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「キャサリン、今回の件でお前の婚姻が決まった。喜べ、お相手はデュラッカ公爵家のフーゴ殿だ」
「本当、お父様?!」
「ああ、どうやらお前とフーゴ殿は懇意らしいな」
「そうなの!学園でお会いしてからずっとお慕いしていて…。そんな私をフーゴ様も愛してくれているのよ!」
そこから延々と聞いてもいない二人の愛のメモリーを話し始めるが、誰一人そんな事は聞いていない。
唯一聞いているのは姉のリーゼだけで、公爵子息を射止めたキャサリンに対してずっと怨嗟を吐き続けている。
「あんたみたいなブスが嘘でしょう!私と代わりなさいよ!そもそも長女の私を差し置いて三女のあんたが結婚なんてふざけんじゃないわよ!」
「あらあらお姉様ったら、自分がモテないからってみっともないわ」
「誰がモテないですって?!私はいつも男女問わず学園でも囲まれている人気者よ!」
その人気は商品のバラ撒きによる集り効果だが、今はその事に言及する気はない。
まずは、キャサリンの不貞の後始末が先だ。
「本来なら婚約期間を設けるところだが、お前とフーゴ殿の不貞関係は学園でかなりの醜聞になっている」
「不貞じゃないわ!真実の愛よ!」
「そんな話はどうでもいい。要するに、お前はフーゴ殿と直ぐに籍を入れる必要があるということだ。分かるな?」
「もちろん、望むところだわ」
「では、ここに署名しろ。そして署名後は直ぐにあちらのお屋敷に移るんだ。必要なものはあちらで全部用意して下さるそうだから、お前は身一つで出て行くように。いいな」
「先月買ったドレスは持って行ってもいい?」
「置いていけ。あちらでそれ以上の物を用意してくれるはずだ」
「残念だけど分かったわ」
本当に分かっているのか怪しい上機嫌な表情で、キャサリンは意気揚々と婚姻の書類に署名をした。
婚姻の書類には既にデュラッカ公爵とフーゴの署名もされている。
後はこれを貴族院に提出すれば、晴れてキャサリンは我が家の籍から抜かれる事となる。
「では、みんな!またね!時々遊びに来るわ!」
機嫌よく手を振りながら、キャサリンは公爵家が用意した豪華な馬車に乗って出て行った。
だが、彼女がここに戻ってくる事は二度とないだろう。
何故なら、キャサリンとフーゴはそのまま公爵領の僻地へと移送されるからだ。
フーゴは婚姻届を出すと同時に廃嫡される。そしてそのまま平民として公爵領で飼い殺される予定だ。
もちろんそれは妻であるキャサリンも一緒で、小屋のような家で一生僻地の村から出されることはない。
食料に関しては公爵家からの支援が三年あるというので、随分と寛大な処置だと思う。
その間に二人で力を合わせて頑張って欲しいものだ。
「多分、無理だろうな…」
兄の声がボソリと聞こえた。
私もそう思う。
あの二人のことだから、下手に食料の支援などしたら、働かなくても大丈夫だと思い込むに違いない。
そして三年後に聞いていないと焦るのだ。
今から目に浮かぶようだった。
「俺達は酷い兄妹なのだろうか?」
「いいえ、私はそうは思いません……」
前世の感覚ならば、不貞を働いたくらいで…となるかもしれない。ましてやキャサリンはまだ十五歳だ。十分に情状酌量の余地はある。
だが、この世界の感覚ではそう簡単にいかない。
貴族とは虚栄心の固まりで、プライドを傷付けられることを殊更嫌う。
特に今回キャサリンが粗相した相手は公爵家と侯爵家という高位貴族だ。
そのせいで、面子を潰された公爵家から、我が家へとかなりの慰謝料が請求された。
息子を誘惑した罪だそうだ。
思わず鼻で笑ってしまった。
