第9話『可愛い後輩の為』
「真田先輩! 3ラウンドスパー願います!」
いち早く回復した渡辺大弥が頭を下げて来た。
基本性能ではやはりコイツが一番だな。ボクシング部の中では群を抜いている。
「う~ん…ちょっと待て」
オレは考える。コイツの弱点はフェイントとスピード。後は大振りでカウンターに弱い。
「渡辺は後だ。三上! スパーだ、準備しろ!」
突然俺に指名された元キャプテンの引退三上は驚き戸惑っている。
「なんで俺なんだよ!?」
「俺が渡辺に戦い方の手本を示す。オレを渡辺だと思ってかかって来い!」
「先輩!?」
渡辺が残念そうな子犬の表情でオレを見つめるが、心配するな。
「1ラウンド、お前の長所を生かした戦い方を見せてやる。その後で3ラウンドきっちり相手してやるよ」
オレの話が納得できたのか、渡辺は大きく頷いてくれた。
「立花、紐結んで」
こっちの準備は出来た。三上も出来たようだ。
「三上、足を使ってフェイント多めで頼む」
三上がニヤリと笑う。
「そう言う事かよ、可愛い後輩の為だ、やってやろうじゃねえか!」
良い顔だ。最初はムカついた野郎だったが今では結構好きだぜ? 三上先輩よ~。
リングの対角にわかれた俺たちはゴングを要求する。
『カンッ!』
オレは真っ先にリング中央に陣取り、三上を睨みつける。三上の動きから目を離さないという意味だ。
三上は足を使って左回り。オレに左ジャブを打たせないようにスピードでかく乱してくる。
オレは中央から動かず、体の向きを変えるだけで三上を常に正面で捉える事に専念する。
もちろんガードはガチガチに固めている。
三上はジャブを打っては離れ、離れてはジャブを打ってくる。
オレは全てのジャブを丁寧にブロック。攻撃は仕掛けない。
今度はフェイントを織り交ぜたボディーフックから顔面へのワンツー。
オレはフェイントのフックにもガードを動かし、ワンツーもパーリングで防ぐ。
分かるか? 渡辺。フェイントにはかかってもいいんだ。フェイントごとガードしろ。
オレは中央から動かない。フットワークすらしない。ひたすら三上を正面で捉えてガードするだけだ。
2分。体感で感じているだけだが、オレの体内時計は案外正確だ。
三上が少し疲れて、動きが鈍くなってくる。スピードがほんの少しだけ落ちて来た。
三上がワンツーを放ってその離れ際。
離れるタイミングに合わせて踏み込む!
離れるスピードより速く、一直線に詰める。
今までガードに専念していた左を速く細かく、言うなれば20%の力で可能な限り連打する。
右は使わない。自分の顎の位置でガード。左ジャブだけでロープまで下がらせる。
力を抜いた左ジャブでもここまで連打すれば有効打も出てくる。
一度ガードを崩せばフィーバータイムだ。
ここから先は全てのパンチが当たる。こちらがミスしなければ。
そのミスをしない為に重要なのが、20%の力だ。
命中させることを優先する。大きなパンチは要らない。
連打連打連打!
