マッチ売りの女の子
「マッチ、いりませんか?」
女の子は、行き交う人たちに、そう呼び掛けた。しかし、彼女に目をくれるものは、一人としていない。
今は、年の瀬の夜。みんないそがしくて、みすぼらしいマッチ売りの女の子のことなど、かまってはいられないのだ。もちろん、おなかがすきすぎて、どんなにがんばってもか細い声しか出ないから、そもそも気付いてもらえないのかも知れない。
手に提げるカゴの中には、まだ売れ残りのマッチがたんまりとある。ぜんぶ売り切らなければ、家には帰れない。もしマッチが売れないまま、のこのこと家の敷居をまたぎでもしたら、きっと父は彼女を気が失うまで殴りつけるだろう。
そこまで考えて、マッチ売りの女の子は気が付いた。帰ったところで、なにも良いことがない家に、なぜ帰る必要がある?
部屋は笛のような音を立ててすきま風が吹き込んでくるうえに、たきぎを買うお金もないから、ストーブを点けることもできない。寒さで言えば、夕方から雪の降りしきる、この通りとたいして変わらなかった。もちろん、家なのだから屋根くらいはあるが、酒を飲んで怒鳴りながら殴ってくる父親がもれなくついてくるのであれば、雪の方がはるかにましである。
女の子は、少し休憩しようと考え、細い路地に入った。通り過ぎる窓をちらりとのぞけば、中は明るくあたたかそうで、新年をお祝いするごちそうのにおいがもれ出てくる。
しばらく歩くと、休むのにちょうどよい場所があった。台所のかまどをおさめる部分が、壁からひょっこりと張り出し、冷たい風から身を守るのに、おあつらえ向きの角になっている。
女の子はさっそく腰を降ろし、壁に背中をあずける。もし料理中なら、いくらか熱がもれ出てくるのではないかと期待するが、あいにくと料理はすでにテーブルへ運ばれたあとだったらしく、見上げた煙突の先っぽに煙は見えなかった。
ふと、流れ星が夜空を走った。
「流れ星は、死んで神さまの元へ向かう人の命なんだよ」
女の子はつぶやいた。ずっと前に死んだ彼女のおばあさんが、そう言っていたことを思い出したのだ。そして今さらのように、雪雲が消えて星空が見えていることに気付き、小さく「ああ」と声をもらす。
女の子は、雪の降らない夜が、おそろしく冷え込むことを知っていた。以前など、朝に目を覚ますと、体に引っ掛けていた穴だらけの毛布が、かちこちに凍りついて板のようになっていたこともあった。
つまり先ほどの流れ星は、誰でもない自分の命なのだ。もうすぐ彼女は、凍える夜空の下でかちこちに凍りつき、死んでしまうだろう。そうして、やさしかったおばあさんが迎えに来て、もはや凍えることも、おなかをすかすこともなく、天国でふたり、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
女の子は首を振った。まったく、ばかげている。死んで幸せなことなど、ぜったいにあるものか。
なにか、寒さをしのげるものを探そう。マッチはある。あとは、たきぎになるものがあれば、火をおこしてあたたまることもできるだろう。
女の子は立ち上がり、もう一度、空を見上げた。また、流れ星が夜空を走った。しかし、それは急に方向を変え、女の子に向かって突進してきた。
マッチ売りの女の子はとっさに地面へ転がり、襲いくる流れ星を回避した。「どーん!」と言う声がして、地面に転がったまま、その方向へ目を向けると、不思議な格好をした男の子と女の子が立っていた。
「私は流れ星の使者、流星少女キラン。こっちは小学三年生のツトムくん!」
青い髪の女の子が自己紹介をした。しあげに片目をぱちりと閉じると、星くずがキラリと光って飛び出した。
「私は、マリー。マッチ売りよ」
寒さでまぼろしでも見ているのだろうか?
マッチ売りの女の子は自分の正気をうたがいながらも、名乗りを返す。
「よろしくね、マリー。ところで、あなたの願い事はなに。パンツ、それともお金?」
パンツ?
