食べ。空いている部屋に案内してもらった。
板張り、置かれた畳、名前は忘れたけど、様々な調度品。どれも手入れが行き届いている。
この家にある物は自由に使っていいよ、と言われたけど、正直落ち着かない。
知らない部屋だというのもある。文化が違いすぎて現実味がないのもある。
けど。それ以上に。
「なんか、静かなんだよな……」
静かすぎる。草とか風とか、そんな外の音が何もない。
食事や部屋の用意をしてくれた紙人形の気配すらない。
家に人が居ない静けさとも違う。けど、不思議と嫌じゃない。
しかし、こうしてひとりで居ると、自分が違う場所に来たのだという実感が忍び寄る。
現代が恋しいかと言われるとどうだろう。基本的に家ではひとりだったから、変わらない気もする。
「現代の俺……やっぱ死んじゃったのかなあ」
ぽつりと口にしてしまうと、思考がそっちに傾きはじめる。
死んでしまった? 本当に? 寝て起きたら夢じゃない? 考え始めると指先が冷えていく気がする。これを受け入れたら、今度こそ死んでしまうような予感がある。首を横に振って思考を追い出す。
晴明さんにはああ言ったけど、不安の種はあったらしい。こういうのは早々に摘み取って捨てるに限る。
「他のこと考えよう他のこと」
とはいえ。
時間を知りたいけど、時計はない。
音楽を聴きたいけど、スマホもない。
それなら何か読むものが欲しいけど、読める気がしない。
身ひとつで来ると、意外とそういう所が不便だというのは発見だ。
外を見る。星がよく見える。
月の位置で時間を知ろうとしたけど、知識が足りなかった。残念。
仕方ないので、今日のことを思い返す。
学校に行って。授業を受けて。
帰り道、突然雷に打たれて。目が覚めたら平安時代だった。
召喚したのは安倍晴明で。
俺は彼の式神になった。
うん。放課後以降の情報が多い。
その中で一番の驚きといえば。
「安倍晴明……」
切れ長で深緑の目は神秘的だし。中性的な顔立ちにも、人間離れした雰囲気を感じる。妖力は強大すぎるのも感じるし、千里眼的な物もある。
全体的に条件は揃っていると思うし、言われたら納得感もある。
あるけど。
「あれがぁ……?」
なんか納得いかない。
理由は分かってる。あの性格だ。
すぐ八の字になる眉。不安と申し訳なさに押しつぶされそうな表情。なんならすぐ泣きそうになる。
俺の話を全面的に信じ、心配する。自分より他人を優先しようとするところもありそうだ。
つまり。自信ががなくてお人好し。
このままだと、伝説の陰陽師として名を残せるかも怪しい。下手すれば自滅する。
そんなの、俺が色んな本で読んで想像してきた安倍晴明ではない。
気付かず色々やらかしてのし上がっていってしまう系という可能性も捨てきれないけど、やっぱり、こう。もっと自信に裏打ちされた冷静さを持っていて欲しい。なんなら傲慢でもいい。そうであって欲しい。あのビジュアルならきっとよく似合う。
「いやいや。現実がこうなんだよ」
そう。これが現実。あの人が、正真正銘、本物の安倍晴明。
現代人は創作で塗り固めた姿しか知らないんだから、現実に文句言ってもしょうがない。
でも。実力はある人だ。
手のひらを見る。しっかりした手。少し長く尖った爪。薄暗くてもよく見える。肩から流れ落ちる髪には、白に黄色い筋が混じっている。さっき顔を洗うときに見た目は、オレンジのような赤だった。
この身体は人形だと言ってたけど、見た目も動きも違和感がない。むしろ、元の身体より調子が良いし、眼鏡がなくても星がよく見えた。今なら重い物も持てそうだし、何かしら術も使えそうだ。
手探りで発動させて、ある意味失敗してるのに、これだけの式神を作れる。俺の記憶も感覚も、そっくり持ってきている。
それに、ちょっと力を込めるけで灯火を火柱にするし、目を覗くだけで俺の記憶を読み取る。
それなら。もう少し頑張れば、伝説の陰陽師を目指せるのではないだろうか?
これは歴史に介入するということになるのだろうか。いや、俺の世界で安倍晴明は平安時代最強の陰陽師だったんだ。むしろ軌道修正とも言える。
と、正当化する理由を並べてみたけど。
「突然やってきたヤツに、もっと自信持てとかあれこれ言われるのは……嫌だよなあ」
晴明さん自身がどう向き合いたいかも分からないのに、口を挟むのは良くない。うん。そんなのは世話焼きの委員長で十分だ。そして俺は委員長ではない。
ならば。俺はこの解釈違いを抱えたまま、式神として過ごす生活を選ぶしかない。
それより心配すべきは、ここでの生活に慣れることができるか、かもしれない。
江戸時代なら時代劇で多少は見たけど、平安時代はほとんど知らない。古典の教科書と便覧、あと日本史でかじった程度。せめてここに教科書があれば良かったのに。俺の身体と持ち物一式はきっと、現代に置きっぱなしだろう。
でもここは一応日本。歴史的には地続きの世界。少しはなんとかなると思おう。うん。
うんうんと1人で頷いていると、ふわ。とあくびが出た。
まだ起きてられそうな気がするけど、意識がふわふわする。慣れない状況に疲れたのかもしれない。
畳に寝転がる。少し固くてひんやりした感触が気持ちいい。
影がゆらゆら揺れる天井を見ていると、眠気が一層強く押し寄せてきた。
「ま、いつか、慣れる、でしょ……」
むにゃむにゃとした呟きと共に、眠気に身を委ねた。