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私の名前はミルフィー・システラム。中位の伯爵家の次女である。
私には、二つ上の兄を筆頭に、一つ上の姉と一つ下の妹がいた。
所謂年子の四兄妹というやつであり、ポジション的に姉妹の真ん中という微妙な立ち位置である。
だが、そこそこ裕福な家だったこともあり特に放置されることもなく、手の掛からない子どもとしてそれなりに両親に可愛がられて育っていた。
そんな私が前世を思い出したのは三歳の頃だ。
特に衝撃的なことがあった訳ではなく、朝食で出された牛乳を飲んでいる時ふいに『あんパンが食べたい』と思ったのだ。
それが呼び水となり、続々と思い出される前世のアレやコレや。
流れ込んでくる前世らしき記憶に少々混乱はしたものの、特に身体的影響がなかったのでそのまま朝食を完食し、今に至る。
再来年に学園への入学を控えた十一歳だが、特に転生無双する事なく、淡々と日々を過ごしている。
そんな平々凡々な生活を送っていた私であったが、最近は少々面倒な事が増えてきた。
「お兄様……」
「なんだ?」
「乙女ゲームという単語に心当たりは?」
目の前で繰り広げられる壮大な姉と妹の姉妹喧嘩を見ながら、傍観を決め込んでいる兄に視線を向ける。
すると兄は驚いたように小さく目を見開き、そして少しだけ呆れたような声で息を吐き出した。
「単語は知っているがプレイ経験はない」
「そうですか……」
つまり、前世の記憶はあるという事である。
そして何故私がその事に気付いたかと言うと、原因は今目の前で喧嘩を繰り広げている姉と妹にあった。
姉妹喧嘩を繰り広げている二人は、先ほどから『イケメン』や『逆ハー』などの所謂前世の略語、現世では全く使わない言葉を吐き出しているからである。
姉妹喧嘩は毎度の事ながら、意味不明な言葉に困惑する使用人達とは違い、一瞬だけ驚いたように目を開いた兄を私は見逃さなかった。
自分に前世の記憶があるのだから、他に居てもおかしくはない。
姉と妹、そして兄にだってその可能性があるのだ。
という訳で、さりげなく兄に思い付く単語を聞いてみたらビンゴであった。
この家の転生率、半端ないな……。
そう感心したのも束の間、転生者仲間である筈の姉と妹は、自分達の発言のおかしさに気付かないまま喧嘩をヒートアップさせている。
「このドレスを着るのは私よ!アンタはそこの古臭いデザインのドレスでも着てなさい!」
「酷いわ、お姉様!そうやっていつもいつも私の物を奪って行くのね!」
「はぁ?あんたこそ何言ってんのよ!元からこのドレスは私の物よ!」
「こんな可愛いピンクのドレスがあんたみたいな年増に似合う訳ないじゃない!」
十歳前後の子どもとは思えない言葉で醜く罵り合う二人。
ちなみに姉妹が奪い合っているドレスは次女である私が買って貰ったドレスだ。
そして、ドレスは別に私一人だけが買って貰った訳ではない。
父はちゃんと三姉妹全員に新しいドレスを買ってくれたのだ。
姉はオレンジ、妹は淡い水色の綺麗なドレスだ。
だが、そのドレスの色が気に入らないと、二人は何故か私のドレスの奪い合いを開始した。
「明日のお茶会には王弟殿下がお忍びでくるのよ!だから絶対にピンクじゃないとダメなの!そうじゃないとスチルの通りにならないでしょ!」
「お姉様こそ何を言ってるのよ!お忍びでくるのは公爵子息のキュリオ様よ!いいからさっさとそのドレスを私に寄越しなさい!このタイミングを逃したら逆ハー出来なくなるんだから!」
ヒートアップしている二人には、自分達が妙な言葉を話しているという自覚がない。
そして、二人の会話を不思議そうに聞く使用人に混じって、呆れた視線を向ける私と兄にも全く気が付いていなかった。
