第三話
学校、それは人により意見の分かれる場所だ
人によっては楽しくもあり、人によっては苦痛の場所だろう
きらびやかな一面がよく見られるがもちろん闇深い面もある
闇の一面は取り上げられることがほとんど無く、取り上げられる時はすでに問題が起こったあとだ
夢の中学、高校、大学生活と謳われるものの本当に幸せな夢の日々を過ごせているものは何人いるのか
その影で何人が泣き、辛い思いをして死をよぎらせているのか
あの時あの場所に自分がいれば
その時その場に自分が居る事ができれば
あの時に自分が気付けば
そんなイフを思い、時間を戻したいと思うものもいるだろう
自分がいれば必ず助けた、だが本当にそうだろうか?
確かに今の自分がいれば助けたかもしれない
だがその当時の自分がそこに居たならば、その勇気や想いや行動は本当に今の自分が思う方向へと動いただろうか
必ず助ける、そんな気持ちを持つ事は悪くはないだろう
行動にうつせればもちろん良いことだ
だが、少年少女の自分に本当にそれができたのか
それはやはり、イフのお話
何を犠牲にして過去へと戻り助けたとして
それが実を結び必ずその後助かるか
それすらもわからない
なぜなら未来はかわるからだ
そして、物事は悪い方へと動くことが多い
だが、どんな困難も必ず解決しようと動くもの
どんな状況でも必ず最後には助け出すと誓うもの
相手にどれだけ信じてもらえずとも
自己満足だと吐き捨てられても
現実を見ろと突きつけられても
諦める事は逃げることと同義である
時には諦めることも肝心ではあるが、だ
なにか出来るのにしないのはただただ向き合う勇気も度胸も気持ちも無いだけだ
大切であるなら守り、助け、必ず最後には笑顔にする
そんな想いを抱き生きるものもいる
その想いが認められなくとも
その想いを認めたくとも認められない者がいたとしても
どれだけ否定されても、拒絶されても
本当の意味で手の届かなくなるまでは
諦めの悪さ、それは1つの勇気でもあると
助けたいと想う気持ちが強いならば、迷わず己の気持ちに素直に従う
救い出したいと強く願うのであれば
その想いをぶつけたのであれば
あとはその認めたくても認められない気持ちを溶かし自らの気持ちをしっかりと受け止めさせる
そうすればきっと少しずつでも気持ちは動くはず
なぜなら人は本音の強い想いをぶつけられると
自らを想うその気持ちを本物だと認識すると
嬉しくなるものだから
一人ではないと、独りになることはないと
そう思えるように
完膚なきまでにすべてを救って
悲劇を喜劇にかえるために