小さな子どもじゃあるまいし、誘惑された方が悪い。誘惑など跳ね除けて迷惑だと一言言えば済む話である。
故に我が家は慰謝料の支払いを拒否。幾ら格上の公爵家からの訴えであろうと、こんな理不尽な理由に金を払ってしまえば、今後永遠に公爵家に搾取されることになる。
ただ、苦労して結んだ婚約を身勝手な理由で破棄した息子に怒り心頭なデュラッカ公爵の気持ちも分かるし、息子を誘惑したキャサリンに怒りが向くのも理解出来た。
だからこそ、私達はケイトに提案をされた内容をデュラッカ公爵に伝えた。
『真実の愛で結ばれた二人を引き離すよりも、婚姻させてしまってはどうですか?もし婚姻させていただけるなら、キャサリンの持参金として、デュラッカ公爵家が支払うケイト・カリスター嬢への慰謝料に関しては全額肩代わりさせて頂きます』
要するに、カリスター家への慰謝料は全て払うからキャサリンを引き取れ。
不貞ではなく、真実の愛の名目で婚姻させれば、デュラッカ公爵家の最低限の面目も立つ。
そう連絡したのである。
すると、公爵は考える。
幸いにして二つ下の次男は優秀であり、後継には困らない。カリスター侯爵家への慰謝料も全て出すと言っているなら、悪い話ではないと……。
『更に二人の当面の生活費として一年分の費用を出させていただきます。その上で、ケイト嬢は愛する二人の為に身を引いたという美談を噂として流します。もちろん不本意な瑕疵の付いたケイト嬢の今後の婚姻についても我が家で紹介させていただく予定です。そうすれば端から見れば円満な婚約解消に見えるでしょう』
ただし、フーゴが社交界に出ることをカリスター家は望まないと付け加えた。
要するに、フーゴとキャサリンを結婚させた上で一生社交界に出すなと言ったのだ。
その代わり、公爵家としての矜持が保たれるように尽力するという訳である。
この提案にデュラッカ公爵は頷いた。
カリスター家が文句を言わないというのが良かったのだろう。
どうやらフーゴの不貞に関しては第二王子殿下からも苦言があったらしく、これ以上公爵はこの件を長引かせたく無かったようだ。
我が家に非常識な文句を言ってきたのも、カリスター家の怒りを我が家に押し付けたかっただけなのである。
つまり、この提案を呑みさえすれば、フーゴとキャサリン以外の全てが丸く収まるのだ。
「キャサリンには何度も何度も婚約者のいる男性に言い寄るなと伝えましたわ。それでも彼女は私達兄妹を悪者に仕立てては見目の良い男性に言い寄ることを止めませんでした。事実、男性への付き纏いや不貞の慰謝料を払ったことも一度や二度ではありません。その度にお父様は諌めましたし教育を施しました」
「そうだな。……けれどあいつは直ぐに忘れて同じことを繰り返した」
「婚約者のいる男性に色目を使うな…という簡単なことがどうして理解出来ないのか不思議です」
これが純粋な十五歳の少女ならまだ教育の余地はあるかもしれない。
だが、前世を含めて恐らく三十歳を軽く越える精神年齢の人間を諌めるのは並大抵の事ではないのだ。
「何度も引き返せる機会が有ったのに、そうしなかった。それ故の結末です。だからお父様、お兄様……、そんなに悲しそうな顔をしないで下さい」
「ミルフィー……」
怒り心頭でケイトに言われるままに手続きを進めていた二人だが、いざキャサリンが出て行くとなると途端に不安になったのだろう。
これからキャサリンの生活が困難になると分かっていれば、罪悪感が押し寄せるのも仕方ない。
けれど、そんな甘い態度だったからこそ、キャサリンは付け上がったのだ。
「優しいお二人の気持ちも分かりますが、これ以上は放置すれば次は王家へ迷惑を掛けることになります。事実、あの子は生徒会室で殿下にさえ苦言を言われていたようですわ」
