ほんとうの願い事
キランと勉は夜空を飛び続けた。
レーダーに映る光の点は、残り一つ。きっと、これが正解に違ない。そう思うと、勉は少しさびしいような気がしてきた。
願い事をかなえると言うキランの能力は、うたがいようもなく本物だった。きっと勉の願い事も、彼女なら簡単にかなえてしまうだろう。そうなると、この夜空の旅はおしまいになるし、キランともお別れすることになる。
「見えてきた!」
キランは前方を指さした。そこには青白くぼんやり光る、家くらいの大きさの小さな星が一つ浮かんでいる。降り立ってみると、それはたぷたぷした水のかたまりだった。陸地はどこにもなくて、ひっきりになしに雨が降っている。そのためか、水の星は少しずつ大きさを増しているようだった。
「これが、僕の願い事」
勉は、どうにも納得できない気持ちでつぶやいた。そもそも、願い事に形なんてあるのだろうか。
「うーん。これは、ひょっとして……」
キランはしゃがみ込んで、足元をのぞき込む。どうやら、星の中心に何かがあるようだ。勉も彼女にならってしゃがみ込み、水の中を見通してみる。
「あ、やっぱり。ツトムくんの願い事は、星の真ん中にあるみたいね」
なるほど、星の中心には、水にたらしたミルクのような、ほのかに白く光るモヤモヤしたものがあった。勉が見つめていると、それはだんだんとはっきりした形を取り始め、しまいには勉の部屋の窓になった。
窓の向こうは、見知った通学路だった。そこには、ランドセルを背負って歩く男の子がいた。男の子は交差点にさしかかり、信号が青に変わるのを待って、横断歩道を渡り始めた。右折車が、男の子を追いかけるように交差点に入って来て、男の子をはね飛ばした。
そこで、窓はぴしゃりと閉じた。再び開くと、景色は白っぽい部屋の中に変わっていた。たくさんの管やコードに繋がれた男の子が、白いベッドに横たわっている。ベッドのそばには白衣を着たお医者さんと、男の子を心配そうに見守るお父さんとお母さんが立っていた。お医者さんが何かを言うと、お父さんとお母さんはわっと泣きだして、男の子が横たわるベッドにすがりついた。
またもや、窓がぴしゃりと閉じた。次に開くと、暗い部屋の中が映し出された。そこには、男の子のお父さんとお母さんがいて、二人はだまって、ぽろぽろと涙をこぼしていた。涙は、どんどんどんどん深く落ちていって、空っぽの宇宙を越え、家くらいの大きさの小さな水の星までやってくると、その水面にしゃがみ込む男の子と女の子の背中に、雨となって降りそそいだ。
窓の中から、男の子が勉を見返してきた。そして、彼は言った。
「お願い。この雨を止めて」
勉は立ち上がり、キランに目を向けた。
「願い事、思い出したよ」
「お。なになに?」
キランは、目を輝かさせて聞いてくる。
「お父さんとお母さんに、僕のことをすっかり忘れて欲しいんだ」
「おっけー!」
キランは空中からステッキを取り出し、踊りだそうとして、はたと動きを止めた。
「だめだよ、ツトムくん。そんなことをしたら、願い事パラドックスが起きちゃう」
「願い事パラドックス?」
勉が聞き返すと、キランはむずかしい顔をしてうなずいた。
「たとえば、自分を消して欲しいって願ったとするでしょ。それがかなうと願い事をした人が消えてしまうから、自分を消して欲しいって願い事そのものも消えてしまうの。つまり、その願い事をした人は消えないことになっちゃう」
なんだか、ややこしい話だが、それと自分の願い事にどんな関係があるのか。
「僕は自分を消して欲しいだなんて、お願いしてないよ?」
「あのね、ツトムくん。誰かに忘れられるってことは、その人が消えてしまうってことなの。だから、願い事はパンツかお金にしよう」
勉は首を振った。