「ミルフィー、あいつら二人の話す内容の意味は分かるか?」
「おそらくゲームか小説の類だと思いますが、全く心当たりがございません。お兄様は?」
「俺もアニメや漫画を思い出してみたが、全く分からないな。そもそもあいつらの話自体が噛み合っていない気がする」
「同感です。つまり、全く違う話、もしくはどちらかが正解なのでしょう」
どちらにせよ、私と兄に知識がないので判断しようがない。
「俺は乙ゲーは未プレイだが、転生小説はそれなり嗜んでいた。ミルフィーは?」
「わたくしも暇があればWeb小説を拝読しておりました」
そして私と兄は顔を見合わせて再びため息を吐く。
「これ、どのパターンだと思う?」
姉の話を総合すると、どうやら姉は前世知識を生かした商品などを開発し、王族のバックアップで伸し上っていくようだ。
そして妹は、見目の良い男を次々と落としていく定番の乙女ゲームのようである。
「お姉様の場合は内政無双系、キャサリンの場合はハーレム溺愛系でしょうか?」
「俺もそう思う。そして、あの二人の性格を見るに、どちらのパターンでもざまぁされる未来しか見えないのは俺だけか?」
「いいえ、お兄様。私も同意見ですわ。仮に二人共がヒロインだろうと、お花畑ヒロインとしてざまぁされる未来しか見えませんわ」
転生者なら転生者らしく、前世知識を生かしてスマートに伸し上って欲しい。
だが、ドレスの色ごときで喧嘩を繰り広げている二人にはとてもそんな知性が働いているとは思えず、むしろ転生したことに優越感を覚えて暴走している気がする。
このままでは、将来王族や高位貴族相手に粗相して断罪される未来しか見えてこない。
そしてついでとばかりに連座で罪を問われる我が家。
つまり私と兄と両親である。
「はぁ~~~~~」
将来この伯爵家を継ぐ予定である兄のため息は重い。
そしてもし断罪された場合、借金のカタに娼館に売られたりハゲデブ親父に売られたりするだろう私も非常に遺憾である。
「……今ならまだ間に合うと思うか?」
「頑張れば何とか…」
まだ十二歳と十歳の子どもだ。教育の施しようはある。
とはいえ、完全に前世の性格が表に出過ぎているので、性格の修正はかなり難しそうだ。
だが、これから自分の置かれている立場や現世の世界状況を理解すれば、矯正の余地はあると思う。
「私達にも前世知識があると告げて、記憶の擦り合わせをしてはどうでしょうか?そうすれば、二人もここがゲームの世界ではなく現実だと気付くのでは?」
「………どうだかな、むしろ俺達を敵認定してきそうだ」
兄の言う通り、現状の二人はこの世界が自分の知っているゲームや小説の世界だと思い込んでいる。
この状況で幾ら違うと説明しても、邪魔者扱いしてくるだけだろう。
「取り敢えず、明日の茶会で二人の記憶が正しいか検証してみませんか?」
「そうだな。王弟殿下と公爵子息のキュリオだったか…?このどちらか、もしくはどちらも現れないかで現状も分かるだろう」
「分かりさえすれば対策も可能です。でもあの二人のことですから、目当ての人物が来ても来なくても面倒を起こしそうで心配です」
「同感だ。あいつらには悪いが、欠席するように俺が何とかしよう」
「では私はこのドレス問題をどうにかしましょう」
「頼む」
そうして私達は作戦を実行した。
私はもう一枚新品のまま着用していなかったピンクのドレスを持ってきて二人に譲った。
デザインで揉めそうだったので、大きい方を姉に、小さい方を妹に譲る。
少しだけ文句を言った二人だったが、元々私の物なので、だったら両方とも私の物にすると言えばブツクサ言いながらも何とか納得した。
どうせ明日は二人とも出席出来ないのだから、無駄な取り合いはしないで欲しい。
………そして宣言通り二人に茶会を欠席させるべく、兄は涼しい顔で翌日の朝食に下剤を盛った。