「そうなのか?」
「はい。殿下のことを“ライ君”などと呼んでいたとか…」
「………最悪だ」
「幸い殿下は心の広い方だった為問題にされませんでしたが、さすがに次はないと思います」
「そうだな。もし王家を敵に回せば、幾ら外国に逃げたところでどうなるか……」
「商会の従業員や領地の民に迷惑が掛かるのは必至でしょう。下手をすれば、キャサリンは罪に問われて処刑される可能性もありました。それを考えれば、贅沢は出来ませんが、これがキャサリンにとっての最善だったと思います」
「そうだな、ミルフィー。少々弱気になっていたようだ、すまない」
「俺もつい、何も知らないアレが哀れでな…」
「お父様もお兄様もお優しいから仕方ありませんわ。……では、馬車も見えなくなった事だし、そろそろ屋敷に戻りましょう。………ねぇ、お姉様?」
言いながら、私は後ろに立っていた姉を振り返った。
そう、馬車の見送りに来ていたのは私達だけではなかったのだ。
当然、散々やっかんでキャサリンに罵声を浴びせていた姉のリーゼも一緒だった。
「どうかしましたか、お姉様?」
「あ、哀れって何?キャサリンはフーゴ様と結婚するのよね?」
「ええ、結婚しますよ。残念ながら住む場所は公爵領の端になりますけど…」
「お屋敷じゃないの?」
「平民になったフーゴ様がお屋敷に住むのは無理ですね。もちろん妻であるキャサリンも同じです」
「へ、平民……?」
「廃籍されたので」
にっこりと微笑めば、先程まで憎々しげに馬車を睨んでいた姉の顔が真っ青になっている。
良かった。
どうやら姉はちゃんとこの話の意味を理解してくれたようだ。
「その顔を見るに、どうやらやっと分かって下さったようですね。キャサリンは婚約者のいる男性と不貞を働いた。………キャサリンに言わせれば真実の愛だそうですが、この貴族社会でそれは通じないのです」
「お前が今の話を聞いて“ざまぁみろ”と言わなかったということは、まだ教育の余地があると思っていいのか?」
青い顔の姉に、兄がゆっくりと告げた。
『ざまぁみろ』という言葉に、姉が驚いたように反応する。
「お前は自分だけが特別だと思っていたようだが違う。この意味は分かるか?」
「も、もしかしてお兄様も……っ?!」
「俺だけじゃない。商会の商品を見れば分かるだろう?何故アイデアを盗まれたと思ったんだ?」
「あ、あ…、じゃ、じゃあ……?」
「俺もミルフィーも最初から知っていたということだ」
呆然と私と兄の顔を見る姉のリーゼ。
その顔は青を通り越して白くなり始めている。
「父上、今後のことは俺とミルフィーがリーゼに話します。父上は早急に婚姻や慰謝料の手続きを終わらせて下さい」
「分かった」
言いながら、静かな足取りで屋敷へと踵を返した父は、姉と擦れ違い様に、小さく彼女の肩へと手を置いた。
「リーゼ、お前は私の可愛い子どもの一人だ。だが、これ以上パトリックやミルフィーが心血注いで作り上げた商会で好き勝手するのなら、私にも考えがある」
「お父様……」
「これが最後通牒だ。二人の話をちゃんと聞くんだ。いいね?」
「………はい」
思いの外、姉は素直に頷いた。
余程キャサリンの先行きが衝撃だったのだろう。
「じゃあ、先に失礼するよ。外はまだ寒い、お前達も直ぐにお入り」
「はい、お父様」
返事をする私に小さく頷き、私達兄妹を置いて、父は屋敷へと入って行った。
残されたのは、門の前で呆然と佇む姉とそれを見守る私と兄だ。
「リーゼ、ちゃんと話を聞くなら、お前はまだやり直せる」
「お兄様……」
「聞く気はあるか?」
兄の言葉に無言で頷く姉。
それを見守りながら、私は小さく息を吐き出した。
姉は何とか間に合いそうだ。