「ちょちょちょっ!」
三上が耐えきれずにダウンする。やるな…コイツ自分から倒れやがった。
ダメージを最小限にするために自分から倒れるという選択もある。
三上はやはり駆け引きとかセンスとかがいい。
「イテテテ、ここまでだ…ここまで。結構ダメージ喰らった」
三上がギブアップを宣言した瞬間
『カンッ!』
1ラウンド終了の鐘が鳴った。
オレが喰らった有効打は「0」
三上はたぶん、10~15発は喰らっているだろう。
「どうだ渡辺? 今の戦い方はお前にかなり向いてると思うんだが?」
オレは渡辺に問う。渡辺はキョトンとした表情。可愛い子犬っぽい。
「凄い…とは思いましたが……オレに出来ますかね?」
「出来る……必ず。但し、この戦法の利点と弱点をちゃんと把握する必要はある。さっきのオレの利点はどこだか分かるか?」
スパーの前に戦法を確認することは大切だ。
「中央から動かないで、足も使いませんでしたよね……スタミナの温存っすか?」
「おう! それも一つ。だが、まだあるぞ」
「ん~…」
「オレは約2分、防御に徹していたぞ、なんか分からないか?」
「敵のパンチを身体で覚える…みたいな?」
「ナニッ!?」
「うあッ! すみません違いましたか」
「いや、合ってる」
「ほぅ~~(溜息)」
「まあいい。説明してやる」
足を使う相手が自分より早い場合、捕まえに行くのは至難の業だ。
だったら待って待って待ち続けるのがお前には合ってる。
防御に徹するのは迷わないためだ。
攻撃することも考えるとどうしても『攻めるべきか』『守るべきか』の選択で迷いが生じる。
例え一瞬でも迷うとお前の場合大きな隙になる。
一瞬ってどのくらいか知ってるか? 約3分の1秒だぞ。
パンチ一発喰らうには十分な時間だ。
2分も守れば相手も疲れてくるし、自分はタイミングを身体で覚えることも出来る。
攻めるタイミングを決めたなら、今度は攻撃に徹しろ。迷うな。
相手が引くタイミングに合わせて全力で踏み込め。
但し、パンチは軽く。早く正確であればそれだけでいい。
右は使うな。右は相手のガードが崩れてからだ。それまではガードを崩すことを目的にして手首やグローブを狙って左ジャブだけを連打しろ。
軽いジャブなら1秒に何発打てる? 4~5発は楽に打てるぞ。
攻め始めたら休むなよ? お前なら休まずに1分間打ち続けるくらいの体力はあるだろ?
20%程度の力で軽く打ち込むだけでいいんだ。
落ち着いて、狙いは丁寧に確実にな。外すなよ? 一度外せばリズムが崩れるし何より相手に立ち直るチャンスを与えちまう。
「渡辺、今度はオレが三上みたいな戦い方をするからリングに上がれ。やるぞ、スパー」
「はいっ!」
☆★☆ ☆★☆
渡辺大弥……
防御に徹していても、まさか、まさかここまで下手くそだったとは……
オレは
「ガードを上げろ! 脇を締めろ! 相手の動きをちゃんと見ろ! フェイントも本命もちゃんと防げ~」
何度このセリフを繰り返させられた事だろう……
楽しいし、別に身体は疲れていないのに、精神が…心が疲れるというのは意外に初めての事かもしれない。
そう思った。
☆★☆ 立花亜優視点 ☆★☆
「立花先輩」
はなちゃんの彼氏『原田陸』くんに話しかけられた。
黒縁の眼鏡をかけたクールっぽいイケメン。
渡辺くんとは幼馴染なんだって。
「なに? 原田くん」
「先輩の彼氏、凄いっすね」
「えぇ!?」
『凄い』に反応したんじゃないよ? 『彼氏』に反応しちゃったんだよ?
「大弥が、あんな楽しそうに負けてるのって初めて見ましたよ」
「楽しそう?」
「ええ。ああ見えてアイツって、スゲー負けず嫌いなんすよ。力でもスタミナでもスピードでも技術でも、すべての面で大弥は負けてる。なのに楽しそうだ」
怒られて、殴られて、躱されて、また怒られてる。でも、確かに楽しそう。
「先輩の彼氏って、体育教師とか似合いそうっすね」
「そうね」
ここにもいた! 真田くんを外見だけで判断しない人。
「ボクシング部でもないのに、やたらボクシングに詳しい……あの人、もしかしてプロっすか?」
え~と、言っていいのかな? でも一応本人の許可なしじゃ言いたくないから誤魔化すけど…
「なんか、お爺さんが凄く強い人らしいよ? 今の真田くんでも敵わないくらいなんだって」
「そうなんすか……」
「ちょっと陸? あんまり他の女子に話しかけないでよね!」
ウフフ。はなちゃんがヤキモチ焼いてる?
「別にいいじゃねえか、真田先輩の彼女なんだしよ」
「まだ二人、付き合ってないんだから話し掛けちゃダメ!」
はなちゃんって独占欲…強~。
「そうだよ原田くん。はなちゃんだって原田くんがいるから、真田くんのファンになりたいのに必死で我慢してるんだからね? メッ」
ちょっとだけ爆弾落としちゃえ~
「な、そうなんっすか!? おい、はな!?」
「ち、ちがうよッ! ちょっと亜優! 何言ってんの!?」
「あはははは~」
☆★☆ ☆★☆
「…………おい! こっちは必死でやってるってのによ… 気が抜けるんですが!?」
リングの上の真田くんから呆れられてしまいました……