11
「やぁ、ミルフィー嬢。久しぶりだね」
「ご無沙汰しております、殿下」
あれから三週間、何をしても逃げ道などない私と殿下の婚約は無事に調った。
そして、殿下の正式な臣籍降下の発表と共に私との婚約が大々的に発表されたのだ。
お陰で我が家へは縁を結ぼうとする家門からの茶会や夜会の誘いが引っ切り無しで、断りの手紙を書くのに困るほどの大変な日々を送っていた。
そんな大忙しの中、ようやく時間が出来たという殿下が、婚約後に初めて我が家へとやってきた。
目的はもちろん、婚約者となる私との交流だ。
「急な婚約話で驚いただろ?すまないね」
「いいえ、とても光栄なお話でございます……」
全く心の篭っていない声でそう答えると、途端に殿下は楽しそうに笑った。
どうやら、私の心境は手に取るように分かるらしい。
「あはは、強引に進めて悪かったとは思ってるんだけど、僕の方も何分急だったからね」
「……ご婚約者様のことはお聞きしております」
「話が早くて助かるよ。僕としてもこれから新たに高位貴族の中から婚約者を選定するなんて面倒事は避けたかったし、君の家にとっても最良だったと思うから、我慢してくれると嬉しいな」
「それに関してはちゃんと理解しております」
「つまり、自分の家の立ち位置が分かったってこと?」
「家族全員で話し合った結果、おそらく凄く誤解されていたのではないかと思い至りました」
「それは良かったよ。最初は隣国の間諜だと思われていたんだよ。でもそれなら高位貴族と婚約しないのもおかしいから、みんなで首を傾げていたんだ」
ラインハルト殿下は第二王子の為そこまで詳しい事情を知らなかったらしいが、我が家があのままだった場合、まずは兄の婚約者が王家主導の下に決められていたそうだ。
そういう意味ではキャサリンとフーゴの醜聞と殿下の婚約破棄は、最高に素晴らしいタイミングで合わさった事になる。
「えっと殿下…」
「なんだい?」
「失礼を承知で進言させて頂くのですが、姉ではダメだったのでしょうか?」
「リーゼ嬢?」
「はい。結構色々やらかしてはいましたが、今はかなりまともになっておりますし、以前のようにはならないと私も兄も保証いたします」
キャサリンというストレスから解放された姉は、取り巻き連中とも縁を切り、今は商会の新商品開発に夢中になっている。
兄の見立て通り美容関係に関しては非常に有能であった姉は、日々美容部門のお姉様方と切磋琢磨しながら楽しそうにしていた。
そんな姉は妹の目から見てもかなりの美人である。ストレスが無くなったおかげか頻繁に見られるようになった笑顔は非常に可愛いし、試作品の美容用品を大量に使用しているので肌も髪も艶々であった。
しかも今までのことを非常に反省しているのか、高圧的なことがなくなり誰に対しても優しいと評判である。
姉の良い変化は男性からの評価も高く、王家との縁付きも相まって、思ったよりも多くの縁談が姉へと舞い込んできていた。
「その……、私よりも姉の方が美人だし……」
「そうかな?君もパトリックも自分のことを平々凡々だとよく卑下するけど、君たち兄妹はかなり美麗な範疇に入ると思うよ?」
「……殿下の隣に立つと霞む程度の容姿です」
「う~ん、そもそもだけど、僕は君を容姿で選んだ訳ではないよ」
「お聞きしてます。事務処理能力を買って頂いたとか?」
「確かにそれは非常に買ってるけど、それだけじゃないよ」
言いながら向かいの席を立った殿下は、すっと私の席の方へと近づいてきた。
何をする気なのかと首を傾げれば、彼は何とそのまま私の前で跪いた。
「で、殿下?!」
慌てて椅子から立ち上がろうとすれば、それはやんわりと殿下によって押し留められる。
困惑して席に座り直せば、それを満足げに見つめた殿下は私の手を取った。
そしてゆっくりと唇を手の甲に押し当てる。
「お慕いしております、ミルフィー嬢。どうか私の妻になってくれませんか?」
にっこりと、王妃様譲りの美貌の王子がミルフィーに愛を告げた。
「あ、その……、えっと……」
前世合わせて四十歳以上生きているのに、ここまで真摯なプロポーズはされたことがない。
驚き過ぎて、自分でもおかしなくらいに言葉が出なかった。
「事務処理能力は高く評価しているし、システラム伯爵家を国に縛り付けたいのも事実だよ。でも新しい婚約者をどうするか父上に聞かれた時、真っ先に君の名前を挙げる程度には、僕は君のことを好いている。実は最初に会った時から、聡明な君が気になっていたと言ったら信じてくれるかな?」
「それはその……」
「婚約者のいる身だったから特に下心があった訳じゃないけど、仕事で君と会話するのは本当に楽しかったんだ」
思えば、定型書類の作成の際、商会の書式を気に入って王城で真っ先に取り入れてくれたのは殿下だった。
女が仕事など…と侮ることも馬鹿にすることもなく、真面目にきちんと聞いてくれたのは殿下だ。
「それとも、君からすれば僕は結婚相手に考えられないほど嫌いかな?」
「そういう訳ではありません。殿下はいつでも国を想って日々政務に励んでおられる方ですし、そういう意味では尊敬しております」
「でも、余りこの婚約を歓迎しているように見えないね?」
それはそうだ。
何度も言うが、私に公爵夫人の荷は重いし、平民の中に交じって仕事をしている方が気楽で好きなのだ。