「僕は死んでしまったんだから、どっちも要らないものだと思う」
「そうでもないと思うんだけどなあ……」
そう言って、キランは腕組みをする。目を閉じ、大きなおでこの下のまゆ毛をきゅっと真ん中によせて、彼女はいっしょけんめいに考える。そして、ずいぶんたってから、
「こうなったら、お父さんとお母さんにも死んでいただくしか」
とんでもないことを言い出した。
「だめだよ!」
勉はあわてて止めた。どうも彼女にまかせると、ぶっそうな方法しか浮かんでこなさそうだ。こうなったら、勉がいっしょけんめいに考えるしかない。
そもそも、自分の本当の願い事は、お父さんとお母さんに忘れられることなのだろうか。星の中心にあった窓の中の自分は、「この雨を止めて」と言っていた。この星に降る雨は、お父さんとお母さんの涙なのだから、二人が悲しむのをやめれば、雨もやむだろうと思ったのだ。だから、悲しい思い出の原因である勉のことを忘れるのが一番のはずである。でも、それは願い事パラドックスとやらのせいで、ぜったいにかなわない。
ひとまず、自分の考えをキランに説明する。あまり、あてにはならないが、一人で考えるよりはましなアイディアが出てくるかもしれない。
「あー、なるほど。それじゃあ、手紙はどう?」
と、キラン。
「手紙?」
「うん。『僕は元気にしてるから、もう悲しまないでください』って」
死んでるのに、元気と言うのもヘンな話である。しかし、
「それ、悪くないかも」
「でしょでしょ?」
キランは得意げだ。
「それじゃあ、さっそくあそこに行ってみようか」
キランは星の中心にある、勉の部屋の窓を指さした。
「なんで?」
「こんな、水びたしなところじゃ、手紙なんて書けないもの。ほら、行こう!」
キランは勉の手をとり、水の中へ飛び込んだ。そうして、ぐんぐん泳いで窓にたどり着き、「どーん!」とさけんで勉の部屋の中へ飛び込む。
勉はさっそく机に向かうと、引き出しから自由帳と鉛筆を取り出して、お父さんとお母さんにあてた手紙を書き始めた。
お父さん、お母さんへ
二人は元気ですか。ぼくは元気です。
もし元気でないなら、元気なぼくを思い出してください。ぼくは元気なお父さんとお母さんが大好きだから、お父さんとお母さんにはずっと元気でいてほしいです。
ぼくのせいでお父さんとお母さんの元気がなくなったり、悲しくなったりするのはきらいなので、ぼくはずっといい子でいたいと思います。
だから、弟か妹が欲しいです。
おねがいします。
勉より
勉は自由帳をひろげたまま、引き出しの中にしまいこんだ。できれば、すぐに見付けてもらいたいところだが、何もなかった机の上に死んだ息子からの手紙が置いてあったら、怪奇現象でしかない。死ぬより前に、こっそり書いてしまっておいたものに見せかけた方が良いだろう。
「もう、いいの?」
キランが聞いてくる。
「うん。すぐには無理だけど、きっとこれで二人とも、元気になってくれると思う」
「そっか。でも、これって私がかなえたことにならないよね?」
キランは口をへの字に曲げた。
「それじゃあ、他の願い事、聞いてくれる?」
「いいよ、いいよ。パンツでもお金でも、どんとこい!」
「いや、どっちもいらないけど」
勉は苦笑いした。
「僕の願い事は、また君と一緒に、色んな人の願い事をかなえに行きたい、だよ」
「おっけー!」
キランは言って、手を差し出した。
勉がその手を取ると、キランはにやりと笑った。
「つまり、今日からキミは、流星少女ツトムってことね」
「流星少年じゃないの?」
「そう名乗るのは勝手だけど、コスチュームはこれしかないから」
勉は後悔するが、時すでに遅し。
キランは床を蹴り、二人は再び月の無い夜空へと、飛び出して行くのだった。