ひとりぼっちの鬼
「願い事を忘れた?」
キランは目をパチクリさせて聞いた。
勉は、こくりとうなずいた。
「流れ星を探してる時は、確かにちゃんと覚えてたんだ」
キランは腕組みをして考え込んだ。しばらくすると、目に見えて冷や汗をかきはじめた。広いおでこの下で、左のまゆ毛がピクピク動いている。
「なにか、心当たりがある?」
勉は聞いた。
「えー……大変、申し上げにくいのですが」
と、キランはもみ手をしながら言う。
「なに?」
「もしかすると、私のメテオストライクのせいで、どこかに飛んで行っちゃったんじゃないかなあ、と」
「ええっ⁈」
確かに、あのおしりアタックには、それくらいの威力はありそうだ。
「だ、大丈夫。探せば、きっとどこかにあるから!」
探すのは結構だが、このままではあてもなくさまよい歩くことになりはしないか。勉が、この心配を伝えると、キランは髪飾りを指でさしながら言うのだった。
「この髪飾りがあれば、どうしても叶えたいって思う、強い願い事がある場所を調べられるの。君を見付けられたのも、これのおかげなんだよ」
「どうやって使うの?」
「まあ、見てて」
キランは髪飾りを、二本の指先で軽くタッチした。すると、彼女のおでこから光が放たれ、目の前の空間に緑色の画面が表示された。それは方眼紙のようなマス目に区切られていて、中央に星型のマークがあり、数カ所に白く輝く点が表示されている。なんだか、レーダーのようにも見えるが……
「願い事れーだー」
キランは独特な節回しで言った。
やはり、レーダーで間違い無いようだ。
「これはね、ツトムくん。近くにある願い事を、光の点であらわす道具なんだ」
「僕の願い事は、どれ?」
勉は光の点を見つめて聞いた。
キランは首を振った。
「さすがに、そこまではわかんないや」
「そっか」
「とりあえず、一番近いところから当たってみよう」
キランは言って、手を差し出した。勉がその手を取ると、キランは窓の外に目を向けてから、軽く床を蹴る。すると二人は窓を飛び出し、次の瞬間にはもう月のない夜空を飛んでいた。
見下ろすと、地上の街の灯が、どんどん後ろへ流れて行く。ただ飛んでいるだけでなく、かなりのスピードが出ているようだ。
しばらくすると、ふつりと街の灯が消え、地面は真っ暗になった。ただ、ひゅうひゅうと風を切る音が、あいかわらず前に進んでいることを知らせている。それから、さらに飛び続けていると、前方にぽつんと赤く光る点が見えた。勉の手を引くキランは、どうやらそちらを目指しているようだ。
赤い光に近づいたところで、キランは飛ぶのをやめ、その上空にとどまった。そこは樹木が生い茂る山のてっぺんで、光の正体は、キャンプファイヤーのような、大きな焚き火だった。すぐそばには上半身裸の大男がいて、かたわらに置いた大きな瓶から、木のお椀で液体をすくっては、口元に運んでいる。
キランは空中に浮かんだまま、じっと大男を見つめていた。
勉は、不思議に思ってたずねる。
「メテオストライクはしないの?」
「無理。あいつ、隙がないもの」
キランはそう答えると、少し緊張した顔で焚き火のそばに降り立った。炎の向こうから、大男がじろりとこちらを見てくる。
ぎょろりと大きな目や、ぼさぼさの髪に角ばった顎。角や牙こそ生えていないが、勉の目には、彼が鬼のように見えた。
「空から童が二人。はてさて、怪しげなこともあるもんだ」
大男は言った。
「私は流れ星の使者、流星少女キラン。こっちは小学三年生のツトムくん!」
と、キラン。
なんだか、使い魔の黒猫みたいな扱いである。
「あいにくと、俺に名はない。呼びたければ、鬼とでも呼んでくれ」
鬼はそう言うと、地面に置いてあった棒を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。もちろん、ただの棒ではない。木製で、太さは勉の胴ほどもあり、八角形に整えられたそれぞれの面には、ひし形の鋲が打ち付けられている。明らかに、それは武器だ。
それを見たキランは、例のファンシーな刀を何もない空中から取り出すと、炎を飛び越え鬼に斬りかかった。
鬼は歯をむき出し、凶悪な棍棒を振ってキランの攻撃を払いのけた。金属同士がぶつかるけたたましい音が響き、キランの小さな体は宙に舞い上がる。
勉はてっきり、棍棒で打ち上げられたのかと思ったが、キランは空中でくるくると回転してから、華麗に地面へ降り立った。特に、ダメージを受けた様子はない。しかし次の瞬間、鉄琴を叩いたような澄んだ音がして、キランの刀は切っ先から一〇センチあまりが、ぽろりと折れ落ちた。
「強い」
キランはぽつりと言った。
「よく言うぜ。こっちは一太刀目で、あやうく首が飛ぶところだったぞ」
鬼は、すっかり青ざめて言った。その喉元には細い切り傷があって、薄く血がにじんでいる。
「でも、二の太刀はかわしたよね。必殺だったのに」