「私のような人間に公爵夫人は無理かと……」
「そうかな?だって君は十歳を過ぎた頃から商会の仕事を頑張ってたよね?平民貴族関係なく、いつも仕事に対して真摯に向き合っていた君を僕は尊敬しているんだ。確かに商会の仕事と公爵家の内向きの仕事は違うだろうけど、君なら直ぐに覚えられると僕は思ってるよ」
「殿下……」
「仕事に対する眼差しを僕に向けて欲しいと思うほどには君のことが好きだよ、ミルフィー嬢。だからどうか僕と結婚して欲しい」
言葉と共にもう一度、今度は指先に口づけを落とした殿下は、そのままゆっくりと立ち上がった。
そして私の顔を見て満面の笑みを浮かべる。
「君のそういう顔も可愛いね。まさかそこまで赤くなってくれるとは思わなかったよ」
「…からかわないで下さいっ」
「うんうん、どうしよう、想像以上に可愛いんだけど……」
顔が妙に熱い。多分、耳まで真っ赤になっているのだろう。
こんな愛の告白を受ける予定なんてなかった。
どうせ政略結婚だって思っていたのに、これは反則だ。
どうして良いか分からない。
「ミルフィー嬢、確かに僕達の婚約は政略的な意味合いが大きい。けど、お互いを尊重して、愛し合うことは可能じゃないかな?」
「……か、可能だと思います……」
「良かった。じゃあ、これから宜しくね」
キラキラのエフェクトが飛ぶほどに、殿下の笑顔が眩しかった。
そんな笑顔で微笑まれたら、どれだけ前世と現世の理性や胆力を総動員しても断る言葉など出てこない。
私には無理だ。
それに、お金目当てでもなく、純粋に私のことを一人の人間として慕っていると言われて悪い気持ちになる訳がない。
つまるところ、殿下との婚約を拒否する理由も気持ちも物の見事に無くなったのである。
「……こちらこそ、宜しくお願いします…」
長い間を空け、小さく私が呟いた瞬間、ギュッと私を抱きしめた殿下。
椅子の背に二人分の重みが掛かって、小さく音が鳴る。
殿下の背中越しに、生ぬるい笑顔の侍女が小さく目を伏せ、護衛騎士が見ない振りをしたのが分かった。
それを確認し、私は戸惑いながらも殿下の背に手を回した。
「……ミリーと、僕だけの愛称で呼んでもいいかい?」
「もちろんです」
「ありがとう。じゃあ、僕のことはライと呼んでくれ」
「はい、ライ様」
頭の隅で、キャサリンが許されなかった呼び名だな…、なんて考える。
そして自分がそれを許されたのだと思うと、妙に恥ずかしい気持ちが湧き上がってきて、無性に叫びたい衝動に駆られた。
そっか、私はこの人と結婚するのか……
細身だと思っていた殿下だったが、想像よりも大きな背中をしていた。
多分、私なんかよりも大きなプレッシャーと共に国を動かしていく背中だ。
そんな彼を支えていけるだろうか?
「ミリー、僕との結婚は不安かい?」
ゆっくりと抱きしめる力を緩めた殿下が、私の顔を覗き込む。
「公爵となるライ様を支えられるかどうか…」
内向きの仕事は時間を掛ければいつかは覚えられるだろう。
だが、妻として、王弟という重圧を背負う彼を支える覚悟がまだ出来ない。
「それに関しては、君には負担を強いることになる。だが、僕も君を支えると誓おう」
「殿下が?」
「そうだ。一人で頑張るのではなく、支え合いながら頑張りたい。ダメだろうか?」
「いいえ…。とても素敵な夫婦の形だと思います」
「ありがとうミリー」
最初は兄と支え合ってきた。
そこに父が加わり、最近は姉も加わった。
一人じゃ出来ないことも、支え合うことで前を向けることを私は知っている。
そして殿下は私と一緒に支え合って生きて行きたいと言った。
その言葉が、ストン…と私に中に落ちてきた。
他人事だった婚約や結婚の意味が、ようやく自分の中で昇華出来たような気がする。
「殿下、末永く宜しくお願いします」
「ライだよ。こちらこそ、宜しくねミリー」
「はい、ライ様」
こうして、私はラインハルト殿下と納得の上で婚約した。
端から見れば、殿下の手のひら上で上手く転がされただけの様ではあるが、まぁ、殿下の真摯な言葉に納得したのだから良しとしよう。
「あいつ、案外チョロかったんだな…」
「実はミルフィーが乙女ゲームのヒロインだったって事ね!」
「なるほど、溺愛系か~~~~」
こっそりと扉の隙間から様子を窺っていた兄と姉が何事かをほざいているけど知らない。
転生した時点で多分、私も兄も姉も、そして妹のキャサリンにだって何か意味があったのだろう。
けれどそこから何を成せるかは、人それぞれ生き方によると思う。
そして、私が何の為に転生したのかなんて一生分かることはないだろう。
それが分かるのは、死んで神様の下へ行った時だろうか。
だったらその時、神様に茶飲み話が出来るように今を精一杯生きるだけである。
そしてそんな私の隣に殿下が居てくれるなら、苦労ばかりじゃない、それなりに幸せな人生が送れると思ったのだ。
2024/1/3 エンジェライト文庫様より電子書籍の配信が始まります。
書籍版題名は
『転生兄妹は苦労が絶えない~過保護なお兄様とものづくりをしていたら、なぜか殿下に溺愛されていました~』
兄妹のその後を中心に5万字ほど加筆修正させて頂きました。
気になる方は是非よろしくお願いします。