お金は確かに欲しいが、今ではない。お金を手にしたところで、こんな夜更けに開いている店などないからだ。
「ねえ、キラン。この子はどうみても女の子だし、さすがにパンツはないと思う」
ツトムと紹介された男の子が言う。
「え。女子だって、男子のパンツは見たいよ?」
「そうなの?」
ツトムはぎょっとして、自分の股間を両手でおさえた。
「ただし、イケメンにかぎる!」
キランは付け加えた。
「どうせ、僕はイケメンじゃないよ」
ツトムは言って、口をへの字に曲げた。
「ねえ、ちょっと」
このままでは、らちが明かないと思って、マッチ売りの女の子は声を掛けた。
「あなたたち、そんなかっこうで寒くないの?」
「そう言えば、ぜんぜん平気だ。そこらじゅうに雪が積もってるのに、なんでだろう?」
ツトムは初めて気付いたようすで、きょろきょろとあたりを見回す。
「もちろん、私の流星ぱわーで守られてるからだよ」
キランは得意げに言って、空中からステッキを取り出すと、それをマリーの頭の上でくるくると回した。星くずがニ、三個こぼれて頭にこつん、こつんと当たり、たちまち身体がぽかぽかと温まる。冷え切っていた爪先にも血が通い始め、じんじんとかゆくなる。
「すごい」
マリーはおどろいてつぶやく。
「それで、願い事は?」
キランは、目を輝かせて聞いてくる。
「もうかなったわ。この寒さをどうにかしたくて、たきぎになるものを探してたんだけど、こんなにあたたかいなら、必要ないもの。本当にありがとう、キラン」
しかしキランは、不満げに唇をとがらせた。
「これは、ただのサービス。それに、私がいなくなったら流星ぱわーもなくなるから、また寒くなっちゃうよ?」
それは困る。
「もっと、他に願い事はないの。やっぱり、パンツかお金?」
「お金は欲しいけど、物を売ってくれるお店がなかったら、なんにもならないわ。今は、凍えないようにする方法が欲しい」
マリーは、あたりを見回した。しかし、燃えそうなものは一つもない。地面は冷たい石畳。建物の壁も、やっぱり石で、さもなければレンガだ。この壁一枚むこうでは、ぬくぬくした部屋で、おいしいごちそうを食べている人たちがいる。そう思うと、なんだか腹が立ってきた。
「この家を、燃やせたらいいのに」
マリーはぽつりと言った。
「お。なになに、発火能力が欲しいってこと?」
「パイロ……なに?」
聞いたことのない言葉だ。
「なんにもない所に火をおこしたり、炎をあやつったりするチカラのこと。石が燃えるくらいの超高温の炎を作り出せたら、こんな建物くらいキャンプファイヤーにするのも簡単よ!」
「待って」
ツトムが口をはさんだ。
「そんなことしたら、大火事になっちゃうよ。人がたくさん死んだり、家がなくなって困る人がでたりするかも」
「かわいそうな女の子が困ってるのに、助けようともしない人たちばっかりなんだから、そんな目にあったって、しょうがないんじゃない?」
キランは平然と言う。
マリーもキランの考えには賛成だが、見知らぬ誰かを寒空の下に放り出すのは、やはり気が引ける。それが、どれほどつらいことか、誰よりもよく知っているからだ。
「火事を起こしたいわけじゃないけど、火を操ることができるなら、きっともう凍えなくてすむと思うの。だから、私の願い事は、それにするわ」
「おっけー!」
と、キラン。どうやらツトムも文句はなさそうだ。
キランはキラキラと星くずを振りまきながら踊りだし、しまいにマリーのおでこをステッキの頭でこつんと叩いた。
途端にマリーは、めらめら燃える炎に包まれる。しかし、どう言うわけかちっとも熱くはなかった。むしろ、春の日差しで日向ぼっこをしている時のような、心地よいあたたかさを感じる。
「素晴らしいわ、キラン!」
「それはよかった」
キランは親指を立てて、にっと笑った。
「何か、お礼ができたらいいんだけど、私マッチしか持ってないの」
「いいよ、いいよ。願い事をかなえるのが、私の仕事だもん」
一体、どんな得があって、そんなことをしているのか。マリーにはさっぱり理解できなかったが、ともかくたっぷりの感謝をこめて、こう言うことにした。
「素敵なチカラをありがとう、キラン。それと、ツトムくん。私がバカなことをしないように、止めてくれてありがとう」
キランとツトムは、声を揃えて「どういたしまして!」と言った。そうして二人は、びゅんと飛び上がると、流星になって星がちりばめられた夜空に消えていった。
二人を見送ったマリーは、ほうとため息をついた。そして、ちょっとためらってから、地面に置きっぱなしになっていた、マッチのカゴに手を伸ばす。ひょっとしたら、自分の炎で燃えだしはしないかと心配になったが、そんなことはなかった。
マリーは、少しうきうきした気分で、大通りへ戻った。もちろん、めらめらと燃えさかる女の子を見た街の人たちは、ぎょっとしたようすで彼女を見つめてくる。
「マッチはいかが?」
一人の紳士によびかけると、彼は悲鳴をあげて逃げ去った。
マリーは、なんだか嬉しくなった。今まで、自分のことを石ころほども気に掛けていなかった人たちが、みんな見つめてくるのだ。もっとも、マッチは買ってもらえそうにはなかったが、もうそんな必要はなかった。
さて。寒さはもう、こわくなくなったが、問題はまだ残っている。
まず一つは、おなかがぺこぺこで、どうしようもないことだ。
マリーは、はたと気付いてマッチを一本、箱から取り出した。そして、それを口の中に放り込むと、ぐうぐう鳴っていたおなかの音が、ぴたりとやんだ。かわりに、マリーを包む炎が、少しだけ大きくなった。
やっぱり私、炎になったんだわ!
炎は、燃える物ならなんでも食べられるから、これでもうひもじい思いをすることはないだろう。マリーは夜空に向かって、もう一度、キランにお礼を言った。そうしてスキップしながら、街外れにある自分の家へと向かう。
このあたりはガス灯がないから、家路は真っ暗だったが、自分の炎であたりを照らすことができるマリーはへっちゃらだった。
まもなく、穴だらけのボロ家が見えてくる。それが、マリーの家だ。きっと、家の中では酔っぱらった父親が、いびきをかいて眠っていることだろう。
マリーは、マッチ箱からマッチを一本取り出すと、それに自分の炎を点けた。そうして、その小さな炎を自分の家に向かって、ぽいと投げる。マッチの炎は、たちまち大きくなって家を包み込んだ。炎はみるみる伸びて、夜空を焦がしそうになった。
これでもう、なにもかもこわいものはなくなった。寒さも、ひもじさも、そして彼女を殴りつける父親も、ぜんぶ炎が焼き尽くしてくれたのだ。
マリーは嬉しくなってくるくると踊り出した。火の粉を巻き上げ、燃えさかる炎を見つめながら、彼女は踊り続けた。いつまでも、いつまでも。