キランは言って、不満げに唇をとがらせた。
「必殺なら、三の太刀は必要ねえだろうが」
「てへ☆」
キランはいたずらがバレた時のように、げんこつで自分の頭を軽く叩いてから、ペロリと舌を出した。
鬼はこん棒を放り出し、地面にどっかと座り込んだ。そうして、かたわらの瓶から白っぽい液体を汲み出し、それを一気にあおった。ただよってくる臭いからすると、どうやらお酒のようだ。
「ともかく、俺を殺しに来たってわけじゃないんだな?」
鬼は、うたがわしげに聞いてくる。
「そんなことしたら、願い事をかなえられないじゃない」
キランも切っ先が折れた剣を空中に消し去ってから、焚き火をはさんで鬼のななめ隣りに座る。
勉は少し迷ってから、キランの横に腰を落ち着けた。もちろん、自分と鬼の間には、キランがはさまるようにしてある。
「願い事?」
鬼はとまどったようすで聞き返す。
「うん。あなたの願い事は、なに。パンツ、それともお金?」
やっぱり、その二択なのか。
「パンツってのは、なんなのかわからんし、カネはとくに必要じゃない。なにか欲しけりゃ、都からかっぱらってくればいいからな」
キランは目をパチクリさせた。
「あなた、自分を鬼とか言っておいて、本当はただの泥棒だったの?」
「別に、どっちだって構わんだろう。都の連中は、そのただの泥棒を鬼のように怖がってるんだ。おかげで、親父殿は首をはねられた」
ずいぶんと物騒な話である。
「あなたのお父さんも、泥棒だったのね」
「ああ。都でも、なかなか名の知れた盗賊だったぜ」
鬼はほこらしげに言ってから、ふと表情をくもらせた。
「けれど、お上は俺たちを目ざわりに思って、強い武将を集めて、俺たちの根城によこしたんだ。戦いになり、仲間や親父殿が次々死ぬのを見て、俺は恐ろしくなって逃げ出しちまった。あんたは、俺を強いと言ったが、実のところはただの弱虫で臆病者だったってわけさ」
鬼の目から、ぽろりと涙がこぼれた。鬼は、それをかくすように、ざぶりと酒をくんでぐいぐいと飲んだ。そうして、はたと気付いたようすでキランを見つめる。
「願い事が決まったぞ」
「お。なになに?」
キランは、わくわくした様子で聞いた。
「俺を、本物の鬼にしてくれ。強くて、恐れ知らずの鬼だ」
「おっけー!」
キランは立ち上がり、空中からステッキを取り出した。そうして、キラキラと星くずを振りまきながら焚き火の周りを踊り、しまいに鬼の額をステッキの頭でこつんと叩いた。
鬼の額から、二本の角がにゅっと伸びた。口元には牙が、瞳は猫のような縦長の瞳孔に形を変えた。
「これはサービス」
キランは空中から手鏡を取り出し、それを鬼に手渡した。
鬼は目を丸くして手鏡を覗き込み、自分の顔や額から生えた角をぺたぺたと触る。
「こりゃあ、驚いた。本当に、鬼になっちまった」
「まあね」
キランは、えっへんと胸を張った。
「しかし、これはいただけねえな」
本物の鬼になった鬼は、立ち上がって自分の腰布を指差した。もちろん、それは虎皮だった。
「なによ。文句あるの?」
「ちょいと珍妙すぎる。これなら、ただのフンドシのほうがましだ」
鬼とキランはにらみ合った。
勉は、「あの」と言って、おずおずと手をあげた。二人から同時に視線を向けられ、少しばかりおじ気付いたが、勉はどうにかがんばって言葉を続けた。
「牛の角を生やして、虎皮の腰布をつけることで、鬼は丑寅を表しているって聞いたことがあります」
すると鬼は、納得したようにうなずいた。
「丑寅ってことは、鬼門だな。つまり、この格好は、鬼だからこそってことか」
「へえ、そうなのね」
キランは感心して言った。
「あんた、知らずにやったのか?」
「え。も、もちろん、ちゃんと知ってたわよ!」
あわてるキランを、鬼はうたがわしげにじろじろ見ていたが、そのうち牙をむきだして、にやりと笑った。
「まあ、いいや。おかげで今は、憑き物でも落ちた気分だ。あんた、流れ星の使者とかわけのわからんことを言ってたが、そりゃあ天女さまって意味だったんだな。だったら、空からやってくるのも納得ってもんだ」
「天女さまかあ。なんか、悪くないわね」
キランは、にへらと笑ってから続ける。
「まあ、とにかく願いをかなえられてよかったわ」
「おう。ありがとうよ、天女さま」
鬼は言って、げんこつを突き出した。
キランも同じくげんけつを突き出して、鬼のげんこつと打ち合わせた。
「じゃあ、私たちはもう行くね。ツトムくんの願い事を探さなきゃいけないから」
すると、鬼は勉に目を向けた。
「願い事を探す?」
「うん。ちょっと、どこかに飛んで行って、行方不明なんだ」
「そうか、早く見つかるといいな」
鬼は、にっと笑った。おそろしげな笑顔なのに、勉には、なんだかとても優しく見えた。
「ありがとう」
勉も笑顔でお礼を返した。
そうして、キランと勉は鬼を後にして、再び月のない夜空に飛び立った。